【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。
show window


 
 
12/08/16 14:58



8/13
雨に濡れたあとの世界の美しいことよ。

12/08/13 18:36


8/9

花屋で働いていた時、自分の作ったものを喜んでもらえるとすごく嬉しい思いになった。

人に絵を描いて、それが喜ばれることも、すごく嬉しい気分になる。

それって、すごく幸せな事じゃないだろうか。
自分にできる最善のことをしたい。また、働き出そうと思う。
12/08/09 17:10


7
7

休日の度に森林の中へ向かう。
見たい展示や胸ときめく装飾品は街の中にあって、
でも次の休日には秋に蒔く花の種を選びに行こうと思ってる。

12/08/07 17:58


7
7

昔の、小学生だった頃にわざと意識を向けて、思い出そうとする。

でも、懐かしい記憶は自慢するようには話さない。
今ある姿からこそ、人となりが見えるものだ。今というのは絶対だからね。
忘れてしまおうとも、隠してしまおうとも、操作できるのは今ではない。
美化できるのも、今ではない。
大切に。

12/08/07 0:37


8/5

生き甲斐って言葉は自分にはフィットしない。
生きるに値する価値なんてものはなくて、 したいことができる  欲しいものが手に入る  そう言う事ではなくて、生きる甲斐は、生きることだ。
12/08/05 10:12


8/1

手に取った高校の教科書から当てずっぽうに頁をめくり、
夏目漱石の夢十夜の第一夜を初めて読んだ。
一瞬一瞬がこの目に浮かぶようで、
今日読んで良かった。

あとがき風に書かれた文を書き留めておく。
最近感じる事となにかの接点を感じたよ

(略)
夢の中では、時間が過去から現在へ順々に同じ間隔で進むように均質的には流れず、伸びたり縮んだり、どこかとどこかが繋がってしまったり、奇妙なことがいろいろと起こる。だれもが経験しているように、夢では、空間的にも現実にはあり得ないことがよく起こるが、夏目漱石は、それだけでなく時間の感覚のゆがみに鋭敏な目を向けている。
漱石は、夢のみならず、日常の生活を描いた他の長編小説でも、時間的な違和感を描いている。
(略)
自分自身の過去が現在の自分とうまくつながらないという感覚や、自分と時代が合わないという感覚は、夢の中だけでなく現実の生活の中でも起こり得る。明治という時代は、大きな変化が起こった時代。漱石は、そうした大転換の中で、時代の流れと自分の生きている時間感覚のずれを経験したのだった。…
12/08/01 20:42


7・29
今二階にあがった瞬間 階下から声が上がった。
アスランが生き返ったみたい。うわあ。嬉しい。
ナルニアの話。

ショー・ウインドーの話はまだ、しないでおこうかな。
今日はいつも以上にネタも無いのに、私は文字を書きたいみたい。

築20年弱のマンション、鉄筋コンクリート、エントランスにオートロックはなし、
ワンルーム、蒸した夜、黒ずんだ緑色の重い扉を開けて,、あなたは帰宅するはず。家々の照明、高層ビルのてっぺんで点滅する航空障害灯(それは赤い)、高速道路の橙色のネオン。そういう類がどうしたものか、遮光カーテンの中透け入って、帰りを待っていた。
変わらない配置の家具のなか、部屋全体を敷き詰める桃色のじゅうたんだけがそこにはなく、床は透明のパネルで、奥底はどこまでも続くようだった。とても小さな、とても弱い光の豆電球が、不規則にちらばっていた。天井をすごく律儀に突き破ってきた植物たちは、皆それぞれが成長していた。皆、とても小さな、とても弱い光を、律儀に目指していた。私は、もうそろそろ、社会から酸素をいただくことをやめにして、同居する彼らから得るそれを戴くのはどうかしらなどと考えた。そんな夜を思い出した。
12/07/29 23:21


7/27
絵を描くのが楽しい!!
どのくらいかと言うと、けだるくねんむい5限目の授業中にいきなり
机の上に乗っかってクラスメイトの机に飛び移って遊んで
あんぐり開いた先生の口が我に返る前に敬礼して退散する位

…長く書いた割に解ってもらえる人がどの程度いるだろうか。。
本当に好きなんだ私はこどもと一緒に絵を描くのが夢で
そしたら私多分こども時代二回過ごせることになるなっ。
そういうの、よくない?
12/07/27 22:55


7/25
さて。
この10日間というのは去年の21日間よりも幾分日常的に私をもてなしてくれました。
その前に私は自分の新しい齢を祝ってくれた人に感謝します。祝辞の言葉は田舎とシティをシンクロし、都会と海の向こうをシンクロし、私は元気に発ち、また帰って来れたわけです。本当にありがとう。


私たちは躊躇してるひまもなく、私たちは秒針の上に乗っていて、私たちは食べるものを捜している。。急くことはない。ただ、自分に問いかけたときもう既にあらゆることは在って、きっと私たちが訪ねてくるのを待ってるんだとおもう。現代の悲しい私たちはもう時計をどうしても、どうしても気にしながら生きていて、でも動き出せば道が開けるように時間というのもきっとあちこちに隠し扉やら通気口やらがあって、通常は視えないだけで、時には互いに肩身寄せ合って、あなたの思考時間を延ばしたり、わたしの試験時間を縮めたり、しているような気がした。わたしにはいじわるねえ。私は縮められた試験時間のために、そのあと列車に飛び乗れるようなツキを、もしかすると手に入れるかもしれない。
ゆっくりと起き、私は朝からシャワーを浴びてもいいか断ると、主はウインクしてから「自分の家のように使いな」と笑った。街へ出、朝市場の一通りを眺めたのち、パン屋の外で朝食にした。小1の頃から私を知る身内のような彼女(私たちは今では時に一緒に仕事だってする!)とはプリュッツェルを半分した。「自分の頭の中で考える想像よりも、現実ははるかに凄くて、たくましくて、美しい」そんなこと言ってた。私も自分の想像の世界は好きだけど、それは夜にみる夢のようなものだ。夢とは観賞して楽しむもので、そこに生きるとは、また別次元なのかも。そう、夢って実体験がものをいってるものなんだもんね。
丁寧に、感謝して、いつも一言掲げて歩く。
ショー・ウインドーでも眺めたい。
ショー・ウインドー、いつか作るって思ってる。
12/07/25 23:01



total : 5179