昨日31日は富士山の閉山式。もう夏山も終わりかァ。台風一過の真っ青な空を見るとじっとしていられず、山梨百名山のひとつ「大蔵高丸」1781mに行ってみた。山頂は大パノラマで真正面に「秀麗富士」を据え、その手前に「三つ峠」から始まる「黒岳」の山系がヒダのように重なってまさに「甲斐の山々」全部が指呼の間に。もっと空気が澄めば北岳や甲斐駒も望めそう。
振り返れば、大学仲間と登った「雁ケ腹摺山」1874m(雁が腹を摺るくらいスレスレに飛んでいた・・?)もすぐ前の谷向こうに聳えているよ。山頂がこんなに展望がいいのは周囲が広い草原だから。ここはお花畑が有名で「甲州市」が大切に保護していてこの日も市の若い職員が2人点検に来ていた。「鹿よけ」のフェンスの中はピンクのフウロソウが一面に咲き乱れ、ノアザミとハハコグサ、ウメバチソウとアキノキリンソウとマツムシソウなど色とりどり。オオバダケブキの向こうに富士山が・・・。
今日から9月。夏休みの課題テストが待っている。大学のように前期・後期の2学期制でやっている高校はこれから前期の期末試験があるね。
2年生のMIさんは前回「不定詞」を使う英作文をやった。「人と自然が共生する」は「人が自然と共に生きる」と言い換えないといけない。「日本大」の文法問題で、動詞の「提案する」 suggest は目的語に名詞や動名詞をとるから「不定詞」ではまずい。that 節にするならよかった。不定詞なら advised him to go〜というよ。
今日はthat 節の重要な構文をいくつか勉強した。 The fact is that・・とか、 〜the fact that ・・は名詞節で「・・ということ」となるし、 so〜that・・・や such〜 that・・・は「結果」または「程度」を意味する。特に Such was S that・・は「Sがそのようなすごいものだったので・・・」という慣用表現で、倒置文にも注意が必要。
SEさんは「目的」(〜するために、〜するように)を表す構文を勉強した。 〜so that・・・や 〜in order that・・・には必ず 助動詞can、mayまたは willが必要だ。否定で「〜しないように」という意味なら、 so that S may not V と言えばいいけど、 lest S should V とか for fear that S should V とも言うことがある。後半は難しい「時間構文」を勉強した。
「・・・するとすぐに、〜した」は as soon as S V とか On –ing で言えるけど、 I had scarcely got home when the bell rang. 「ほとんど家に着いてないうちに電話が鳴った。」は、ほぼ同時だから、「家に着くか着かないうちに・・・」とか「家に着くやいなや・・・」と和訳できる。これを比較構文で表すと I had no sooner got home than the bell rang. となり、「電話が鳴るよりも家に着く方が早かった、なんてことはなかったよ。」の意味。これもほぼ同時だった、ということ。
3年生OHさんは「程度・目的・結果」の表現を勉強した。いつもの10個の重要例文を丁寧に和訳して、〜enough to〜と so〜as to〜が同じ「程度」と「結果」の意味を持つこと、しかしよく似たso as to 〜は「目的」を表しin order to 〜と同じということ。「目的」は節なら so that S 助 V・・・ とか in order that S 助 V・・・と言える。大切な文法をたくさん復習した。語句整序の問題には強くて今回も合格点が取れたね。最期に英文和訳のプリントにも少し挑戦した。 no less 〜than ・・・は難しい構文で、「・・・と同じように・・・だ」と「肯定」の意味で訳すといい。 尾上
(追記)「丸」というのは古代朝鮮語で「山」の意味だそう。丹沢山系にも「〜山」とか「〜岳」の代わりに「〜丸」を使う山がいくつかあるね。ここ大蔵沢の源になる山が「大蔵高丸」で、この日はさらにもう一つ「ハマイバ丸」まで歩いた。変なカタカナの命名だね。漢字だと「破魔射場」と書いている。「破魔矢」ってお正月の初詣のときに神社で祈祷して頂くあの縁起物の矢。それを「射る場所」という意味らしい。
「大蔵高丸」山頂に至る斜面が大きなお花畑になっている、というネットの情報にわくわくしながら長い林道を走ったら,山頂すぐ下の「湯ノ沢峠」1600mまで車で楽に行けてしまった。中央線の「甲斐大和駅」から一日数本のバス利用かタクシーで来るしかないけど、この日に山頂で出会った人は2人だけ。せっかくの好天気でも平日ではしかたないか。
「JR甲斐大和駅」は昔の国鉄時代は「初鹿野」(はじかの)といって、駅員が一人のちいさな山あいの駅だった。大和村の駅になって駅名が「甲斐大和」に代わり、さらに甲州市に併合され機械化されて今は「無人駅」、とは皮肉だね。駅の裏手に「武田勝頼」の像が立っている。新田次郎の小説「武田信玄」に夢中だったころ何度かここには来たなあ。1583年ここ「天目山」の闘いで、嫡男・武田勝頼一家が信長・家康連合軍に追われて、妻子と共にこの「田野」の地で悲惨な最期を遂げて「武田家」が滅亡したのだ。
その山奥に有名な「大菩薩峠」がある。私が大学を卒業する頃、同名の中里介山の小説が三部作で映画化されて、主人公「机龍之介」を市川雷藏が演じてヒットしていた。それで同級のMA君と結婚前の家内と3人で「この峠道を歩いてみようか、」ということになった。新宿発の中央線・最終列車で「初鹿野駅」に着くと真っ暗な山の中。20キロの急な山道を徹夜で歩いて峠を越えて、翌朝「裂石」の分岐に抜けてバスで塩山駅にたどり着いたようだけどあまりはっきりと覚えていない。今の「甲斐大和駅」には昔の面影が全くないけどなぜか懐かしくてつい立ち寄ってしまう。
