夕食を終えて風呂に入ってさっぱりしてから夕涼みに「秩父宮記念公園」に行ってみた。暗闇の中にかすかな明かりに照らされて白百合が咲き乱れる「ゆりの花園」をぬけると中央の広場が「ビアガーデン」になって、家族連れや若いグループがパラソルの下で静かに会話を楽しんでいるよ。野外の「映写会」をやっているけど、余計な放送や音楽が聞こえてこないのがいい。
梅雨明けの夜空を見上げながら、茹でたイカをつまみにタイから輸入の「シンガ・ビール」を飲んでみたら味が濃いめで気に入った。ヨーロッパ旅行で飲んだドイツビールはこんな風味だったなあ。イベントがたくさん企画されて、わが街・二の岡も楽しみになった・・・。
(家庭連絡)・・・8月中旬の「夏期講習」に数人から申し込みがきています。今年も「三島夏まつり」の期間中の午前中に「ゆうゆうホール」で実施しますが、予定を1日ずらすことが可能でしょうか?前半の8月12日(金)、13日(土)を13、14日に変更したいのですが。後半の16、17日はそのままです。今日のブログの「追記」に記したように、敬愛する先輩の新盆の法要が12日(金)に予定されたので伊東のお宅まで伺いたいと思います。
(今日の教室の様子)・・・
1年生MU君は部活の合宿で、2年生YAさんはオープンキャンパスに出かけて今日はお休みしたので、今日の出席は2人。途中で外は夕立だったらしい。
2年生のEN君は前回「譲歩、否定」の項目で語句整序問題をやってみたら70%正解だった。「国士舘大」の問題で「彼女にとって最も重要なことは、彼の持っているものではなくて、彼がどういう人であるか、ということです。」網半は not A but B の構文でうまく言えたけど、前半は What is the most important to her ではなくて、What matters to her most と書けばいい。ここでmattersは「〜に問題になる→大切だ」の意味に使う「動詞」だ。
今日は「形式目的語」としての it の働きを勉強した。中でも take it for granted that ・・・は「・・・を当然のことと考える」、の意味。I took him for an American. (彼をアメリカ人と勘違いした。)と同じ構文だ。 granted とは形容詞の形だけど「神様からあたえられたもの、つまり誰でも手に入る当たり前のもの」という名詞の意味だ。語句整序問題では「仮定法」の特集だったが、とても良く出来ていた。
大学生のYAさんは前回「北海道大」の英作文をやってみた。「医療事情の日米の違い」はなかなか難しかったね。論説文は日本語でも長めになるから、そのまま英語に移し替えるとまとまりにくい。今回は上手に短めに切ってあって進歩したね。今日からは英検「準一級」問題を始めた。
先週まで取り組んできたTOEICは日本や韓国の企業が社員に要求する英語力の検定試験。TOEFLは米国留学に必須の資格試験。最近は、英国に留学するならIELTSという検定試験が必要だ。検定協会と旺文社が運営する昔からの「実用英語技能検定試験」、つまり「英検」ならどんな目標をもつ日本人の英語力も測れるはずで一番評価が高い。将来「1級」を目標にしばらく続けてみよう。
今日の読み物は昨日のNEWSWEEKの記事で「ポケモンGOで124個全部をゲットしたニューヨーカー」が面白かった。「オタク」のことをgeek(ギーク)っていうんだね。大学の前期試験が終わったら、ゆっくり読んでみてね。 尾上
(追記)新任の頃、稲取高校の同僚で敬愛していたナベ先生が亡くなった、とつい先日半年遅れて知った。年末にはお見舞いに行ったのに、入院していた伊東の市民病院から長泉の「県立ガンセンター」に移されて間もなくのことだったらしい。南伊東の眺めのよい斜面の瀟洒な家に住んでおられたが、5年前の台風の悪天候の時、すっ飛んできた古い物置の屋根が先生の頭上を強打した。それが原因で大脳の手術とその後の長いリハビリを余儀なくされた。
私が吉原高校で半年常勤講師を勤めた後に昭和43年、東伊豆の風光明媚な稲取の高校に赴任したらそこに大学の大先輩を発見した。低音の張りのある声と剛毅な体躯のナベさんは沼津東高校の出身で、進学先の東京外語大では中国語を専門に国際関係のコース(今では「国際社会学部」として独立した、)に進み「社会科」教諭になった。明治以来の伝統あるボート部でも活躍したらしい。そうそう、今年UG会から外語大の中国語に入学したMIさんには60年も先輩になるんだね。
渡辺秀夫先生は、転勤先の「三島北高校」で教鞭をとっていた時に「静岡県高校教職員組合」の委員長に推されて就任した。毎日伊東の自宅から静岡に通勤し、県庁では教育長や教育委員会を相手に理路整然とした論法でにこやかに語りかける人柄のおおきさが魅力だった。組合員からの信望は絶大だったし私も自動車事故のときにお世話になった。私たちの結婚披露宴の司会を引き受けて頂いた先輩だ。
その任期後は「韮山高校」の教壇に移り定年を迎えられたから皆さんの中にも「地理歴史で教わったよ、覚えてる!」という人が身近におられるかもしれないね。定年後は中国との文化交流に尽力され、県内の国語の先生をおうぜい講師として中国に派遣した。郷土史散策をまとめた著書「安宅丸を追うべし!」を大けがの翌年出版し、「郷土史研究会」や伊東市出身の詩人「木下木太郎」の会も主宰され80歳をすぎてもなお元気だったのに。
献身的な介護を続けておられた気丈な奥様のほうが先に去年亡くなり、少しずつ気弱になって1年足らずの内に跡を追いかけるように逝ってしまわれた。ナベさんのあの笑顔がもう見られないのはとても寂しい。市内「松月院」に眠るナベさんのご冥福をお祈りします。
