御殿場市民会館にて
「御殿場市二の岡のこと」
私の住む御殿場市新橋は御殿場駅前から続く広い郵便の区割りで、古い地名では「二の岡区」に入る。「二岡神社」が中心で、35年前我が家の新築時の地鎮祭にはその宮司さんに来て頂いた。かつて御殿場市長を勤めた内海重忠氏はその後継者で、サイクリングがてら神社に立ち寄ると時々顔を合わしてご挨拶する。今から20年前、沼津東高で教えていた時にその息子さんのクラスで英語を担当した関係もあるんだ。
東京の建設省のお役人だった内海氏が郷里の市長選に立ったのは平成5年。国際文化都市推進をスローガンに「国際音楽祭を御殿場で」と熱心だった。市内の音楽関係者たちが「市長の諮問会議」に呼ばれて、その一人として南高で吹奏楽顧問をやっていた私も意見を述べた。「東京・横浜に近くて、人口8・9万人の小都市ではクラシック人口が少なくてコンサートは無理。とても採算が合わないと思いますが・・・。」
今日はセンター試験の2日目があった。今年は三島教室のTA君だけが受験した。実力が十分に発揮できていると信じてます。今回、各地は大雪の中での実施で交通手段が不自由なため1時間遅れで開始した会場とか、遅刻の受験生ごとにさらに対応する会場もあったらしい。関東や中部では静岡県だけが雪の心配がなくて予定通り実施できたようだ。
1日目の英語の問題が朝刊に載ったのでやってみた。あまりに小さな字で読めないからルーペを使って。It takes 人 時間 to〜(人が〜するのに〜時間かかる。)が2カ所も出題されていたね。語句整序問題では時間なのに It cost で始まっていた。これは特に「貴重な時間がかかった」という時の用法だ。
2年生EN君は前回、「前置詞」の入試問題をやった。文法も語句整序問題も80%の上出来だったね。今日は「倒置構文」をやった。(1)SVM→MVSや(2)SVC→CVS、(3)SVO→OSVのような倒置のほかに、「否定の副詞」を文頭に出したときの倒置も大切だったね。
特に受験生泣かせの「時間構文」には最大の注意が必要だ。 Hardly had I left the building when I saw the accident.が、 As soon as I left the building, I saw the accident. 「その建物を出るとすぐにその事故を目撃した。」とほぼ同じ意味になるのはなぜか、考えて欲しい。そして否定語を強調しなければ「倒置」もしないので元の位置に戻してI had hardly left ・・・となるんだ。
2年生YAさんは前回、「否定」の文法・作文を勉強した。「東京経済大」の並べ替え問題で、「大気汚染が問題化したのは、多くの人々が都市に住み始めてからです。」は、「・・・なのは〜だ」という表現から「強調構文」 のIt is 〜 that・・・を思い浮かべられなかったね。本当は、・・・の文の中の一部だった 〜 を文頭に引き出して強調するから、英語学では「分裂文」と読んでいるものだ。「〜し始めてからです」を否定文に直して、「〜し始めるまで、ではない」とする。 It was not until many people began to live in cities that air pollution became a serious problem.
1年生MU君は前回「笑顔の大切さ」と題する長い英文を和訳した。文の構造がしっかり把握できるようになった。When SV〜, SV〜「・・・した時に・・・」は、前半が副詞節で後の文を修飾する。うっかり文頭で「その時に」とやってしまったね。speak to oneself(一人ごとを言うー声に出して)、とsay to oneself(心の中で思うー声にださずに)の違いとか、Window after window が主語になって「次々と現れるお店のウインドウが・・」となることに注意しよう。今日は「動名詞」の用法を勉強し、大切な慣用語法もいくつか覚えた。
大学生のYAさんは「英検準一級」の過去問をやってみた。難しい適語選択の問題は70%くらいの正解だったね。 devalue(〜の価値を下げる)、degrade(〜の地位を下げる)のように、接頭辞のde-が「下」とか「外」の意味だとわかればdemotion(格下げ)はpromotion(昇進)の反意語だと想像がつくね。このように未知の語でも接頭辞や接尾辞から意味を想像する力を養うとヴォキャブラリーが2倍にも3倍にも増えるよ。
第2問は「海洋廃棄物」を読んだ。NYの古い地下鉄車両を大西洋に沈めて、そこを魚礁にして大成功した話だ。しかし海の生態系が破壊され異常になったという研究もある。もう1問の「アメリカのひ弱な若者たち」も読み応えがあったね。「若者にもっと独立心を持たせたい」というのはアメリカだけではないよね。 尾上
(追記)「二岡神社」の鳥居の脇に内海宮司さんのお屋敷があって、その正門には朝ドラ「あさがきた」の主人公「広岡浅子」を紹介する写真や、昨年のNHK・TVドラマ「忠臣蔵の恋」がここで撮影されたのでそのポスターなどが掲示されている。広岡浅子は京都の豪商の娘で、江戸から明治期にかけて九州の炭鉱開発や大同生命保険・日本女子大の設立などに心血を注いだ女傑だった。この朝ドラ「あさがきた」を私も毎朝楽しみに観ていたよ。
宮司さんの正門にはもうひとつ「昭和初期」の「二の岡、東山地区」の別荘地図が掲示してある。東名御殿場ICの前あたりは「便船塚」といって昔は湿地帯で舟を浮かべていたらしい。ここには「西園寺公望公」の別荘があったが今は「ジャンボ・エンチョー」の大きな敷地になっている。その隣のガソリンスタンドのあたりに「広岡家」の別荘があった。
浅子は夏になると涼を求めてこの「二岡神社」の森に散策に来てはこの内海邸にも立ち寄ったのだろう。当時の先進的な女性たちが浅子主催の夏のセミナーにおうぜい参加したそうだ。3年前の朝ドラ「花子とアン」の主人公・文学者の村岡花子もその一人だった。「赤毛のアン」はここで翻訳したのかもしれない。(つづく)









