裾野市民文化センターにて
「金時山から八ヶ岳」
1カ月ぶりに「金時山」に登ったよ。御殿場から乙女峠を越えて仙石原に入ると市街地に入る手前に登山口の「公時神社」がある。冬は樹木が裸になるから鳥居の注連飾りの真上に山頂がくっきりと見える。神社の拝殿で手を合わせ「今日も無事に・・」とお願いしてから歩き始める。雪が所々残る山道にはシモバシラやツララが朝日を受けてキラキラと輝く。よく見るともうタチツボスミレの丸い葉が芽生えたよ。
富士山の右肩に遠く「八ヶ岳」の白銀の峰もくっきりと見え、こんなに快晴の登山日和なのに山頂は人影がちらほら。元祖金時小屋に「こんにちは!」と入ったら返事がない。金時娘の妙子さんがひとり隅っこに座り込んでいて、眠っていたらしく私の姿にやっと気がついて「よく、来たねえ!」。84才でまだまだ頑張っているよ。
2年前の元旦登山でピッタリ100回目になってからは月に2回は登ってきた。今日は148回目だけど、天井にビッシリと並べて提げてある木の名札の中に私の札もある。妙子さんは私をすでに150回のグループに格上げしてあるからもう少し頑張らねば・・。
2年生MIさんは前回「助動詞」の勉強で書き換え問題をやった。may well(〜するのももっともだ)や、 may as well(〜したほうがいい) など難しい助動詞も分かっていたね。would はかなり用法が広くて、単に will の過去形や「仮定法」だけでなく、would rather 〜 than 〜(〜より〜したほうがましだ)や、 would often (よく〜したものだ) would not(どうしても〜しようとしなかった)などよく整理しておこう。今日は「動詞+目的語+前置詞〜」の構文をたくさん勉強した。 regard A as B (AをBだと考える)protect A from B(AをBから守る) translate A into B(AをBに翻訳する)など。さらに deprive A of B (AからBを奪う) owe A to B (AをBに頼る) provide A with B(AにBを与える)などもとても大切な表現だ。
SEさんは前回、「熊本大」の和訳で、 Most people, I know, try to avoid any kind of sad feeling. が難しかったね。これが最近やった「挿入」という特殊構文で、「カンマカンマをカッコに入れ」ればいいのだ。本当は文頭に置くべき語句だから、「ほとんどの人がどんな種類の悲しい感情も避けようとするからだ、と私には分かっている。」今日はやはり「動詞」中心の慣用表現をさらに追加した。「神奈川大」の He had the strength to love others even in the face of hate, injustice and death. では、「〜する力を持っていた」の意味の動詞句を使っている。「憎しみや不正や死に直面したときでも・・。」彼とは人種差別撤廃のために「ワシントン大行進」を成功させたキング牧師のこと。”I have a dream.” の演説で有名だね。1969年に暗殺された。
3年生TA君はいよいよ25日が前期試験だ。センター試験後に力が落ちたかと心配したが、努力のせいかずいぶん英語力が元に戻ったね。今日は「特殊構文」に関する文法・作文・和訳の問題を解いてみた。「明治大」の The most superficial student of human nature realizes the importance of the emotional factor in life. 主語は 「人間性のもっとも表面的な学生」ではなくて、「人間性をどんなに表面的にしかみていない研究者でも」というふうに、最上級の語句の前に even を補って、譲歩的に「どんなに〜な人でも」とするべきだ。さらに student は「study する人」つまり「研究者、学者」の意味でもよく使うよ。「・・人生では感情面の要素が大切であることを理解している。」後半は「英語教育の大切さ」をテーマに「自由作文」をやってみた。尾上
(追記)串田孫一「山のパンセ」(岩波文庫1995)を読むと、北アルプスの「穂高」や南の「白峰三山」、岩手の「早池峰山」に登った時の思い出が綴られている。そこは自分でも登ったことのある山だからその描写には引きこまれてしまう。串田は一人でもよく登って山小屋や旅館よりもテントを張って一夜を過ごすことが好きだったらしい。富士山頂からスキーで滑降しようと本気で実行しかけたこともある。つねに画帳をリュックにいれて休憩のたびに山や谷や流れる雲の姿をスケッチした。時には彩色用に絵の具も携行した。
中学生の頃から東大の時代をへて終生登山家だった串田先生は、実は東京外語大の私の「哲学」の担当教官でもある。先生の講義の内容は思い出せないけれど、学年末の試験の代わりにレポート提出だったので、私は「オネーギンとの出会い」というタイトルでエッセイ風に書いたら「優」をくださったのもいい思い出だ。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」と原作者プーシュキンについて触れたものだった。
新選「山のパンセ」は先生が自薦の50数編のエピソードを再編集したものだけど、なぜかその冒頭に掲げた「意地の悪い山案内人」がかなり異質で面白い。どこの山かも明記せず山道の描写がほとんどなくて、同行の女性をかなり意識した描き方になっている。女性といってもまだ16才、高校2年生だ。若い頃一緒に登ったけど止めてしまった仲間に頼まれて、そのお嬢さんを初めての山に案内することになった。でもザックの詰め方に注文をつけたり自分の前を先に歩かせたりルートを自分で判断させたりで、冗談も言わずタバコをくわえて無口でいるのはなぜだろう。
「一人前のような姿をして風に目を細めてスポンジケーキを食べている。・・・」と少女をこまかに描写している。相手がきっとたいした美少女でずいぶん大人びているせいで、かなり動揺して「意地悪して」いるのはきっとこの著者が恋に落ちたのだろうと察せられる。少女の方もかな?ダークダックスの唄を思い出す。「娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚―れーるなよ・・・♪♪」









