三島ゆうゆうホールにて
「世紀のマチス展」
とっくに絵筆は折ったけど絵画を見るのは大好きでNHK・Eテレの「日曜美術館」もよく見るよ。来週の放送「利休・茶碗の宇宙」も楽しみだ。昔京都の「楽家」に行って本物の楽焼きを見たよ。先月放送の「クラーナハ展」もよかった。15世紀ドイツのユニークな画家だ。上野の西洋美術館でまだ開催中だから本物をみてみたいなあ。スザンヌとかターナー、ミレーのような風景画よりも人物描写の方がずっと面白い。
同じ15世紀でもイタリア・ルネッサンス絵画では私は昔からティツィアーノのファンで、「色彩の魔術師」とも言われている画家なんだよ。それまでの宗教絵画から脱却して「人間中心」に描いたひとたちの一人だ。印象派ではやはりマネやモネが好きだけど、ピカソと共につい60年前まで活躍したアンリ・マチスが特に素晴らしいと思うな・・・。
2年生のENさんと3年生のTA君がお休みしたので今日は中学生のNI君一人。一部屋貸し切りだ。TA君はこの大事な時期にインフルエンザにかかったらしい。早く回復して14日のセンター試験に備えないといけない。
中学生NI君は「冬期講習」に4日間参加したので、その最終日のプリントを返却しながら説明した。長文和訳を中心に「メビウスの帯」と「数のトリック」「虹は色がいくつ?」「友人との気楽なコミュニケーション」のポイントを説明した。ふだんの授業やテストではせいぜい一つの文を和訳できたら「それでよし!」と言われてオシマイ。
しかし長いパラグラフ(一節)を全部和訳すると、文の流れや文と文のつながりかたに注意するようになるんだ。英語の句読点には、カンマ(,)とピリオド(.)の他に3つ、つまりコロン(:)とセミコロン(;)とダッシュ(−)がある。これらはどんな働きをしているのだろう?英文を読むときの切れ目はただの「間・ポーズ」だけど、実は大変重要な役割があるのだ。
今日「スモール・トーク」で出てきたダッシュの実例については、昨日のブログに書いたから読んでください。たとえばセミコロンは、カンマよりもう少し長めに「間」をあけて、@説明「実はそれはね」とか、A理由「なぜかというと」とか、B対比「ところが一方」などの働きをしているのだよ。3つの句読点の違いは、たくさん読んでいる内に身についてくるもので、普通の文法テキストには書いてない。筆者の個性やクセによることも多いからやっかいだ。コロンは前文の実例を列挙することにも使う。その時はsuch asが書いてなくても、「たとえば・・のように」と訳を添えるととてもいい。
要するに文の流れ、文脈をしっかり掴んでいれば、何も書いてない「間」に適切な「接続詞」をあてはめることができるというわけだ。英語では特に何も接続詞やそれに相当する副詞が書いてなかったら、「すなわち」とか「なぜなら」をひとこと添えるととても良い和訳になる。つまり自分で自分の和訳に納得できるんだ。なぜなら、英語はまず「結論」から始めて、その説明をくだくだと述べていくから当然なんだね。
SVOCMMMのような文型の語順の流れと同じことなんだよ。大切なもの(結論)から始まって、だんだん枝葉末節が後につながって出てくるんだ。日本語はちょうどその逆なんだね、とNI君に説明した。中学生の内にこんな話しはどうかな、なんてとんでもない。15歳の若者はすごく頭の回転の速い大切な時期なんだ。これを心理学では「第3反抗期」というけど。NI君きっとこの話を一生忘れないと思うよ。 尾上
(追記)1976年のヨーロッパ旅行では、パリ・ロンドン・ウィーン・フィレンツェなどの美術館を訪れて、ルネッサンスの画家で大好きなティツィアーノなど世界の名画に触れたし、1992年12月に長男と二人で米国旅行した時に、ちょうどニューヨークのMoMA(近代美術館)で開催されていた「マチス大回顧展」は特に思い出深い。空前絶後の大規模なマチス展だった。
クリスマス明けでみぞれまじりの小雨降る寒い早朝、マンハッタン5番街の角にある「聖トマス教会」の前まで来たら、数百メートル先のMoMAの前まで長い行列ができているよ。予約チケットを入手するために私も1時間くらい並んだ。私の前にはロンドンから来た若者、後ろにはスペインから来たグループ。さすが世界のMoMAだね。行列もグローバルだ。やっと番が回ってきて午後3時からの入場予約券をゲットできた。
ロシア・サンクトペテルブルグの「エルミタ−ジュ美術館」が所蔵する「ダンス」や「赤色のハーモニー」も出品されていて大感動だった。あまりにも膨大な展示で閉館まで時間が足りず、長男は半分くらいしか見切れなかった。今も手元にその時購入した分厚い画集があって懐かしい。マチスは生命の躍動感に溢れた作品ばかりで、私の一番好きな画家だ。
