高校英語UG会 三島・裾野・御殿場

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「同格」を表す接続詞の that
「同格」を表す接続詞の that
2017年3月6日(月)
三島ゆうゆうホールにて
「大文字山」
 6年ぶりに箱根の「明星ケ岳」に登った。毎年8月16日の「大文字焼き」で知られた山で「大文字山」の別名がある。国道沿いの「宮城野・登山口」から急斜面を登ると1時間くらいで「大」の字のトンガリに着く。横の棒は100mもあるそうだ。町の青年団がここまで竹笹を運び上げて火をつけると、反対側斜面の「強羅」や「宮ノ下」のホテル・旅館の窓から「大」の字が夜空にくっきり浮かび上がり、旧暦のお盆の送り火として箱根の夏の風物詩になっている。
 予期せずスミレを発見!薄紫のタチツボスミレがもう咲いた。山頂からは右に「金時山」、正面に「早雲山」、左手に「小田原」の海が大パノラマだ。6年前の2月1日、仙石原の友人KA君と「明星ケ岳」に登った時には、ここから湯本方面に縦走し「塔ノ峰」から麓の「阿弥陀寺」に下った。「皇女和宮」ゆかりのお寺でここには珍しい「琵琶」を弾く和尚さんがいたなあ。
 その日は「塔ノ沢」からバスに乗れたので夕方予定より早めに帰宅した。すると、家内がトイレの前で倒れて気絶しているのを発見!すぐに救急車を呼んで近所の「脳外科医院」に運んでもらったら「脳内出血」だった。発見が早かったのか、6時間を超す大手術が無事成功して神様に手を合わせたよ。その後のリハビリも順調で・・・。

 2年生ENさんは先週持ち帰った2回分のプリントを全部やって提出した。部活などで欠席して遅れていた分を、この入試期間中に自宅で必死に取り組んできたガンバリ屋さんだ。今日はその先の「動詞のイディオム」を勉強した。「長崎大」の英文 Abraham Lincoln’s career fits a popular American belief that every child can dream of becoming president. ではthat が「同格」を表す接続詞で「〜という」と訳せるとよかったね。「すべての子供が大統領になる夢を持つことができるというような、アメリカ人がだれでも持っている考え方に、エイブラハムリンカーンの経歴はピッタリだ。」今日もまた遅れている2回分を持ち帰って「家でやってきます」という。意欲あるなあ。
 御殿場教室のYAさんが今日も熱心に出席した。昨日は「省略」の項目でむしろ「挿入」をやたら使う文を訳すのにとても苦労したね。「学習院大」の「犬のローバーは可愛いヤツ」では If I say, ”Rover・・・.” の直接話法の文中にカンマ・カンマで区切られた「挿入語句」、without〜とかon the other hand とか however quietly などに振り回されてしまったね。次の「挿入1」の単元では「同志社大」の「ストレスの解決法」が難しかったね。
 裾野教室のKI君が出席して、後に前置詞の on や for をとる他動詞をいくつか勉強した。He bought the car for one million yen. 「一万円で買った」の for は「〜と交換に」の意味で、He paid one million yen for the car. 「〜のために払った」というのと同じ。後半も do や have を使うイディオムをいくつか覚えた。「神奈川大」の He had the strength to love others even in the face of hate, injustice and death. 「彼(1969年に暗殺されたキング牧師)は憎しみ、不正、死に直面したときでも相手の人を愛する力を持っていた。」もほぼうまく訳せたね。
 中学生NI君は「関係詞」の復習問題をやった。The boy who I met yesterday・・・のように直前の名詞 boy を修飾できる代名詞のこと。I met him yesterday.の him が who に替わって主語の前に移動したのだと考える。だから「関係副詞」も同様に、直前の名詞を修飾できる副詞のことで there が where に、 then が when に替わって主語の前に移動するのだ。関係代名詞には what もよく使われるが、これは something which〜「〜すること、もの」と同じ意味を1語で表したもの、と覚えよう。 尾上

(追記)全盲になって老人ホームに入所した平塚の友人に何かしてあげることはないかと考えている。視覚障害者でも使えるスマホはないかな、とネットで調べてみたら iPHONE や iPAD がそれだった。ツルツルの画面でどうやって判別するのだろう?
 さすがマックだね。実は音声対応だそうだ。指先で画面にタッチすると、アルファベット26文字が上下左右の4カ所に6−7字ずつ区分けされて、すぐに音声で読み上げてくれる。少しずつずらしていってこれでOKなら指を離すとその文字が登録される、という仕組みだった。ナルホド−!慣れてくれば健常者がキーボードで打つのと同じかもっと早いかもしれないね。
 昔からある「ブレイル式点字」では6個の凸の組み合わせで読み取るけど、習得するのに1年から2年かかるらしいから大変だし、これを使うタイプライターはもう必要ないかもしれない。そこで「点字読み取り機」や「点字文書制作機」を製作している会社に電話で問い合わせしてみたら貴重なアドバイスをくれた。
 横浜と厚木に神奈川県立の視覚障害者のための「支援センター」があるそうだ。厚木市の「七沢自立支援ホーム」では、視覚障害者が通所か入所して、白杖での歩行訓練や点字での読み書きを訓練し社会復帰させる施設だった。「七沢」といえば家内が脳卒中で手術をした後に3ヶ月「リハビリ病院」に入院してお世話になったすぐ近所ではないか。ともに「神奈川県総合リハビリテーションセンター」の一部だった。
2017/03/06 (Mon) 23:40


There is a pen on the desk.は中学生には難しい。
There is a pen on the desk.は中学生には難しい。
2017年3月5日(日) 
御殿場市民会館にて 
「江ノ島」
 平塚の友人を訪ねるついでに江ノ島まで足を伸ばした。鎌倉や葉山に旅行する時にいつも通りがかるけど、いままで橋を渡ったことがなかったから新鮮な驚き。土産物店に挟まれた神社の参道は大賑わいで外人観光客もたくさんすれ違う。海産物のお店が多くて貝や魚を焼くいい臭い。焼きたて「蛸せんべい」の店前には長い行列も。
 弁天様をお奉りする「江島神社」は長い急階段を上った山の上にある。最初の拝殿「中津宮」まで行く「エスカー」に乗ってみた。有料のエスカレーターのことだった。本殿には列に並んで参拝の順番を待っている人たち。ここからは鎌倉方面が一望の下で、「七里ヶ浜」や「葉山」の方まで見渡せる。
 帰りに立ち寄った「スパ&レストラン」は岩場の磯にせりだした最高のロケーションで、4階の大きな窓からは湘南ビーチの向こうに大山や丹沢の峰々が・・・。

 2年生のYAさんは前回「前置詞」の入試問題をやった。「知りたがる」は be curious to know という。「パーティには君の友人の他に誰が来ますか?」は動詞「来ますか」を中心に SV を考えること。「パーティには」が主語と思ってはいけない。日本語の「は」は話題を示すだけで必ず「主語」とは限らない。Is anyone else coming to the party besides your friends ? となって、進行形の is coming が「未来」を表すのだ。今日は「倒置」を勉強した。テキストの編集が悪くて、(1)SVC や SVO の文型が CVS や OSV になる場合と、(2)「否定語」が文頭に来たときに SV が「疑問文」の語順に変わる場合、の2つの例文をまぜこぜにして並べているからヤヤコシイ。もっとすっきりとかしこく書けないものかなあ。さらに意欲的に次の「省略」と「挿入」まで進んだ。学校の授業より「UG会」の方がずっと面白い、と言っている。「好きこそ物の上手なれ。」というよ。英語を確実な武器にすると強いぞ−。 
 EN君は前回「分詞」の文法・作文問題がよくできていた。作文では「・・6才までそこで育った。」は I was brought up there until I was six years old. と接続詞+SVで書くか until the age of six と前置詞+名詞で書く。「〜才だ」の文が I was old. の形容詞 old に six years が限定している表現であることを知らない人が多い。今日は「There構文」を勉強した。中学でやる There is a pen on the desk.「机の上にペンが一本あります。」は易しそうで実は特殊構文なのです。There is が「あります、います」と教えているけど実にアブナイのだ。There is Mt. Fiji in our city. なんて英語じゃない。 元の文は A pen is on the desk. で is が「〜にある」の意味。初めて出る主語をいきなり言わないで後回しにしたので、代わりに意味のないthereと入れておくのだ。だから英語学では「虚辞」という。形式主語とか仮主語の it と同じようなものだ。ここでは「進行形」の文や「受動態」の文でも、主語が be 動詞の後に移動してその代わりに there で言い始める文を勉強した。
 1年生MU君はこれまでの文法のまとめ(1)として、「英作文によく出る表現」を勉強した。どれも大切な慣用表現で、「厳密に言えば・・・」は、独立分詞構文でStrictly speaking, という。「不思議なことに・・・」は 独立不定詞でStrange to say, というが正解だった。To tell the truth, 「本当のことを言えば」や To be frank with you, 「率直にいうと」なども文の始めにおいて、「話者」の判断を前置きするのだ。今日は2枚目もほぼ全部に挑戦できた。
 大学生のYAさんは前回「金沢大」の英作文をやってみたらほぼうまく書けた。「AとBとは違う」は A and B are different ではなくて A is different from B の構文だ。大学院の入試にも使える問題だね。今日は準一級の新たな練習問題をやってみた。第1問の語彙力問題が素晴らしくほとんどが正解だったけど、第2問の長文が難しくてミスが目立った。「カシミアは贅沢な悦び」では is subject to は「〜に従う」とか「〜を受けることになる」という形容詞。subは「下に」 jectは「投げる」から想像できるね。名詞なら「底辺に流れているもの」という意味で「話題」とか「主題・テーマ」の意味になるし、「授業科目」や文法用語の「主語」にもなる。とても広く使われる語で「家臣・けらい・国民」、実験なら「被験者」となる。ペーパーの辞書で一度じっくり読んでおきたい単語だね。 尾上

(追記)大学で2年後輩のYA君は平塚市松風町の瀟洒な和風の一軒家に住んで40年になる。大学の同級生だった愛妻を20年前にガンでなくして以来ずっと一人住まいだった。一昨年の秋、鎌倉ドライブのついでに立ち寄った時には「眼が弱ってきて歩くのにも不自由してます・・・」と言っていたのだが、この日訪問してみたら家は留守で、驚いたことにすぐ近所の「養護老人ホーム」に入所していた。「光の明暗が分かるくらいで尾上さんの顔も見えません。視神経の障害で親譲りです・・・」といって何をするでもなくテーブルに向かいポツネンと車椅子に座っていた。
 東京外語大のドイツ語科から一橋大学の院に進学し、東京の「武蔵工大」と「都市大」で教えてきた。三島の「日大・国際関係学部」にも週一回来ていた。大学時代は私と同じオーケストラに所属して2人でフレンチホルンを吹いた。自宅に所蔵のホルン5台のうちには私が吹いていたドイツの名器アレキザンダーも含まれ、プロ奏者に混じって「日本ホルン協会」の副会長にも推された。「音のアルカディア・・角笛の鳴り響くところ」(1996)などユニークな著書で表彰された音楽学者でもある。
 1時間ずっと温かな手を握りながら話しかけ励ましたら、「あと2・3冊は本を書きたい。眼が見えないので口述の音声を録音してそれを活字に起こしてもらおうか、と考えていますが・・・」という。「それなら視覚障害者用のパソコンやスマホがあればいいのにね。私の長男は横浜国大の研究室で、楽譜を点字で表記するシステムの開発で論文を書いていたよ。まず点字を勉強すればたくさん道が開けてくると思うよ。」
2017/03/05 (Sun) 23:21


what you are は「あなたの今のすがた」
what you are は「あなたの今のすがた」
2017年3月2日(木) 
裾野市民文化センターにて
「雪割草の季節」
 明日は「桃の節句」。「吊し雛と十二単衣」の展示を見に「秩父宮記念公園」に行ったら、まだ冬景色なのに枯葉が敷き詰めた中に純白のスノードロップの群落をいくつも発見!スズランのように緑の葉の上に下向きに花びらを広げてそこにもあそこにも。まだ裸の白樺林の向こうに箱根の稜線も見えてまさに早春の訪れ。
 茅葺きの母屋の裏の谷ではユキワリソウを30株ほど発見!白、紫、ピンク、赤と色とりどりに美しさを競って華やかなこと。これもこの雪国・御殿場の「旧宮邸」で春一番を告げる花で今日も楽しみにしてきた。別名「ミスミソウ」といって「キンポウゲ」の仲間だ。雪国の日本海側で、特に「佐渡島」の「ドンデン山」940mにたくさん咲くと「花の百名山」で紹介されている。4月末頃雪解けのその山に登ってみたいなあ・・・。

 2年生MIさんは前回「名詞節」を扱う和文英訳をやって3題とも正しく書けたね。「聖心女子大」の「彼女が試験に合格しようがしまいが、たいした問題ではない。」もIt matters little whether she will pass the exam or not. と書けた。 It が whether 以下の名詞節をうける型式主語になっているね。今日は動作の対象を表すonや交換や理由を表すforのような前置詞をとる他動詞を整理してたくさん覚えた。同志社の英文もしっかりていねいに訳せたね。
 SEさんは動詞句の make one’s way (進む)の様々なバリエーションを勉強した。「上智大」の There was a big crowd inside the station, and I had to force my way out. は「駅構内には大群衆がいたので私は人を押しのけながら外にでる道を進まなければならなかった。」後半は形容詞+前置詞でイデイオムになっているものをまとめた。「桃山学院大」の和訳で、The chairman said that very few businesses had been able to make a profit during the past year, and that we must learn to be thankful for small mercies. では、「過去T年間に、利益を出すことができた企業はほとんどない。だからわずかな利益でも感謝するようにならないといけない、と会長は述べた。」のように、 and がつなぐ2つのthat 節は、一つながりのものとして解釈しないと。2つのことを述べたのではない。
 KI君は前回、「龍谷大」の「ことばは言いたいことを言うための道具だ。」を和訳した。文中でダッシュのあとにalmost everything, indeed, that makes you what you are. とある部分が難しかったね。カンマカンマの部分はカッコに入れておけば、thatが関係代名詞でeverythingを修飾している。what you are とは「あなたの今のすがた」の意味だから、「あなたを今の姿にさせているほぼすべてのことだ」と訳せる。今日は和訳で接続詞の while がたびたび出て苦労したね。「〜である一方」という意味もあるから、though のような「譲歩」の接続詞なんだ。
 御殿場教室の2年生EN君がこちらに参加して「下関市立大」の英文を和訳した。If you are, or soon will be, responsible for elderly parents, get together as soon as you can to plan a strategy for the next decade. ではカンマカンマで区切られた「挿入」語句が難しかったね。現在形の are の後に 未来形の will be を補充しているね。「年老いた両親に対する責任があったり、 あるいはもうすぐ責任が生まれるならば、・・・」のように、和訳できるといいね。今日は「横浜市立大」の英文で、 We are familiar with the problems of communication between speakers of different languages who have been reared in quite different cultures. で、who の先行詞はspeakers なのでof different languages と二重に就職しているね。そういうときには、「完全に異なる文化圏で育った人たちで、異なる言語をしゃべる人たちどうしの間での・・・」と訳すと良いね。
 御殿場教室のYAさんもこちらに出席した。今日は「強調」のdo、does、didを動詞の前に「助動詞」のようにつけて「実際に〜をやったよ」と訳す練習をやった。後半はいわゆる「強調構文」で、It is 〜 thatの間に、文の一部を強調して〜に移動させる文の練習をやった。Paper was not made in southern Europe until about the year 1100. は「文否定」のnot を思い出して、「紙は1100年頃まで作られなかった。」ではなくて「1100年頃までではない」つまり、「紙が作られたのは1100年になってからのこと」と訳せると正解だ。
 3年生TA君は先週末、東京で前期試験を受けてきた。大きな失敗はなかったようなので合格を期待したい。しばらく使わないとせっかくの英語力が落ちてしまうから、錆び付かないようにと出席してくれた。長文問題を2問やったらともにほぼ完璧だった。後期試験の準備も着実にやっておこう。「北海道大」の英作文問題もやってみた。 尾上

(追記)「日本百名山」は登山家・深田久弥の名著で、NHKの山岳番組でもよく紹介されるが、もう一つ「花の百名山」というガイド本があるのを知ってる?脚本家の「田中澄江」が体験してまとめた同名の随筆(1981)をもとにしてヤマケイ(山と渓谷社)が編纂したもの。山頂を目指すよりも登山道に咲く「100の花」を楽しむ100名山が紹介されている。
 私の花好きは自他共に認めるところだけど、男性よりもどちらかといえば中高年の女性で花を目当てに山に登るグループに今までたくさん巡り会った。盗掘、つまり「花ドロボー」をするのもこういうオバサンたちのようだ。金時山の貴重な花たちも年々少なくなって困ると「金時小屋」の主人・秀ちゃんも馴染み客たちも嘆いている。
 この「花の百名山」の一つに九州の私の思い出の「霧島山」も入っていた。「キリシマミツバツツジが見たい」として写真入りでコース紹介されている。有名な「ミヤマキリシマ」というツツジなら九州各地の山で見られるけど、この花は「霧島山」特有の花だ。私が高校の修学旅行の4日目の早朝に登ったときには知らなかった。(壁紙はその時キャノンで撮った霧島山・韓国岳です。)
2017/03/02 (Thu) 23:35


What do you think will happen next? 「次に何が起こると思う?」
What do you think will happen next? 「次に何が起こると思う?」
2017年2月27日(月)
三島ゆうゆうホールにて
「須走で雪山歩き」
 今年3回目の「そりすべり」はまた須走の「ふじあざみライン」に行った。通行止めになっている「太郎坊」や「富士宮口」の自動車道でも滑ったことがあるけど、雪が降ったすぐ後はスノータイヤがないとアクセスが危険だ。その点「須走口」は国道沿いの「道の駅」に駐車できるから安心。3キロくらいほどよい傾斜でほぼ直進コースなのが嬉しい。
 赤いプラスチックのそりを片手に松並木の登山道を登っていったら、はるか前方の林から5人の黒い人影が現れまたすぐに向かいの林に入っていった。登山者か?よく見ると自衛隊員が訓練中だった。銃を抱えて「雪中行進」をやっているらしい。最後尾の上官が記録板にチェックを入れて歩いていた。高倉健主演の映画、「八甲田山・死の彷徨」を思い出した。
 鉄骨のゲートで完全に通行止めになった地点まできた。雪原のなかからマウンテンバイクの若者一人。車でここまで乗せてきて、「積もった雪の中をバイクで駆け下りるのが楽しいです!」と。そうかなあ。私の「そり滑り」の方がずっと安全で爽快だけどなあ。1時間かけて登ってきた道をわずか15分で滑り降りた。良い気分・・・。

 2年生ENさんは前回「強調」を勉強した。東洋大の英文で The 1980s brought amazing new advances in the technology. では動詞 brought の主語が「1980年代」であるのは珍しい。これも「無生物主語の文」の一つだね。「1980年代には科学技術で新たな驚くべき進歩が見られた。」と訳せるといいね。今日は「挿入」の(2)だけど、これは解説のマチガイで「間接疑問文」の中の「疑問詞」が文頭に出る特別の場合の勉強だ、と訂正を加えながら解説した。What do you think will happen next? 「次に何が起こると思う?」のような文を間接疑問文と呼ぶけど、what がwill の前から文頭に移動しているから、最近の英語学では「WH移動」と呼んでいる。Yes-Noで答えない疑問文では「疑問詞」を最初に言うのだ。
 中学生NI君が両腕に松葉杖をついて出席して驚いた。学校で軽い捻挫をしたらしい。今日は「分詞」をやった。並べ替えも作文もかなり正解が出せて-ing と-ed の用法が分かってきたね。長文は「犬の日=真夏のじっとり暑い日」を全訳した。Also は「さらに」とか「〜も」という訳を当てるけど実は難しいのだ。よく見かける文尾の・・, tooと同様に、前の文に「何かを追加する」のだが、その「何か」に焦点を当てて「〜も」をくわえる。I went to school last week, too. は「私も」か「学校にも」か「先週も」かは前の文との関係で判断しなきゃいけない。 尾上

(追記)人生2回目の登山と言えば、大学1年生の夏に「浅間山」2569mに登ったなあ。今は噴火危険区域で登山禁止だけど、その頃は火口のお鉢巡りもやったよ。早朝に登山口の「車坂峠」に立つために、「菅平スキー場」から尾根伝いに40キロの山道を夜通し縦走したのは今も懐かしい。同級生4人でシュラフもなしに「篭ノ塔山」の山中で仮眠したのは無謀としかいいようがないね。
 その日はロシア語科の何回目かの「旅行」で、仲良しの10数人が信州上田市に集合し、「菅平山荘」に一泊してロシア民謡などを歌ってコンパをやった。翌日の午後現地解散し、希望者4人で登山に出発した。外語大の山岳部に所属していたKA君がリーダーで、紅一点のKOさん、山好きのSU君と私の4人だった。登山経験がゼロに等しいから「キャラバンシューズ」は履いてきたけど私は短パンとザックだけの軽装だった。
 年長のKA君はその後東大の大学院に進学し、国会図書館勤務から大学教授になったすごい努力家。焼津にある「静岡福祉大」の学長にまで出世した。土地柄「原水爆禁止運動」の推進役も果たしたらしい。SU君は「サハリン石油」の開発に従事した後、経団連や法政大学の「ロシア経済」講師として活躍。今も経済アドバイザーの仕事があるらしいが、住まいは「八ヶ岳」の中腹に瀟洒なログハウスを建てて自然を相手に暮らしている。
2017/02/27 (Mon) 23:10


音楽は母親の子宮にいる内から
音楽は母親の子宮にいる内から
2017年2月26日(日)
御殿場市民会館にて 
「公時神社から金時山頂」
 「山のパンセ」の著者・串田先生は父親の影響もあって,中学の頃から大人たちに混じってたくさんの名だたる山に登ったという。私は高校2年の九州・修学旅行で初めて高い山に登った。鹿児島県の「霧島山」の最高峰「韓国岳」だ。高校時代のアルバムを開くと、親に買ってもらった「キャノン・一眼レフ」で撮ったたくさんのスナップの中に収まっていた。さらに手作りの「旅行のしおり」も挟んであった!
 その旅程表を見ると3月16日の早朝、「霧島温泉」に宿泊した翌朝、希望者だけが暗い内に宿を出て1時間ほどの「大浪池」の湖畔まで登って、この火口湖を作った「韓国岳」とそれに連なる壮大な山並みの火口壁を展望した。山頂まで行く時間がなかったのは惜しまれる。宿に戻って朝食を済ませてから「霧島神宮」に参拝し、さらに宮崎県の都城と青島に向かう予定だったから。
 ここが「天孫降臨の高千穂峰だ!」という説もある。朝靄が次第に晴れていって山稜が浮かび上がる光景に、幽玄の世界に迷い込んだような荘厳な印象を強く受けた。後になってこの感動が忘れがたく、「高千穂峰」と題する短い詩を作ったのを思い出す。串田先生は奇しくも私と同じ1961年の秋に、講演の仕事の合間に「霧島山」に登った、と「山のパンセ」に書いてある・・・。

 1年生MU君は前回「比較」を使う英文にポイントを置いた長文「エビの乱獲」を和訳した。more and moreで「ますますたくさんの〜」、becomes less cleanは 「あまりきれいでなくなる」と訳せたね。これは more の反対だから「劣等比較」と呼ばれる。今日は「前置詞・接続詞」をやってみた。語句並べ替え問題はほとんど正解。力ついたねえ。「あなたはその計画に賛成ですか,それとも反対ですか?」は、 Are you for the plan or against it ? のように前置詞で表現できるよ。
 大学生のYAさんは英検準一級の第3問をやった。かなり長めの英文ばかりで難問だったが合格点が取れた。「ロボット開発上の倫理的なルールづくり」も面白いし、「音楽は母親の子宮 womb にいる内から」もよく読めていた。「ドイツは最近天才が出ていない」は第二次世界大戦後のドイツの歴史を知っていればもう少し正解が出せたね。大学はもう春休みに入ってこれから二ヶ月、やりたいことが思い切りやれる時期だねえ。
 YAさんとEN君は期末試験のためにお休みした。 尾上

(追記)私が東京外語時代、同級生にとびきりの美人HOさんがいた。卒業後は日本航空・モスクワ線のスチュワーデスに採用された。ロシア科はわずか40人のクラスで、私は入学早々この美人に「尾上さんでしょ?」と話しかけられて面食らった。東京中野区の小学校時代に1年間だけ同じクラスだったが彼女は5年生から武蔵野市に転校してしまって、忘れてはいなかったが8年ぶりの再会に驚いた。
 私も小学校を出ると関西に引っ越して6年間も宝塚と西宮に住んでいて、東京から離れて男子ばかりの高校だったから女性が苦手だった。彼女も大学では私と同じオーケストラに入りフルートを吹いた。入部後同じ楽器の上級生HAさんから熱烈なラブコールを受けたらしいのだけど、彼は数ヶ月後突然自宅で自殺してしまった。生来脚が不自由で松葉杖で歩いていたせいもしれないが皆は失恋のせいだと憶測し悔やんだ。ご遺族からは追悼の意味で貴重な楽器を寄贈して頂いた。
 外語大オーケストラの顧問をやって頂いて、ご自分でもハープやバロックフレーテを演奏なさった串田孫一先生の「生誕100年記念コンサート」が、一昨年地元の小金井市で実施されたので昔一緒にやった仲間たちにメールで知らせた。するとHOさんが返事をくれて、「私は大学受験では串田先生のいらっしゃる外語大が第一志望でした。」と書いてきた。
 件の「山のパンセ」第一章は1961年、串田先生46才の時のエッセイで彼女も高校2年生のはず。ずばり「君があの時の少女じゃないの?」と、ほのめかしながら書いてみた。串田先生のお住まいの小金井はHOさんが引っ越した武蔵野市のすぐ隣り町だしね。本人からの返事はまだない。
2017/02/26 (Sun) 23:06


student は「study する人」
student は「study する人」
2017年2月23日(木)
裾野市民文化センターにて
「金時山から八ヶ岳」
 1カ月ぶりに「金時山」に登ったよ。御殿場から乙女峠を越えて仙石原に入ると市街地に入る手前に登山口の「公時神社」がある。冬は樹木が裸になるから鳥居の注連飾りの真上に山頂がくっきりと見える。神社の拝殿で手を合わせ「今日も無事に・・」とお願いしてから歩き始める。雪が所々残る山道にはシモバシラやツララが朝日を受けてキラキラと輝く。よく見るともうタチツボスミレの丸い葉が芽生えたよ。
 富士山の右肩に遠く「八ヶ岳」の白銀の峰もくっきりと見え、こんなに快晴の登山日和なのに山頂は人影がちらほら。元祖金時小屋に「こんにちは!」と入ったら返事がない。金時娘の妙子さんがひとり隅っこに座り込んでいて、眠っていたらしく私の姿にやっと気がついて「よく、来たねえ!」。84才でまだまだ頑張っているよ。
 2年前の元旦登山でピッタリ100回目になってからは月に2回は登ってきた。今日は148回目だけど、天井にビッシリと並べて提げてある木の名札の中に私の札もある。妙子さんは私をすでに150回のグループに格上げしてあるからもう少し頑張らねば・・。

 2年生MIさんは前回「助動詞」の勉強で書き換え問題をやった。may well(〜するのももっともだ)や、 may as well(〜したほうがいい) など難しい助動詞も分かっていたね。would はかなり用法が広くて、単に will の過去形や「仮定法」だけでなく、would rather 〜 than 〜(〜より〜したほうがましだ)や、 would often (よく〜したものだ) would not(どうしても〜しようとしなかった)などよく整理しておこう。今日は「動詞+目的語+前置詞〜」の構文をたくさん勉強した。 regard A as B (AをBだと考える)protect A from B(AをBから守る) translate A into B(AをBに翻訳する)など。さらに deprive A of B (AからBを奪う) owe A to B (AをBに頼る) provide A with B(AにBを与える)などもとても大切な表現だ。
 SEさんは前回、「熊本大」の和訳で、 Most people, I know, try to avoid any kind of sad feeling. が難しかったね。これが最近やった「挿入」という特殊構文で、「カンマカンマをカッコに入れ」ればいいのだ。本当は文頭に置くべき語句だから、「ほとんどの人がどんな種類の悲しい感情も避けようとするからだ、と私には分かっている。」今日はやはり「動詞」中心の慣用表現をさらに追加した。「神奈川大」の He had the strength to love others even in the face of hate, injustice and death. では、「〜する力を持っていた」の意味の動詞句を使っている。「憎しみや不正や死に直面したときでも・・。」彼とは人種差別撤廃のために「ワシントン大行進」を成功させたキング牧師のこと。”I have a dream.” の演説で有名だね。1969年に暗殺された。
 3年生TA君はいよいよ25日が前期試験だ。センター試験後に力が落ちたかと心配したが、努力のせいかずいぶん英語力が元に戻ったね。今日は「特殊構文」に関する文法・作文・和訳の問題を解いてみた。「明治大」の The most superficial student of human nature realizes the importance of the emotional factor in life. 主語は 「人間性のもっとも表面的な学生」ではなくて、「人間性をどんなに表面的にしかみていない研究者でも」というふうに、最上級の語句の前に even を補って、譲歩的に「どんなに〜な人でも」とするべきだ。さらに student は「study する人」つまり「研究者、学者」の意味でもよく使うよ。「・・人生では感情面の要素が大切であることを理解している。」後半は「英語教育の大切さ」をテーマに「自由作文」をやってみた。尾上

(追記)串田孫一「山のパンセ」(岩波文庫1995)を読むと、北アルプスの「穂高」や南の「白峰三山」、岩手の「早池峰山」に登った時の思い出が綴られている。そこは自分でも登ったことのある山だからその描写には引きこまれてしまう。串田は一人でもよく登って山小屋や旅館よりもテントを張って一夜を過ごすことが好きだったらしい。富士山頂からスキーで滑降しようと本気で実行しかけたこともある。つねに画帳をリュックにいれて休憩のたびに山や谷や流れる雲の姿をスケッチした。時には彩色用に絵の具も携行した。
 中学生の頃から東大の時代をへて終生登山家だった串田先生は、実は東京外語大の私の「哲学」の担当教官でもある。先生の講義の内容は思い出せないけれど、学年末の試験の代わりにレポート提出だったので、私は「オネーギンとの出会い」というタイトルでエッセイ風に書いたら「優」をくださったのもいい思い出だ。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」と原作者プーシュキンについて触れたものだった。
 新選「山のパンセ」は先生が自薦の50数編のエピソードを再編集したものだけど、なぜかその冒頭に掲げた「意地の悪い山案内人」がかなり異質で面白い。どこの山かも明記せず山道の描写がほとんどなくて、同行の女性をかなり意識した描き方になっている。女性といってもまだ16才、高校2年生だ。若い頃一緒に登ったけど止めてしまった仲間に頼まれて、そのお嬢さんを初めての山に案内することになった。でもザックの詰め方に注文をつけたり自分の前を先に歩かせたりルートを自分で判断させたりで、冗談も言わずタバコをくわえて無口でいるのはなぜだろう。
 「一人前のような姿をして風に目を細めてスポンジケーキを食べている。・・・」と少女をこまかに描写している。相手がきっとたいした美少女でずいぶん大人びているせいで、かなり動揺して「意地悪して」いるのはきっとこの著者が恋に落ちたのだろうと察せられる。少女の方もかな?ダークダックスの唄を思い出す。「娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚―れーるなよ・・・♪♪」
2017/02/23 (Thu) 23:09


カンマ、カンマはカッコだ
カンマ、カンマはカッコだ
2017年2月20日(月)
三島商工会議所にて
「沼津で指揮の勉強会」
 東部吹奏楽連盟の結成「60周年記念式典」の招待状が届いたので、沼津市上土の「リバーサイドホテル」に行った。懐かしの「東急ホテル」だ。2階のカフェテラスからは「香貫山」と「狩野川」が見渡せて開放感がとてもいい。この日も一人乗りのボート「シングルスカル」がミズスマシのようにスイスイと窓の下を滑っていった。この近くに艇庫があるからきっと東高のボート部の生徒だろう。大学時代に一度はこれを漕いでみたかったなあ。
 「式典」と「レセプション」に移る前に、中学高校の先生方合同の「指揮法勉強会」が企画されていた。東高時代の教え子MU君が大活躍で司会進行をやっていた。私は定年退職と共に指揮棒をもたなくなって10年にもなるから懐かしさがこみあげる。沼津商業高校のモデルバンドを使って、何人かの先生が入れ替わり実際に指揮をしてみると日頃気づかなかったヒントがたくさんある。東京から呼んだ女性講師のユーモアに溢れた適切な指摘にみなさん感心することしきり・・・。

 2年生ENさんは前回文法・作文シリーズの最後に「会話表現」をやった。この種の問題を学校でやったことがなかったらしく正解が少なかったね。センター試験でもよく出題されるからしっかり勉強しておこう。学校で買った「文法参考書」の最後の単元になっているはずだから、一度集中的に勉強して欲しい。特に間違いやすいのはDo you mind If I borrow your textbook? 「〜を借りてもいい?」だけど、mind 「気にする?」と聞いているので、OKならNo, I don’t. と答えるよ。ダメならYes.なんて言わずに I’m sorry.といってI’m using it.とか I‘m so busy now. などの理由を追加する。
 今日は「省略」と「挿入」を勉強した。「省略」は前後に同じ主語がある時、be動詞と共に省略される。たとえば When asked about her condition, she said,・・「体調について聞かれたとき、彼女は・・」は When she was asked のことだね。「挿入」は文の途中がカンマとカンマで区切られて、本当は文頭で言うべきことを後から付け加える表現方法だ。これを発見したらカッコでくくって文頭に出しその前後をつないでみることが大切だ。The concert was, unfortunately, put off. 「あいにく、そのコンサートは延期された。」をUnfortunately the concert was put off. とすれば、「受動態」の文であることがわかる。
 3年生TA君が国公立の前期試験を5日後に控えて出席した。D大では第3問が毎年「自由作文」で配点も40%なので、なんとかしなくてはいけない。「海外留学したいか」「高校生はみな大学進学すべきか」など、理由をそえて英文で表現する問題だから「小論文」の練習と同じだね。
 今日は「この大学を志願した理由」というテーマで書いてみた。特に自分の専攻したい学科だけでなく他の学科名も、大学の名前自体も英語で書けないといけない。過去にどういうきっかけでこの学科に興味をもったのか、将来は大学院に進むとしたどんな研究をしたいか、などが書けるように準備しておこう。中学生NI君は今日お休みした。 尾上

(追記)10年ごとに企画されてきた「記念式典」の第一回目は30年前。1987年に私がこの吹奏楽連盟の理事長をやっていた時のことだ。その頃の「30周年記念誌」を整理箱から引っぱりだしてみた。恒例の夏の吹奏楽コンクールや冬のアンサンブル・コンテストの入賞記録などに加えて、この連盟が結成された当時のことなどもくわしく書かれている。今はもう故人となられた先輩の先生方の連盟創設の経緯などの手記もなつかしいなあ。
 昭和32年1月に、静岡県内ではこの沼津地区に初めて中学・高校一体の連盟が結成された。その頃私はまだ兵庫県宝塚市の中学1年生でトランペットを吹いていたよ。明治以降「軍楽隊」の歴史があるから、どこの学校にもわずかでも管楽器があった。太平洋戦争が終わってやっと景気が回復し、各学校で新しい楽器を少しずつ購入できるようになったけど、この東部ではコンクールの参加校がまだ少ないから中高合同でわずか一日で実施されていた時代だった。
 その後、静岡や浜松でも連盟が結成され、東部・中部・西部の組織が静岡県吹奏楽連盟へと発展していった。大きくなると、中学と高校がコンクールや演奏会の企画・実施を独自にやるようになっていった。それでも中・高の吹奏楽部の顧問たちは根っからの音楽好きで、専門が音楽教師であってもなくても自分でなにか楽器を演奏した。「部活動」にとても熱心でコンクールなどでいかに高い評価をもらえるかに苦慮していた。
 私も40才代〜50才代の頃本職の英語よりも吹奏楽に夢中だった時代、夏のコンクールで金賞を競い合ったKO先生、MO先生、SU先生など懐かしい顔にこの「記念式典」では久しぶりにお会いできた。吹奏楽の顧問もずいぶん顔ぶれが若返って知らない顔がほとんどだったけれど、中学のSU先生、SA先生、SE先生の懐かしい顔も20年ぶりだ。彼らが育てた吹奏楽部はかつて東海地区代表になり東京での「コンクール全国大会」にも出場した。みな年齢相応の風貌になったけどまだまだ元気で音楽活動を続けていたよ。
2017/02/20 (Mon) 23:05


頭の知性よりも心の知性
頭の知性よりも心の知性
2017年2月19日(日)
御殿場市民会館にて
「三津浜から富士山」
 長岡温泉で絶景の露天風呂を楽しんだ後は、三津坂のトンネルを抜けて三津の海岸に出た。10分前まで伊豆の山々に囲まれていたのに、駿河湾の美しい海が眼前に突然開けるから、予期はしていてもびっくりする。ピンクの「河津桜」が浜辺ではもう満開だった。その向こうに「観光船」と「淡島」、そして富士山が聳えているよ。老舗旅館の「安田屋」は作家・太宰治が昔逗留した宿なので、ここの「湯の花温泉」に浸かるのも11日の仲間とのトレック計画の一つだったのに。真上に聳える「発端丈山」から急斜面を下ってくるとこの三津浜に出てゴールだ。
 「日本百名山」は深田久弥の名著だけれど、小林泰彦「日本百低山」(文春文庫2009)も面白いよ。自分で歩いた100の低山をデータ入りのエッセイにして洒落たイラストもつけている。私の立案はこの本がルーツだが、駿豆線の「大仁」からスタートしてあの岸壁の「城山」から長岡の「葛城山」と「発端丈山」を縦走した時のコースで、小林は特に気に入っていた・・・。

 2年生EN君はイデイオム化した動詞表現を勉強した。look 人in the eye は「人の目を見る」という意味の慣用表現で、look at one's eye とは言わない。その人の身体の一部に the をつけるのだ。Traditionally, Americans expect a person to look them in the eye when they are having a conversation. 「伝統的にいうと、アメリカ人は会話をしている時に相手の人が自分の目を見るものだと思っている。」expect 人to〜は want 人to〜と同じ構文。
 YAさんは前回、文法・作文で「時・条件」の構文を勉強した。「条件」を意味する接続詞はたくさんあって、例えばProvided (that)〜は「〜という条件が与えられれば」という、受身の分詞構文から、if の意味の接続詞に変化したものだ。Providing〜でも同じだよ。語句並べ替え問題では「東京理科大」の「食べ物が余ったら、犬にやってくれ。」は If there is any food left, ・・・と書く。受動態のIf any food is left, を 「there構文」に置き換えると倒置になるんだ。「進行形」の Some children were playing in the garden.も There were some children playing in the garden. のように倒置できる。今日は「無生物主語構文」を勉強した。The heavy snow prevented the train from arriving on time. 「雪が・・・妨げた」ではおかしいから、和訳では「雪のために・・・できなかった」とする練習だ。
 1年生MU君はいよいよ「仮定法」を勉強した。学校では「文法」だけの特別の時間がないから、しっかり教わったことがない。「仮に・・・なら、・・・するだろうに。」と事実に反する仮定の気持ちを動詞の過去形(今)や過去完了形(昔)に込めるのだ。帰結文も今の仮定ならwould 原形、昔の仮定ならwould have –edという動詞形で区別する。いくつか練習問題をやってみてほぼ理解できたようだ。
 大学生のYAさんは英検準一級の問題を前半の第1問「語彙選択」と第2問「長文読解」をやった。Emotional Intelligenceというタイトルの長文は「頭の知性よりも心の知性が大切」という面白いエッセイで、It stands to reason that people who deal well with other people are going to find more satisfaction and success than those who don't. と述べている。「他の人と上手くやっていける人は、いけない人より大きな満足を得て成功もするだろう、ということは理にかなっている。」  尾上

(追記)名著「日本百名山」を書いた深田久弥は、日本アルプスを北も南も全部自力で歩き、北海道「利尻山」から鹿児島県屋久島の「宮之浦岳」まで、登り尽くした山々から厳選した100の山々についての素敵なエッセイを残した。しかしそんな登山のエキスパートにとって、山梨県韮崎にある「茅ケ岳」というわずか1704mの低い山が「終焉の地」になるとは。私たちのいつもの4人組でも日帰りで楽に登れたのにね。
 深田は若い頃「富士山頂」からスキーで滑り降りたというからやはりスゴイ冒険男だ。御殿場市議だった仁藤祐治さんの労作「岳麓漫歩」をまた図書館で閲覧していたら、富士山頂・剣が峰にあった「気象観測所」から仲間3人でスタートして、幾度かの危機を乗り越えて無事5合目の「太郎坊」まで一気に滑り降りた、という話はスゴイよ。
 この3人の一人が新田次郎の「強力伝」の主人公で「金時娘」のお父さん、コミさんこと小見山正らしい。山頂にはたいてい石の標識があるよね。信州の「白馬岳」山頂3000mに200キロもの大石を一人で背に担いで運んだという。
2017/02/19 (Sun) 23:39


カカオ豆がボケ防止に?
カカオ豆がボケ防止に?
2017年2月16日(木)
裾野市民文化センターにて
「長岡温泉で桜見物」
 山梨の十島で温泉宿を経営する実弟から電話が入り,明日は天気も良いので評判の早咲きの桜を見に東伊豆の「河津」に夫婦で行くよ、とのこと。いいなあ、近場でも桜が見られないかなあ、と考えて私たち夫婦も「長岡」に行ってみた。「天坊」というホテルの斜面では暖かな陽射しに赤みの強い河津桜が開花して、今盛りの紅梅や白梅と競い合っていた。春霞もうっすらかかって伊豆はすっかり春だった。
 先週御殿場が雪のため、私のドタキャンで山の仲間が3人だけで登った長岡の山々を確かめたかったし、ネットで調べたら「日帰りで温泉とランチビュッフェが楽しめる」高級感のある温泉ホテル、と知ったので出かけてみた。近在の畑で取れた野菜をふんだんに生かした料理の数々・・・。

 2年生MIさんは先週に続いて「挿入(2)」という項目を勉強することになった。しかしカンマ、カンマで区切られていればたしかに「挿入」と言えるけど、これは「疑問詞の移動」なんだよ、と説明した。手製のプリントを添えて、 What do you think will happen next?「次に何が起こると思う?」 は疑問詞の What が文頭に移動したものだ、と説明しないといけない。それは「思う」や「言う」のような動詞の時だけ、Yes-Noで答えない疑問文だからだ。大抵の受験テキストの解説が間違っている。新しい文法研究の知見が取り入れられていないのだ。
 SEさんは前回、「助動詞」の文法・書き換え問題をやった。かなり難易度の高い問題ばかりで、基本のcan、may、mustのほかにも、had better、would rather、would often、 だけでなく、may well〜(〜するのももっともだ)、may as well〜as〜(〜するより〜した方がましだ)など、2語以上で助動詞の働きをするものが多かった。今日は「動詞+目的語+前置詞」の形の慣用表現をたくさん勉強した。特に deprive 人 of 物(人から物をうばう)のイディオムは覚えにくいね。 rob 人 of お金、cure 人 of 病気(人から病気をなおす)など。
 三島教室のENさんが出席して「倒置構文」を勉強した。「否定語」のNever、Little、Hardly などを強調して文頭に出すと、SVが「倒置」になる、つまり「疑問文」の語順に変わる、というもの。たとえばNever have I forgot your kindness.のように。また、Hardly had I left the building when I saw the accident. 「その建物を出るか出ぬうちに私はその事故を見た。」も、普通の語順ならI had hardly left 〜となる。
 3年生TA君はDE大の過去問を解いてみた。長文のパラグラフごとにその要旨をまとめる問題で、少々苦手そうだからなんどかやってみる必要があるね。カカオ豆に含まれる活性素「フラバノル」が老化による記憶力減退を食い止める効果があること、が実験で証明された、というつい最近の科学記事からだった。そうだ、つい最近「明治製菓」もバレンタインの季節に合わせて科学データを発表し、「カカオ70」とか「72%」とかカカオ成分の高いチョコレートを大々的に売り出したね。私も家内と一緒にボケ防止になると信じてよく食べているよ。甘みが少なく苦みがあってちょうどいい。 尾上

(追記)先日2年生のYAさんが「バレンタイン」に手作りのおいしいクッキーをプレゼントしてくれたが、横浜に住む姪のMAからも「バレンタイン・チョコ」が今年も届いた。この時期になると近所のお菓子屋さんに頼まれてチョコレート作りを手伝うから様々な種類のチョコレートが手に入る。今年は「京都」のお菓子屋のチョコだった。彼女は大学生の頃、料理学校にもかよってフランスまで修行に行ったほどの腕前でなかなかの食通だ。
 そうそう、いただきものといえば今日は2年生MIさんのお母様が教室にごあいさつに見えて、岐阜県「白扇酒造」の「本みりん」を頂いた。さっそく味見をしたらとても甘いふくよかな深い味わいだった。三年熟成のこんな本格的なみりんは知らなかった。岐阜県では今でも「みりん」を調理用でなく「甘酒」として飲んでいるそうだ。
 右手が不自由になった家内に替わって日に3度の食事を私が用意しているから、煮物など和食には料理酒にあわせてよく「みりん」も使っているが、スーパーで買うものではたいした味ではなくて、本格的なみりんが欲しかったところで、食通の一人としてありがたい。
2017/02/17 (Fri) 0:38


 コンピュ−ターの昔と今
 コンピュ−ターの昔と今
2017年2月13日(月)
三島ゆうゆうホールにて 
「パール富士」
 我が家の近所は昭和の初期に「対山荘」と呼ばれて、「富士山」一望の別荘地で売り出したのだろうけど,育ちすぎた杉や檜の森に囲まれてしまい二階に上がっても富士山の展望がほとんどない。50mほど歩いて「押出橋」までいけばマンションの上に半分だけ見えるが、しかし三国山系から愛鷹山系までの広大な裾野に、「富士山」の全体を見るには1kmほど先の「城山」の斜面に登ってみなければだめだ。
 前夜「三島駅」から列車でほろ酔い気分で帰宅する時に、箱根の山にかかっていた明るい大きな満月が、明日の朝にはきっと富士山の側に沈むはずだ。そうだ!もしあの月が富士山頂に沈めば「パール富士」がみられるぞ、と期待して早起きした。
 朝6:40、日の出の真っ赤な陽光を受けて「赤富士」が見事だった。銀色の満月は「HOWスキー場」のある「水ケ塚」のあたりに沈みかけていた。「金時山」か「足柄峠」のあたりに行けば「パール富士」が見られたのかも・・・。

 中学生NI君は「分詞」を勉強した。Sleeping dog(眠っている犬)Broken glass(割れたコップ)のように、分詞は形容詞のように名詞のすぐ前におけばいいのだけれど、「そこに眠っている犬」なら dog sleeping there、「彼女が割ったコップ」なら glass broken by herのように、2語以上で修飾するときには名詞の後に「後置」しないといけない。「エジソンが発明した電話は人々の暮らしをかえた。」は The telephone invented by Edison changed people’s life. のように、「エジソンに発明された」が「電話」の後に「埋め込み」されていることに注意。後半は「動名詞-ing」が何度も登場する長文、「コンピュ−ターの昔と今」を全訳した。
 数の計算をする機械「コンピューター」の仕組みは、本来「電気がつく・つかない」の2択の仕組みで、10進法の数字を2進法(0と1だけ使う)に置き換えるという単純なもの。しかし「真空管」を使う初期の機械は巨大なもので、高校の教室を一部屋占領してしまほど大きかったのはつい40年前のこと。私は島田商業高校で「情報処理科」の生徒たちと一緒にコンピューターの仕組みを勉強したのが懐かしい。たしか「フォートラン」とかいったなあ。
 それが今ではパソコンになり、電卓になり、スマホのサイズにまで小さくなった。今では「蜘蛛の巣」(ウェブ)のように世界のコンピューターがネットワークでつながった。今日の長文はとても興味深い内容でNI君はほぼ正確にしっかりと和訳できたね。 尾上

(追記)数年前、「ダイヤモンド富士」を追いかけてよく日没前の「山中湖」に出かけたものだ。夕陽が富士山頂に落ちるときダイヤモンドのような輝きを一瞬放ってそれが湖面にも反射する。その趣味が高じてこんどは、ネットのブログに投稿されている「パール富士」の写真を見てみた。空気の澄んだ冬の朝、日の出と共に西の空に沈んでいく満月が富士山の頂上に落ちていく姿はまるで「真珠」のようで美しい。
 その前夜は三島駅前の「居酒屋」でいつものトレッキングの仲間たち3人と乾杯した。「飲み会」だけでも参加できて本当によかった。東京・千葉・横浜から「三島駅」に集まった学友たちは、私の「ドタキャン」の連絡に驚いた。しかし私の作ったプランに従って「伊豆長岡」の山登りと立ち寄り温泉を楽しんで、「伊豆箱根線」で三島駅に戻ってきたのだ。
 車を使って移動しガイド役をする予定だった私は、実は前夜からの突然の「積雪」のために脱出不可能になったのだ。東名高速が終日通行止めだったのも珍しいこと。きっと一般道も大渋滞だろうし、スリップが恐ろしいからこういう日は運転しないことにしている。そこで御殿場線が午後は運行してたので、「三島駅」まで電車で行き夕方の「反省会」だけには参加できた、というわけ。
 11日(土)は全国的に雪の予報ばかりだったのに伊豆は絶好の山日和で、長岡の「葛城山」から見た富士山と「発端丈山」からの三津の海岸の絶景を堪能して、3人ともニコニコ顔で東京に帰っていった。また二ヶ月後の再会を誓って。

2017/02/14 (Tue) 0:00


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