高校英語UG会 三島・裾野・御殿場

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音楽は母親の子宮にいる内から
音楽は母親の子宮にいる内から
2017年2月26日(日)
御殿場市民会館にて 
「公時神社から金時山頂」
 「山のパンセ」の著者・串田先生は父親の影響もあって,中学の頃から大人たちに混じってたくさんの名だたる山に登ったという。私は高校2年の九州・修学旅行で初めて高い山に登った。鹿児島県の「霧島山」の最高峰「韓国岳」だ。高校時代のアルバムを開くと、親に買ってもらった「キャノン・一眼レフ」で撮ったたくさんのスナップの中に収まっていた。さらに手作りの「旅行のしおり」も挟んであった!
 その旅程表を見ると3月16日の早朝、「霧島温泉」に宿泊した翌朝、希望者だけが暗い内に宿を出て1時間ほどの「大浪池」の湖畔まで登って、この火口湖を作った「韓国岳」とそれに連なる壮大な山並みの火口壁を展望した。山頂まで行く時間がなかったのは惜しまれる。宿に戻って朝食を済ませてから「霧島神宮」に参拝し、さらに宮崎県の都城と青島に向かう予定だったから。
 ここが「天孫降臨の高千穂峰だ!」という説もある。朝靄が次第に晴れていって山稜が浮かび上がる光景に、幽玄の世界に迷い込んだような荘厳な印象を強く受けた。後になってこの感動が忘れがたく、「高千穂峰」と題する短い詩を作ったのを思い出す。串田先生は奇しくも私と同じ1961年の秋に、講演の仕事の合間に「霧島山」に登った、と「山のパンセ」に書いてある・・・。

 1年生MU君は前回「比較」を使う英文にポイントを置いた長文「エビの乱獲」を和訳した。more and moreで「ますますたくさんの〜」、becomes less cleanは 「あまりきれいでなくなる」と訳せたね。これは more の反対だから「劣等比較」と呼ばれる。今日は「前置詞・接続詞」をやってみた。語句並べ替え問題はほとんど正解。力ついたねえ。「あなたはその計画に賛成ですか,それとも反対ですか?」は、 Are you for the plan or against it ? のように前置詞で表現できるよ。
 大学生のYAさんは英検準一級の第3問をやった。かなり長めの英文ばかりで難問だったが合格点が取れた。「ロボット開発上の倫理的なルールづくり」も面白いし、「音楽は母親の子宮 womb にいる内から」もよく読めていた。「ドイツは最近天才が出ていない」は第二次世界大戦後のドイツの歴史を知っていればもう少し正解が出せたね。大学はもう春休みに入ってこれから二ヶ月、やりたいことが思い切りやれる時期だねえ。
 YAさんとEN君は期末試験のためにお休みした。 尾上

(追記)私が東京外語時代、同級生にとびきりの美人HOさんがいた。卒業後は日本航空・モスクワ線のスチュワーデスに採用された。ロシア科はわずか40人のクラスで、私は入学早々この美人に「尾上さんでしょ?」と話しかけられて面食らった。東京中野区の小学校時代に1年間だけ同じクラスだったが彼女は5年生から武蔵野市に転校してしまって、忘れてはいなかったが8年ぶりの再会に驚いた。
 私も小学校を出ると関西に引っ越して6年間も宝塚と西宮に住んでいて、東京から離れて男子ばかりの高校だったから女性が苦手だった。彼女も大学では私と同じオーケストラに入りフルートを吹いた。入部後同じ楽器の上級生HAさんから熱烈なラブコールを受けたらしいのだけど、彼は数ヶ月後突然自宅で自殺してしまった。生来脚が不自由で松葉杖で歩いていたせいもしれないが皆は失恋のせいだと憶測し悔やんだ。ご遺族からは追悼の意味で貴重な楽器を寄贈して頂いた。
 外語大オーケストラの顧問をやって頂いて、ご自分でもハープやバロックフレーテを演奏なさった串田孫一先生の「生誕100年記念コンサート」が、一昨年地元の小金井市で実施されたので昔一緒にやった仲間たちにメールで知らせた。するとHOさんが返事をくれて、「私は大学受験では串田先生のいらっしゃる外語大が第一志望でした。」と書いてきた。
 件の「山のパンセ」第一章は1961年、串田先生46才の時のエッセイで彼女も高校2年生のはず。ずばり「君があの時の少女じゃないの?」と、ほのめかしながら書いてみた。串田先生のお住まいの小金井はHOさんが引っ越した武蔵野市のすぐ隣り町だしね。本人からの返事はまだない。
2017/02/26 (Sun) 23:06


student は「study する人」
student は「study する人」
2017年2月23日(木)
裾野市民文化センターにて
「金時山から八ヶ岳」
 1カ月ぶりに「金時山」に登ったよ。御殿場から乙女峠を越えて仙石原に入ると市街地に入る手前に登山口の「公時神社」がある。冬は樹木が裸になるから鳥居の注連飾りの真上に山頂がくっきりと見える。神社の拝殿で手を合わせ「今日も無事に・・」とお願いしてから歩き始める。雪が所々残る山道にはシモバシラやツララが朝日を受けてキラキラと輝く。よく見るともうタチツボスミレの丸い葉が芽生えたよ。
 富士山の右肩に遠く「八ヶ岳」の白銀の峰もくっきりと見え、こんなに快晴の登山日和なのに山頂は人影がちらほら。元祖金時小屋に「こんにちは!」と入ったら返事がない。金時娘の妙子さんがひとり隅っこに座り込んでいて、眠っていたらしく私の姿にやっと気がついて「よく、来たねえ!」。84才でまだまだ頑張っているよ。
 2年前の元旦登山でピッタリ100回目になってからは月に2回は登ってきた。今日は148回目だけど、天井にビッシリと並べて提げてある木の名札の中に私の札もある。妙子さんは私をすでに150回のグループに格上げしてあるからもう少し頑張らねば・・。

 2年生MIさんは前回「助動詞」の勉強で書き換え問題をやった。may well(〜するのももっともだ)や、 may as well(〜したほうがいい) など難しい助動詞も分かっていたね。would はかなり用法が広くて、単に will の過去形や「仮定法」だけでなく、would rather 〜 than 〜(〜より〜したほうがましだ)や、 would often (よく〜したものだ) would not(どうしても〜しようとしなかった)などよく整理しておこう。今日は「動詞+目的語+前置詞〜」の構文をたくさん勉強した。 regard A as B (AをBだと考える)protect A from B(AをBから守る) translate A into B(AをBに翻訳する)など。さらに deprive A of B (AからBを奪う) owe A to B (AをBに頼る) provide A with B(AにBを与える)などもとても大切な表現だ。
 SEさんは前回、「熊本大」の和訳で、 Most people, I know, try to avoid any kind of sad feeling. が難しかったね。これが最近やった「挿入」という特殊構文で、「カンマカンマをカッコに入れ」ればいいのだ。本当は文頭に置くべき語句だから、「ほとんどの人がどんな種類の悲しい感情も避けようとするからだ、と私には分かっている。」今日はやはり「動詞」中心の慣用表現をさらに追加した。「神奈川大」の He had the strength to love others even in the face of hate, injustice and death. では、「〜する力を持っていた」の意味の動詞句を使っている。「憎しみや不正や死に直面したときでも・・。」彼とは人種差別撤廃のために「ワシントン大行進」を成功させたキング牧師のこと。”I have a dream.” の演説で有名だね。1969年に暗殺された。
 3年生TA君はいよいよ25日が前期試験だ。センター試験後に力が落ちたかと心配したが、努力のせいかずいぶん英語力が元に戻ったね。今日は「特殊構文」に関する文法・作文・和訳の問題を解いてみた。「明治大」の The most superficial student of human nature realizes the importance of the emotional factor in life. 主語は 「人間性のもっとも表面的な学生」ではなくて、「人間性をどんなに表面的にしかみていない研究者でも」というふうに、最上級の語句の前に even を補って、譲歩的に「どんなに〜な人でも」とするべきだ。さらに student は「study する人」つまり「研究者、学者」の意味でもよく使うよ。「・・人生では感情面の要素が大切であることを理解している。」後半は「英語教育の大切さ」をテーマに「自由作文」をやってみた。尾上

(追記)串田孫一「山のパンセ」(岩波文庫1995)を読むと、北アルプスの「穂高」や南の「白峰三山」、岩手の「早池峰山」に登った時の思い出が綴られている。そこは自分でも登ったことのある山だからその描写には引きこまれてしまう。串田は一人でもよく登って山小屋や旅館よりもテントを張って一夜を過ごすことが好きだったらしい。富士山頂からスキーで滑降しようと本気で実行しかけたこともある。つねに画帳をリュックにいれて休憩のたびに山や谷や流れる雲の姿をスケッチした。時には彩色用に絵の具も携行した。
 中学生の頃から東大の時代をへて終生登山家だった串田先生は、実は東京外語大の私の「哲学」の担当教官でもある。先生の講義の内容は思い出せないけれど、学年末の試験の代わりにレポート提出だったので、私は「オネーギンとの出会い」というタイトルでエッセイ風に書いたら「優」をくださったのもいい思い出だ。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」と原作者プーシュキンについて触れたものだった。
 新選「山のパンセ」は先生が自薦の50数編のエピソードを再編集したものだけど、なぜかその冒頭に掲げた「意地の悪い山案内人」がかなり異質で面白い。どこの山かも明記せず山道の描写がほとんどなくて、同行の女性をかなり意識した描き方になっている。女性といってもまだ16才、高校2年生だ。若い頃一緒に登ったけど止めてしまった仲間に頼まれて、そのお嬢さんを初めての山に案内することになった。でもザックの詰め方に注文をつけたり自分の前を先に歩かせたりルートを自分で判断させたりで、冗談も言わずタバコをくわえて無口でいるのはなぜだろう。
 「一人前のような姿をして風に目を細めてスポンジケーキを食べている。・・・」と少女をこまかに描写している。相手がきっとたいした美少女でずいぶん大人びているせいで、かなり動揺して「意地悪して」いるのはきっとこの著者が恋に落ちたのだろうと察せられる。少女の方もかな?ダークダックスの唄を思い出す。「娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚―れーるなよ・・・♪♪」
2017/02/23 (Thu) 23:09


カンマ、カンマはカッコだ
カンマ、カンマはカッコだ
2017年2月20日(月)
三島商工会議所にて
「沼津で指揮の勉強会」
 東部吹奏楽連盟の結成「60周年記念式典」の招待状が届いたので、沼津市上土の「リバーサイドホテル」に行った。懐かしの「東急ホテル」だ。2階のカフェテラスからは「香貫山」と「狩野川」が見渡せて開放感がとてもいい。この日も一人乗りのボート「シングルスカル」がミズスマシのようにスイスイと窓の下を滑っていった。この近くに艇庫があるからきっと東高のボート部の生徒だろう。大学時代に一度はこれを漕いでみたかったなあ。
 「式典」と「レセプション」に移る前に、中学高校の先生方合同の「指揮法勉強会」が企画されていた。東高時代の教え子MU君が大活躍で司会進行をやっていた。私は定年退職と共に指揮棒をもたなくなって10年にもなるから懐かしさがこみあげる。沼津商業高校のモデルバンドを使って、何人かの先生が入れ替わり実際に指揮をしてみると日頃気づかなかったヒントがたくさんある。東京から呼んだ女性講師のユーモアに溢れた適切な指摘にみなさん感心することしきり・・・。

 2年生ENさんは前回文法・作文シリーズの最後に「会話表現」をやった。この種の問題を学校でやったことがなかったらしく正解が少なかったね。センター試験でもよく出題されるからしっかり勉強しておこう。学校で買った「文法参考書」の最後の単元になっているはずだから、一度集中的に勉強して欲しい。特に間違いやすいのはDo you mind If I borrow your textbook? 「〜を借りてもいい?」だけど、mind 「気にする?」と聞いているので、OKならNo, I don’t. と答えるよ。ダメならYes.なんて言わずに I’m sorry.といってI’m using it.とか I‘m so busy now. などの理由を追加する。
 今日は「省略」と「挿入」を勉強した。「省略」は前後に同じ主語がある時、be動詞と共に省略される。たとえば When asked about her condition, she said,・・「体調について聞かれたとき、彼女は・・」は When she was asked のことだね。「挿入」は文の途中がカンマとカンマで区切られて、本当は文頭で言うべきことを後から付け加える表現方法だ。これを発見したらカッコでくくって文頭に出しその前後をつないでみることが大切だ。The concert was, unfortunately, put off. 「あいにく、そのコンサートは延期された。」をUnfortunately the concert was put off. とすれば、「受動態」の文であることがわかる。
 3年生TA君が国公立の前期試験を5日後に控えて出席した。D大では第3問が毎年「自由作文」で配点も40%なので、なんとかしなくてはいけない。「海外留学したいか」「高校生はみな大学進学すべきか」など、理由をそえて英文で表現する問題だから「小論文」の練習と同じだね。
 今日は「この大学を志願した理由」というテーマで書いてみた。特に自分の専攻したい学科だけでなく他の学科名も、大学の名前自体も英語で書けないといけない。過去にどういうきっかけでこの学科に興味をもったのか、将来は大学院に進むとしたどんな研究をしたいか、などが書けるように準備しておこう。中学生NI君は今日お休みした。 尾上

(追記)10年ごとに企画されてきた「記念式典」の第一回目は30年前。1987年に私がこの吹奏楽連盟の理事長をやっていた時のことだ。その頃の「30周年記念誌」を整理箱から引っぱりだしてみた。恒例の夏の吹奏楽コンクールや冬のアンサンブル・コンテストの入賞記録などに加えて、この連盟が結成された当時のことなどもくわしく書かれている。今はもう故人となられた先輩の先生方の連盟創設の経緯などの手記もなつかしいなあ。
 昭和32年1月に、静岡県内ではこの沼津地区に初めて中学・高校一体の連盟が結成された。その頃私はまだ兵庫県宝塚市の中学1年生でトランペットを吹いていたよ。明治以降「軍楽隊」の歴史があるから、どこの学校にもわずかでも管楽器があった。太平洋戦争が終わってやっと景気が回復し、各学校で新しい楽器を少しずつ購入できるようになったけど、この東部ではコンクールの参加校がまだ少ないから中高合同でわずか一日で実施されていた時代だった。
 その後、静岡や浜松でも連盟が結成され、東部・中部・西部の組織が静岡県吹奏楽連盟へと発展していった。大きくなると、中学と高校がコンクールや演奏会の企画・実施を独自にやるようになっていった。それでも中・高の吹奏楽部の顧問たちは根っからの音楽好きで、専門が音楽教師であってもなくても自分でなにか楽器を演奏した。「部活動」にとても熱心でコンクールなどでいかに高い評価をもらえるかに苦慮していた。
 私も40才代〜50才代の頃本職の英語よりも吹奏楽に夢中だった時代、夏のコンクールで金賞を競い合ったKO先生、MO先生、SU先生など懐かしい顔にこの「記念式典」では久しぶりにお会いできた。吹奏楽の顧問もずいぶん顔ぶれが若返って知らない顔がほとんどだったけれど、中学のSU先生、SA先生、SE先生の懐かしい顔も20年ぶりだ。彼らが育てた吹奏楽部はかつて東海地区代表になり東京での「コンクール全国大会」にも出場した。みな年齢相応の風貌になったけどまだまだ元気で音楽活動を続けていたよ。
2017/02/20 (Mon) 23:05


頭の知性よりも心の知性
頭の知性よりも心の知性
2017年2月19日(日)
御殿場市民会館にて
「三津浜から富士山」
 長岡温泉で絶景の露天風呂を楽しんだ後は、三津坂のトンネルを抜けて三津の海岸に出た。10分前まで伊豆の山々に囲まれていたのに、駿河湾の美しい海が眼前に突然開けるから、予期はしていてもびっくりする。ピンクの「河津桜」が浜辺ではもう満開だった。その向こうに「観光船」と「淡島」、そして富士山が聳えているよ。老舗旅館の「安田屋」は作家・太宰治が昔逗留した宿なので、ここの「湯の花温泉」に浸かるのも11日の仲間とのトレック計画の一つだったのに。真上に聳える「発端丈山」から急斜面を下ってくるとこの三津浜に出てゴールだ。
 「日本百名山」は深田久弥の名著だけれど、小林泰彦「日本百低山」(文春文庫2009)も面白いよ。自分で歩いた100の低山をデータ入りのエッセイにして洒落たイラストもつけている。私の立案はこの本がルーツだが、駿豆線の「大仁」からスタートしてあの岸壁の「城山」から長岡の「葛城山」と「発端丈山」を縦走した時のコースで、小林は特に気に入っていた・・・。

 2年生EN君はイデイオム化した動詞表現を勉強した。look 人in the eye は「人の目を見る」という意味の慣用表現で、look at one's eye とは言わない。その人の身体の一部に the をつけるのだ。Traditionally, Americans expect a person to look them in the eye when they are having a conversation. 「伝統的にいうと、アメリカ人は会話をしている時に相手の人が自分の目を見るものだと思っている。」expect 人to〜は want 人to〜と同じ構文。
 YAさんは前回、文法・作文で「時・条件」の構文を勉強した。「条件」を意味する接続詞はたくさんあって、例えばProvided (that)〜は「〜という条件が与えられれば」という、受身の分詞構文から、if の意味の接続詞に変化したものだ。Providing〜でも同じだよ。語句並べ替え問題では「東京理科大」の「食べ物が余ったら、犬にやってくれ。」は If there is any food left, ・・・と書く。受動態のIf any food is left, を 「there構文」に置き換えると倒置になるんだ。「進行形」の Some children were playing in the garden.も There were some children playing in the garden. のように倒置できる。今日は「無生物主語構文」を勉強した。The heavy snow prevented the train from arriving on time. 「雪が・・・妨げた」ではおかしいから、和訳では「雪のために・・・できなかった」とする練習だ。
 1年生MU君はいよいよ「仮定法」を勉強した。学校では「文法」だけの特別の時間がないから、しっかり教わったことがない。「仮に・・・なら、・・・するだろうに。」と事実に反する仮定の気持ちを動詞の過去形(今)や過去完了形(昔)に込めるのだ。帰結文も今の仮定ならwould 原形、昔の仮定ならwould have –edという動詞形で区別する。いくつか練習問題をやってみてほぼ理解できたようだ。
 大学生のYAさんは英検準一級の問題を前半の第1問「語彙選択」と第2問「長文読解」をやった。Emotional Intelligenceというタイトルの長文は「頭の知性よりも心の知性が大切」という面白いエッセイで、It stands to reason that people who deal well with other people are going to find more satisfaction and success than those who don't. と述べている。「他の人と上手くやっていける人は、いけない人より大きな満足を得て成功もするだろう、ということは理にかなっている。」  尾上

(追記)名著「日本百名山」を書いた深田久弥は、日本アルプスを北も南も全部自力で歩き、北海道「利尻山」から鹿児島県屋久島の「宮之浦岳」まで、登り尽くした山々から厳選した100の山々についての素敵なエッセイを残した。しかしそんな登山のエキスパートにとって、山梨県韮崎にある「茅ケ岳」というわずか1704mの低い山が「終焉の地」になるとは。私たちのいつもの4人組でも日帰りで楽に登れたのにね。
 深田は若い頃「富士山頂」からスキーで滑り降りたというからやはりスゴイ冒険男だ。御殿場市議だった仁藤祐治さんの労作「岳麓漫歩」をまた図書館で閲覧していたら、富士山頂・剣が峰にあった「気象観測所」から仲間3人でスタートして、幾度かの危機を乗り越えて無事5合目の「太郎坊」まで一気に滑り降りた、という話はスゴイよ。
 この3人の一人が新田次郎の「強力伝」の主人公で「金時娘」のお父さん、コミさんこと小見山正らしい。山頂にはたいてい石の標識があるよね。信州の「白馬岳」山頂3000mに200キロもの大石を一人で背に担いで運んだという。
2017/02/19 (Sun) 23:39


カカオ豆がボケ防止に?
カカオ豆がボケ防止に?
2017年2月16日(木)
裾野市民文化センターにて
「長岡温泉で桜見物」
 山梨の十島で温泉宿を経営する実弟から電話が入り,明日は天気も良いので評判の早咲きの桜を見に東伊豆の「河津」に夫婦で行くよ、とのこと。いいなあ、近場でも桜が見られないかなあ、と考えて私たち夫婦も「長岡」に行ってみた。「天坊」というホテルの斜面では暖かな陽射しに赤みの強い河津桜が開花して、今盛りの紅梅や白梅と競い合っていた。春霞もうっすらかかって伊豆はすっかり春だった。
 先週御殿場が雪のため、私のドタキャンで山の仲間が3人だけで登った長岡の山々を確かめたかったし、ネットで調べたら「日帰りで温泉とランチビュッフェが楽しめる」高級感のある温泉ホテル、と知ったので出かけてみた。近在の畑で取れた野菜をふんだんに生かした料理の数々・・・。

 2年生MIさんは先週に続いて「挿入(2)」という項目を勉強することになった。しかしカンマ、カンマで区切られていればたしかに「挿入」と言えるけど、これは「疑問詞の移動」なんだよ、と説明した。手製のプリントを添えて、 What do you think will happen next?「次に何が起こると思う?」 は疑問詞の What が文頭に移動したものだ、と説明しないといけない。それは「思う」や「言う」のような動詞の時だけ、Yes-Noで答えない疑問文だからだ。大抵の受験テキストの解説が間違っている。新しい文法研究の知見が取り入れられていないのだ。
 SEさんは前回、「助動詞」の文法・書き換え問題をやった。かなり難易度の高い問題ばかりで、基本のcan、may、mustのほかにも、had better、would rather、would often、 だけでなく、may well〜(〜するのももっともだ)、may as well〜as〜(〜するより〜した方がましだ)など、2語以上で助動詞の働きをするものが多かった。今日は「動詞+目的語+前置詞」の形の慣用表現をたくさん勉強した。特に deprive 人 of 物(人から物をうばう)のイディオムは覚えにくいね。 rob 人 of お金、cure 人 of 病気(人から病気をなおす)など。
 三島教室のENさんが出席して「倒置構文」を勉強した。「否定語」のNever、Little、Hardly などを強調して文頭に出すと、SVが「倒置」になる、つまり「疑問文」の語順に変わる、というもの。たとえばNever have I forgot your kindness.のように。また、Hardly had I left the building when I saw the accident. 「その建物を出るか出ぬうちに私はその事故を見た。」も、普通の語順ならI had hardly left 〜となる。
 3年生TA君はDE大の過去問を解いてみた。長文のパラグラフごとにその要旨をまとめる問題で、少々苦手そうだからなんどかやってみる必要があるね。カカオ豆に含まれる活性素「フラバノル」が老化による記憶力減退を食い止める効果があること、が実験で証明された、というつい最近の科学記事からだった。そうだ、つい最近「明治製菓」もバレンタインの季節に合わせて科学データを発表し、「カカオ70」とか「72%」とかカカオ成分の高いチョコレートを大々的に売り出したね。私も家内と一緒にボケ防止になると信じてよく食べているよ。甘みが少なく苦みがあってちょうどいい。 尾上

(追記)先日2年生のYAさんが「バレンタイン」に手作りのおいしいクッキーをプレゼントしてくれたが、横浜に住む姪のMAからも「バレンタイン・チョコ」が今年も届いた。この時期になると近所のお菓子屋さんに頼まれてチョコレート作りを手伝うから様々な種類のチョコレートが手に入る。今年は「京都」のお菓子屋のチョコだった。彼女は大学生の頃、料理学校にもかよってフランスまで修行に行ったほどの腕前でなかなかの食通だ。
 そうそう、いただきものといえば今日は2年生MIさんのお母様が教室にごあいさつに見えて、岐阜県「白扇酒造」の「本みりん」を頂いた。さっそく味見をしたらとても甘いふくよかな深い味わいだった。三年熟成のこんな本格的なみりんは知らなかった。岐阜県では今でも「みりん」を調理用でなく「甘酒」として飲んでいるそうだ。
 右手が不自由になった家内に替わって日に3度の食事を私が用意しているから、煮物など和食には料理酒にあわせてよく「みりん」も使っているが、スーパーで買うものではたいした味ではなくて、本格的なみりんが欲しかったところで、食通の一人としてありがたい。
2017/02/17 (Fri) 0:38


 コンピュ−ターの昔と今
 コンピュ−ターの昔と今
2017年2月13日(月)
三島ゆうゆうホールにて 
「パール富士」
 我が家の近所は昭和の初期に「対山荘」と呼ばれて、「富士山」一望の別荘地で売り出したのだろうけど,育ちすぎた杉や檜の森に囲まれてしまい二階に上がっても富士山の展望がほとんどない。50mほど歩いて「押出橋」までいけばマンションの上に半分だけ見えるが、しかし三国山系から愛鷹山系までの広大な裾野に、「富士山」の全体を見るには1kmほど先の「城山」の斜面に登ってみなければだめだ。
 前夜「三島駅」から列車でほろ酔い気分で帰宅する時に、箱根の山にかかっていた明るい大きな満月が、明日の朝にはきっと富士山の側に沈むはずだ。そうだ!もしあの月が富士山頂に沈めば「パール富士」がみられるぞ、と期待して早起きした。
 朝6:40、日の出の真っ赤な陽光を受けて「赤富士」が見事だった。銀色の満月は「HOWスキー場」のある「水ケ塚」のあたりに沈みかけていた。「金時山」か「足柄峠」のあたりに行けば「パール富士」が見られたのかも・・・。

 中学生NI君は「分詞」を勉強した。Sleeping dog(眠っている犬)Broken glass(割れたコップ)のように、分詞は形容詞のように名詞のすぐ前におけばいいのだけれど、「そこに眠っている犬」なら dog sleeping there、「彼女が割ったコップ」なら glass broken by herのように、2語以上で修飾するときには名詞の後に「後置」しないといけない。「エジソンが発明した電話は人々の暮らしをかえた。」は The telephone invented by Edison changed people’s life. のように、「エジソンに発明された」が「電話」の後に「埋め込み」されていることに注意。後半は「動名詞-ing」が何度も登場する長文、「コンピュ−ターの昔と今」を全訳した。
 数の計算をする機械「コンピューター」の仕組みは、本来「電気がつく・つかない」の2択の仕組みで、10進法の数字を2進法(0と1だけ使う)に置き換えるという単純なもの。しかし「真空管」を使う初期の機械は巨大なもので、高校の教室を一部屋占領してしまほど大きかったのはつい40年前のこと。私は島田商業高校で「情報処理科」の生徒たちと一緒にコンピューターの仕組みを勉強したのが懐かしい。たしか「フォートラン」とかいったなあ。
 それが今ではパソコンになり、電卓になり、スマホのサイズにまで小さくなった。今では「蜘蛛の巣」(ウェブ)のように世界のコンピューターがネットワークでつながった。今日の長文はとても興味深い内容でNI君はほぼ正確にしっかりと和訳できたね。 尾上

(追記)数年前、「ダイヤモンド富士」を追いかけてよく日没前の「山中湖」に出かけたものだ。夕陽が富士山頂に落ちるときダイヤモンドのような輝きを一瞬放ってそれが湖面にも反射する。その趣味が高じてこんどは、ネットのブログに投稿されている「パール富士」の写真を見てみた。空気の澄んだ冬の朝、日の出と共に西の空に沈んでいく満月が富士山の頂上に落ちていく姿はまるで「真珠」のようで美しい。
 その前夜は三島駅前の「居酒屋」でいつものトレッキングの仲間たち3人と乾杯した。「飲み会」だけでも参加できて本当によかった。東京・千葉・横浜から「三島駅」に集まった学友たちは、私の「ドタキャン」の連絡に驚いた。しかし私の作ったプランに従って「伊豆長岡」の山登りと立ち寄り温泉を楽しんで、「伊豆箱根線」で三島駅に戻ってきたのだ。
 車を使って移動しガイド役をする予定だった私は、実は前夜からの突然の「積雪」のために脱出不可能になったのだ。東名高速が終日通行止めだったのも珍しいこと。きっと一般道も大渋滞だろうし、スリップが恐ろしいからこういう日は運転しないことにしている。そこで御殿場線が午後は運行してたので、「三島駅」まで電車で行き夕方の「反省会」だけには参加できた、というわけ。
 11日(土)は全国的に雪の予報ばかりだったのに伊豆は絶好の山日和で、長岡の「葛城山」から見た富士山と「発端丈山」からの三津の海岸の絶景を堪能して、3人ともニコニコ顔で東京に帰っていった。また二ヶ月後の再会を誓って。

2017/02/14 (Tue) 0:00


 make oneself understood in English
 make oneself understood in English
2017年2月12日(日)
御殿場市民会館にて 
「伊東で観梅」
 私立大学の入試が連日実施されているね。慶応と早稻田が終われば25日にはいよいよ国公立の前期試験だ。TA君もあと2週間を有効に使って実力を蓄えて欲しい。
 WA先生の一周忌と「偲ぶ会」の通知がきたので東伊豆の伊東へ向かった。私が青年教師の頃新任の「稲取高校」の同僚だったし、奇遇にも母校・東京外語大の10年先輩で結婚式の立会人もやって頂いたというような私の今も尊敬する大人物だ。
 車がうっすら雪の残る「亀石峠」を越えると、眼前にはキラキラ輝く太平洋が開けた。みかん畑と満開の梅の花が春を教えてくれる。久しぶりの伊豆の海はいいなあ・・・。

 2年生EN君は前回、「小樽商大」入試の英作文をやった。部分的なミスだけでかなり良い英文が書けたね。今日「動詞+目的語+前置詞」の組み合わせをいくつか覚えた。後半では動詞のdo やhaveを用いるイディオムも勉強した。英作文では「弘前大」の「自分の英語でわかってもらえるか・・」が難しかった。 make oneself understood in English は重要な慣用表現だからしっかり覚えておきたいね。
 YAさんは「名詞構文」をやった。「和歌山大」の「赤ちゃんは物覚えがはやい」を和訳した。A brain scientist says she is impressed by how many sounds and words children recognize and speak by age one. 「能科学者が感動していること」は how 以下だけど、疑問文の「いくつの音・・・」ではなくて、「なんとたくさんの音・・」という意味の感嘆文であることに気づくと良かった。「子供が一歳になるまでにいかに多くの音や単語を認識し話せるのか」。
 1年生MU君は前回、「分詞」を用いた長文で「犬の日=酷暑の夏日」を和訳した。大部分はよく理解出来ていたね。一カ所「仮定法」の動詞を使う文には気づかなかったね。Even if I still lived in the United States, my life would be the same:〜. 「たとえ今でもまだアメリカに住んでいるとしても、私の生活は同じようなものだろうね。つまり・・・」助動詞の wouldや、現在形の文客の中でいきなり過去形の動詞が出てきたら「なぜ?」と考えること。最後の「コロン」は前の文の説明であることを示すから「つまり」と付け加えておきたい。今日は「比較」を勉強した。
 3年生TA君は前回、文法・作文は「仮定法」をやった。和訳の力はだいぶ元通りに戻ったね。入試の自由作文で「留学を希望する?しない?その理由は?」というテーマにどう対処するか書いてみた。4つのパラグラフにわけて、結論、理由(1)、理由(2)、発展という風に簡潔に書くといい。「模範解答」を真似て書くことでコツがつかめるよ。今日は他のテーマでもいくつか練習してみるうちにだんだん書けるようになってきた。
 大学生のYAさんは法事のためにお休みした。 尾上

(追記)WA先生は昭和26年、「沼津東高」から「東京外語大」に進学した。大学では「中国語」専攻で伝統あるボート部にも所属したらしい。とてもハードな体育部で私も半年ほど在籍したけど体力不足で落伍したほど。先生は大学卒業後、静岡県の高校教員となり新任地は西伊豆の「松崎高校」だった。その後東伊豆の「稲取高校」に転勤し、そこで私を出迎えてくれたというわけ。
 WA先生は三島北高・韮山高校などでも世界史・日本史を教え多くの生徒に慕われた。さらに高校教職員組合の書記長とさらには委員長にも推薦されその力量をいかんなく発揮し、静岡県全体の多くの高校教職員の信望を一身に集めた。教育委員会や教育長との直接交渉にもその柔和な性格と理路整然とした論理展開で一目も二目も置かれた剛毅な人柄だった。
 伊東や東伊豆の「郷土研究」にも熱心で、特に「白田川」の公害に対する住民の闘いの歴史を調査し発表した時にはNHKテレビでも取り上げられ大きな話題になった。「中国」との文化交流にも積極的で、県内の退職後の国語の先生方を何人もボランティアの「日本語教師」として「紹興市」の「越秀外国語学校」に派遣した。なんともスケールの大きな温厚な大人物だったことか。心の支柱を失ったような寂しさだ。合掌。
2017/02/12 (Sun) 23:55


Where did he say his family were staying? 「どこに滞在しているっていったの?」
Where did he say his family were staying? 「どこに滞在しているっていったの?」
2017年2月9日(木) 
裾野市民文化センターにて
「岳麓漫歩」
 今日はひさびさの雪景色。昨日のうちに外出しておいて良かった。風邪気味で家に引っ込んでばかりいたから、ひさびさに寒風の中を自転車で散歩に出た。もう立春もすぎたのに「秩父宮公園」にはまだ春の気配もないしひと気もない。やはり御殿場は寒冷地だねえ。陽射しは暖かだけどね。丘の上の茅葺きの母屋では一本だけ紅梅がつぼみを開きかけていた。いい香り!
 展示館では「つばき」の品評会だった。「わびすけ」は茶花として重宝されている。御殿場は昔「防風林」のために「ツバキの並木」をたくさんつくったそうで椿栽培の歴史がある。秩父宮様も生前お好きだったそうだし、東山「旧岸信介邸」前の「松岡陶磁器館」のお庭はつばきの林で奥様は書物もお出しになるほどのつばき専門家だ。
 「松岡陶磁器館」は太平洋戦争直前、「国際連盟」脱退を宣言した外務大臣「松岡洋右氏」の別荘だ。元総理大臣「岸信介氏」とは長州山口県の同郷でともに東山で隣同士に別荘を持った。今はご子息夫婦が洋館風の瀟洒なお屋敷に悠々とお住まいだ。1階サロンに展示の陶磁器を拝見しながらいただくコーヒーのうまいこと・・・。

 2年生MIさんは前回「会話表現」に関わる入試問題をやったらほぼすべて正解だった。今日は「省略」と「挿入」を勉強した。「同志社大」の「ストレスの解決法」では、 There is no single solution to the problem of stress. 「ストレスの問題には解決法が一つだけではない。」としないといけない。否定語のnoは直後の単語singleを修飾する、と勉強したから、ちょっと考えたら気づいたね。What is stressful for one person, after all, is not necessarily stressful for everyone. で「挿入語句」の after all がどういう働きかを考える。「結局は」とか「結論的には」という風に訳しておくといい。
 SEさんは前回、新しい文法問題を始めた。第1回は「動詞」でいくつか未知のイディオムに悩んだね。 fall behind the times(時勢に遅れる)、cannot do without〜(なしですます)、do away with〜(〜を廃止する)など。今日は「挿入」の(2)という単元だったけど、Where did he say his family were staying? 「彼は家族がどこに滞在しているといってた?」は、did he sayが疑問文に「挿入」されている、なんてウソだ。この問題集も含めて間違った文法説明をするテキストが多くて困る。
 本当は最新の英語研究では「WH移動」なのだ。Do you know where his family were staying ? というふつうの「間接疑問文」で know を say やthink などに変えると「疑問詞」の where が「文頭」に移動するのだ。なぜなら Yes-No で答える疑問文ではないからWHで始めるのだ。とても大切な項目でセンター試験などにもよく出題されるよ。
 KI君も同じ項目をやったので私の手作りプリントを渡して、その該当ページをすげ替えるように説明した。ただし、関係代名詞と述語動詞の間にある I think、I believe、I knowなどは「挿入」と考えてもおかしくはない。本当はこれも関係代名詞whの移動なんだけど。今日はさらに「同格」も勉強した。The fact that the earth is round was not well known then. でwas の主語はThe factだね。「地球が丸いという事実はその頃よく知られていなかった。」で、The fact「事実」の内容が that the earth is 〜という名詞節なので、名詞と名詞節が「同格の関係、〜という〜」にあるという。 尾上

(追記)地元の好事家・仁藤祐治さんの書いたシリーズ「岳麓漫歩」には、御殿場二の岡と東山の別荘に住んだ住民についての記述がくわしい。「西園寺公望侯」や「広岡浅子」、「東山千栄子」もそうだが、「ごてんばの古道」と同じようにこれも御殿場図書館で閲覧することができる。「竹久夢二」の「黒船屋」が描かれた記念切手の表紙絵が楽しい。
 私の住む「二の岡」は昭和の初期に売り出した別荘地で「対山荘」という名だ。その頃の政界財界のトップの人たちが「三井信託」から購入した。名前の挙がった数十人の方々の中で「川上俊彦(としつね)」の紹介があった。明治時代の「ロシア語の権威者」と仁藤さんは書いている。「これはひょっとして先輩かな?」と同窓会名簿を開いてみたら、あった!開校したばかりの「明治17年」に東京外国語学校・露語学科を卒業した4人の内のひとりだった。ウィキペディアでも調べてみた。
 明治の文豪「二葉亭四迷」もわれらが先輩で、川上の2年下1864年の生まれで「外交官」をめざし同時期に外国語学校・露語学科に入学している。川上は卒業後明治政府の外交官になって、「日露戦争」終結の時には、乃木希典大将とロシアのステッセル将軍との会見の通訳を務めたそうだ。のち満州国の領事、満鉄理事、ポーランド公使を勤め、最後は「日魯漁業」の初代社長になったそうだ。80年前、桁外れのスゴイ先輩がこの別荘地に住んでいたとは!
2017/02/09 (Thu) 23:01


No と言わない日本人
No と言わない日本人
2017年2月6日(月) 
三島商工会議所にて 
「トランプ大統領」
 子供のカードあそびをトランプというけど,英語のTRUMPは名詞で「切り札」だ。トランプ遊びで「気前よく切り札を切る」「ゲームに勝つ」の意味もある。辞書を引くと悪い意味もあって trump upでは「話をでっちあげて人をだます。」という風にもつかうらしい。反オバマ政策の「切り札」登場なのかもしれないけど、しかし新大統領トランプ氏の言動にはもっと品格と知性が欲しいなあ。
 NY五番街の「トランプ・タワー」の高層ビルとか、世界各地の「トランプ・ホテル」などで新大統領の知名度は抜群だし、少しずつ国民の意識に「アメリカ・ファースト」が浸透していくのが怖い。「長いものに巻かれろ」にならないようにしないと・・・。
 
 2年生のENさんは前回「仮定法」を使う英作文をやった。「東京都立大」の「季節がただ一つしかなかったとしたら、世の中はずいぶん退屈なところになってしまうだろう。」前半は主語をweにして「(一年中)ただ一つの季節しか持っていない」と言い換えないといけない。If we had only one season (all the year), the world would be very boring. 日本語の「〜が(数量)ある」の表現は「存在文」といって、英語ならthere is〜というか、動詞haveを使うのが一般的。hadやwould beなど仮定法の動詞語形に注意しよう。
 今日は「無生物主語の文」を勉強した。What causes bubbles to float? は、「何が泡を浮かばせるの?」という和訳では不自然だね。「物事」が人や物に対して働きかけるのはおかしい。でも、文を受身形に言い換えてみるととてもいい日本語になる。「何によって(なんで)泡は浮かぶの?」と。英語では His sudden visit surprised us. 「彼の突然の訪問が我々を驚かせた。」なんて平気で言えるからね。ここも「〜でおどろいた」と「人」を主語にして言い換えておこう。
 御殿場教室のYAさんが昨日に続いて出席した。はじめに学校の課題「自由作文」を添削してあげた。今日は「否定表現」の慣用用法をいくつか勉強した。英文和訳「Noと言わない日本人」では、This is one of the reasons that Japan has not been really esteemed by the rest of the world. が難しかった。ここで thatは前に「理由」があるから関係副詞のwhy と同じ働きだろうね。the rest of〜は「〜の残りの部分」の意味で、ここでは「世界の他の国々」のこと。冒頭のThisは,前文の内容をさすから、「こういうことは日本が世界の他の国々から実際に尊敬されてこなかった理由のひとつなのだ。」中学生NI君はお休みした。 尾上

(追記)NYに長年在住の日本人友人のIMさんはインテリア・デザイナー。かつて越後の銘酒の輸出向けボトルのラベル・デザインでも有名になった。6年前私にフェイスブックを始めて紹介してくれた人だ。先日もFB上で、「・・・トランプ・パナマ・オーシャンクラブ・ホテルから連絡があって、私のデザインした照明器具に興味があると言ってきたが、トランプとはビジネスをしないと言って断った。いい気分。」と、件のデザイン・ランプの写真つきで投稿した。
 英語の原文では、However we regret to inform you that we do not do business with any Trump or Trump affiliated company. と返事したそうだ。米国籍も持っているからこんなことでまさか「国外追放」もないだろうが、ナチスドイツの時代ならどうなるかわからないよ。勇気あるなあ。「Noと言える日本人」だね!
2017/02/06 (Mon) 23:08


have to〜 =must だけではないよ
have to〜 =must  だけではないよ
2017年2月5日(日) 
御殿場市民会館にて 
「宝池寺一里塚」
 三島へ映画を見に行った折のこと、伯父の菩提寺「宝池寺」の前を車で通ったら境内に大きな「一里塚」を発見。その向かいの「玉井寺」の山門にもあって一対になっている。そうだ、この間の道が本来の「東海道」で江戸から29里目(114km)、「伏見の一里塚」と呼ばれていたんだ。「三島大社」の前から三島の宿場を抜けて「広小路」から裏通りをまっすぐ来た道こそ江戸時代の旅人たちの主要な街道だったのだ。
 さらに国道1号線を横切って沼津駅前に向かうこの旧東海道にはかつて「電気鉄道」が走っていたのを知っていた?明治の後半、御殿場ではやっと馬車鉄道だった時に三島と沼津の間ではもう電気を利用した軌道線(路面電車)が敷かれていたのだ。明治30年代に函南にできた水力発電所を利用して・・・。

 2年生EN君は「熟語動詞」の様々な用例を扱う単元に入った。「岩手大」の英文和訳では One of the greatest rewards of being a teacher is the opportunity one has to devote one's mind and energy to important matters. 動詞の has to devote を「〜を捧げねばならぬ機会」と訳したから、「教師になる報酬」の趣旨とちぐはぐになってしまったね。ここは、「〜を捧げるために持てる機会」の意味だ。ここでは has の目的語が関係詞 whichで省略されて opportunity を指すようになっている。have to をすぐ助動詞の must と同じと考える人が多くて困る。もとは have obligation to 〜「〜する義務がある」の略だ。中学校で教える don't have to だって「〜する義務がない」とわかれば、すぐに関連させて覚えられるのにねえ。
 YAさんは前回「接続詞」の文法・作文をやった。「立教大」の「私はお互いが見えるように椅子を並べました。」で、動詞「見える」に see を使うなら、「誰が」「何を」を考えてSVOを組み立てる。We can see each other と書ければ後は「〜するように」の接続詞 so that で前文とつなげば完成だ。 助詞の「は」や「が」をいつも主語と考えてはいけない。今日は「否定構文」を勉強した。「東京女子大」の It was not long before John was used to taking his shoes off before entering a home. は「〜するのに長い時間がかからなかった。」から、「まもなく〜するようになった。」の意味になる。
 大学生のYAさんは英検準一級の第3問長文を3題やった。「中国の牛肉嗜好」「シベリアの隕石落下」「職場のチームワークの効果は?」。内容一致の設問でいつも一つ難しいのが混ざっている。第4問の英作文は無難に書けていた。今日の新聞記事は NEWSWEEK から「大気汚染が世界一少ないのはケニヤ、最悪は・・・」というデータが発表されたニュース。 尾上

(追記)私が長泉村で生まれた頃はまだ活躍していたらしいけど乗った記憶がない。戦後の復興により道路整備が進んで、昭和30年代には道をふさぐ路面電車よりもバスの方が重宝されるようになって沼津路線は数年の内にとうとう廃止になった。黒い煙をもくもくとはき出すバスのほうが懐かしい。「昭和レトロ」の風景だね。ちなみに今も駿豆線として走っている修善寺路線は、もとは「長岡温泉」の観光客誘致のためにもうけたらしい。今は三島駅からだけどもともとJR下土狩駅が「旧東海道線・三島駅」でそこから長岡に向かっていたそうだ。
 東京に引っ越した私の小学校時代には、今の「地下鉄・丸ノ内線」がすべて路面電車で、自宅のあった高円寺の「蚕糸試験場」から乗ると「チンチン」と出発の鐘をならして、青梅街道をまっすぐ「新宿西口」までいけた。そこでさらに乗り換えると「四谷」を通って「日比谷」の交差点まで一本だった。まだ10歳の頃、「おじいちゃんこ」だった私を祖父は、ひとりで電車に乗らせては勤務先の日比谷・停留所で出迎えて、仕事帰りに「銀座」や「浅草」のデパートに連れ歩いてくれた。映画「三丁目の夕陽」にも出てくるあの「チンチン電車」だよ。
2017/02/05 (Sun) 23:22


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