「越前岳から大パノラマ」
金時山に登り始めてもう20年近くなる。山頂1212mは麓にある「公時神社」の奥宮で小さな社が建っている。「金時茶屋」では「登山者名簿」をテーブルにおいて氏名や回数を記入できる。「お百度を踏む」という証として、8年前は100回を越えたので「金時娘」が太い筆で色紙に「登頂証」を書いてくれた。4年前には200回になりまた小屋で書いてもらえたが、昨年6月の300回記念は金時娘が小屋に姿を見せず、足柄の自宅で書いたものを息子の秀峰さんが届けてくれた。大腿部骨折を左右二度もやって山に来られなくなったのだ。山小屋に入るとその天井にびっしりと氏名の木札が数十列も並んでさがっている。強者は大奥に5000回の列、私の名前は前から3列目でまだ新米だ。
脚力や心肺の健康維持に登山はとてもいい。時にはもっと厳しい山にも登るよ。月曜日には「十里木」の登山口から「愛鷹山系」の北端にそびえる「越前岳」に登った。標高1504mで往復4時間かかるがとても人気の高い山だ。山頂に着くと北側に雄大な白雪の富士山、振り返ると「駿河湾」の大海原が太陽を反射してまぶしく輝いている。左に西伊豆の入り組んだ海岸線と右に清水・静岡の海岸線にはさまれた大きな湖のようだ。眼下の曲線に小さな入江が見えた。あれはそうだ!「田子の浦」だな。2年前の今頃、あの海岸で足を波にぬらしてからスタートした。吉原の旧東海道から「村山神社」へ。復活した「村山古道」を登って7日に分けて山頂3776mを極めたなあ・・・
今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその4回目。
静岡県の高校で教員になってから、初任校の吉原高校も次の稲取高校でも吹奏楽部がなくて、3校目の島田商業の2年目にやっと好きな音楽の部活を担当させてもらえた。そこで指揮を長年担当してきた外部の音楽家に出会った。高倉正己という静岡大学の音楽講師で東京芸大で金管のユーフォニアムを専攻した人だった。高校野球でも古豪といわれ部活動が盛んな島商で、高倉さんの経験豊かな指導の下吹奏楽部は、静岡県のコンクールでは常にトップクラスで県代表になって東海大会にしばしば出場していた。9年の在職中の後半は、音楽の教師にクラリネット専攻の江間秀明先生が赴任してきたので、指揮者が交代することになった。
島商は県の強豪校の一つなので私も県の吹奏楽連盟の役員になって夏のコンクールや演奏会のアレンジを担当した。校内では楽器や楽譜の購入、大会の引率などマネージメントを担当していた間に、もっと生徒と直接関われるように私も指揮がやりたくなった。そこで3月の春休みに「新人戦」のような1・2年生だけのコンテストに参加し、初めて私が指揮棒を振ることになった。選んだ曲は「ストラビンスキー」の大曲「火の鳥」だった。生徒たちの好演のおかげでいきなり1位がとれてしまった。それがきっかけで、「指揮法」の勉強が必要になり、島田2中の首藤先生、島田市役所の新間君と3人で勉強会を始めたというわけです。 尾上
