「鎌倉古道 湯坂道」
明日から12月師走だね。標高460mの我が家の近所も紅葉が見ごろになった。箱根もかなり麓まで紅葉が下ったかもしれないと予想して、箱根湯本から始まるハイキングコースの「湯坂道」を歩いてみようと計画した。小田原からの箱根越えは、江戸時代の「畑宿」を通って芦ノ湖に至る「東海道・石畳の道」や、国道1号線の「宮ノ下」を通る「箱根駅伝コース」のほかに、その昔の「鎌倉古道」で「湯坂道」と呼ばれている尾根道を行く道が今も昔の姿で残っている。湯本の「湯坂城跡」から「浅間山」まで2時間が紅葉のトンネルなんだ、さらに石畳の残る「鷹巣山」を越えて行くと1号線に合流し「芦の湯」の古い温泉に至り、「芦ノ湖」まではあとわずかだ。
月曜日はその道の後半だけを歩いてみようと「登山電車」の「小涌谷駅」に駐車して急な坂を登り始めた。真っ赤な色の登山電車から降りてくる観光客は外人が多いなあ。いよいよ「浅間山」の登山口「千条(ちすじ)の滝」に出た。ここは「蛇骨(だこつ)川」の上流で小さな湧水の滝だ。高さは3mほどで左右に20mも広がって水が千本の白い糸のように流れ落ちて美しい。木の橋を渡り細いつづら折れの山道をジグザグに登っていく。真っ赤なイロハモミジ、黄色のエンコウカエデなどに見とれながら、サクサクとブナの落ち葉を踏みしめ登っていくと、展望がサッと開けて「浅間山」の山頂に出た。広い草地には寝転がって日向ぼっこの若者たち。「二子山」を展望してランチにしよう・・・
今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその5回目。
島商では指揮法の勉強を一緒にやった島田二中の首藤先生と島田市役所の新間君との交友が忘れがたいが、後に校長になった江間先生との思い出も懐かしい。武蔵野音大でクラリネットを専攻して、高校の音楽教師になって島商に赴任してきたので正顧問をお願いした。1975年頃、12月の定期演奏会で「ガーシュイン」のRhapsody in Blue吹奏楽版をやることになった。曲の冒頭がクラリネットのソロで始まる、それも2オクターブのグリッサンドの難曲だったが江間先生は完ぺきに吹き上げたのだ。ピアノソロはジャズの演奏のできる東京の女性に依頼しこれも素晴らしい演奏だった。その曲の指揮を私がやったのだから信じがたいね。
ある年の5月、江間先生と私は「吹奏楽指導者講習会」に参加のため、三重県浜島にできた「合歓の郷」に出張させてもらった。1976年、ヤマハが始めた音楽キャンプで、合宿しながら音楽を学ぶリゾート地だ。全国の高校や中学の音楽教師が1000人も参加して2泊3日で吹奏楽の「部活動指導方法」や「楽器演奏法」などを学ぶ企画だった。アメリカから著名な作曲家アルフレッド・リードやプロ楽団の指揮者フレデリック・フェネルもゲストで参加する大規模な講習会(バンドクリニック)だった。50〜100人の吹奏楽部員を抱える顧問の先生たちの苦労話がここでは共有されて、新たなエネルギーを燃やして各自の学校に戻って行くのであった。 尾上
