高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


ここはどこ? 英語で言うと、、
ここはどこ? 英語で言うと、、
2023年7月29日(土)
御殿場市民会館にて
「赤城自然園 ヤナギラン」
 「谷川岳」登山ではもう一つ先のピーク「オキの耳」に行きかけたけど、時間不足に気づいて下山することにした。ロープウエーの最終便に間に合わなくなる。5時に戻るには2時には出発しないと。もう一度「肩の小屋」に立ち寄って壁に飾ってある「ヒナウスユキソウ」の写真に見入った。星のように白くて美しいエーデルワイスなんだ。聞いてみると、「今年はこの暑さでもう6月には咲き終わったんですよ」とは残念!まだ日差しが強く照りつけて、大きな石がゴロゴロした歩きにくい山道をひたすら下っていく。今夜の宿は「宝川温泉」。渓谷に4つも5つも露天風呂があって野趣あふれる秘湯だ。
 翌日、関越自動車道を「赤城IC」で降りて「赤城自然園」に立ち寄った。渋川市の赤城山麓600mにある、西武系セゾングループが別荘やゴルフ場に予定した広大な用地を自然のまま残し、「未来の子供たちのために四季の森を」と2010年開園したそうだ。人の背ほど高く風に揺れる優雅なヤナギランは?と入口で聞いたら、「もう終わりですよ」と言われたけれど坂を上って「お花畑」に行ってみた。ヤナギラン咲いていたよ!大半は白い綿毛になっているけどまだ先端にピンクの艶やかな花を咲かせて美しいなあ!真っ赤なカライトソウ、青いソバナ、黄色のオミナエシ、真っ白なヤマユリも・・・
 
 3年生MUさんの希望で今日に変更した。「同格のthat」を勉強した。I used to work with a consultant who believed the best way to get people to talk was to say nothing, taking advantage of the fact that people hate awkward silences and automatically try to fill them. の和訳では、後半カンマ以降の「分詞構文」の働きとthe fact that〜の「同格関係」がポイントだ。「昔私はある法律顧問の所で働いていたが、人はぎこちない沈黙の時間が嫌いで無意識にそれを埋めようとするという事実を利用して、人にしゃべらせる最良の方法は何も言わないことだ、と彼は信じ込んでいた」。抽象名詞のはずのsilencesが「複数形」であることに気づいたね。そう、具体的に「沈黙の時間」の意味だ。kindnessesも「親切な行為」だから複数もありだ。
 文法作文では「疑問」を勉強した。「何歳?」ではHow old are you? How old is your house? は「何年経っているか」を聞いてるよね。年齢を主語にしたらどうだろう?「貴方の会社の退職年齢はいつ」では「年齢の数字」を聞いているからWhenやHow old じゃなくてWhat is the age of retirement in your company?が正解だ。車の中でふと目を覚ました時、運転手に「ここはどこ?」と聞くには*where is here?じゃないよね。「此処は何処?」と考えて名詞にして、What is this place/street/station?が正しい。副詞でWhere are we now?ともいうが。(因みに文頭の*マークは「非文」の印に使うよ。) 尾上
2023/07/29 (Sat) 22:59


暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます
2023年7月27日(木) 
「谷川岳 14年ぶりに」
 「一ノ倉沢」の滑落死亡事故で悪名高い魔の山「谷川岳」に登ってきたよ。ロッククライマーの聖地でもあるけれど、一般の登山者には憧れの「日本百名山」の一つで、ロープウエーで「天神平スキー場」まで上がってから登山開始すれば4時間ほどで山頂1963mだ。この山には14年前に大学同窓の山仲間と家内も入れて6人で登ったことがある。山頂手前にある「肩の小屋」に一泊して翌日山頂の「トマの耳」と「オキの耳」という双耳峰を目指していた。ここは新潟と群馬の県境、天候が実に不安定な山稜のため2日目は悪天候に急変、山頂を目前にして下山せざるを得なかったのだ。
 いつかリベンジしたい、と思い続けてとうとう梅雨明けの一昨日思いを達成した!夜中に車で出発、8時のRW運転開始に合わせて山麓に到着。10分で上がった天神平スキー場はニッコウキスゲなどが一面に広がるお花畑。真っ青な晴天のおかげで、日陰のない登山道は灼熱地獄のよう。西を展望すれば昔登った「平標山」(たいらっぴょう)や遠く「苗場山」も望める。山頂に近づくにつれ花の種類が増えて、紫色のツリガネニンジン、オレンジ色のクルマユリ、紫色のアズマギク、黄色のキオンに惹きつけられる。山頂「トマの耳」で達成感を味わってから山小屋に立ち寄ってわかったことは、この山特有の真っ白な「ヒナウスユキソウ」が今年はもう終わっていたとは・・・

「英語教師 なりはじめ〜15」はまた次回に。 尾上
2023/07/27 (Thu) 23:12


A but A' も A and A' と同じルール
A but A' も A and A' と同じルール
2023年7月23日(日)
御殿場市民会館にて
「富士山世界遺産センター」
 次の同窓会を「尾上君の弟さんの温泉でやろう、企画してほしい」と高校の仲間に頼まれた。そこで6年前の5月は母校大学の山仲間と「身延山」の登山道を2時間歩いてから弟の「佐野川温泉」に投宿したが、その日程では今回は無理だなと思い少しアレンジしてみた。1日目は「身延山」の僧坊で「精進料理」を味わってからロープウエーで山頂の奥の院に気楽に行ってみよう。2日目には皆さん憧れの「白糸滝」を鑑賞してから「富士宮浅間大社」に参拝しよう。その近くの「世界遺産センター」にも立ち寄って富士登山の歴史を学ぶのもいいだろう。2013年6月に富士山は「世界文化遺産」に登録されたから丁度10年目の記念になるよ。
 さて2日目、浅間大社の拝殿で健康祈願して参道を下ってくると、赤い鳥居の前には名物「富士宮やきそば」の屋台がずらっと並ぶ横丁があって、ベンチに座り塩味とソース味の腰の強い麺の焼きそばを味わった。こういうのを「B級グルメ」と呼ぶよ。さてその南側に車で少し移動すると「世界遺産センター」が見えてくる。水を張った池の上に杯のような逆三角錐の記念館が立っている。エレベーターで4階まで登ると大展望が開けて、晴れていれば富士山が正面に望める。建物がらせん状のスロープでゆっくり下るようになていて、脇の壁には登山する人たちのシルエットが映り、雲海の上に自分が来たような錯覚をおこす・・・
 
 3年生のMUさんは「同格関係」を勉強した。The term Renaissance is applied not only to a philosophical and artistic movement but also to the period during which it flourished. の動詞はapply A to B(AをBに適用する)の受動態だね。接続詞butで2つのto〜が並んでいることに注意して、和訳は「ルネッサンス(文芸復興)という用語は、哲学や芸術運動に適用されているだけでなく、ルネッサンスが花開いた時期の呼び名にも使われている。」 apply oneself to〜(〜に適応する、〜に精を出す)apply for〜(〜に応募する、〜の申請をする)の違いも覚えよう。toは到着点、forは方向を表すよ。皆も好きな「アプリ」も名詞形applicationのことで自分のスマホやPCにダウンロードした(=適応させた)ソフトのことだね。
 今日は裾野の3年生男子がお母さまと見学に来て、8月からの入会と夏期講習参加を申し込んでくれた。きつい運動部の部活が終わっていよいよ受験勉強、とは少々遅いきらいもあるがきわめて意欲的なので、きっと急速な学力向上が期待できると思います。SVOCの基本構文とA and A’のルールに習熟したら数段レベルアップします。8月の過ごし方が勝負所だね。2人以上いないと「裾野教室」が再開できないのでしばらくは御殿場市民会館に通ってください。 尾上
2023/07/23 (Sun) 23:16


吹奏楽にはまって
吹奏楽にはまって
2023年7月20日(木) 
「同窓会で身延山」
 母校甲陽学院の同窓会東京組はとても意欲的で、2か月に1回開催している。第3水曜日が定例だから「枯山水」と呼んでいる。忘年会、新年会、ゴルフコンペのほかに東京日比谷にある「神戸大学同窓会」のサロンでの学習会もその一つだ。今年は5月に「蓼科高原」でコンペを実施した折に、「次回7月は尾上君の弟さんが経営する山梨の佐野川温泉に一泊し露天風呂と名物の鰻丼を味わいましょう」と幹事から提案され企画を任された。テレビの人気番組「出川の充電させて・・・」がこの2月一軒宿「佐野川温泉」を突然訪れて録画し放映されたので、この会の皆にグループLINEで紹介したらすぐに反響があったというわけ。
 18日、新幹線「新富士駅」に集合した9人は車2台でスタート。「富士川」沿いに北上して「身延山久遠寺」の周辺にある僧坊の一つ「覚林坊」の敷居をまたぎ、まずは精進料理で「ゆばさし」「ごま豆腐」に舌鼓をうったよ。さあ「久遠寺」の奥の院に参拝しよう。ロープウエーで700mの標高差を7分で一気に登るとそこは5℃も低く涼しい天上の世界だった。眼下には大河富士川が蛇行し東の空にはうっすら富士山が山頂を見せている。ほかには外人の一家族だけの静かな山頂で、鎌倉時代に「日蓮上人」が房総の生誕地と母親に思いを寄せた「思親閣」に参拝してきた。下山して山麓の「本堂」「五重の塔」を拝んだ後は今夜の宿泊地南部町の「佐野川温泉」に向かって・・・
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。「英語教師 なりはじめ〜14」
 24才で静岡県の高校教員になって、「吉原高校」で7か月「稲取高校」で2年「島田商業高校」で9年と英語を教えている間、学生時代に研究していた「理論言語学」のことはすっかり頭の片隅にもなくなり、「英語部」や「吹奏楽部」の指導に夢中になった毎日だった。コンクールでは何度も県代表になって東海大会の常連だった島田商業吹奏楽部の顧問になった私は、県吹奏楽連盟(中学・高校・大学一般の部)の理事の一人として夏の吹奏楽コンクールや冬のアンサンブルコンテストの企画や運営に力を尽くした。指揮にのめりこむのは数年後、12月の「定期演奏会」で生徒たちに指揮棒を持たされてからなんだ。
 私の島田時代には音楽の世界で大切な友人が2人いる。3人で「指揮法を勉強しよう!」と相談し、プロの指揮者村方千之先生を月に一回東京からお招きした。島田市役所職員の新間君は高校大学時代に続いて、母校の「藤枝東高校」や「市民吹奏楽団」の指揮者をやっていた熱心な若者で、共に「斎藤英雄」の書いた「指揮法教程」に基づいて指揮の基本「たたき、しゃくい、平均運動」をコツコツ学んだ。もう一人「島田二中」の須藤先生は長年弦楽合奏の指導が専門だったが、吹奏楽に切り替えるとすぐに静岡県代表として毎夏コンクールの常連となり東海大会にも出た。数年後には「全国大会」の栄誉を受けたので東京の「普門館」大ホールに応援に行ったことも。 尾上
2023/07/20 (Thu) 21:47


SEEやFINDも「無生物主語の文」になる
SEEやFINDも「無生物主語の文」になる
2023年7月16日(日)
御殿場市民会館にて
「野の花苑 ウチョウラン」
 雨が降って山歩きもできないので、御殿場の印野地区にある山野草のお店「野の花苑」に行った。温室になったお店に入ると、季節の花で満開のウチョウラン(羽蝶蘭)が鉢植えになって左右の陳列棚にびっしりと並んでいた。背丈はどれも10センチくらいの小さな株だけど、色は様々で白、ピンク、赤、紫や2色のものなど、一鉢500円から5000円のものもある。向かいの展示場のはさらに高級で白と赤紫色の大きな株が25,000円という最高値だった。かつて50年〜30年前に「山野草ブーム」があって、数十万円の高値が付いたウチョウランもあったという。私は月に1〜2回立ち寄っては、ワンコインで買えそうなものを一つ選んでいるよ。
 ウチョウランの先にはフウラン(風蘭)の鉢がずらっと並んで、もうじき咲きそうな緑のつぼみをたくさんつけて中には一輪だけ咲きだしていて真っ白なトンボのような姿だ。さらにこの日初めて見たのは「オサラン」(筬蘭)、真っ白な花で唇弁だけ紅を塗ったおしゃれな南国のランだ。日曜日がお休みのこの店はご一家が熱心なプロテスタントで、私は御殿場・東山地区の福音協会で知己を得た。若い頃は山野を駆け巡って花にめぐり合いそれを家業にしたご主人だが、「最近、顔を見ませんね、、」と言ったら、「今腎臓ガンで闘病中なんです」と聞いて驚いた。上品で美しいお嬢さんがやっと結婚して、優しいハンサムなお婿さんに経営を譲ろうとしていた矢先に・・・
 
 3年生のMUさんは「無生物主語の構文」を勉強した。普通はmakeやcause、remindなどの使役動詞で理解しているけど、テキストの説明にあったThe next morning found him dead in his room.(翌朝、彼は自室で死んでいた)のような感覚動詞のfindやseeの主語が「時」という特殊な文もこの仲間だ。世界一の語彙数を誇る英語辞書OED(Oxford English Dictionary全20巻)で動詞seeを検索すると、「無生物主語+see+出来事」の例文がいくつかあって、その主語は「時」「場所」に限られる、とある。New York saw its first New Year’s ball drop in 1907.(NYでは、1907年に最初の新年ガラス球落としがあった)のように。
 しかし、イギリスの伝統ある新聞The TimesやThe Gurdianなどの記事をデジタル化したCD ROMで動詞seeを検索してみると、The heavy snows have seen several regions declare states of emergency.(豪雪のために、いくつかの地域では非常事態の宣言をしている)のように「原因」や「手段」が主語になった実例がたくさん発見できるんだ、、、実はこの研究を進めて理論仮説として発表したのが私の大学院での「修士論文」(東京学芸大学院2001年)で、300の実例に基づいている。卒業後、修論指導の鈴木猛先生がさらに肉付けし理論化して2001年秋、東大で開催された「日本英語学会」に共同研究として発表したもので懐かしい思い出がある。 尾上
2023/07/16 (Sun) 23:08


玉石混交の愉快な高校
玉石混交の愉快な高校
2023年7月13日(木) 
「北アルプス キヌガサソウ」
 名前も美しいキヌガサソウ、北アルプスで久しぶりに会えたよ!漢字なら衣笠とか絹笠とも書いて古代の貴人が外出の時に、背後からさしかけた笠(傘蓋)のこと。花は50センチくらいの背丈で、雨の日は傘の代わりになりそうな大きな葉6〜10枚が輪状に広がりその中央に真っ白な花が一つ。葉と同じ数の真っ白な花びらは実は顎片で、花弁は細くて目立たないんだ。2010年、大学の同窓で横浜に住む青山君と、山頂の「ウルップソウ」が見たくて二人で白馬岳(2932m)に登った。有名な「大雪渓」にさあ登るぞという時、「白馬尻小屋」の裏でこのキヌガサソウを発見して初めての大型の花に大感激した。数えてみたら200株の大群落!
 日本の「三大雪渓」はもう一つ「針ノ木岳」(2821m)にあるんだ。最近そこにもキヌガサソウが咲くと知って、信州大町の扇沢のホテルに前泊して登ってみたよ。トロリーバスの「扇沢駅」は昔家族で「黒四ダム」観光に行ったときに乗り換えた駅。そこから未踏の登山コースに分け入って2時間ほど、ゴゼンタチバナやエンレイソウの青い実を見ながら「大雪渓」が始まる「大沢小屋」(1670m)まで雨の中を傘さして登って行った。するとその小屋の周りに咲いていたよ20株くらい。しかし今年の異常気象でもう薄緑色に変わっていたので「小屋」の人に聞いたらもう一か所の群落が近くで見つかり、7株だけどそれはまだ白色に近くて美しかった。13年ぶりに再会できたよ、キヌガサソウ!!・・・

 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜13」
 伊豆の「稲取高校」に赴任して2年目、昭和44年の12月に26才で私はロシア語の教え子だった埼玉県の女性と結婚し、伊豆急行「稲取」駅前の職員寮で二人の生活を始めた。後に「校長住宅」に引っ越しできたが、そこは小さな漁港を見おろす木造のあばら家で、朝になると雨戸の節穴から一筋の光が差し込む貧しい新婚生活だった。買い物は街中のスーパー「ヤオハン」で済ませたが、教え子たちが家内の買い物についてきて「先生の今日のおかずは?」と鵜の目鷹の目だったとか。港の鮮魚店に行くと魚は切り身ではなくてたいてい一尾買い。店の前に停泊している船から上げて樽に突っ込んである魚を町民は選んで買うのだ。タチウオがまだ生きてて、手をかまれた人もいるよ。
 寮にお風呂はないから二人で近所の銭湯「ちどり湯」へ行った。「南こうせつとかぐや姫」のヒット曲「神田川」のような世界だね。そこの息子も豆腐屋の娘も、稲取で一番のホテルの一人娘もみな教え子たちだ。昭和36年の「伊豆急行」の鉄道敷設まではオレンジ色の「東海バス」が未舗装の土埃を巻き上げて伊東から下田まで海岸線を走っていた時代だから絶海の孤島のような土地の稲取高校は東伊豆町の最高学府だったのだ。土地が狭くて野球部もブラスバンドもないけれどレスリング部が全国大会で優勝するし、千葉大にも静大にも合格する優秀な生徒もいて玉石混交の愉快な漁村の高校だったなあ。 尾上
2023/07/13 (Thu) 22:40


so〜as to・・とso as to・・との違い
so〜as to・・とso as to・・との違い
2023年7月9日(日)
御殿場市民会館にて
「NYでもマティス大回顧展」
 マティスの絵が大好きになったのは、92年のアメリカ旅行中だった。大学1年生の次男がニューヨークに短期の語学留学して帰国したその年の暮れ、1才上の長男も米国体験したいというので私との二人旅になった。クリスマスのNYは昼のうちから活気に満ちて五番街もブロードウエイも様々な人種に満ちあふれていた。夜になるとオペラ「ワルキューレ」やロングランのミュージカル「オペラ座の怪人」「ファンタスティクス」を見て、7日間はあっという間に過ぎた。次に列車アムトラックで古都「フィラデルフィア」に立ち寄った後、首都「ワシントン」に着いた。2日間観光した後飛行機でジャズの街「ニューオーリンズ」と西海岸の「ロスアンジェルス」に向かう計画だった。
 その時の「旅の日記」を読み返すと、NYでは二人で精力的に歩きまわったことがわかる。美術館も「メトロポリタン」「グッゲンハイム」に加えて、MoMA(近代美術館)で見た「マティス大回顧展」はすごかった。なんと400点もの大作を目の当たりにすることができたのだ。今回上野に来たパリの「ポンピドーセンター」の作品も含めて、世界中から集めた珠玉の名品ばかりで、中でもロシアの「エルミタージュ美術館」からの数点は「赤のハーモニー」「ダンス」など圧巻だったなあ。この日早朝8時小雨降る「5番街」には長蛇の列が出現し15時からの当日券を買うために並ぶと、私の前にはスペインから来たというにぎやかなおばさんたち、後にはロンドンから見に来た若者も一緒に・・・

 3年生のMUさんは「無生物主語の文」をやった。makeなど「使役動詞」の主語が「人」でなく「物事」である時にはそれを「手段・理由」などと考え、目的語の「人」を主語に置き換えて和訳しよう。という勉強だ。It must build up ties that enable Asia truly to count on Japan’s presence. も、「可能にさせる」の使役動詞で〜enable人to・・(〜のせいで人が・・できる)の「無生物主語の文」だから、Asiaを主語にして、「アジアが日本の存在を信頼することが本当にできるような絆を日本は築かないといけない」。
 文法・作文は「程度・目的・結果」の表現で、どれもほぼ正解が出せた。「彼はそのようなミスにも気づかないほど不注意な生徒です」の並べ替え問題は、He is so careless a student as not to notice such a mistake.で、so〜as to・・(程度)とso as to・・(目的)との違いに注意しよう。長文は「大阪府立大」の「死」を読んだ。「地球上のすべての生き物は死ぬ。しかしその生命が子孫のなかに永遠に引き継がれていく」と語る難解な内容をよく理解できていた。 尾上
2023/07/09 (Sun) 23:08


「戦争反対、教え子を再び戦場に送るな!」
「戦争反対、教え子を再び戦場に送るな!」
2023年7月6日(木) 
「上野でマティス展」
 車を運転して東京に出たのは何年ぶりだろう。東名の用賀から「首都高速1号線」に入ると三軒茶屋、南平台、渋谷駅前、青山学院、六本木、芝公園と懐かしの町々をスイスイと通過していく。隣に座っている山梨の山奥の弟は何十年ぶりかの景色に感嘆の声を上げる。私たちが戦後住んだ家、通った渋谷の小学校、大学のころ学び遊んだ町が高層ビルに埋もれて判別つかず、年月の変化にまるで「浦島太郎」の心境になる。上野ランプを降りると「上野駅」の真ん前に出てまたビックリ!大学時代は山手線からここで常磐線に乗り換えたなあ。弟はここから「不忍池」の勤務先まで毎日歩いた懐かしの町なみだよ、と。
 上野動物園の隣にある「東京都美術館」(通称・トビカン)で開催中の「マティス展」を見るついでに、デザイナーをやっている従妹の夫が画いた「アクリル画」が「公募美術展」で優秀賞が取れて、同じ美術館で展示中だというのでそのお祝いに駆けつけたというわけ。彼が80の手習い、というから驚きだ。2階のレストラン「精養軒」で乾杯し名物のオムライスを食べてから地下の「マティス展」に向かった。今回は20年ぶりという大規模な回顧展でパリから届いた150作品が展示されていた。ピカソのように90才まで活躍したマティスの作品は単純化された画面の構成がすばらしいし色調の明るさ、特に晩年の真っ赤な部屋、真っ赤な絨毯が一番の人気なんだ・・・
  
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜12」
 島田商業に転勤した昭和45年、私は教職員組合(高教組)に加入した。稲取高校の同僚で大学の先輩でもあった社会科の故渡辺秀夫先生(ナベさん)の影響だ。英語科でも6人のうち4人が組合員で若い教員を中心に勉強会や親睦会、小旅行などで活発な活動をやった。「戦争反対、教え子を再び戦場に送るな!」の旗印を掲げ、「管理職の法制化」に反対し職場の民主化をすすめようと訴えた。島田市を含む志田榛原地区の民間企業の労働組合と共闘して「メーデー大会」を実施したり、静岡県立高校全体の教職員でストライキを何回か打ったりもした。私が分会長の時にはメーデーの「大会宣言」を代表で読み上げたこともあるよ、「ガンバロー!!」と。
 昭和42年3月、大学卒業を前に進学も就職も決まっておらず高校教師の道を模索した。「教育心理学」の履修単位が不足していて、その1科目のために外語大が用意してくれた「聴講科」に在籍した。7月に静岡県の教員採用試験、10月には東京都だった。教師は東京でやるのも生まれ故郷の田舎でやるのもいいな、と考えて採用試験に臨んだ。筆記試験で合格した後、二次の面接は5人の校長さんを前に緊張したなあ。「どこの高校が希望ですか?」ー私「よく知らないけれど生まれ故郷の沼津東高かな?」と。「あなたはロシア語を専攻して、ソ連の社会主義思想をどう思いますか?」とか、「教えている生徒が、政治活動やデモに行くと言ったらどのように対処しますか?」とか、答えに窮したよ。 尾上
2023/07/06 (Thu) 21:31


such asとas suchはどう違う?
such asとas suchはどう違う?
2023年7月2日(日)
御殿場市民会館にて
「オノエイタドリ」
 1日は「富士山」の山開きだったがあの悪天候では延期の状態。今日2日は梅雨の晴れ間の見事な青空が広がり気温も急上昇。日曜日でもあり「富士宮ルート」五合目登山口の駐車場は大渋滞になるほどだったそうだ。カンカン照りで砂漠のような登山道を4〜6時間も登るのは苦しいが、フジハタザオ、イワツメクサ、オノエイタドリなどの小さな白い花が咲いていてほっと癒されただろうな。山頂3776m「剣が峰」には「日本最高峰」の黒い御影石の石碑が立っていて、それと一緒の記念写真をとりたい登山者でほんの狭いスペースに長い行列ができていたそうだ。 
 私はもう10回目をやったので富士登山は卒業にした。夜中に登って山頂でご来光を拝む「弾丸登山」も一度だけやってみたが、ほとんどが日帰り登山で、早朝5時に登山口でご来光を拝んでから登山開始だった。6時間後に山頂でお弁当にして「お鉢巡り」に1時間かけてから下山したから、夕方5時には帰宅できた。普通は七合目や八合目の山小屋に一泊して山頂を目指すのだが、私はいつも山開きの前か、9月閉山の後になって一人静かな登山を好んだ。一昨年の10回目は駿河湾の「田子の浦」で足を清め、「村山古道」を6回に分けて登って山頂を極めたからもう完成だ・・・
   
 3年生のMUさんはIt is true ・・, but・・「なるほど〜だがしかし・・」の構文をいくつか勉強した。和訳ではTo be sure, hydrogen burns so easily as to have a tendency to explode, but so do gasoline and natural gas. 「確かに、水素は爆発しやすいほど簡単に燃えるが、ガソリンや天然ガスだってそうだ。」 so・・as to〜は・・enough to〜と同じ構文で、「結果」と「程度」の用法があったね。最近、水素燃料の車(トヨタのミライ)が実用化されたり、ガラス工場では溶解の燃料として水素を使ったり、水素は太陽光や風力などと共に「脱炭素」のクリーンエネルギーの一つとして世界中で研究されているね。
 The real problem is that hydrogen does not occur as such in nature.「現実的な問題は、水素が水素として自然界に発生するわけではない、ということだ」。such as〜は「たとえば〜のように」 だけどas suchは「そのようなものとして」。It must be produced chemically from substances that contain hydrogen atoms.「水素は水素原子を含む物質から化学的に発生させなくてはいけない」。中学の理科では、鉄や亜鉛に塩酸や硫酸をかけると水素が発生する、と教わるそうだ。つい最近では、火山岩の「カンラン岩」に高熱や高圧のもとで水をかけると「ジャモン岩」に変化しその際水素を発生するはず、という研究が始まっているそうだ。安価に水素製造する方法で、北海道の日高山脈がカンラン岩に恵まれ注目されている。 尾上
2023/07/02 (Sun) 23:50


最初の車は真っ赤なパブリカ
最初の車は真っ赤なパブリカ
2023年6月29日(木) 
「富士山のタカネバラ」
富士山の「山開き」まであと10日あまり。予報が当たって朝から青空が広がってきたから、さあ今日は富士山「須走ルート」でミニ登山だ!フジアザミラインから五合目をめざしぐいぐい登っていく。土手の上でシカが2頭こちらを振り向いた。昨年観光バスがブレーキが利かなくなり横転して女性客が死亡した悲惨な事故現場を通った。下りはギヤをローに入れて、フットブレーキをできるだけ使わないようにしないといけないのに、27才というその若い運転手は急坂の経験が足りなかったのかなあ。ブレーキを踏んでばかりいる似たような運転の車をよく見かけるよ。私も気をつけなくては。
 五合目登山口の駐車場はまだ車もまばらで外人のグループが目立った。山頂まで登る人もいるが、この時期山小屋は閉じているので皆日帰りのはずだ。10:30だ、さあ出発しよう。フジハタザオやヘビイチゴが咲きナナカマドの白い花も美しい。コケモモと紅花イチヤクソウの群落が現れホッと一息。雲が流れて富士山頂が見えたぞ!その右に「こいのぼり」が泳いでいるのは新六合目の「長田山荘」だな。13:00に着くと、この小屋はもう開業していて外人客ばかりでにぎわっていた。今日はここまでにして帰りは「砂走り」を一気に下ると早いぞ。五合目「東富士山荘」の「きのこパスタ」が楽しみだ。店の前には今日のお目当ての真っ赤なタカネバラが咲いているはず・・・
  
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜11」
初めて自動車の運転免許を取ったのは稲取高校に赴任した年に、放課後になると3年の生徒達が熱川の自動車教習所に送迎バスで通う時に引率する係の担当になった。生徒たちが終わるのを待っている間に、「先生も免許取りませんか?」と所員に誘われて練習を始めた。仕上げは沼津の試験場に行き受検したらなんとか合格できたから役得だったなあ。その年、買った車が中古の真っ赤なトヨタ・パブリカ800で横浜ナンバーのままで走っていた。まだ教員の自家用車が360ccの軽ばかりで校長先生も軽トラで通っていた時代にちょっとナマイキな若者だった。
 その後はトヨタ・コロナやマツダ・グランドファミリア、ニッサン・ローレルにも乗ったが、中古のクラウンにしてからは4台くらい続いた。先月5年乗ったクラウンが故障ばかりするので、カローラ1500の中古に乗り換えた。セダンからステーションワゴンへの大転換だからまだ慣れないが、後部座席をフラットにしてすべて荷物スペースにしたからきっといろいろ便利だろう。ベンツやBMWのような外車までがハッチバックのスタイルになる時代で、特に黒色だと霊柩車のようで不吉な感じもするから抵抗していたがもう無理だ。折り畳み自転車を乗せるにも便利だし、登山の時には脚を伸ばしてひと眠りもできるし。 尾上
2023/06/29 (Thu) 22:23


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