御殿場市民会館にて
「山中湖のプードルたち」
三連休の土曜日、「紅葉祭り」でにぎわう山中湖に行った。篭坂峠を越えて下ってくると湖岸に出る直前に素晴らしい紅葉の森があるのに気がついた。「旭日丘公園」の名で富士急行の創立者・堀内良平のレリーフが立っている。堀内はキラキラ輝く湖面が気に入ってススキが原を植林し別荘地を開発した、との由来が書いてある。友人のジャーナリスト・徳富蘇峰もここに別荘を建て「旭日丘」の名を贈ったそうだ。
湖畔の「緑地公園」は赤・黄色の紅葉の見事な森になっていて、お祭りの露店もでて大賑わいだ。ボートをこぎ出す家族連れ、孫と写真に収まる外人のおばあさん、渚で大きな鯉に餌をやる母子、犬を連れてそぞろ歩きを楽しむ人たち。あれっ、真っ白いふさふさ毛の犬たちの行列だ。大型のスタンダード・プードルが6匹も、貴婦人のようにご主人に寄り添ってリボンをつけておしとやかに・・。
3年生EN君は前回、「鳥取大」の英文を和訳して構文が掴みにくかった。Americans try to teach their children to think for themselves, to explore, to develop their own intellectual and creative abilities. はto不定詞が3つカンマで並列していることに着目して、すべて子供に教える内容だと気づく。「アメリカ人は子供たちに、自分で物を考え、探求し、自分の知的能力と創造の力を開発するように教えようとする。」今日の「宮崎大」の和訳問題でも「何と何が並列か」を見定めるのに苦労したね。 To begin with, I like the idea of dreaming, of going to bed and lying still and then, by some queer magic, wandering into another kind of existence. で A and A’ に気をつけると、動名詞-ing 形が3つあって「ベッドに入って静かに横になり、それからなにか奇妙な魔法の力で別の世界にさまよい込むこと」が、直前の dreaming「夢を見ること」 の説明なんだね。こういうのを「即ち、のカンマ」と覚えよう。
YAさんは前回、however +形容詞がno matter how形容詞と同じく、「どんなに〜でも」の意味で「譲歩文」になることを勉強した。No matter how many guests were present, は「どんなにたくさんの客が来ても、」だし、How many years he may have lived in the city, は「どんなに長い年月を都会で暮らしたとしても、」となるからno matter と -ever が日本語の「ても」とか「でも」になると思えばいい。今日はセンター試験問題で「語句整序」の問題が3問ともすべて正解だった。なかなかたいしたものだ。英作文で大切なSVOの配列がしっかりマスターできている証拠だね。センター試験は第3問から第6問まで長い英文の読解力を試される。あと2回文法の復習が終わったらやってみよう。
1年生TA君は「不定詞」を勉強した。中学では「こと」「ための」「ために」の3つを勉強したけど、高校では副詞用法で「目的:〜ために」のほかに、「原因:〜して」、「根拠:〜するとは」、「結果:そしてその結果〜」の3つの意味を追加するんだ。「使役動詞」のmake let have help の後には「人」+「原形不定詞」がくるし、「感覚動詞」のsee hear feel の後も同様だ。今日の「語句整序問題」で難しかったのは I’ll have him fax the map to you.で「あなたにその地図をファックスしてくれるように彼に頼むよ。」これは「使役動詞」のhave だね。I’ll fax・・・ではまとまらない。 尾上
(追記)以前に御殿場の馬車鉄道の歴史を調べてブログに書いたことがある。1世紀以上前の明治後期のことで、「富士登山」の人のために東海道線の御殿場駅を起点に須走登山口まで通じていた。ちゃんとレールには枕木を敷き詰めてあったそうだ。これは物資輸送のためにさらに延長されて篭坂峠を越えて「山中湖」に下り、富士吉田まで通じていた。そこで中央線の「大月」からくる馬車鉄道と合流していたそうだよ。
この「大月―富士吉田」馬車鉄道が今の「富士急行線」建設の先触れとなったのだろう。他の路線は今すべてバス路線になっている。鉄道がひかれると別荘地開発、東大・慶應など大学の夏期セミナー、リゾートホテル、ゴルフ場など「富士急」の事業が次々と拡大していった。大正・昭和の事業家・堀内の慧眼には非凡なものがあった。今は桃やぶどうの産地だけど貧しい「御坂」の出身で苦学して立身出世した傑物のようだ。
事業家と言えば、もうひとり山梨県韮崎が生んだ天才的事業家「小林一三」の名も忘れてはいけない。「ノーベル生理学賞」に輝いた大村智博士の郷里・韮崎にはこんな天才も生まれている。関西の「阪急電車」神戸線・宝塚線・京都線だけでなく、「宝塚歌劇団」と音楽学校、およびその沿線の新興住宅地の開発をなしとげた。私が中学・高校の頃住んでいたのも「阪急線」の宝塚市「売布神社」と西宮市「夙川」の近くだった。(つづく)
