高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


notは文を否定、動詞の否定じゃないよ。
notは文を否定、動詞の否定じゃないよ。
2023年11月12日(日)
御殿場市民会館にて
「爪木崎のソナレセンブリ」
 伊豆半島の海岸の断崖に咲くという幻の美しい花、ソナレセンブリ(磯慣れ千振)を見に行った。御殿場からまっすぐ南下し、伊豆縦貫道を終点の修善寺、そこからさらに「天城峠」を越えて湯ケ野から下田港に至る道を走行距離100キロ!県内なのに東京より遠いよ。インスタにその貴重な花が「爪木崎海岸」の背景と共に写っていたし、その写真をポストした御殿場の花友「ハコさん」にLINEで詳しく聞き出していたから、ほとんど迷うことなくその自生地にたどり着いた。しかし、ない!しかたなく、腰を下ろしてランチにしようしたらなんと目の前にひとむらのセンブリが50センチの狭い草地に!陽ざしが陰って7割は花を閉じていたから見つけにくかったのかな?
 「爪木崎」の灯台のあたりの丘陵地は1月になると真っ先に咲きだすスイセンの大群落で有名だね。ここは少し北側で伊豆半島の先端だから赤い岸壁の入江に打ち寄せ砕け散る波の音がすさまじい。ここからはるか彼方の海岸線に眼をやると波間に白い建物がいくつか見える。あれは東伊豆町稲取かな、私が2番目に赴任した「稲取高校」のある町だ。その先端に「黒根岬」の灯台とレストランがあって、54年前わが妻とウエディングパーティをやったあたりだ。同僚で大学先輩の渡辺先生の司会で、学生時代の友人たちも東京から駆けつけて楽しい結婚披露パーティになったなあ・・・

 3年生のMUさんは「部分否定」の文を和訳した。The moon rises every night, but we cannot see it every night. 「月は毎晩昇る、が毎晩見えるわけではない」で、否定文のnotは基本的には「文否定」だから、肯定文として和訳してから「〜ということではない」とか「〜とは限らない」と否定すればいい。助詞の「は」を使って「毎晩は見られない」でもOKだ。not allやnot every〜のように直後の単語を否定する場合もあるが。否定文に100%の形容詞every、both、allや副詞always、necessarily(必ず);completely、quite、altogether(完全に)が使ってあったら「部分否定」に気を付けよう。 

 昨日11日は御殿場駅前の市民サロン「けやきかん」で第2回目の「英字新聞を読もう!」教室を開いた。40代から70代の女性が4人参加した。トップページのウクライナ戦争、イスラエルの爆撃、日米の政治や経済よりも後半のスポーツや娯楽・趣味などの方が読んでいて楽しいよね。今回選んだテーマは「生活」コラムからWhy single mothers in Japan have been left behind 「日本の離婚した母親はなぜ見捨てられているのか」。英字新聞ではThe Japan Timesがこの教室には最適だと思う。御殿場駅の売店で300円でいつでも買える。(親会社のThe New York Timesとセットで)。 
 これは120年以上の歴史があり、明治時代に創刊されて外人向けに日本を紹介する趣旨の独自の新聞だから、日本人にとっても新しい観点から日本文化の事実や知見を見直すことができる面白さがあるんだ。さらにスマホやPCで検索すればデジタル版がタダで読めることもわかった。特にこの日の教材は、新聞記者がある映画監督にインタビューした時のスクリプト(script原稿)で、デジタル版から私がコピペ(copy and paste)してプリントを用意したものを皆さんに交代で音読し和訳してもらった。生の音声もOHPから流すことができて英会話の勉強にもなったよ。 尾上
2023/11/12 (Sun) 23:36


嗚呼、ホルンの山西龍郎君!
嗚呼、ホルンの山西龍郎君!
2023年11月9日(木) 
「芦ノ湖サイクリング」
 芦ノ湖の北岸近くの「桃源台」は湖上観光の「海賊船」の寄港地で、大湧谷に登るロープウエーの乗り場がある。そこには環境省のビジターセンターがあって、大きなジオラマと展示物やビデオ上映で箱根の大自然を学び満喫できる素晴らしい施設なんだ。その周辺には観察路が整備され「ミニ観察会」が毎週開催されて、昔は私も参加しては草花や樹木の名前を教えてもらったものだ。
 今日は乗せてきた自転車をそこで組み立ててサイクリングに出発した。「湖尻」の港からは「セラビーロード」が整備されて4キロ先の「箱根園」までが実に楽しい。車の侵入が禁止され自転車が走りやすいし湖岸を見下ろしながらのウオーキングにも絶好だ。「九頭竜神社」のある「樹木園」には、縁結びの神様に祈願しようと歩いてくる若い女性たちが多い。「箱根園」で借りたレンタサイクルで走ってくる女性たちとすれ違った。白人のペアや中国人の家族も歩いてくる。箱根は皆さん好きだなあ・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその2回目。
 母校東京外語大には吹奏楽団がなかったので管弦楽団(オーケストラ)に入団した。自分の得意とするサックスは現代曲以外は使わないので、中学で経験したトランペットを担当して自分の楽器を購入し先輩と一緒に吹いた。数か月後に楽器をいくつか寄贈してくださる方がおられて、初のホルン吹きとなった。イタリアのランポーネという楽器で重たく音の響きも良くないので、すぐにドイツのアレキサンダーを借りた。それは外語のオケの指揮をお願いしたアメリカ文化センターの楽団指揮者V・セアル氏の所有する楽器で素晴らしい響きだった。モーツァルトの「ホルン協奏曲」4曲が大好きになり自分でもよく吹いたよ。
 翌年にはドイツ語科の山西龍郎君が入団し一緒にホルンを吹くことになって第1回の定期演奏会を大学の講堂で開催した。徳島県出身の彼は後に一橋の大学院に進み「武蔵工大」のドイツ語教授になったが、それからもホルンを愛して7台ものホルンを所有し「ホルン協会」を組織し「ホルン・角笛」をテーマに音楽の歴史で著書を残した。大学時代の楽団仲間と熱烈な恋愛結婚をし平塚市の湘南海岸に住んだから、御殿場から近くで訪ねていくことが多かった。7年前脳腫瘍を発症し入院生活が始まった時は何度かお見舞いに行き、一度は近くの海鮮料理店につれだしてお寿司を御馳走したのが最後の交友になった、、、合掌。 尾上
2023/11/10 (Fri) 0:10


as you please「お好きなように」
as you please「お好きなように」
2023年11月5日(日)
御殿場市民会館にて
「八海山に登る」
 新潟十日町の翌朝は美しい秋日和となった。銘酒でも有名な「八海山」は私が夢に描いた百名山。いよいよ登るぞ!前泊の「清津館」で朝飯のおにぎりを握ってもらい暗いうちに出発。ロープウエイ乗り場に7時には着いた。標高1200mの四合目「山頂駅」まで7分で登ってしまう。観光客はここから米どころ魚沼平野を一望できる。特に早朝は平野が雲海の下になってそれは幻想的で美しい。春にはイワカガミやイワウチワが咲き、夏にはヤナギランやニッコウキスゲが咲く天上の花園だそうだ。
 最高峰の「大日岳」まで往復すると急峻な岩場が連続して現れるし帰りのロープウエイに間に合わないので、時間内に行けるところまで登ることにした。黄色く色づいたカエデのトンネルをくぐり、登山道に敷き詰めた褐色のかたいブナの葉を踏みしめながら登っていく。90分ほど歩いて最初の山小屋に着いた。「女人堂」と呼ぶ無人小屋で一休みと昼食。まだ3分の1くらいだけど眼前に「薬師岳」の急斜面に圧倒されている。すると後から次々とヘルメットをかぶった若者たちが大勢追いついてきて、ちょっと休んではさらに山頂を目指して登って行った・・・

 3年生のMUさんは「関係副詞」のwhen、where、why、howを勉強した。She told her son that he might live as he pleased, and go where he pleased. のwhereは直前のto the placeが省略されている関係副詞だ。直接話法で言い換えて和訳するといいね。時制の一致に注意すればShe said to her son,” You may live as you please, and go where you please.”と言えるね。「彼女は息子に、お前は好きなように暮らしていいし、好きなところに行っていいよと言った」。
 OK君は関係詞whatの特別な働きを勉強した。Love is to a child what water is to a plant.は「愛の子供に対する関係は水の植物に対する関係と同じだ」と和訳するように教わったね。ではこのwhatは何だろう?「関係」じゃなくて「大切なもの」と考えれば、Love is important to a child as water is important to a plant. (植物に水が大切であるように、子供には愛が大切なものだ)のように書き変えることができる。共通のimportantを関係詞のwhatに置き換えたんだね。

 今夜のプロ野球日本シリーズ見た?阪神タイガースが7−1でオリックスを下して日本一になったね。38年ぶりだそうだ。にわか阪神ファンになった私も嬉しい。母校が「甲子園球場」の隣だったし、親友の藤本君が今もタイガースの応援団長を務めている関係でテレビ観戦するようになったんだ。新潟市にいる鯉谷君にビデオ通話して一緒に乾杯したよ。おめでとう!!! 尾上
2023/11/06 (Mon) 0:00


吹奏楽部の顧問
吹奏楽部の顧問
2023年11月2日(木) 
「清津峡渓谷トンネル」
 日本百名山の一つ「八海山」にいよいよ登る日が来た。私のカローラは夜中に高速を走って群馬県を抜け「谷川岳」の下をくぐっていく。「長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」(川端康成「雪国」の冒頭)を想起しながら「関越トンネル」を抜け新潟県に入ったら雨と霧だよ。計画を入れ替えて登山は明日にし、今日は傘をさして湯沢の「清津川」ハイキングにしよう。国道17号線八木沢の道の駅「みつまた」にその起点があった。「清津川」のゆるやかな流れにそってブナやカエデの森の中を歩いて「フィトンチッド広場」に向かっていく。真っ赤な葉はイロハモミジ、黄色い丸い葉はヒトツバカエデ。5キロのコースの中間点に来ると渓流に大岩があって、最高の紅葉の景観を堪能した。
 この清津川はもっと下流に行くと十日町市の観光名所があるので再び車で17号線を下っていく。ひなびた越後の山間の集落を抜けて「石打スキー場」を越えると「清津峡」の看板が見えてきて駐車場には観光バスがズラリ。予約した今夜の宿「湯元清津館」に着くとそこが「清津峡渓谷」の入口だった。80年前に「天然記念物」に指定され、特にこの時期の紅葉に彩られた渓谷美が黒部峡谷と共に「日本三大峡谷」と呼ばれている。30年前渓流の遊歩道で落石があり、2人が死亡した事故がきっかけで十日町市は安全と観光の目的でこの渓谷の中に750mのトンネルを堀り4箇所に窓を設けて、壮大な柱状節理の岸壁と美しい清流を楽しめるようにしたそうだ・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその1回目。
 3番目の勤務校「島田商業高校」で吹奏楽部の顧問を始めて以来定年で「沼津東高校」を退職するまでの30数年、ずうっと英語教師の看板で「吹奏楽」に浸りきっていた。文化祭のステージで指揮をしているし高校野球では応援バンドを引率していたから、廊下で出会った生徒が私の持っている教科書を見て「あれ、英語の先生だったんですかあ」と叫んだものだ。バンド指導者として同じ市内で活躍していた島田二中の首藤先生、島田市役所の新間君が懐かしい。「指揮法の勉強をしようよ」と意気投合し東京からプロの指揮者村方千之氏を招いて何回か一緒に指導を受けた。「たたき、しゃくい、平均運動」とタクトの基本を「斎藤秀雄指揮法教程」で学んだなあ。
 昭和28年は終戦後まもなくで家にピアノもバイオリンもなくハーモニカだけの環境でも私と音楽との接点は早かった。中野区立桃園第三小学校の4年生で合唱部に選ばれ、ボーイソプラノの高音で歌えた。経験豊かな田中先生の指導で「関東合唱コンクール」ではいつも第2位をとった。楽譜が読めたので宝塚中学では吹奏楽に入部し、まずはアコーデオンを弾いた。昭和31年は「国民体育大会」が兵庫県で開催され水泳大会のプールサイドで演奏したな。2年生でトランペット、3年生で新品のサキソフォーンを吹かせてもらった。甲陽高校でもアンサンブル部に入ってサックスに専念した。吹奏楽連盟が発足し「全国コンクール」がやっと始まったばかりの時代だった。 尾上
2023/11/02 (Thu) 22:43


関係代名詞の as
関係代名詞の as
2023年10月29日(日)
御殿場市民会館にて
「ひろがり学習塾」
 昨日は御殿場駅前の市民サロン「けやきかん」で私の新たな教室「新聞を読もう!」の第1回目。御殿場市の9月の広報「受講生募集」を見て応募した人が5名いて40代から70代の女性だった。様々な事情でお休み連絡が3名いたが、KAさんとTAさんが出席されいよいよ開講となった。お二人は市民会館の英会話教室のお仲間とのことで、まずは英語で自己紹介をしていただいた。そこへ外語大3年生の矢田安曇さんがゲストで裾野から駆けつけてくれた。フィンランド留学から戻った7月に、「1回目はサクラで来て、新たな会をもりあげてね!」と頼んでおいたのだ。大学生の参加で盛り上がったよ!今日用意したテキストはThe Japan Times電子版をコピーしたプリント3枚。
 The Japan Timesは御殿場図書館で唯一閲覧できる英字新聞The New York Timesの姉妹版。KAさんによると御殿場駅のキオスクでもセットで300円で売っているそうだ。これは明治30年ころの創刊で歴史的な日本在住外人向け英字新聞なんだ。相撲や温泉など日本文化の紹介も多い。前日27日の記事でBilingualのページにあったWhy deal with the crowds when you can have a ‘mundane Halloween’ online? (普通のハロウインならネットで見られるのになんであんな群衆とかかわるの?) がPC で全文「コピペ」できたのでprintoutして、まずは「読もう!」と3人に読んでもらった。カンマの切り方、抑揚intonationにも注意して「相手に語るように読む」のが大切と・・・

 3年生のMUさんは関係詞のasを勉強した。Choose only such friends as will benefit you. (自分のためになるような友だちだけ選びなさい)は、friendsを受けてwhoというべきところをsuchが付いているのでasに変わる。If you took a look at a lot of these shows now, would you find them of such a high quality as you might have in the past? は前半が「もし今こういうテレビ番組をたくさんみるとすれば」と「仮定法」を意識して訳す。後半にsuch〜asの構文があってhigh qualityを受けるwhichの代わりにasが使われているね。you might (have found them of a high quality) in the past.とカッコの省略語句を補うと、「昔そういう番組を質が高いと思ったかもしれないが、それと同じ程度に質が高いと思うだろうか。」の意味。 ちなみにof a high qualityは「質の高い」という形容詞の働きだね。The tool is of great use. (とても役に立つ)、The book is of no value.(何も価値がない)と同じだ。 尾上
2023/10/29 (Sun) 22:40


教師人生は吉原高校から
教師人生は吉原高校から
2023年10月26日(木) 
「神戸メリケンパーク」
 今回の関西旅行は20日に計画された母校・宝塚中学の同窓会出席のためだった。家内も同伴してマイカーで新東名・新名神の高速を走って5時間、途中東大阪の「司馬遼太郎記念館」に立ち寄ったので神戸には17時に着いた。神戸港の埋立地に建つ36階建ての「ホテルオークラ」は素晴らしい展望で港の全景と「六甲山」の山並を望む。夕食の中華を食べていると窓外の「メリケンパーク」では記念花火大会が開催されて思いがけず得をした。明日はいよいよ宝塚だ。13才のころ2年間住んだ町を65年ぶりに訪れ幼なじみに会えるんだ。早起きして神戸駅前の元町や中華街を一回りしてみよう。「平清盛」が開いた福原の都も探してみたい。
 食後、ホテルの外に散歩に出ると街灯やカフェのイルミネーションで明るい「メリケン波止場」には夜遊びする多くの子供たちや恋人たちの姿。岸壁にはBE KOBEという文字のモニュメントが明るく浮き出て「神戸」の新しいシンボルだという。「神戸になれ!」とはどういう意味?クラーク博士のBoys, be ambitious! から発想したのかな?18年前の「阪神淡路大震災」の後で市民から募集したというがどうも変な和製英語だ!明治41年(1908)神戸からブラジルに向かって出航した初の移民家族の像が建っていた。彼らを輸送した「笠戸丸」の案内板を見ると、De Kobe para o Mundoとポルトガル語で書いてある。英語ならFrom Kobe to the Worldだ。このポルトガル語のDe(〜から)を英語のBe(〜になれ)と勘違いしたのかな・・・

今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「言語学と私」についてお話しします。今日はその5回目。
 進路の話では、ロシア語の石山教授から「住友商事に君を推薦したいがどう?」と打診されたとき、即座に「父が商社マンで苦労したのを知ってるので辞退します」とお答えした。卒業を半年後に控えたのにまだ進路が決まらない。外語大で大学院が発足すると聞いて「スラブ語研究」に級友2人と共に志願した。しかしのんびり構えていたせいか、上智大など他大学からも受験者があって私ともう一人ははじかれた!さあ、困った。教職単位がほぼ取れてるので以前に考えた高校教員を目指そうか。外語大に聴講生の制度があって卒業生が不足の単位を取得することができると知って、教員採用試験に必須のあと1科目「心理学」の単位を取るために大学に残ることに決めた。
 7月に生まれ故郷の静岡県、10月に東京都が採用試験をやるというので両方に志願することにした。昭和42年3月に大学卒業、浪人生活が始まり渋谷での「理論言語学セミナー」は2年目になった。7月には米国ハーバード大学のローマン・ヤコブセン教授が来日。言語学集中講座が三宅坂で5日間開催され出席した。構造主義の「音韻理論」で有名な学者で日本語の和歌にも造詣が深かった。そして、7月末に静岡県教員採用試験が実施された。8月末まだ合格通知が来ないうちに「吉原高校」の浦辺校長から、「9月1日からすぐ勤務してほしい」との突然の電話。教師人生はとつぜん吉原高校(今は富士市吉原)から始まった。 尾上
2023/10/26 (Thu) 19:18


関係詞whatは「こと、もの、姿」
関係詞whatは「こと、もの、姿」
2023年10月24日(火)
御殿場市民会館にて
「司馬遼太郎記念館」
 関西旅行の1日目は大阪府東大阪市、昔の布施市に建つ「司馬遼太郎記念館」を訪れた。10年前に安藤忠雄の設計で開館した記念館は吹き抜け3階の天井に届く高い本棚に囲まれそこに5万冊の著書が納められていたよ。司馬の作品はどれも傑作で、NHKテレビの大河ドラマになった「飛ぶが如く」(1990)「功名が辻」(2006)や大作「坂の上の雲」(2009)を見たというご家族も多いでしょう。今年が生誕100年なので司馬の「街道をゆく」のドキュメンタリーが再放送されてるね。「関ケ原」(1966)は沼津市出身の原田正人監督が2017年に映画化したので私も三島の映画館で見た。別所広司が演ずる家康の本陣「桃配山」が我が家の近所の「二の岡神社」の本堂を借りて撮影されたので、いっそう身近に感じたものだ。
 最近楽しんでいるのはAMAZONの「オーディブル」audibleで、眼で文字を追うことなく司馬の短編小説がネットでいくつも聞けるんだ。ラジオで放送された「傑作選」から「桜田門外の変」「人斬り以蔵」「金吾中納言」など、読み手の絶妙な語り口で眼をつぶったままイメージを膨らませながら聞いて楽しんでいる。随筆「歴史の中の日本」(1974)も御殿場図書館で見つけ読みふけっている。司馬は1923年大阪に生まれ「大阪外語大」のモンゴル科に学んで新聞記者になった。直木賞作家として文壇にデビューしてからも終生大阪の庶民の街「布施」に住み続けたことでもユニークだ。1996年、4万冊もの蔵書を残し73才で逝去。その時のままの書斎も保存され庭を一回りしてガラス越しに見ることができた・・・

 今日のUG会は生徒が2人とも学校の模試が24日(日)にあったので変更したものです。
 MUさんは文法問題で「関係詞」をやったらすべて正解が出せた。特殊な関係詞but、as、thanもわかってる、すごいなあ!長文読解は「東工大」の「観光業の衰退」をやった。Fears of terrorism and the safety of air travel may have lessened interest in some international travel for the time being.ではandが次のthe safetyと何を並列させているかが難しかった。助動詞may+完了形で「〜がしばらくの間外国旅行の関心を引き下げたかもしれない。」だから、主語はfears(恐怖)だけで、「テロへの恐怖と空の旅の安全性への恐怖が」とすればよかったね。「A and A’のルール」がここでも強調できる。
 OK君も「関係詞what」の特殊な用法を勉強した。whatはsomething whichを一語で表した関係詞だから具体的なら「もの」抽象的なら「こと」と訳せばいい。しかしbe動詞の場合は困るからWhat Japan used to beなら「昔の日本の姿」と訳せばいいね。The vanity of desiring to make yourself look far better than what you really are is one of the bad characteristics of the Japanese.では動詞isの主語がかなり長いね。同格のof(〜という)には気づいたから「〜という虚栄心は日本人の悪い特性のひとつだ」の〜を埋めるには、「自分を実際の自分の姿よりずっと良く見せたいという・・・」となるね。 尾上
2023/10/24 (Tue) 23:02


チョムスキー博士来日
チョムスキー博士来日
2023年10月19日(木) 
「国立ロシア民族合唱団」
 今朝から2泊3日で関西旅行に出かけています。母校「市立宝塚中学校」の同窓会、それも最後の同窓会が明日20日に「宝塚ホテル」で計画されたので出席します。そこはあの本家「宝塚大歌劇場」の一角にあって昔は朝夕に通った道です。高校に進学してすぐ2回実施された同窓会には参加したけれど、その後東京の大学に入ったし父親の転勤で家族も東京に戻ったことがあって60年間同窓会には一度も出席しなかった。親友だった谷利伸君や同じ中学から唯一同じ甲陽学院に進学した松原光治君からお誘いがあって、今回出席を決意したのです。
 昭和31年(1956)の3月、私たち4人家族は父の大阪転勤に伴って東京杉並の家を売って兵庫県宝塚市に引っ越した。阪急電車宝塚線の「売布神社駅」近くの団地に新築の家を買い、軽金属の輸入業が得意な父は大阪市内の「佐渡嶋金属(株)」に通勤した。大阪は父の生れ故郷でもあった。2才下の弟は市立宝塚小学校の5年生、私は宝塚中学校に入学、男子が全員坊主頭だったけど私ひとりだけ長髪が許された。1年目にはチンプンカンプンだった英語が2年生で大好きになった。担任の先生が期待できそうな数人の生徒を選んで問題集を課題に出してくれたおかげだった。私の提出ノートに父が英語でお礼の文を書いてくれた・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「言語学と私」についてお話しします。今日はその4回目。
 私が通い始めた渋谷の「理論言語学セミナー」では、その8月にまだ若きノーム・チョムスキー博士本人を招聘し、「新しい言語学、特別講演会」を有楽町の「朝日新聞」講堂で開催したのだった。初めて博士にお会いすることができ感激したものだ。大学4年生で言語学の面白さを再認識した私は大学院進学も考えたが、「ことば」の研究ができる就職先だと期待してNHKの「放送文化研究所」を希望して受験した。しかし受験会場の慶応大学が一杯になるほどのたくさんの志願者であえなく不合格。次に自分の武器のロシア語に近い南スラブ語の「セルビア語」の専門家になろうと、ユーゴスラビアの大学院留学を考えて「ユーゴ大使館」に紹介状を持って訪れた。しかし留学生の受け入れ制度がなくてこの夢も叶わなかった。 
 9月には学生課に来た求人で「モスクワの合唱団、通訳募集」をみつけ、応募したら合格した。シャンソン歌手の石井好子(故人)が経営する「石井音楽事務所」がソ連から「ピャトニツキー・ロシア民族合唱団」を招聘したのだ。民族衣装のルバシカやサラファンを着た男女が珍しい民族楽器の演奏に合わせてロシア民謡やコサックダンスなどを見せる楽しい舞台だった。公演プログラムの曲目解説の翻訳をまかされ、ナホトカからバイカル号できた団員60人を「横浜港」に出迎えた。通訳はモスクワのルムンバ大学を終了してきた大学の後輩と2人で担当し、10月の1か月間大学を休んで日本全国を巡業したよ。日本初の飛行機YS11に搭乗し鹿児島公演、福岡から新幹線で大阪・神戸公演へ。名古屋、静岡や群馬の前橋でもやって最初と最後が東京公演だった。「日本テレビ」の朝番組でスタジオに引率もしたなあ。 尾上
2023/10/19 (Thu) 6:28


as we know とas we know it の違い
as we know とas we know it の違い
2023年10月17日(火)
御殿場市民会館にて
「富士山で登った!」
 初冠雪がすぐに溶けてしまった富士山に登った、といっても富士宮口五合目2400mから新六合目2500mまでだけど。9月10日には閉山したので登山禁止になったというのに外人のグループを含めてまだまだ登山者がみられ週末でにぎわっていた。大きな溶岩がゴロゴロ転がる斜面を登って二軒の山小屋「雲海荘」「宝永山荘」まで来た。その先は溶岩の急斜面が始まるのだが巨大な柵が築かれて通行禁止だし山小屋も閉まっていた。そこから山頂がくっきりと見えるけど下界は雲海にすっぽり隠れていた。そこからは「宝永山」の火口に向かってザレバを下って、「遊歩道」に入ると美しい樹林帯になってダケカンバやカラマツの中を歩いてスタート地点に戻ったよ。
 この日はアメリカから久々に帰国された野田眞理先生をご案内しての山行だった。米国で「合気道」の師範でもある先生はスポーツ万能で山登りも楽にこなされた。オハイオ州立大学で「日本語教授法」を長年指導されて、1995年その大学院に私の次男が留学した時の担当教官だった。奇遇なことにご実家が御殿場市の我が家のすぐ近く、お生まれと大学までが兵庫県宝塚市と伺いビックリ!私が歩んだ道となんと重なっていることか、世界は世間はせまいなあ!この度めでたく退官されての修学旅行のような里帰りで我が家にもぜひ!とお招きしたのだった。「富士山に登った」はI climbed Mt. Fuji. だけど、今回はほんの一部なのでI climbed on Mt Fuji. (富士山で登った)と言うのですよ、と・・・

 今日のUG会は生徒が2人とも学校の模試が15日(日)にあったので変更したものです。来週も同様に24日火曜日に変更します。 
 3年生のMUさんは関係詞の慣用表現をいくつか学んでから、「愛知県立大」の長文「電話よりもeメール」を読んだ。どの設問にも正解が出せたが下線部訳で気をつけたいことがある。E-mail as we know it allows a high degree of privacy, which, in turn, helps generate more openness. 「私たちが知っているようなeメールは高度のプライバシーを守ってくれるが、そのことが今度は多くの解放感を生み出すのに役立っている」。関係詞whichは以前にもやったように「前文」を先行詞とするのだ。さらに、As we knowなら「周知のように」で英会話でもよく使うね。文全体を修飾するけど、ここではas we know itに注意。「我々がeメールを知っているようなeメール」の意味で、「誰でも知っているような(普通の)eメール」と直前の名詞を修飾するよ。カンマで切れてないしね。
 OK君は「関係詞の継続用法」をやった。先行詞と関係詞がカンマで切られた文のこと、と覚えればカンタンだ。前の名詞を修飾しないでandなどの接続詞で継続して独立させればいいのだ。2種類あって@There were five passengers, who escaped without injury.(乗客は5人いた。そして彼らはけがをせずに避難した)では , whoを, and they(接続詞+代名詞)に分解できる。AChopin, whose works are world-famous, died young.(ショパンはその作品が世界的に有名だが、若くして亡くなった)は主語の説明を挿入した文だから、「〜は・・なのだが・・・」と和訳するとよい。「有名なショパン」とやらないことが肝心。@の例はThe bombing destroyed several bridges, which made it impossible to reach the village by road.「その爆撃で橋がいくつか破壊された。そのことでその村に道路でたどり着くことが出来なくなった」。whichはやはり前文全体をうけてるね。 尾上
2023/10/17 (Tue) 23:19


理論言語学への誘い
理論言語学への誘い
2023年10月12日(木) 
「紫センブリ」
 秋晴れの今日、忍野の高座山に咲くムラサキセンブリを探しにでかけた。御殿場からは国道で「篭坂峠」を越える方法のほかにもう一つ、「三国峠」から山中湖の東岸に抜ける道がある。眼下に「富士スピードウエイ」と御殿場市街地、右に愛鷹の山々、左に箱根連山、中央はるかかなたには駿河湾とうっすら伊豆半島の山々までが一望できる尾根道だ。路傍に紫色のトリカブトが美しい群落を作っていた。「明神峠」からは下りになって「パノラマ台」で一休み。広大なススキの原野で銀色に光っているよ。ここからは山中湖の全貌とその上にそびえる富士山、雲がなければ遠く南アルプスの山並みまでが見えるはずの絶景の展望台なんだ。
 紅葉が少し始まった山中湖の北岸を走って「花の都公園」に来た。左にコスモス、右に百日草の畑が広がって観光客が写真撮りに楽しげだ。「高座山」は忍野中学校の裏山で三角形の草原の斜面だから遠くからもよく見える。この山に絶滅危惧種の紫センブリが咲くことを知ってからもう10年になる。山頂近くの急斜面でけなげに咲く紫センブリに今日もたくさん出会えて嬉しい。このブログを読み返して見ると2013年10月、一人で高座山1304mに登る途中、下山してくる3人の女性に出会って初めてこの高貴な紫色の星形の花を教わった。きわめて珍しい花で石灰岩質の土壌を好みEvening Starという粋な別名をもつと・・・

今日は木曜日。「裾野教室」があれば授業の内容が書けるのですが、今年4月以来しばらく休止しているので、「言語学と私」について話してみましょう。今日はその3回目。
 大学3年生を終える3月のある朝、流山市の自宅で新聞紙上に見つけた大きな全面広告に眼が惹きつけられた。「1966年理論言語学セミナー受講生募集」だった。渋谷駅前にある英会話学校「テックTEC」の主催で、言語学の各分野の最高峰ともいえる大学教授の顔ぶれに驚かされた。こんなすごい講座がなんと受講料無料だとは!早速申し込んで選抜試験に合格したよ。東大の音声学「服部四郎」、慶応大の言語社会学「鈴木孝夫」、早稲田大のマルチネ研究「川本茂雄」に加えて、東大のチョムスキー研究「藤村靖」の4つの講座を私は選択した。
 5月から週に2回2科目ずつ、大学の授業が終わった後JR渋谷駅前にあった「東急ビル」の7階に通い、10名くらいの受講生と共に夜学が始まった。隣の席には早稲田大のある教授が着物と袴姿で出席されて最新の言語理論を学びとろうとしていた。60年近く今も続くこのセミナーの第1期生としての誇りを私は大切にしているよ。
 母校の東京外語大で私は言語学を徳永康元教授に師事していた。先生は専門のハンガリー語に加えて世界の言語の顕学で、ゼミでは日本語の金田一春彦先生(アイヌ語研究の金田一京助の長男)も加わってアフリカ言語の研究会に参加した。しかし、当時の日本の言語学は「比較言語学」が中心。一方アメリカの学会では隆盛を誇った「構造言語学」に異を唱えて、MIT(マサチューセッツ工科大学)教授のノーム・チョムスキーが新たな言語理論を発表した。それがSyntactic Structures(統語構造)(Mouton, 1965)で幸運にも発売の翌年(1966)にその原書を手に入れ、MIT研修中に学んできた東大医学部の藤村靖教授から直接教わることができたのだった。 尾上
2023/10/12 (Thu) 23:48


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