「村山古道を登る」
今から160年ほど前の江戸時代末期、横浜のイギリス領事館から馬で出発したオールコック卿は、箱根を越え千本松原を過ぎて「田子の浦」から吉原の街に入ると東海道からそれて「村山神社」に向かった。ここをスタートに富士登山の「村山古道」で標高2500mの六合目にたどり着き、富士宮ルートで富士山頂「剣が峰」3776mに立った最初の外国人となった。オールコックが日本滞在記を書き残した書「大君の都」(岩波書店)にはそのように記述されている。(詳しくは7月14日のブログに書いたので参考にしてください。)下山には「須山登山道」を使って「宝永山」の火口から「御庭」と「水ケ塚」を通り裾野市須山の「浅間神社」に下ったらしい。(この神社も世界文化遺産の構成物の一つです。自動車の発達で消えかけていた須山ルートは最近地元の有志によって再興され神社でマップもいただけます。)
「海抜ゼロからの富士登山」は普通3泊4日のコースだけど、私は地元民の利を生かして3年前は7回に分けて都合のいい日に日帰りで登り継いできた。昨年秋から始めた第2回目は細かく12回に分け、今月6日のブログでお話したように、いよいよ五合目2400mから山頂まで登り切ったので、先週21日はそのルートの残り、二合目1600m〜五合目2400mを登って完結したよ。最近はゆっくりと歩いて1時間に標高差200mを稼げるから800mなら4時間だ。自動車道のスカイラインはくねくねと「七曲り」を登っているが、この村山古道は枯れ沢の「日沢」に沿ってまっすぐ森の中を登っていくのだ。道端には時折首無しの石仏や山小屋の跡らしきものがみられる。見上げれば富士山頂、振り返れば駿河湾の展望を楽しみながら、朝9時に出発して計画通り13時「宝永山」の遊歩道に着いた・・・
新米も店頭に並んでいよいよ全国で酒造りがはじまるね。日本酒と言えば、私の母校「甲陽学院中・高」は兵庫県西宮市の酒「白鹿」の醸造元「辰馬本家」が創立者だった。8年後に生れた「灘中・高」はやはり神戸市灘の銘酒「菊正宗」の嘉納家(講道館柔道の嘉納治五郎の親戚)が創立した。車なら15分、歩いても1時間半の近さで昔から文武両道でよいライバルだった。甲陽が高校野球で有名になれば灘高は柔道で名声を得た。共に大正時代から昭和にかけての教育ブームの時代のことだ。
1日のジャパンタイムズは日本酒の海外ブームを紹介して、見出しSake brewers push boundaries of perception (日本酒の醸造家、常識の壁をやぶる)を載せた。ワイングラスに日本酒、の写真にはSake is being enjoyed in unconventional ways, such as with cucumber.(日本酒が、たとえば胡瓜と共に伝統を破る飲み方で楽しまれてきている)のコメント。is being -edは「受動態の現在進行形」で「〜されつつある」の意味。The bridge is being constructed. (その橋は今建設中だ。)のように。 尾上









