「紅葉の名勝・六義園」
昨日のトレッキング例会は日頃の山登りではなくて、東京北区の「駒込駅」から「お茶の水駅」まで10キロ以上も歩いた。今回のテーマは「50年前にタイムスリップしよう」で、我々が学んだ東京外語大の跡地「北区西が原」から、明治時代の開校の地「お茶の水・昌平坂学問所」までをたどるコースだった。ここは国道17号線の「旧中山道」で、私たちはよく神田の本屋街に行くのに「巣鴨」から路面電車(別名、チンチン電車)を利用した。今はその都電も廃止されてその下を「地下鉄三田線」が走っている。
いつもの大学同窓4人にさらに4人が初参加してくれて記念すべき例会になった。静岡福祉大学の学長までやったKA君、元商社マンのKA君とMI君、そしてNHKの放送局で長年活躍したNY君。今は北区の「みんなの公園」として親しまれている思い出のキャンパス跡地に、予定の正午懐かしい顔が次々と現れたよ、4時間のウォーキングにふさわしいスタイルで。雨の予報だったから「長靴」を履いていたのは私だけ・・・。
3年生のOSさんは「関係詞」を勉強した。「私はあなたがしてくださる援助すべてに感謝しております。」は、I am thankful for whatever help you can offer me.がむずかしかった。「〜するどんな援助でも」はany help which〜とも言えるところに「複合関係代名詞」でwhatever helpに置き換えるわけだ。「社長は勤勉によって現在の地位を築いた。」はhis positionでもいいけれど、「姿」のwhatを使って「現在の姿はその勤勉のおかげ」と言い換えれば The president owes what he is to hard work. が正解だった。
KI君は前回「比較表現」のas much asなどが次の「数字」を強調する働きを勉強した。横浜市立大では As late as the second decade of the twentieth century, ・・・とあるから、as late asが「20世紀の二つ目の10年間(1910年代のこと)に」を「遅い」つまり「最近のこと」と強調している。「〜のようなつい最近になっても」と付け加えておくといいね。反対にas early asは「早く」、つまり「ずっと昔のことだが」 と次の年号を強調するよ。今日は「立教大」の長文と「上智大」の会話文問題をやって、「比較構文」のnot so much A as B「AというよりむしろBの方だ」をつかう英文を和訳した。
2年生のARさんは前回、「関係詞」のwhat が難しかった。「理科大」の「なぜ彼が誰にも告げす出国したか、私は理解に苦しみます。」は、「私を悩ますことは、なぜ〜したかだ。」の構文にして、What puzzles me is why he left the country の後にwithout telling anyone. と書くよ。今日は「比較構文」でTime is more precious than any other thing.「時間は他のどんな物よりも貴重だ。」はNothing is more precious than time.「時間ほど貴重なものはない。」のように「逆転」させることができたね。否定文で言い換えれば同じ意味になるね。
1年生のKAさんは前回「文化と迷信」についての英文を読んだ。It is true that the younger generation is not quite as superstitious, but it is best to be on the safe side whoever you give to. 「確かに若い世代が老人ほど迷信深くないことはその通りだが、誰にあげるとしても安全な立場にいるのが一番いい。」後半は no matter who you give toのこと。今日は「否定」の文法・作文をやってみた。1年生の文法の最後に出てくるから学校では教える時間がないかもしれない。暗記事項がたくさんあって難しい。notやneverのほかにhardly(ほとんど〜がない:程度)、seldom(めったに〜しない:回数)のような準否定の語句もたくさん覚えないといけないね。
御殿場教室は次回が年末の30日で休館日なのでお休みにします。次回は1月6日から始めます。お休みして教材が遅れている人は27日の裾野教室に出席できます。冬期講習の希望者は1月3日から三島教室で実施します。 尾上
Merry Christmas and Happy Holidays!
(追記)外語大旧キャンパスの正門を出て13時、気ばかりは若い老人8人が「都内トレッキング」に出発だ。まずは巣鴨駅からの通学路だった「染井霊園」の中を通り、近代日本文学の嚆矢で文豪「二葉亭四迷」先輩の墓の前で手を合わした。墓碑は「長谷川辰之助」の本名が刻まれた一枚岩の大きなものだった。「染井霊園」はこのような著名人の墓がたくさんあるが、江戸時代には「植木職人」の町で桜の名所だったそうだ。
次に向かった「名勝・六義園」のすばらしさには驚愕したよ。喧噪の大都会の片隅にこんな静寂の大きな空間が残っているとは!ここは江戸時代には柳沢吉保の大名屋敷で「心字池」をめぐる大庭園だった。松の銘木には積雪に備えて縄の「雪つり」がかけられ水面に映って美しいし、燃え立つような紅葉がまだまだ見ごろだった。ここでは仲間の足並みが乱れて予定以上の時間を食った。写真撮りに夢中のTA君や私、「茶屋」に立ち寄り一人甘酒を味わったON君。(つづく)
