「上高地のかっぱ橋」
蓼科の翌朝はすばらしい青空が広がった。おいしい朝食の後同窓の男性5人は隣接の「蓼科高原ゴルフコース」へ出発。同伴の奥様2人と私たち夫婦はホテル主催の「ワンデイトリップ」に参加することにした。希望者には「上高地」や「乗鞍岳」まで日帰りのバス旅行付きなのだ。今日はひさびさの「上高地」だ。御殿場から持参してきた車いすも載せてもらっていざ出発。運転手のガイドがすばらしく楽しいバス旅行の始まり。
上高地に入るには電車なら「新島々」の終点で、マイカーでも「沢渡」(さわんど)でシャトルバスに乗り換えないといけない。でも今回はホテルのマイクロバスだから乗り換えなしだ。平湯への分岐になる「中の湯」では検査がある。40年前には自分の車で「小梨平」のターミナルまで行けたのに。私たちは終点より手前の「大正池」で降ろしてもらって「かっぱ橋」まで歩くことにした・・・。
3年生TUさんは前回、seem to〜、appear to〜のある英文「電話は悪魔の発明品?」を和訳した。We are often awakened out of sound sleep by telephone calls. 「電話の音でよく熟睡から起こされる。」 このsoundは形容詞で、A sound mind in a sound body.「健全な魂は健全な身体に宿る」ということわざが有名。今日は「時・条件」の文法作文をやった。Weather permitting,はイディオムでIf the weather permits,のこと。「ほとんどすべての人が海外旅行をするようになる日も遠くはあるまい」は、The day will come soon when・・もいいけれど、It will not be long before・・のほうがもっと日本語に近い表現だね。
今日は「テーマ英作文」の対策として、自作のものをいくつか用意してきたので添削してあげた。「そろばんは時代遅れか?」では、まずそろばんの長所にも触れられるとよかったね。アナログ(analog類似性、類推)とデジタル(digital数値化、2進法の1 or 0)のちがいにも関係するからね。ところで「そろばん教室」ってまだあるんだね。私は小学校の3年生の頃「足し算引き算」まで習ってやめちゃった。家の廊下でスケート代わりに乗って滑って遊んだなあ。40年前まだパソコンもない頃、勤務した島田商業高校では「珠算」の科目があったよ。「情報処理科」の生徒は最新のコンピューター・プログラミングの授業も受けていたけど。
1年生のTU君は前回長文「ことばの力」を読んだ。feminism とfemininityの違いをよく理解できていた。単に「女性解放(運動)」と「女性らしさ」で片づけてはいけないということ。今日は中間テストの対策で、「不定詞」「動名詞」を中心に勉強した。It is necessary for you to get ready for the class. (君が授業の予習をするのは必要なことだ)とIt is nice of you to see me off at the station. (駅まで見送りに来てくれてありがとう)は、単に前置詞のforとofの使い分けでなく、「不定詞」の用法が異なるよ。
前者のfor〜to〜は「〜が〜すること」でSVの関係だ。そこをそのまま形式主語のItに代入してもよい。For you to get ready〜is necessary.のようにね。後者はItに何の意味もなくてYou are niceと同じ慣用表現だから、to〜は副詞的に「〜してくれて、〜するとは」のように「判断の理由」になっていることに注意しよう。 尾上
(追記)今も噴煙のたなびく「焼岳」もいい山だ。その噴火が梓川をせき止めて出来たのが「大正池」。むかし池の中に林立していた白い枯れ木もほとんど消えてしまった。湖畔や川岸は石がゴロゴロしているので、家内を車いすに乗せて舗装の車道を押して行くことにした。広い樹海と笹の海の中を森林浴しながらアップダウン。少々汗もかいていい運動だ。時折バスやタクシーがよけながら通り抜けていく。
林の向こうにチラチラと「上高地帝国ホテル」の赤い屋根が見えてきた。「また、あのビーフカレーが食べたいね!」と立ち寄ることにした。丸太づくりのホテルは山小屋風で美しい。クマの毛皮を壁に張ったサロンの「バー・ホルン」には長いアルペンホルンが2本飾ってある。あと一か月もすると雪に埋もれてこのホテルは雪解けまで閉鎖。従業員一同で窓を閉めて釘で止め、下山して東京日比谷の本店に帰るそうだ。
ホテルからは舗装の遊歩道ができていて歩きやすい。ノコンギク、サラシナショウマが時折咲いて、足元にまん丸いホコリタケの群落を見つけた。「小梨平」のバスターミナルを通り抜けて「かっぱ橋」が見えてきた。家族4人で来たのはもう40年も前の夏。「カッパさん、いないよ!」と叫んだ次男の声が懐かしい。家内も杖をつきながらなんとか向こう岸に渡れてマロンのジェラートに舌鼓。ガスが少しかぶっているけど「穂高連峰」はいつ見ても最高の景色だ。稲取高校の教師仲間と「奥穂高」に登ってからもう50年かあ。









