「江戸時代の英文法書」
「沼津市明治史料館」での2日間は驚きと感動の連続だった。大実業家「太田黒重五郎」の足跡を訪ねるうちに沼津中学の沿革で知られざる事実、つまり明治33年の開校以前にも一時「プレ沼中」があったことを発見できた、がそれだけでない。この史料館のすばらしいライブラリーのおかげで、江戸末期から明治に移行する時期の武家社会や政治の混乱ぶりと、しかし一般庶民は休むことなく毎日食べて寝て働いていたということが垣間見えたよ。
まだ「オランダ語」や「中国語」が全盛の時代で「英和辞典」はなかったけれど「中国語―英語」と「英語ー中国語」の辞書を見せてもらって感激した。表紙には「華英詞林」「英華辞典」となって学生は中国語を通して英語を学んだようだ。学芸員のKIさんはさらに「英文法」の教科書も見せてくれたよ!ロンドンで発行されたEnglish Grammarの小冊子に上から「伊吉利文典1850年版」と書いた表紙をかぶせて、有名な哲学者「西周」の校閲のもと江戸の「又新堂」から発行されていた・・・。
3年生のNAさんは前回「分詞構文」を使う英文はとてもうまく訳せていた。「中央大」のIt was a pleasant evening with the air warm against my cheek, the trees standing out clearly, leaves filling out against the beautiful skyline.「付帯状況のwith」で3つの状況が冒頭の「気持ちいい晩でした、」の理由として追加されているね。「空気がほほに温かくあたるし、木々がくっきりと立ち上がっているし、(まだほんの3月なのに)木の葉が美しい空を背景に茂っていて」と。with+名詞+-ingが「主語・述語」の関係なんだよ。今日は「動名詞」の整序と作文をやってよくできていた。
2年生のYAさんは前回「比較」の整序と作文をやってよくできていた。作文では「勉強すればするほど自分の知らなさ加減がわかるものだ。」は、「知らなさ加減」がhow little we know(どれほど少ししか知らないか)と書ければ、The more we study, the more clearly we understand how little we know. 「ますますはっきりと理解する」と補うといいね。今日は「仮定法」の文法と整序作文をやった。「立命館大」の「もう少し慎重だったら、彼女はずいぶん苦労しないですんだのに。」は動詞にspareを使うとすればどうする? スペアタイヤのように「使わないでおく」の意味だからspare+人+苦労、の語順(SVO)で「人に苦労を与えない」の意味だ。ちょうどgive+人+物、と反対の意味だけど同じSVOだね。A little more care would have spared her a lot of trouble.のように主語が「人」だけでなく「無生物」(もう少しの注意)でもOK なんだ。
1年生のMA君は会話の問題で 'Actually, I never thought you'd be invited to Ingrid's dinner party.' (実は君がイングリッドの夕食会に招かれるとは思わなかったよ。)に対しては「私もそうだよ。」、つまり「私もそう思わなかった」はI didn't, either.かまたは「倒置」にしてNeither did I. というんだ。肯定のSo am I.なんかと同じだね。今日は「仮定法」の(3)を勉強した。as if SV〜(まるで〜であるかのように)、If only SV=I wish SV (〜であればなあ)など、特殊な働きを勉強した。しかし「今」の事実の裏返しは「過去形」で書くし、「昔」なら「過去完了形」だ。3枚目のプリント「名詞節」は整序と作文の入試問題で、すこし難しいけどできるだけ挑戦してみてほしい。家でやってみて次回提出してくれれば添削します。 尾上
(追記)さらに大きな発見は「ロシア語」の小さな辞書だった。榊という人物が著した「魯西亜字全」という小さな「お経本」のような体裁で、33文字のアルファベットとその読み方の説明があり、その後がちょっとした単語帳になっていて、皇国語―魯西亜語―和蘭語(つまり、日本語―ロシア語―オランダ語)の順に三段組で対比させた重要単語がカタカナ読みをつけて載っていた。しかし読み方が半分でたらめで、よくもこんなもので勉強ができたなあと感心したよ。
江戸時代は幕府の鎖国政策で、外国の文物は長崎の「出島」から中国とオランダのものしか手に入らなかった。しかし、江戸末期になると黒船来航によるアメリカ、イギリスとの通商も始まり、大黒屋光太夫のような漂流民がロシアから持ちかえった知識も入って、外国語の学習が大いに盛んになったらしい。「プレ沼津中学」を出た「太田黒重五郎君」が明治13年に「東大」入試に落ちて、東京外語のロシア語科を選んだとは!!









