「中野サンプラザ」
今年もまた東京・中野に行って小学校時代の「梅組」の幼馴染たちと楽しい時間が持てたよ。万年幹事で牛乳屋のSU君から往復はがきで同窓会の案内が届いたのですぐ出席の返事を書いておいた。一番の仲良しだったUE君も、一番の秀才で麻布中高から東大に行ったTO君も鬼界にはいり次第に寂しくなる一方、兵庫県西宮にいるKOさんが初参加と聞いて楽しみにして行った。
今回も「中野サンプラザ」の展望レストランに男10人女5人が集まりそれぞれの思い出話に花が咲き、おいしい食事そっちのけでテーブルの上をにぎやかな声が飛び交ったよ。国際結婚してウイーン在住のMAさんが年に一回里帰りするたびにこの同窓会のお知らせが届く。小学校の頃に来日した「ウイーン少年合唱団」の印象が大人になってからも消えずヨーロッパに渡って国連の職員になって以来ずっとオーストリアに住んでいるそうだ・・・。
3年生のYAさんは前回「新潟大」の英文「英国人の会話」を和訳した。The English prefer conversation with a stranger to be cheerful and pleasant but impersonal.「イギリス人は初対面の人との会話が明るく楽しいものになっても個人的にならないほうがいいと思う。」は、SVOCの文型で「〜が〜であることを好む」の意味だね。4行下にも同じ文型があってThey also do not like casual conversations to become too serious.「彼らは気楽な会話があまり深刻になりすぎるというのも好まない。」今日は「不定詞」の整序と作文をやったらどれも正解が出せた。
MAさんは「受動態」の整序と作文をやった。「青山学院大」の作文「雨が何週間も降り続いてダムが決壊し、村はたちまちのうちに洪水で流されてしまった」は、It kept on raining for weeks, the dam was destroyed, and the village was washed away by the flood at once.のようにSVの文が3つ連続していたら、SV〜, SV〜, and SV〜と書けばいい。「京都産業大」の英文「テレビ番組の影響力」を和訳した。The current programming devotes itself almost exclusively to entertaining, thereby falling far short of its natural potential.が難しかった。「最近のTV番組はほとんど娯楽だけに集中していて、その結果本来持っている潜在能力にとても及ばない。」後半は分詞構文だから, and thereby it falls・・と言い換えできる。
2年生のADさんは前回「よい勉強の習慣」を和訳した。Because of lack of sleep, some students don't do well in their examinations.「寝不足のために、試験で良い成績が取れない生徒もいる。」Because ofは「理由」の前置詞だから「〜のために」と訳す。今日は「動名詞」を使ったイディオムを2つ勉強した。It is no use 〜ing・・・(〜しても無駄だ)と、There is no 〜ing・・・(〜することは不可能だ)がとても似ているので要注意だ。「君たちが弁解しても無駄です。」はIt is no use your making excuses.このyourは「動名詞」の意味上の主語の働き。
SU君は前回「動名詞」の慣用用法を勉強した。It goes without saying that teenagers should have a quiet, comfortable place in which to study. 「10代の若者が勉強するための静かで快適な場所を持つべきであることは言うまでもない。」の前半も重要なイディオムだ。今日は「助動詞」の単元に入った。must、may、can’tが普通の意味のほかにもう一つ「推量」の意味があって、100%確実と思えばmust(〜に違いない)、20%くらい本当だと思えばmay(〜かもしれない)、まったく0%だと思えばcan’t(〜のはずがない)の意味を確実に覚えておこう。さらに「助動詞+完了形」も勉強した。例えばHe may have lost his way.は、「彼は道に迷ったのかもしれない。」のように、昔の行為に対して「推量」を加えているね。 尾上
(追記)私の母校は中野区立桃園第三小学校。今は統合されてその名が消えているけど昔は麻布や開成、武蔵など名門中学への進学で密かに知られた小学校だった。杉並区高円寺に住んでいたのに私もわざわざ越境して中野駅近くの学校まで歩いて通っていた。「孟母三遷」ではないけれど、父母よりも教育に熱心だったのは私の祖父で、科学の心を養うから読みなさいと言って手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」が毎月連載される雑誌「少年」を買ってくれたのも祖父だった。
昭和25年、2年生の時我が家がやっと新築できて引っ越したので、渋谷区から中野区の小学校に転校した。4年間ずっと担任だった故中山清太郎先生の思い出が今もよみがえる。65人ものマンモスクラスなのに子供一人一人をとても大切にする先生だった。先生の家にお呼ばれしたことも、先生の野球の試合を応援に行ったのもいい思い出だ。名門私立中学への進学指導にも熱心だった。
