「阪神淡路大震災から25年」
1・17は西宮でも大きな被害を受けた。母校・甲陽学院高校は昔は「甲子園球場」のすぐ前にあったのだが、40年前に阪急甲陽線の「甲陽園」の山の手に移転して新校舎だったので被害は少なかった。夙川が海にそそぐ阪神「香櫨園」にある「中等部」はこの大震災では木造校舎の倒壊やひび割れで被害が大きかった。中学では両親とともに家屋倒壊で1年生が犠牲になり、わたしと同じC組だった長宅君もその時家具の下敷きになって亡くなった。
震災後につづられた「甲陽震災記」(1997)を読むと、14(土)15(日)のセンター試験を終えた3年生は16日(成人の日の振り替え休日)に登校し「自己採点」をやった。先生たちはその結果を受験予備校など各社に郵送してひと段落した、その翌日未明に大規模な震災が阪神地域を襲ったのだった。困難な家庭状況の中で受験生は二次試験に向かって一層奮起したらしく「京都大学」には前年より20名増の93名が合格したとの記録がある・・・。
3年生のTUさんは前回 「中央大」の英文「子供の感性を育てよう」がとてもよく読めていた。If you are a parent who feels he has little nature lore at his disposal there is still much you can do for your child. 「もし自由に使える自然の知識がほとんどないと感じている親でも、子供のためにできることはまだたくさんある。」イディオムat one's disposalは「〜の自由になる、思いのままになる」の意味。dispose(処理する、処分する)の名詞だ。今日は「前置詞」の整序と作文をやってどれもよくできていた。
ARさんは前回「名詞節」の整序と作文をやった。「私の言う冒険なるものを説明したほうがよいでしょう。」はI had better explain what I mean by 'adventure,'で、「冒険という単語で私が何を意味しているか」と言い換えればよい。和訳ではI differ in a number of respects from most of my countrymen. 「自分の国のほとんどの人たちと私はいくつかの点で異なっている。」 respectのもう一つの意味に注意。形容詞でもrespectable(ちゃんとした、まともな) respectful(敬意にあふれて)に対してrespective(それぞれの)や副詞のrespectively(それぞれ)があったね。今日は明日からの「期末試験」の対策に専念した。
1年生のTU君は前回、「名詞節」の整序問題で「私を死ぬほど退屈させたのは何よりも彼の話だった。」が難しかった。まずは「退屈させる」の他動詞boreが人を目的語にするとわかれば、His speech bored me to death.が書ける。それを「強調構文」に書き換えると、It was his speech that bored me to death. ここでは主語を切り取って、前方のIt wasとthat の間に「移動」させるのだ。日本語でも「・・なのは〜だ。」のように強調したい語句を最後に移動させるよね。今日は「英検」のための対策勉強に専念した。
ご父兄の皆様へ・・・今日でセンター試験がすべて終わり、受験生は実力を出し尽くしてほっとしているところでしょう。私大の試験と国公立二次に向かってまだまだけわしい道が続いています。栄冠の獲得までコツコツと進んで行きましょう。また、来年から「新方式」に代わるという話ですが、解答をコンピューター処理する方式ならこれ以上変えようがありません。1,2年生も安心して今の勉強法を続けてください。明日20日の三島教室はお休みです。商工会議所が月末まで「放送大学」の期末試験の会場として貸し切りになります。そのため、いつものお正月休みをこの日に振り替えました。27日も無理でやっと月末の31日が予約できました。次の三島教室は31日(金)になります。その間の勉強を希望する生徒は、木曜日の「裾野教室」か日曜日の「御殿場教室」に出席してください。 尾上
(追記)阪神淡路大震災のあった年から5年間毎夏、沼津「大中寺」で開催された「言語学講座」の合宿勉強会がきっかけで若い大学教師や院生たちと親しくなって、彼らの助言もあって1998年には「大学院」進学を考え始めた。「東京学芸大」の院なら「付属高校」などの現職の教師のために夜間の講座もたくさんあったのでそこを目指した。東京駒場の「東大・教養学部」には知己の西村義樹教授、本郷の「東大・文学部」に入っていれば高校の後輩の渡辺明教授に教わっていたかもしれない。
「大学院入試」のための「言語学大問題集163」(大修館1997)を友人に紹介されてまずは「過去問」から勉強を開始した。がんばったおかげで翌年「東京学芸大学・大学院」に合格し20代の学生たちと机を並べた。「東高」の午前の授業を終えた金曜日と土曜日の2回だけの通学で単位が修得できるように担当の教授たちが時間割を調整してくださった。そのおかげで「英語教育学修士」(マスター)の学位をとることができた。(つづく)
