「富士宮の開墾」
週末は「歴史探訪」としゃれこんで、裾野市須山から十里木を越えて山側から富士宮市の「万野原新田」に行ってみた。富士宮駅近くの「浅間神社」から富士山に向かう登山道をすこし下っていくと「大富士小学校」があるあたりだ。今は果てしなく住宅が立ち並ぶ地域だけど、昔は水利のない砂漠のような山麓で、ここにやってきた明治初めの入植者たちはどんな苦労をしたのであろう。さあ、自転車を組み立てて「歴史コース」のマップをもって出発だ。どこも坂道だらけだけど。
地区の中心にある「法華寺」に寄ってご住職から地域の歴史をうかがった。徳川の家臣団が江戸からこの地に移ってきて開墾に励み、創建されたばかりのこの寺の檀家にもなった。「しかし慣れない仕事でほとんどが離れていき、かつて士族だったお家は今数軒だけです。小牧という家は初めて聞きました」と。実はこの「小牧重五郎」の一家について情報が欲しかったのだけど・・・。
3年生のTUさんは前回「三重大」の英文が少し難しかった。I would be better offは仮定法で「もっといい暮らしができるだろうに」の意味。このoffは形容詞で「暮らし向きが〜」の意味。be well-off(いい暮らしをしている)とか反対にbe badly-offのように一語でもいう。be comfortably offは「楽な暮らしをしている」。今日は「仮定法」の整序と作文をやってかなりよくできた。明日はいよいよ「卒業式」だそうだ。
INさんは今日は「名詞節」の整序と作文をやってほぼすべて正解だった。長文問題では「宮崎大」の「人の上手なほめかた」を読んで設問が難しかった。その例を3つ挙げる問題で、その一つの例はA lady mentioned the brightness in his eye.と書いてある。直接話法ならShe said, “Your eye is bright !”と言って夫人は凱旋将軍を上手にほめたんだね。
TU君は2月末でもう期末テストが終わったそうだ。コロナウイルス対策で全国一斉休校になる前でよかったね。今日は「特殊構文」を4つもまとめて勉強した。「部分否定」では、The boss isn't quite satisfied with our plan.「上司は我々の計画に完全に満足しているというわけではない。」every、both、allのような「すべて」つまり100%を示す語句が否定文で見つかったら、「すべてが〜であるとは限らない」と和訳する。notは文全体を否定する働きで、ここでは「100%ということはないよ」の意味。always necessarily、completelyなどの副詞もそうだ。
御父兄の皆様へ・・・3月に入り、「UG会」の計画書に変更があります。先日のブログ日記でお知らせしましたように、「三島会場」が先月末で閉鎖となり、「裾野」と「御殿場」の2会場になりましたので書き換えをお願い致します。少々早めですが、新しい令和2年度4―5月の「予定表」を黄色い紙で本日配布しました。
同時にお配りした赤い紙は「生徒募集」のチラシ見本です。来週、御殿場・裾野・長泉の一部地域に新聞折り込みを依頼して配布してもらいます。それでも皆様の口コミ、ご推薦、ご紹介こそが一番の頼りになります。よろしくお願いいたします。
数人の3年生は大学決定の後も英語の力を落とさないようにUG会で勉強を続け、大学でもすぐに必要となるTOEIC検定の対策に頑張っております。英語と数学は他の教科と違って「記号」を使いますから、記憶力+運用能力(計算力)が必要で毎日の心がけがないと(油を注していないと)、すぐに鈍ってしまいます。 尾上
(追記)「小牧重五郎」は明治時代に、東京外国語学校で後の小説家「二葉亭四迷」と共にロシア語を学んだ人。後年名家の婿に入り「太田黒」の姓となり「東芝」の創立時の功績で大成した大実業家なんだ。私の大学ロシア語科の大先輩になることを、昨年の春東京・荻窪で友人の案内でおとずれた「太田黒公園」で偶然発見して以来、興味津々で調査を続けてきた。沼津・江原公園にある「明治史料館」にも何度か行った。この秋発行のロシア科の「同窓会誌」にわたしのレポートが掲載されることになっているよ。
明治時代の初め、江戸を追われた徳川家臣団で駿府城に採用されなかった武士たちが、砂漠のようなこの富士山麓に入植して開墾を始めた。刀を鍬に持ち替えて慣れぬ仕事に疲れ、数年後「廃藩置県」になって新しい東京に戻っていったものも多かった。小牧もその一人で、長男・重五郎は寄宿しながら沼津の小学校(今の第一小)と沼津中学(今の東高の前身)で学んで、東京外国語学校に進学しのちに大実業家として大成する、という人物の「歴史探訪」だった。(次回木曜日につづく)
