「村山神社開山祭」
7月10日は富士山の山開き。ただし静岡県側だけのことで山梨県側では1日すでに登山が始まっていた。同じ山で、残雪の多い北側が先とはおかしな話だね。さて、富士宮市では今年も「富士山本宮浅間大社」と「村山浅間神社」の二か所で「開山祭」を実施するというので、私はまず先に「村山神社」に行ってみた。神社の駐車場が改修されて広く立派になりそこに立つ金色の胸像の前で献花式が行われていた。江戸時代末期に外人としては初めて富士山に登った英国の外交官オールコック卿だ。その著書「大君の都」によると、箱根を越えて沼津・原・吉原に至り、そこから東海道を外れて「村山」を訪れた。
たぶん「田子の浦」からまっすぐ登ってきたのだろう。「大宮(富士宮)」には寄っていないと思う。ここからは当時の登山道「村山古道」をたどって山頂3776mに達したらしい。英語の先生の性分で、その胸像の隣にたつ石碑の英文と和訳(岩波文庫)を対照してみた。「大宮と森山という2つの村があった・・」の訳がオカシイヨ!原文のMooriyamaは当然「村山」でしょう!なぜならオールコックは「沼津」をNoomadzと書いたから。footとかgoodのように-oo-は「ウ」なんだ。「オ卿顕彰会」代表の犬上老人にお会いして指摘したら「ええ、承知してますよ」と笑顔。しかし横にいたオヤジが「ワシが建てたのに文句あるのか?」と噛みつかれたよ。そこだけは彫り直してほしいな。
「開山祭」はイギリス大使館の人や私の愛読書「村山古道を歩く」の著者・畠堀氏、他県からのファンも含めたくさんの見物客に見守られ盛大に行われた。山伏たちがほら貝を吹き経文を唱える中、地元の中学生による「水垢離」から始まった。白いふんどし姿の男子に混じって女子たちも白い薄衣を着て頭から滝の水に打たれて身を清めている。なかなか勇気ある若者たちだ。次に山伏たちは登山口に向かう。京都の「聖護院」から来た門跡が経文を唱えてから神の世界との「結界」の綱を日本刀でバッサリ!と切るというのも面白い。いよいよ山開きだ。山伏たちに続いて富士宮市長ほか多くの参加者も石畳の登山道を登っていく。
一回りして戻った山伏たちに神社の禰宜たちも同席して「護摩炊き」行事が始まった。世界平和・家内安全などの願掛けをした「ごま木」を次々と燃える祭壇に放り込む。明治時代この村山は、天皇を神とあがめ「神道」一本にしようとする新政府によって「廃仏毀釈」運動が吹き荒れる中、「村山神社」の隣に残った「興法寺」を村人たちがかろうじて存続させた「神仏混交」の珍しいケースなんだ。「水垢離」だけでなく地元の富士根北中の生徒たちによる歌舞伎「勧進帳・安宅の関」の場も面白かった。山伏に扮した弁慶と関守富樫の問答をたどたどしいセリフで語ってる・・・
今週LINEグループ「英字新聞を読む会」に送った記事はParasols are an age-old solution to today’s crippling heat(日傘、最近の酷暑に昔からの対処法)。雨傘、日傘が紀元前から多用途に使われてきた歴史に触れ、日本の番傘が日常生活や歌舞伎の舞台にも利用されたと述べる。最後のしめくくりにParasols in Japan today represent a meeting of fashion and of function — as well as our desire to control our comfort in both rain and shine. (日本の傘はファッションと機能性をあわせもつよ。もちろん雨でも陽ざしの中でも安心できるが。) A as well as Bは「Bは当然だけどAまでも」と、Aを強調する用法。逆にNot only B but also Aと書いてもいい。
And given their long history in Japan, when it's time for you to choose a parasol this summer that fits your fashion and health needs, not even the sky is the limit. (日本には傘の長い歴史があるから、この夏は自分の好みに合い、健康のためにもなるような日傘を選ぶといい。その可能性は無限だ。)文頭は「受動態の分詞構文」でAs you are given〜のこと。最後の文は諺でThe sky is the limit.(空が限界だ=限界はない)を強調したもの、つまり「傘の利用価値は(晴雨を決める)空でさえもない、宇宙の果てほど無限だ」の意味だね。 尾上
