高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


Merry Christmas to you all !
Merry Christmas to you all ! <e234e>
2023年12月24日(日)御殿場市民会館にて
「特急あずさで白馬へ」
 アルプス登山の基地上高地の清流「梓川」からその名がついたという中央線の特急「あずさ」に始めて乗ることができた。人気の「白馬スキー場」に行って雪山を歩いてスノートレッキングをやってみたい、との思いで計画した。しかしスタッドレスタイヤに交換したとはいえ、マイカーで雪道を走る勇気はないので久々に列車旅行に決めた。新宿発「特急あずさ5号」が朝の1本だけ白馬駅に直行するので、「甲府駅」から乗車すればわずか2時間少々だ。それで21日の朝「御坂峠」を越えて「石和温泉駅」に駐車して各駅で甲府駅に向かった。特急は「上諏訪」「塩尻」「松本」をすぎるとほぼ各駅停車になり「大町」あたりから景色が白くなりだした。ここは雪国だ!
 ほとんど外人ばかりのスキーヤーに混じって「白馬駅」のホームに降り立つと真っ白な世界、寒いっ!昼食の後はホテルに荷物を預けて、街に出て雪道を歩くうちにスキー場に着いた。曇り空の墨絵の世界に2本の白いジャンプ台(白馬ジャンプ競技場)が見えてきた。1998年オリンピック冬季大会はここで開催され、日本がジャンプ団体(男子4人)で優勝した記念のスロープだ。個人でも舟木が1位、原田が3位になったラージヒルが右側だ。
 翌朝はいよいよ「岩岳スキー場」へ。送迎バス20分、ゴンドラ10分を乗り継いで山頂1289mには10時に着いた。長靴で雪に足を突っ込んだら膝上まで埋もれてしまうほど。いよいよ「かんじき」をセットして歩き始めた。新潟産で「まんさく」の枝をまげて輪を作り麻のヒモで結わえるもので実に軽くていい。スノーモービルで固めてくれた雪道は歩きやすい。山頂標識「岩茸山」を見つけ記念撮影。「白馬三山」とは「白馬岳」「杓子岳」「白馬槍岳」のこと、その最高の展望台にきた、が見えない。15年前に登った山稜のイメージを瞼に浮かべて我慢だ。山小屋のレストランが開業していてなんと大好きな「ボルシチ」が飲めたよ・・・

 3年生のMUさんはWe do not know the blessing of health until we lose it.(健康を失って初めてそのありがたみがわかる。)の強調文に二つある、と学んだ。Not until we lose health do we know its blessing.は、「否定語句」を文頭に出して強調した場合で、SVが疑問文のように「倒置」している。It is not until we lose health that we know its blessing. はいわゆる「強調構文」 It is〜that・・を使った場合だ。和訳ではThese machines seem to have been installed everywhere for hundreds of purposes for which no one could have imagined they would be used. が難しいけどほぼよかった。完了形の不定詞と「could+完了形」に注意して、「こういう機械は、その使用の目的が昔はだれも想像できなかったような何百もの目的のために、いたる所に設置されてきたようだ。」後半はthey would be used for the purposesを前文につなげるためfor whichとしてpurposesの直後に「移動した」ものだ。
 OK君はanything but〜が否定語neverと同じ意味であると覚えた。butがexcept(〜を除いて)の意味だからnothing but〜も「〜以外の何物でもない」から「ただの〜にすぎない」でonlyと同じ意味になるね。今日の和訳ではfindの第2の用法に気づかなかった。We have long dreamed of journeying to the moon. If this were possible, we should find the experience anything but enjoyable.でanything butはneverと同じ意味だから、「我々は昔からずっと月旅行を夢見てきた。(しかし)これがもし可能だとしたらその経験は決して楽しいものでないとわかるだろう。」後半はI find the book interesting. (その本は面白いと思う)と同じ文型SVOCだから「見つける」ではないね。
 二人とも今年はしっかり学力がついたね。この冬休みが終わればいよいよ「共通試験」だ。1月13日まであと3週間、残り時間を有効に活用してさらに高みを目指そう、ガンバレ!Merry Christmas to you all ! Toshioki Onoe, Dec 24, 2023
2023/12/24 (Sun) 23:13


普門バンドフェスティバル
普門バンドフェスティバル
2023年12日21日(木)「皇居一周トレック」
 大学同窓の仲良し4人組が定年後に山登りを始めて20年近くなる。皆が傘寿を越える年齢になってさすがに足腰が弱り意欲も減退したが、それでも東京の街中なら歩きやすかろうと「都内トレック」に切り替えて年に2回実施してきた。20年前まで母校があった北区西ヶ原を起点に、江戸時代の名所旧跡を訪ねて歩くのだ。この4月には「吉原」から隅田川を経て「浅草雷門」まで10キロくらい歩いた。一昨日19日はその6回目。また私の提案で、九段下を起点に皇居を一周しようというもの。江戸時代の「蕃書調所跡」から始め、最後に一橋の「東京外国語学校発祥の地」に立つ記念碑を見てゴールは懐かしの神保町古書街で「忘年会」という企画だ。
 早朝東名バスで東京へ。地下鉄で懐かしの九段下の「九段会館」に着いた。地下の食堂でひとりランチをとり、集合場所の「昭和館」に行くとまだ時間があるので入館してみた。丁度小学校の生徒たちが大勢社会見学にきていてにぎやかだ。戦中・戦後の祖先の生活をバーチャルにリアルに見せてくれる素晴らしい展示で、暗いニュースの中で子供たちにはとても良い反戦教育になると思う。12時に予定の4人が集まったので出発だ。まず「田安門」から「北の丸公園」へ。「武道館」から「千鳥ヶ淵」へ。「半蔵門」から「桜田門」へと皇居のお堀端をのんびりと歩く。圧巻は初めての「江戸城本丸」だった。天守閣はないけど江戸城で最高所に立つことができたよ・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその8回目。
 御殿場南高校に赴任して吹奏楽部顧問と指揮者になってから忙しい毎日が始まった、毎年夏には50人出場の「吹奏楽コンクール県予選」、冬には少人数で楽器ごとに演奏する「アンサンブルコンテスト」、そして春休みには南高定期演奏会「雪どけコンサート」という3つの大きな行事で一年中休みなしだった。土日祝日も学校で一日練習するから家族サービスはその合間にちょこっとだった。二人の息子たちを夏は夕方帰宅後箱根芦ノ湖に連れて行き「海賊船」の最終便に乗せるとか、冬は富士山中腹のスキー場に行ってナイターのスキーを楽しむとか。家内は「私は部活未亡人!」とぼやいていたなあ。それでも思い出の自慢話が一つある。
 1986年東京杉並の「普門館」で開催された「普門バンドフェスティバル」に招待され、巨大なホールの舞台に立てたのだ。そこでは毎年10月に吹奏楽コンクールの全国大会が開催されファン憧れの「甲子園」だった。この会場はカラヤン指揮のベルリンフィル演奏会が3回も開催されたことでも有名。南高は毎年県のコンクールで上位に入賞していたので、応募したらテープ審査に合格して他の関東の数校と共に憧れのステージで演奏できた。曲目も管弦楽曲をアレンジしたGガーシュインの2曲「パリのアメリカ人」と「歌劇ポギーとベス」をやった。在学中の部員50人に卒業生も大勢加わって70人という大編成で、楽しくのびのびと素晴らしい演奏を聞かせたよ。 尾上
2023/12/20 (Wed) 23:47


世界で一番大きな辞書
世界で一番大きな辞書
2023年12月17日(日)御殿場市民会館にて
「田子の浦の軍艦」
 2年前の秋、「海抜ゼロメートルからの富士登山」をやった懐かしのスタート地点「田子の浦」に行ってみた。「生しらす丼」が評判の「田子の浦漁協」の食堂に来た。港の向こうには雲ひとつない真っ青な空のもとに真っ白に冠雪した富士山が美しい!白い漁船が20隻も並べて係留してある岸壁の目前、朝の競り市が終わった漁協の屋根の下に長机をいくつも並べただけの食堂が営業していた。自販機で見たら「生しらす丼」はもう売り切れだったよ!観光客よりは田子の浦周辺の多くの工場で働いているらしい制服の人たちがおおぜい昼食に来ていたせいかな。代わりに「海鮮丼」を食べてみたら美味いこと!イカもマグロも実に新鮮で甘みがあって漁港ならではの味わい。
 海岸に移動して「田子の浦みなと公園」にあるロシアの軍艦「ディアナ号」をかたどった小さな帆船に行ってみた。幕末に下田港に来た時に津波で破損して、修理のために戸田に向かう途中この田子の浦で沈没したという。その甲板で海を見ていると、インド人かなと思われる3人組が階段を上ってきた。話してみたらバングラデッシュ人だという。2人の男の子の一家はドバイに住み日本に観光に来たので、26年前から日本に住む叔父が今日は富士山を見せにこの「田子の浦」までやってきたという。10才くらいの男の子たちは日常はドバイの学校でアラビア語を話し、家では母語のベンガル語で、時には共通言語の英語とフランス語を使い分けるという。子供の言語能力の高いこと・・・

 3年生のOK君は「二重否定」の構文never〜without -ingを勉強した。そのまま「・・せずには〜しない」と直訳するよりも、「肯定文」で言い換えて「〜すれば必ず・・する」Whenever SV〜,と和訳したほうが良い場合が多い。Reading is a contract and an exchange between two people: the writer and the reader. (読書は著者と読者という二人の間の約束であるし意見交換である。)という英文で、The reader is not being given something without contributing something.でも、直訳よりは「読者は(著者から)何かを与えられている時には必ず(著者に)何かをお返ししているのだ」の方が優れている。動詞が受け身の進行形になっていることにも注意しよう。
 MUさんは「言語」ついての英文を和訳した。Most of us , it is true, can get along fairly well without knowing very much about our language and without even taking the trouble to open a volume of the Oxford English Dictionary. 「なるほどたいていの人が、自分の言葉についてあまりよく知らなくても、わざわざOEDを一巻開いてみるまでしなくてもまあまあうまくやっていける。」で、和訳は無難にできたけれどこのwithout〜(前置詞句)を節で言い換えよ、という問題に困ってしまった。節とは「接続詞+S+V+〜」のまとまりをいうのだから、even if we don’t know〜が正解。関係詞や疑問詞でも節と呼ぶよ。
 ちなみに、一般にOEDと呼ばれているのは「オックスフォード英語辞典」のことで、オックスフォード大学出版局から出ている世界で一番大きな辞書のこと。初版が1928年に、第2版は1989年に60万語が収録され全部で20巻もある。大学の図書館にはたいていあるが、私はこの第2版のCD-ROMを教授から借りて2000年に修士論文を書いた。さらに、第3版が2010年にその倍の40巻で発行されている。その後今でも次の改訂版をめざして語彙の収集作業が続いているそうだ。日本にはそれに類するものはない。すべて民間の出版社で、最も大きな国語辞典は「小学館」の「日本国語大辞典」第2版2003年発行、14巻50万語だ。「岩波書店」の「広辞苑」は1955年初版、第8版が2019年発行で1巻25万語。 尾上
2023/12/17 (Sun) 23:50


セロ弾きのゴーシュ
セロ弾きのゴーシュ
2023年12日14日(木) 
「通訳ボランティア」
 「UG会」の授業でお借りしている市民会館の掲示板に「通訳ボランティア募集」のポスターをみつけた。「そうだ、ウクライナ戦争の難民が日本にも逃れてきているそうだ。自分にも何かできることがありそうだ」と思い、それで昨日は思い切って御殿場市役所の中にある「国際交流協会」を訪ねたら、やはり御殿場市にもウクライナ人が来ているらしい。そこで少々忘れかけているけれどロシア語とさらに英語の通訳ボランティアを登録してきた。ウクライナは30年前までソビエト連邦の一員だったから、ゼレンスキー大統領をはじめほとんどの人が隣国のロシア語を話すことができるはずだ。協会からなにか連絡があるのを待っている。
 今年はこれで私のボランティア活動が3つになった。5月から始めた「山梨県富士山科学研究所」のネイチャーガイド(自然解説員)は今シーズン3回だけだったが、付属の「生態観察園」を案内して溶岩や樹木や野草の話を聞いてもらえるのは実に楽しかった。9月には「御殿場市生涯学習」の講師に採用され、「英字新聞を読もう!」という教室で募集したら4人の女性が参加してくれた。御殿場駅前に新しくできた2階建ての「けやきかん」はユニークな「市民サロン」で、「生涯学習」の特別教室が無料で利用できる。最新のOHPを駆使して、スマホの画像や動画もスクリーンに拡大できるんだ。まだ心身ともに元気でいるうちにできるだけ社会貢献できるといいなと思う・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその7回目。
 1976年の夏休み、私はヨーロッパ8カ国の一人旅に出た。母校外国語大学のオーケストラで親しかった後輩の澤君の一家が三和銀行のロンドン支店に駐在していたのでそこに居候して一緒にオックスフォード旅行することができた。そのあとはドイツに飛び、先輩でチェロ弾きの内藤さんがドイツ女性と一家を構えてフランクフルトに住んでいたので、そこを拠点に「オリエント急行」の路線を乗り継いでアルプスをぐるっとひとまわりし、ユーゴスラビアまで旅することができた。彼の紹介でドイツ製の中古チェロを購入し、帰国の飛行機では機内持ち込みで抱えて帰ってきた。トランペット、サックス、ホルンなど管楽器専門だった私が初めて憧れの弦楽器を手にした年だった。
 静岡大学の松下教授に何度か指導を受けたがほとんど独学で少しずつ上達した。1979年、御殿場南高校に転勤してからは吹奏楽部を自分で指揮するようになったので、「楽団員の立場で指揮者を見てみよう、」と考えオーケストラの一員としてチェロを弾こうと三島市の「駿河管弦楽団」に入団した。そこでは韮山高校の花本成蹊先生と出会い一緒にチェロを弾くことになった。数学が専門教科で吹奏楽部の顧問でもあった先生はクラシック音楽にきわめて造詣が深く親しくしていただいた。定年で韮高を退職し、暁秀高校の講師に転じた後も管弦楽団の最長老として弾き続けその早い死が惜しまれた。合掌。 尾上
2023/12/14 (Thu) 20:55


カンマとセミコロンの使いわけ
カンマとセミコロンの使いわけ
2023年12月10日(日)御殿場市民会館にて
「新道峠ツインテラス」
 「河口湖」の北側に壁のようにいくつもの山々が連なって「西湖」に向かっている。それは「御坂山塊」と呼ばれて、「御坂山」と最高峰の「黒岳」から西の「十二ケ岳」や「王岳」までずっと富士山を見ながら尾根歩きが楽しい人気のハイキングコースなんだ。車で甲府に行くには国道137号で東側の「河口湖」から「新御坂トンネル」か、西側の「精進湖」からR358で「右左口峠」(うばぐちとうげ)のトンネルを抜けていくのだが、13年前もう一つ真ん中の「大石峠」の下を掘削して「若彦トンネル」が開通し「河口湖」から「芦川」にぬける甲府盆地への近道になった。この芦川村に下ってから「黒岳」に向かう林道を登っていくと「すずらん群生地」に至る。
 先週はその群生地に駐車してから登山をスタートした。「御坂山塊」の急な傾斜を登りきると尾根道に出てそこが「すずらん峠」だった。目の前に巨大な富士山が迫り足元に真っ青な「河口湖」を見下ろしているよ。一旦「破風山」1674mに登ってから下って行くと目的地の「新道峠」に到着した。うわさに聞いていたように、そこには真新しい木製の「テラス」が二つ作られて富士山の最高の展望台になっていて驚いた。素晴らしい!この峠には8月になると長い茎の先に白い花を咲かせるレンゲショウマの大群落があって何度か見に来たことがある。昔は自分の車でその間近まで来られたのに、ゲートができて有料のシャトルバスに乗らないと近づけなくなった・・・

3年生のMUさんが珍しく和訳で手こずった。In the process of burning gasoline, cars also produce carbon monoxide, a poisonous gas; nitrogen oxides, the main source of urban smog; and burned hydrocarbons, the main source of urban ozone. ではカンマが3つ、セミコロンが2つもあって難しい。まずはいつもの注意に従ってA and A’のルールに気づいてほしかった。burned hydrocarbonsと並ぶのはnitrogen oxidesだけじゃなくて更にcarbon monoxideもproduceの目的語だね。「カンマ」が前の語句の説明「すなわち」になるから、それぞれに説明が加えてあって、そのために3つの並列が2つの「セミコロン」でつなぐことになったのだね。記号で表せばA, a; B, b; and C, cのようになる。「車は更に、ガソリンを燃やす過程で、有毒ガスの一酸化炭素と都会スモッグの主原因の窒素酸化物と、都会オゾンの主原因である燃やした炭化水素も発生してしまうのだ。」
 OK君は「部分否定」を勉強した。中学で勉強したnot always〜は「いつも〜であるとは限らない」とか「〜であるわけではない」と訳すと教わったね。なぜか?「いつも〜しない」の訳では「完全否定」つまり可能性が0%になるからだ。「いつも〜する、ということではない」と肯定文にしてから否定すればいいのだ。つまりnotは「全文否定」だから、alwaysやnecessarily, quiteなど100%の意味を持つ語句がくる時には注意が必要なんだ。形容詞も100%のevery、both、allがそれだ。OK君、今日の和訳でもルール「A and A’」に注意が必要だったね。To put it more precisely, loneliness results from a discrepancy between one’s desired and achieved levels of social relations. でachievedが直前のdesiredと並んで共にlevels(複数形に注意)を修飾するね。「もっと正確に言えば寂しさとは、人間関係で人の『願望のレベルと達成したレベル』の間の格差から生れるということだ。」 尾上
2023/12/10 (Sun) 23:30


指揮者デビュー
指揮者デビュー
2023年12日7日(木) 
「明星ケ岳に登る」
 箱根の強羅温泉に旅行したことがあれば、きっと真正面にそびえる「明星ケ岳」を覚えているでしょう。頂上近くの草地に切り取られた大きな「大」の字が読めるね。そう、そこで毎年8月16日、お盆の最後に「ご先祖様の送り火」として灯されるのが「大文字焼き」で、始まってから100年になったそうだ。今年も雨模様の中実施されたのを見に行ったよ。京都東山で同じ日に開催される「大文字焼き」は400年以上の歴史があって「五山の送り火」の名で有名だけど、一本線のかがり火だから街中から見上げると少々貧弱に見えたよ。しかしこちらは2本線で隈取りした「大」の字なので、宮城野の渓谷をはさんで向かい合う強羅の街からははっきりよく見えるんだ。
 4日の朝、箱根宮城野の「明神ケ岳」登山口から出発。紅葉の枯葉を踏みながら急斜面を90分登り、いよいよ山頂かと思う時パッと展望が開けた。樹木や草が刈り払われた広い急な斜面に出た。大きすぎて「大」の字のどの部分か判別できないが一番上らしい。真正面にそびえるのは「早雲山」と噴煙の立つ「小涌谷」だ。その山麓で直線的に区画された大きな市街地は強羅温泉のようだ。目を凝らしてみると「強羅駅」から一直線に登って行くのは「ケーブルカー」。その左に「強羅公園」と「明星中学」のグラウンド、「彫刻の森美術館」も見えた。ここは明治の偉人「渋沢栄一」が開発したリゾート地なんだ・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその6回目。
 私の正式な「指揮者」デビューは1979年「御殿場南高校」に転勤してからだ。千葉に住む高齢の父親が私たちと同居したいが東京でもまだ勤務があるからと、島田からの中間点になる「御殿場」で合流したのであった。父親は「東名高速バス」で毎朝2時間、新橋まで座ったままの昔の電車よりずっと楽な通勤が始まった。南高では音楽が非常勤講師のため私が吹奏楽部の正顧問に迎えられた。その前年に「御殿場市民会館」がオープンし南高が3月、そこの大ホールで「第1回雪どけコンサート」を生徒の指揮で実施したばかりだった。指揮のできる先生が始めて着任したから大歓迎だったよ。3年生の部員が引退し、新入生も大勢入部してさっそく新メンバー50人で活動が始まった。  
 8月の吹奏楽コンクールに向けて「課題曲」は青木進の「フェリスタス」、「自由曲」は「エリクソン」の「ジュビローソ」に決め猛烈な練習が始まった。小山町須走の自衛隊「富士学校」に吹奏楽団があって御殿場市民にも馴染みもあり、中学や小学校でも吹奏楽や鼓笛隊の活動が盛んな地区で楽器指導の得意な先生も多く集まっていた。その頃コンクールは中学と高校が2日間共同開催していたので、私は中学の指導者たちとの親密な交友が始まった。当時のプログラムを家の天井裏から引っ張り出してみると、第20回「静岡県吹奏楽コンクール東部大会」は8月13・14日「富士文化センター」で開催され、南高は大編成で5位に入賞し始めて県大会への出場権を得たのだ。 尾上
2023/12/07 (Thu) 22:57


in spite of 〜、with all〜の違い
in spite of 〜、with all〜の違い
2023年12月3日(日)
御殿場市民会館にて
「高層ビルで同窓会」
 忘年会のシーズンだね。コロナが収まって3年ぶりのリアルパーティが盛んになっているらしい。先週は30年前の沼津東高校時代の同僚2人との食事会をやった。山口、北条、尾上の頭文字をとって「YAHOOの会」と私が名付けた仲良しグループなんだ。ヤフーじゃなくてヤッホーと読むんだよ。夫人を交えて6人でそれぞれの「還暦」(60才)「古希」(70)「喜寿」(77)「傘寿」(80)を祝う会をかねた忘年会を何度もやってきた。しかし、この夏山口夫人が病気で亡くなって今回は「百か日法要」にあたるので、彼女の眠る小山町の「富士霊園」へお墓参りをしてから「アウトレット」のレストランに行って5人で「献杯」をやった。少々寂しい忘年会だった。
 1日は高校の同窓会が東京六本木で開催されるので家内同伴で出席した。主宰の藤本君が住友系列の社長だった関係で、「泉ガーデンビル」の最上階で東京タワーやお台場が間近かに見える展望のよい「住友会館」を借り切ってそこに30人が集まった。今回の忘年会は「阪神タイガース」の日本一達成祝勝会になったから各人のスピーチは「野球」の話題にしないと聞いてもらえないような盛り上がり方だった。母校が兵庫県西宮市で「甲子園球場」に隣接していたから東京近辺に住んでいてもほとんどが「阪神タイガース」のファン。私もにわかファンにさせられた。藤本は「タイガース」の私設応援団長を自負しているから優勝記念に「とらや」の羊羹を全員に配っていたよ・・・

 3年生のMUさんは文法で「句と節」を勉強した。In spite of my frequent advice, he would not study hard.(たびたび私が忠告したのに、彼はどうしてもしっかり勉強しようとはしなかった)の前半は「前置詞+名詞」だから「前置詞句」という。これを「節」つまり接続詞+SV〜の形に書き変えるにはThough I advised frequently, が正しい。一方Though she has faults, I like her. (彼女には欠点があるけど好きだ)の前半は「接続詞+SV〜」だから「節」という。これはWith all her faults, 又はFor all her faults,のような「前置詞句」に言い換えできる。よく似ているけど@In spite of〜は「〜であるにもかかわらず」で直訳すれば「〜であることに悪意をもって、無視して」から来ているから、SVの内容が来るのに対して、AWith all〜やFor all〜は「〜があるにもかかわらず」で〜には名詞だけが入り動詞haveの意味を持つ、と覚えよう。 尾上
2023/12/03 (Sun) 23:39


「合歓の郷」Band Clinic
「合歓の郷」Band Clinic
2023年11日30日(木) 
「鎌倉古道 湯坂道」
 明日から12月師走だね。標高460mの我が家の近所も紅葉が見ごろになった。箱根もかなり麓まで紅葉が下ったかもしれないと予想して、箱根湯本から始まるハイキングコースの「湯坂道」を歩いてみようと計画した。小田原からの箱根越えは、江戸時代の「畑宿」を通って芦ノ湖に至る「東海道・石畳の道」や、国道1号線の「宮ノ下」を通る「箱根駅伝コース」のほかに、その昔の「鎌倉古道」で「湯坂道」と呼ばれている尾根道を行く道が今も昔の姿で残っている。湯本の「湯坂城跡」から「浅間山」まで2時間が紅葉のトンネルなんだ、さらに石畳の残る「鷹巣山」を越えて行くと1号線に合流し「芦の湯」の古い温泉に至り、「芦ノ湖」まではあとわずかだ。
 月曜日はその道の後半だけを歩いてみようと「登山電車」の「小涌谷駅」に駐車して急な坂を登り始めた。真っ赤な色の登山電車から降りてくる観光客は外人が多いなあ。いよいよ「浅間山」の登山口「千条(ちすじ)の滝」に出た。ここは「蛇骨(だこつ)川」の上流で小さな湧水の滝だ。高さは3mほどで左右に20mも広がって水が千本の白い糸のように流れ落ちて美しい。木の橋を渡り細いつづら折れの山道をジグザグに登っていく。真っ赤なイロハモミジ、黄色のエンコウカエデなどに見とれながら、サクサクとブナの落ち葉を踏みしめ登っていくと、展望がサッと開けて「浅間山」の山頂に出た。広い草地には寝転がって日向ぼっこの若者たち。「二子山」を展望してランチにしよう・・・

 今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその5回目。
 島商では指揮法の勉強を一緒にやった島田二中の首藤先生と島田市役所の新間君との交友が忘れがたいが、後に校長になった江間先生との思い出も懐かしい。武蔵野音大でクラリネットを専攻して、高校の音楽教師になって島商に赴任してきたので正顧問をお願いした。1975年頃、12月の定期演奏会で「ガーシュイン」のRhapsody in Blue吹奏楽版をやることになった。曲の冒頭がクラリネットのソロで始まる、それも2オクターブのグリッサンドの難曲だったが江間先生は完ぺきに吹き上げたのだ。ピアノソロはジャズの演奏のできる東京の女性に依頼しこれも素晴らしい演奏だった。その曲の指揮を私がやったのだから信じがたいね。
 ある年の5月、江間先生と私は「吹奏楽指導者講習会」に参加のため、三重県浜島にできた「合歓の郷」に出張させてもらった。1976年、ヤマハが始めた音楽キャンプで、合宿しながら音楽を学ぶリゾート地だ。全国の高校や中学の音楽教師が1000人も参加して2泊3日で吹奏楽の「部活動指導方法」や「楽器演奏法」などを学ぶ企画だった。アメリカから著名な作曲家アルフレッド・リードやプロ楽団の指揮者フレデリック・フェネルもゲストで参加する大規模な講習会(バンドクリニック)だった。50〜100人の吹奏楽部員を抱える顧問の先生たちの苦労話がここでは共有されて、新たなエネルギーを燃やして各自の学校に戻って行くのであった。 尾上
2023/11/30 (Thu) 22:24


anything but〜、nothing but〜
anything but〜、nothing but〜
2023年11月26日(日)
御殿場市民会館にて
「戦争と外大生」
 「勤労感謝の日」は東京府中市まで母校の「外語祭」を見に行った。ロシア語劇は「レールモントフ」の「仮面舞踏会」をやるというのでそれが第1の目的だったのに開演直前に着いたら「もう満席でーす!」と。しかしもう一つ、外語大創立150年を記念した「戦争と外大生」という特別企画にはネットで予約しておいたので入場できた。つい最近の映画「ラーゲリより愛をこめて」を上映し、在学生がパネルデスカッションをするというもの。映画の主人公は外語大ロシア語科の「山本幡男」で、満州の日本軍特務機関で情報収集をやっていたために戦後ソ連に捕虜として抑留され、帰国がずっと許されず仲間を励まし続けたのに自らはシベリアの地で病死した市井の英雄だ。
 記念テーマの展示室にも行ってみた。太平洋戦争末期の「学徒動員」で200名近くの外大生が戦死したという。山本を含め3人が紹介されて、フランス語科の芥川多加志(芥川龍之介の次男!)はビルマ(今のミャンマー)で戦死したという。もう一人英語科の片山日出雄も詳しく紹介されていた。上官の命令でオーストラリア人捕虜を殺した件で戦後の極東裁判で有罪、処刑されたという悲劇だ。こういう事実が恒久平和のためにいつまでも語り続けられるように期待したいものだ。最後に中庭に展示のテント住居を見に行った。フィンランド留学から戻った矢田安曇さんが仲間と組み立てた中央アジアの国「カザフスタン」の「ユルタ」だ。美味しいワインを頂きながら民族楽器の調べを楽しんだ・・・

 3年生のMUさんは「二重否定の文」never・・without〜はそのまま直訳しないで「・・すれば必ず〜する」のように肯定で意訳した方が良い場合が多い、と勉強した。The reader is not being given something without contributing something: his or her own responsiveness to language, to tone, to argument, to the author’s efforts to communicate the author’s message. では前半が「二重否定の文」なので、「読者は(本から)何かを受け取っているなら必ず(著者に)何らかのお返しをするものだ」。次のコロン(:)以下は直前の「なんらかのお返し」の説明だから、「つまり著者のことば、その語調、その意見や著者が自分の気持ちを伝えたいという努力に対しての読者自身の反応の良さを」と訳せるね。
 OK君は「否定表現」のいろいろを勉強した。His English composition is quite free from mistakes. (彼の英作文には全く間違いがない)でis free from〜は「〜を持っていない」からdon’t haveと同じ。barrier-freeやtax-freeから類推できる。一方、Your offer is far from acceptable.(あなたの提案は受け入れがたい)はfromの後にbeingの省略と見ればいい。「〜からかけ離れている」だからfar from でneverの働きをしている。It is anything but cheap.(それは決して安くない)はbutが「〜を除いて」の意味だと分かれば覚えやすい。「安い、以外のすべて」だから「安い」だけを除外しているね。これもneverと同じ意味になるイディオムだ。逆にnothing but〜は「〜以外に何もない」から、「〜だけ、〜にすぎない」でonlyの意味になるね。 尾上
2023/11/26 (Sun) 23:07


吹奏楽の指揮者に
吹奏楽の指揮者に
2023年11日23日(木) 
「越前岳から大パノラマ」
 金時山に登り始めてもう20年近くなる。山頂1212mは麓にある「公時神社」の奥宮で小さな社が建っている。「金時茶屋」では「登山者名簿」をテーブルにおいて氏名や回数を記入できる。「お百度を踏む」という証として、8年前は100回を越えたので「金時娘」が太い筆で色紙に「登頂証」を書いてくれた。4年前には200回になりまた小屋で書いてもらえたが、昨年6月の300回記念は金時娘が小屋に姿を見せず、足柄の自宅で書いたものを息子の秀峰さんが届けてくれた。大腿部骨折を左右二度もやって山に来られなくなったのだ。山小屋に入るとその天井にびっしりと氏名の木札が数十列も並んでさがっている。強者は大奥に5000回の列、私の名前は前から3列目でまだ新米だ。
 脚力や心肺の健康維持に登山はとてもいい。時にはもっと厳しい山にも登るよ。月曜日には「十里木」の登山口から「愛鷹山系」の北端にそびえる「越前岳」に登った。標高1504mで往復4時間かかるがとても人気の高い山だ。山頂に着くと北側に雄大な白雪の富士山、振り返ると「駿河湾」の大海原が太陽を反射してまぶしく輝いている。左に西伊豆の入り組んだ海岸線と右に清水・静岡の海岸線にはさまれた大きな湖のようだ。眼下の曲線に小さな入江が見えた。あれはそうだ!「田子の浦」だな。2年前の今頃、あの海岸で足を波にぬらしてからスタートした。吉原の旧東海道から「村山神社」へ。復活した「村山古道」を登って7日に分けて山頂3776mを極めたなあ・・・

  今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその4回目。
 静岡県の高校で教員になってから、初任校の吉原高校も次の稲取高校でも吹奏楽部がなくて、3校目の島田商業の2年目にやっと好きな音楽の部活を担当させてもらえた。そこで指揮を長年担当してきた外部の音楽家に出会った。高倉正己という静岡大学の音楽講師で東京芸大で金管のユーフォニアムを専攻した人だった。高校野球でも古豪といわれ部活動が盛んな島商で、高倉さんの経験豊かな指導の下吹奏楽部は、静岡県のコンクールでは常にトップクラスで県代表になって東海大会にしばしば出場していた。9年の在職中の後半は、音楽の教師にクラリネット専攻の江間秀明先生が赴任してきたので、指揮者が交代することになった。
 島商は県の強豪校の一つなので私も県の吹奏楽連盟の役員になって夏のコンクールや演奏会のアレンジを担当した。校内では楽器や楽譜の購入、大会の引率などマネージメントを担当していた間に、もっと生徒と直接関われるように私も指揮がやりたくなった。そこで3月の春休みに「新人戦」のような1・2年生だけのコンテストに参加し、初めて私が指揮棒を振ることになった。選んだ曲は「ストラビンスキー」の大曲「火の鳥」だった。生徒たちの好演のおかげでいきなり1位がとれてしまった。それがきっかけで、「指揮法」の勉強が必要になり、島田2中の首藤先生、島田市役所の新間君と3人で勉強会を始めたというわけです。 尾上
2023/11/23 (Thu) 22:33


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