「二の岡神社のアキチョウジ」
先月末「八ヶ岳」に登って「硫黄岳」から見た大パノラマに感動した後が悪かった。「夏沢峠」に向かう急傾斜はいつものように2本ストックで慎重に下山していたのに、いよいよ「オーレン小屋」をすぎて道も広くなり、平地に近づいた頃気が緩んでコケた。小さな岩に右腕から倒れこんで肋骨にひびが入っていた。初めての体験で実に痛い。くしゃみや大笑いをすると息もできない。
病院でもらったギプスがとれるまであと1週間。まだ登山は無理だけど、畑仕事や近所の散策なら大丈夫。先日は「二の岡神社」を散策し、セキヤノアキチョウジが一面に咲き乱れる姿に見とれた。セキヤとは「箱根の関所」あたりで見られたからで、薄紫のシソ科の花が上品で美しい。「二の岡神社」はしばしばテレビドラマや映画の撮影場所になっていて、最近鳥居の前にその歴史を写真入りで説明した掲示板が立てられた・・・
3年生のSU君は前回、書き替え問題を4つやった。The man is a scholar rather than a writer. 「作家というよりむしろ学者だ。」を否定の比較構文で表すのが難しかった。「作家は少しだけやっていて、作家のほうが多い」から、The man is not so much a writer as a scholar.(直訳:学者と比べると作家はそんなに多くない)となるよ。今日は「比較構文」でもいちばんややこしいno more than $100(わずか100ドルしか)とnot more than $100(せいぜい100ドル)の違いを勉強した。学校では「暗記しなさい」といわれてもこりゃ無理だ。受験が終わればすぐに忘れてしまう。noとnotはどう違うの?noは「形容詞」で直後のmore(多い)だけを否定するから結局「わずか」の意味。notは「副詞」で、後の語句全部を否定する。「100ドルを越えるということはない」から、結局「多くても100ドル」「せいぜい100ドル」の意味になるでしょ。
OB君は前回、日本語を英訳する問題をやってかなりよく書けていたが、名詞の単数複数の扱いが難しかった。「日本にはたくさんの温泉があり、その大半は観光地として開発されています」は、There are a lot of hot springs in Japan, and most of them are developed as a resort. 接続詞のandは落としてはいけない。でも、most of whichとすれば不要だ。今日は「比較構文」で、as〜as you canやas〜as possible(できるだけ〜)を勉強した。前回と同様、〜に入るのは1語だけと思ってはいけない。He tried to remember as many new English words as possible. のように4語も入っている。as possibleはas it was possible to remember(記憶するのが可能なかぎり)の省略形だから、その直前までの文が完結していないといけない。そして形容詞のmanyのまえにas(同じくらい)をつけておくのだ。難しい英文の時asとasの間が2行にまたがることもあるからしっかり見分けることが大切だ。
卒業生のKA君は前回長文で「世界の多文化理解」を読んで内容がしっかり理解できていた。Howeverで始まる「譲歩構文」はHowever hard you may try,・・(どんなに努力しても、・・)という例文にならって、However friendly and casual it may be, 「それがどんなに親しくて気取らないのものであっても、」が正解。「譲歩文」ではit isでもいいが助動詞mayもよく使うよ。今日は「基本文法」の勉強で「動詞の時制」を勉強した。学校の教科書でもこの教材の説明でも、「現在・過去・未来」だけでなく「完了形」や「進行形」も同列に扱っているのはマチガイなんだ。最低9つの形を全部覚えないといけないなんて。実は「時制」(テンス)に対して「相」(アスペクト)というカテゴリーがあって、「動詞」を「進行か完了か」で区別する。「基本動詞」もあるから、この3つのアスペクトと3つのテンス(現在・過去・未来)が縦軸、横軸で組み合わさって3x3=9つの語形が生まれるというわけだ。ちなみに日本語はアスペクトだけで、テンスがない、と言われているよ。「明日雨が降ったら」の「た」は「過去」ではないね。「完了」なんだ。 尾上
(追記)3年前の大作映画「関ケ原」をアマゾンプライムで視聴したら、見つけたよ!この「二の岡神社」の本殿が「桃配山」の東軍の本陣になって、家康役の役所広司が名演技を見せていた。小早川秀秋の軍勢が西軍を裏切って「松尾山」から馬で駆け降りる場面もここの杉並木の参道だったよ。この映画を監督した「原田眞人」は沼津の人。「わが母の記」は沼津の「牛臥山」を舞台にした映画だ。「沼津東高校」の出身で、私が教えた「ヒトスギ塾」にも通っていたそうだ。
「室町時代」から600年の歴史を持つこの神社の宮司は内海重忠さん。御殿場市長を一期務めた名士でこの神社の入口にお住まいだ。その先代の宮司さんには40年前に、「二の岡」の杉やヒノキの森が気に入って我が家を新築した時に、「地鎮祭」を執り行っていただいた。そしてその次男が東高3年生の時英語を教えたのは私なんだ。一浪して頑張って東大に入った。昨日もセキヤノアキチョウジを見に行って散策中に「市長」とご挨拶を交わしたよ。









