「小諸懐古園の車夫」
なんというエンターテイナーだ!初めて「人力車」という物に乗ったら、その若い車夫の「笑太」が話題豊富で受け答えが実に巧みなんだ。横浜からここ小諸市に移住してきて11年やっているそうだ。「懐古園」の駐車場に着き、脚の悪い家内を車椅子に乗せて坂を下り入園口に行ったらそこで我々を待っていたかのよう。即決だ!懐古園は仙谷氏の居城「小諸城」の跡で坂も階段もあるから車椅子でも移動が難しいでしょ。
「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ、・・・」と島崎藤村が詠ったのはここ「千曲川」を見下ろす崖の上。その詩は私も空で言えるほど有名だけど、もう一人ここで歌を詠んだ世界的に有名な現代人がいる。それは誰でしょう、という。戦争中東京から疎開してきて、田舎の子供たちに馴染めなかった少年「永六輔」です。藤村と同じ崖の上で泣きながら作った詞こそ、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」だったとは・・・
3年生のSI君は前回「神戸大」の英文「ストレスとは」が難しかった。We know what someone complaining of feeling “stressed” means. 「(ストレスは厳密には医学用語ではないけれど、)ストレスを感じるとぐちっている人が何を言いたいのかはわかる」。今日は「助動詞」を使って文を書き替える問題をいくつもやった。It is natural that you should be disappointed. 「君ががっかりするのももっともだね」はYou may well be disappointed. と言えるし、It is incredible that she wrote the letter for herself. 「彼女が自分でその手紙を書いたなんてありえない」はShe cannot have written〜と言えるでしょ。
TU君は前回英文「子育て」で、But the children who have never been quite accepted by their parents, who have always felt that were not quite right, will grow lacking confidence. 「しかし、親に完全に受け入れられるということがなくて、自分が完全に正しかったわけではないといつも感じてきたような子供は自信を持てずに成長するだろう。」の訳が難しかった。not quiteはnot completelyやnot altogetherのようにnot alwaysの仲間で、100%の単語を否定しているので「100%ではない」という「部分否定」の表現なんだ。今日は「動詞の語法」を55題やって80%くらい正解だった。不定詞と動名詞の選択が難しかった。
1年生のMUさんは英訳の空所補充をやった。「駅まで送っていただきありがとうございました」は、「〜してくれるなんてとても親切でしたね」と言い換える。It was very kind of you to drive me to the station. 前半はYou were very kindと同じ意味なんだ。今日は「動名詞」を使う英作文をやった。「母親は息子が金メダルをとったのが自慢だった」はThe mother was proud of her son having won the gold medal. で、「完了形」の動名詞を使うのは自慢した以前の内容だから。her sonは動名詞の「意味上の主語」というよ。her son’sと所有格で言ってもいい。
2年生のWAさんは前回「付帯状況のwith」を勉強した。The boy, with a policeman running after him, suddenly jumped into the river. 「その少年は、警官が追かけてきたので突然川に飛び込んだ」。普通は文の後半に追加するんだけど、ここはSとVの間に「付帯状況」が挿入されている。前置詞withの後が主語+述語のようになって、もう一つの文を付け加える用法なんだ。今日は「動詞イデイオム」をいくつか覚えて和訳をやった。Americans admire the self-made person―the one who, with neither money nor family influence, fights his or her way to the top. 「アメリカ人はたたき上げの人を尊敬する。それはお金も家柄もないのに、闘って頂点にまで進んだ人のことだ。」
今日は2年生の男子が一人見学に参加したので、3時間びっしり問題に取り組んでもらった。粗削りながらかなり力のある生徒で、入会してくれるのが楽しみだ。 尾上
(追記)この日は先に隣の上田市「上田城」にも立ち寄って「真田一族」の居城跡に初めて足を踏み入れた。江戸時代になって真田家が松代に移封された後「上田城」に入ったのが「小諸城」の仙谷氏だそうだ。復元された「城門」と石垣をくぐると広大な公園だった。園内の「市立博物館」に立ち寄って真田一族の展示コーナーに向かった。豊臣秀吉亡きあとの「関ケ原の合戦」で一族維持のために兄信之は徳川家の東軍に、弟幸村は父昌幸と共に西軍に分かれて戦う、という悲しい討議の場の画が展示されてあった。「山岡荘八・徳川家康」を全18巻読了してあったからこれだけは見ておきたかったのだ。
兄信之は父と弟の亡き後「上田城」を継いだが本丸が崩壊したので三の丸に蟄居した。そこが今は名門「上田高校」になっている、というので帰りがけに寄ってみた。藩主の住んだ時代の「古城の門」が今も残ってはいるが、校舎の上の方からトランペットの音、格技場からは弓道の的に当たる音。今年は東大3人、京都2人合格で、東京外語にも1人入ったそうだ。市立博物館にも紹介されていた「山極勝三郎」はここ上田中学から東大医学部に進み、世界の「人工ガン研究」で功績を残した明治大正の人。









