高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


国公立大学前期試験の合格発表
国公立大学前期試験の合格発表
2024年3月7日(木)
「富士山世界遺産センター」
 富士山に雪がだいぶ降ったおかげで、先週は「御殿場口・太郎坊」と須走の「ふじあざみライン」でソリすべりを楽しんだ。一般車が侵入できない季節、自衛隊の訓練トラックが踏んだ「わだち」が格好のそり用ゲレンデになるんだ。子供っぽい遊びだけど冬期オリンピックで見かけるボブスレーの爽快な気分にちょっとなれるよ。特に雪の降った3・4日後、昼間溶けて夜間に凍った道路がアイスバーンになったほうが良く滑る。今日は富士山の北側にまわって、吉田登山道の「中の茶屋」から雪上車のキャタピラの跡が続いている林道を登って行ってそり滑りを開始した。傾斜がゆるいとすぐ止まってしまうが、そんな時には2本のストックで船のように漕げばいい。年をとっても子供心は健在だ!
 午後は「富士スバルライン」入口の「世界遺産センター」に立ち寄った。昔の「河口湖ビジターセンター」が、2013年富士山が「世界文化遺産」に登録されたのを機にリニューアルした。特に旧来の「北館」の隣に新たに「南館」が増築されたと聞いて期待していたよ。エントランスの1階には富士山信仰の歴史が展示され、2階に上がると巨大な傘のように富士山の模型がホール一杯に裾野を広げている。スクリーンに投射される噴火の映像や「吉田の火祭」、季節ごとの富士山の景色に合わせてその大きな模型を様々な色彩の光で染め上げる。赤・青・緑・黄色そして雪山の白と面白い。外国人のツアーが到着し階段を上がってきた・・・
 
 昨日はMUさんが休み、OK君が久しぶりに出席して「助動詞+have+-ed」の用法の一つ「昔の事柄の推量」をやった。Attempts to keep animals may have occurred before the end of the Ice Age.(動物を飼う試みは氷河期が終わる以前に生じたのかもしれない)でmayが推量を意味する。トナカイが人間の尿に集まることから、People learned that if salt was provided the reindeer would come to them and eventually be domesticated. (もし塩をやればトナカイは人間に近づいてきて、最後には家畜になるだろうと人間は知った)。このandはcomeとbe〜が原形動詞で並列しているね。
 昨日6日から国公立大学前期試験の合格発表が始まった。MUさん、OK君ともに合格を祈っていますが、時の運もありダメなら後期試験が一週間後の14日だ。まだまが頑張るチャンスがある。もう1年勉強して学力を伸ばし希望の大学を目指すのもいい。保護者の同意が前提だが本当のやる気を見せればいい。私の経験からいえば浪人時代は収穫がすごく大きかった。学力だけでなく人生経験でもかけがえのない18,19才となったよ。学問を続けたいならまだ大学院があるし、よい就職先が目標なら大学で1,2年留年する仲間もたくさんいた。人生は自分で決めるのであわてる必要ないよ。 尾上
2024/03/07 (Thu) 21:42


「リメンブランス」楽譜出版
「リメンブランス」楽譜出版
2024年3月3日(日)
「モータースポーツ博物館」
 今日は3月3日「桃の節句」だね。息子たちの眠る小山町の「富士霊園」に今日も墓参に行った。標高が800mくらいあるから見上げる三国山はまだ残雪で真っ白だ。競技大会が開催される日曜や祝日はよく霊園のすぐ下の「富士スピードウエイ」からにぎやかな爆音が響いて上ってくる。そこに1年半前高級ホテルができた。そのレストランの新聞広告を見たので帰り道に立ち寄ってみた。玄関の案内はインドネシア人、愛想のいい娘さんで日本語が堪能。入ると「ハイアット」の系列ホテルで、1,2階が「スポーツカー博物館」になってたくさんのスポーツカーが展示され、ロンドン・パリ世界一周レースで優勝したフランスのクラシックカーが真っ赤な車体で美しく輝いていた。次に来たら展望レストランでランチを頂いてみよう・・・

今日は先週に続いて「吹奏楽と私」のお話の14回目、いよいよ最終回です。
 2000年、コンクール東海大会で金賞受賞の栄誉を得た吹奏楽曲Atsushi A Remembranceは翌年、沼津東高の「創立100周年記念」の定期演奏会や直後のアメリカ遠征演奏旅行でも披露できた。次男敦の思い出として作曲していただいた曲をできれば世界中でいつまでも演奏してほしいと願って私はその楽譜をA Remembranceの名で出版することにした。それで作曲者のデル・ボルゴ氏を通じてアメリカのテキサス州サンアントニオ市にある著名な出版社「サザン・ミュージック社」に交渉した。その曲は2002年にめでたく出版され日本でも東京の「ミュージック・エイト社」の取次で輸入販売されている。その曲の解説文も私が書いた。
 13年ぶりに訪問したサンアントニオ市は「アラモ砦」で有名、アメリカ最南端の美しい町で真冬でも秋のような温かさ。市内を一周する運河には遊覧船が走り、夕暮れにライトアップすると河岸のホテルや遊歩道「リバーウォーク」を行く人々が船に向かって手を振る。そこには1988年の「吹奏楽視察ツアー」の時に訪問したことのある大きな楽譜出版社があった。私の持つ著作権を会社に寄付するかたちで決着し、社長と会長一家の夕食会に夫婦で歓待を受けメキシコのタコス料理を初めて味わった。サザンM社はデモ用のCDも制作したがそれにはあの東高のコンクールの演奏をそのまま用いてくれた。さらに長男の友人YO君が7年前YouTubeにアップロードしてくれたので良ければ聞いてみてください。https://www.youtube.com/watch?v=ikrSeH1r_AA 
 2004年3月、私の定年退職と共に吹奏楽連盟からも引退したので「吹奏楽と私」はこれでおしまいです。 尾上
2024/03/03 (Sun) 22:29


日本の幸福度は世界の54番目
日本の幸福度は世界の54番目
2024年2月29日(木)
「平塚市美術館」
 先週は大学の後輩芦川さんが平塚駅前で洋菓子店「葦」を経営し大成功しているお話をしました。さらに小田原から横浜まで東海道線の沿線駅や小田急線の主要駅にも支店を広げて洋菓子やパンの販売を伸ばしている。24日訪問の時お土産に頂いたマドレーヌはとても美味しかったし、会長のお勧めで買ったチーズパイが評判通りすばらしかった。あれから4日後の今日、天気も良いので家内の希望で一緒に再訪することにした。50キロは東名を走れば1時間足らずの近距離で湘南の海岸を快適に走った。平塚駅西口の正面という好立地で1階の喫茶は満席。その2階の「龍園」という評判の中華料理のレストランに入って会長さんにもご挨拶。注文した「ふかひれラーメン」に感激した。うまかったよ!
 平塚市は湘南の中心にあって東海道の宿場だった。昔、大好きな洋画家「三岸節子」の特別展に来たことを思い出して立ち寄ってみることにした。人口26万人の大都市で「美術館」と「博物館」がある。晩年、隣の大磯にアトリエを構え大胆な構図と色彩感で大好きな油絵がたくさんある。たまたま展示替えで大きな企画展はなかったが、正面の階段上に「船越保武」の女性の彫刻が立ち、館内にも「佐藤忠良」や「淀井敏夫」など著名な彫刻家の素晴らしい作品を見ることができた・・・
 
 MUさんは25、26日「広島大学」の前期入試で広島市に行ってきた。今日は後期試験も広島大を受験するので昨年の問題をやってみた。「国連調査によると、日本の幸福度は世界の54番目」の書き出しで、下線部のWhy does a prosperous nation known for its third greatest gross domestic product rank so low〜?を和訳せよ、の問題だ。長い主語に苦労するね。「世界第3位のGDPで知られた豊かな国がなぜそんなに地位が低いのか・・・」が難しかった。動詞のdoes rankが見抜けないといけない。国民総生産GDPも初めてだったかな?prosperousも動詞のprosper(栄える)の形容詞だとわかれば訳せたのに。もう一つ、問題文にはandがたくさん使ってあって難しかった。改めてA and A'のルールに気を付けよう。英語の構文ではそれが一番難しいんだ!14日の後期試験までに自慢のヴォキャブラリを復活させ、読解力を高めておこう。過去問の徹底研究が勝利につながるはずだよ。
 UG会出身で10年前上智大に進学した安田恭子さんがMUさんの高校で英語を教えていると今日わかった。懐かしい人が意外に市内にいて嬉しい。その校長先生ももう一人の英語の先生も私が沼津東高校で英語を教えたんだって。 尾上
2024/02/29 (Thu) 22:51


アメリカ演奏旅行
アメリカ演奏旅行
2024年2月26日(月)
「湘南平のサクラ」
 ミゾレが降って昨日は寒い一日だったね。今朝は久々の青空で書斎の窓から「紅富士」がくっきりと。篭坂峠を越えて「新倉山」に咲くセリバオウレンを見に行ってみようかな。。。「菜種梅雨」というような雨か曇りの毎日が続いたけど、一昨日はちょっと晴れたので白くなった御殿場を下りて湘南の海を見に行った。10年ぶりに「湘南平」山頂の駐車場に来たら3連休で大賑わい。桜がもう八分咲きで美しく、見下ろすと松並木の東海道、平塚・大磯・二宮の湘南海岸、家々の屋根瓦が反射しその向こうに光る相模灘と伊豆の山々。さあ、コンビニで買ったカルビ弁当を食べようか。
 山を下って平塚駅に行き、西口駅前の洋菓子店「葦」をさがした。会長の芦川浩さんとインタビューするアポをとってあったので2時にぴったりお店に着いた。ネクタイと背広、やさしい笑顔の紳士が出迎えてくれた。同窓会の万年幹事で自称仕切り屋の私は、母校「東京外語大」の最新の同窓会報に載ったその平塚の洋菓子店の広告を見て、ロシア語科の4年後輩が意外に身近な町で珍しい職業で成功していることに驚いた。直接お会いして話を聞いてみると、山梨県南部町(なんと偶然にも私の実弟夫婦が「佐野川温泉」を経営している町)出身の父上がこの菓子店の創業者で、外語大を出てから家業をついだとのこと。フランス洋菓子とロシア語との結びつきは全くなかったが、70年代大学紛争の時代の苦労や会社の階段転落の致命的な大けがの話など、予定の1時間があっという間にすぎていった・・・

 昨日と今日は国公立大学の前期入試。MUさんは広島大、OK君は東北大の受験に出かけた。二人とも大いに実力を出し切れたと信じています。雪が積もって会場へのアクセスも大変だったでしょう。
 今日は先週に続いて「吹奏楽と私」のお話の13回目です。2001年の春休み、私は沼津東高校の吹奏楽部員32名を引率して米国演奏旅行に出発した。前年夏の吹奏楽コンクールで東海大会に出場し金賞を獲得したご褒美、「東高創立100周年」の記念行事の一環として、沼津市と姉妹都市のミシガン州カラマズー市との文化交流に派遣されることになった。教頭先生と生徒課長、姉妹都市協会長の中村房子さんも同行してくれた。地元の3つの高校の体育館で「北海大漁歌」など3回のコンサート、受賞曲のA Remembranceを日米の高校生合同で演奏した。
 特筆したいのは、ゲストにNY州シラキュースからその作曲者のエリオット・デル・ボルゴ氏をお招きし、自作の名曲「シンフォニック・スケッチ」(1984)を指揮していただいたこと。訪問した高校の全校生徒から大きな拍手と歓声をいただいた。すでに故人となられたが別荘のあるフロリダでもご夫妻にお会いして私にも忘れえぬ思い出となった。生徒たちはカラマズー市で3泊4日のホームステイを体験し、帰途には大都会ニューヨークに立ち寄った。「自由の女神像」を訪れバスで市内観光し、ロングラン・ミュージカル「オペラ座の怪人」を鑑賞、胸を熱くして帰国したのだった。 尾上
2024/02/26 (Mon) 23:30


25日はいよいよ国公立大学前期
25日はいよいよ国公立大学前期
2024年2月22日(木)
「四谷見附橋」
 19日は小雨降る東京へ。大学の同窓仲間6人の昼食会が新宿の高層ビルで計画されたので集合前にウォーキングすることにした。昨秋の皇居一周トレッキングで仲間と歩いた「半蔵門」で友人水野君と待ち合わせ。ここからは国道20号線、長野県諏訪湖で「中山道」に合流する昔の「甲州街道」だ。右に「南アフリカ共和国大使館」、左に下着の「ワコール」のビルがそびえる。麹町一丁目から新宿に向かって傘を差しながらビルの谷間を歩いていく。六丁目に来ると橋の向こうが「四ツ谷駅」だ。JR線路をまたぐ「四谷見附橋」は1913年にかけ替えのフランス風クラシックな彫刻と白いランプの橋だ。
 小学生の頃は東京の高円寺に住んでいて、新宿西口から一人都電(路面電車)に乗りかえこの甲州街道を「日比谷公園」まで行き、会社帰りの祖父にデパート屋上の遊園地に連れて行ってもらうのが楽しみだったなあ。そうだ、この道は大学生の頃も歩いたぞ。仲良しの従姉妹と二人で新宿まで。。。さて、左手にSophia Univ.の文字「上智大学」の高層の校舎が見えてきたよ。昔の外堀だった堤に上がって遊歩道から大学正門と「聖イグナチオ教会」の瀟洒な建物を展望する。この校舎で開催された英語学会に出席したこともあったなあ。UG会の優秀な卒業生が何人もここに進学したよ。13年安田恭子さん、15年山本梨那さん、16年武内友里恵さん、21年山本和奈さん・・・

 いよいよ3日後に国公立大学前期試験がある。3年生は二人とも追い込みにかかっているはずだ。しっかり今までの成果を発揮してほしい。
 MUさんは「広島大」の過去問に取り組んだ。グラフや図表を読み取り、内容を分析し英語で解説する問題はなかなか難しい。書かれた数値を記述するだけでなく、その増減の原因を推測しないといけない。しかし単なる私見でもかまわない。要はひとまとまりの英文を構成する力が問われているだけだから、こういう問題に慣れておくことが大事だ。 尾上
2024/02/22 (Thu) 22:46


AtsushiーA Remembrance
AtsushiーA Remembrance
2024年2月15日(木)
「指揮者小澤征爾」
 世界のマエストロ・オザワが88才で亡くなった、残念無念。肺炎で命を縮めたがまだまだ活躍してほしかった。歯科医師の三男として中国の奉天の生まれだが、中学の頃はすぐ隣の松田町に住んで小田急線で「新松田」から「成城学園」に通学していたそうだ。私が高校生の頃、小澤は「桐朋学園短大」を出て単身スクーターに乗りギターをかかえて貨物船で渡欧し、指揮者の登竜門のコンクールに挑戦しているうちに名指揮者カラヤンと出会った。その後も名だたる名指揮者たちと親交を結び世界中の名門オーケストラを率いて世界のオザワとして絶賛を浴びたのは周知の通りです。
 1984年から今も毎年松本市で開催されている「サイトウキネン・フェステイバル」は小沢征爾が提唱し、音楽指導者「斎藤秀雄」の門下生100人が世界から結集して恩師の追悼記念コンサートをやったのが始まりだった。斎藤秀雄は名著「指揮法教程」を書きバイオリン教室の「斎藤メソッド」で有名で、私が島商時代に学んだ指揮法も「斎藤メソッド」だった。力学や運動の法則に基づいた単純明快な指揮法だった。小澤征爾もあの秋山和慶も「斎藤メソッド」の薫陶を受けた名指揮者であることを知ると自分も同じ門下生のような・・・

 私大入試の関係で11日(日)を13日(火)に変更しておいたUG会は、3年生が2人とも欠席したので報告することがありません。今日は昨年まで裾野教室があった木曜日なので、前回に続いて「吹奏楽と私」についてお話しします。その12回目です。
 オーストラリア遠征の2年半後、1999年2月12日は我が家にとって痛恨極まりない日となった。米国東部プリンストン市に住む次男がブルームバーグ社の勤務帰り、自身が運転する車に道路わきの朽ちた大木が強風で倒れて激突し即死したのだった。道路を管理するNJ州知事も陸運局長も会見で非を認め謝罪してくれたがその喪失感は25年たった今もますます強くなるばかり。東京の大学を出てオハイオ州立大学の院に学びニューヨークに活躍の場を見つけた次男敦のために私たちは「追悼の曲」を吹奏楽で残そうと思い立った。米国シカゴのバンドクリニック訪問の際に知己を得た人気の作曲家エリオット・デル・ボルゴ氏にさっそくメールで依頼し快諾を得た。
 間もなく「書きあげましたよ!」という知らせに、私は家内と米国NY州北部のシラキュース空港に飛びエリオット夫妻の住む自宅を訪問し、イタリア系の明るい笑顔の小柄なエリオット氏に迎えられた。五大湖のほとりのライラックの香りに包まれた瀟洒なお宅に泊めていただいた。委嘱作品は「アツシ・ア・リメンブランス」(敦のおもかげ)のタイトルで氏の考案だった。彼の書斎でピアノ演奏していただき、美しくも力強い響きに感銘を受けた。沼津東高のバンドの編成に合わせて吹奏楽コンクールに演奏できるように依頼したものだったから生徒の力が十分生かせて、2000年の夏のコンクールでは東部大会1位、県大会金賞で東海大会にも駒を進め見事「金賞」を射止めたのだった。 尾上
2024/02/15 (Thu) 0:13


オーストラリア演奏旅行
オーストラリア演奏旅行
2024年2月11日(日)
「山形市郷土館」
 蔵王温泉で雪見の露天風呂を味わい、ロープウエイの山頂ではスノーモンスターのライトアップに自然の力の不思議さを味わった。翌朝は山を下りて山形市内を観光することにした。駅から近くに「霞城」(かじょう)があるというので雪で白い道を歩いて行った。戦国時代に武将の最上義光が強大な力をもって仙台の伊達政宗と覇を競った城郭だった。お濠と石垣の美しい「二の丸南大手門」から入り博物館と郷土館があったので立ち寄ってみた。そこは三層のオレンジ色の洋風建築で、明治12年市立病院の「済生館」だった木造の優美な建物だった。内科・外科の診察室や待合室が円形の雪の中庭に面して並んで、最上階の展望台に通じる「螺旋階段」も美しく当時にしては珍しいものだった・・・

 今日はいつもの日曜日ですが生徒たちの私立大学入試と重なるのでUG会は13日に変更しました。それで「吹奏楽と私」についてお話しします。その11回目です。
 沼津東高の顧問になってすぐ「静岡県吹奏楽連盟」の東部理事長に推挙された。翌年1996年は吹連創立35年の節目なので、3度目の海外遠征で吹奏楽部の生徒たちに広く世界を見させてあげよう、と今回はオーストラリアが候補地となった。航空便がシンガポール経由なのでそこの高校生とも親睦を深め、シドニーではあの白亜のオペラハウスでのコンサート、藤枝市と姉妹都市「ペンリス」での地元との合同演奏会、メルボルン近郊のリゾート地「フランクストン」(裾野と姉妹都市)では参加生徒103人のホームステイをお願いすることができた。それはすべて理事の中で英語が堪能の私に白羽の矢が当たり、家内同伴で前年夏に下見の旅行に出かけたのであった。 尾上
2024/02/11 (Sun) 10:56


「逃がした魚は大きい」
「逃がした魚は大きい」
2024年2月8日(木)
「蔵王のスノーモンスター」
 山形市は初めて来た。大宮駅から新幹線「つばさ」で2時間半、あっという間で周囲は銀世界だった。「蔵王温泉スキー場」には午後2時に着いた。さっそくロープウエイで「蔵王連峰」の一つ「地蔵山」1736mの山頂駅へ。たくさんの観光客が集まって楽し気な話し声や叫び声を聞くとたいてい中国語だ。ここには「トドマツ」の森が広がりそれが雪や氷に包まれてスノーモンスターが生れる。今年はまだ雪が少なめで怪物というよりスリムな人間や動物の姿に似ているなあ。マイナス10℃の世界は久しぶりに寒い!夕暮れになって駅のレストランに逃げ込んでビールを飲んでいると窓の外ではライトアップが始まった。赤・青・黄色にほんのり色づいたモンスターたちを一度は見てみたいと思ってやっと念願が・・・

 3年生のMUさんはいよいよ私立大の入試が始まるので今夜は8時で終了した。文法ではshould+have+〜ed(〜すればよかったのに)で「非難」や「後悔」を表す表現を復習した。魚釣りの場面の英文で、”You should have seen the one that got away!”(あの逃げたやつを見れば良かったのに)は 「逃がした魚は大きい」という諺をおもいだすね。さらに「隣の芝生は青い」という英語の諺”The grass is always greener on the other side of the fence.”を思い出させる英文を和訳した。Even on our own tree the best apples seem to be high up and out of our reach. And this doesn’t apply only to apples. Anything we can’t get seems to be better than what we have.「自分のうちの木の場合でも、一番おいしいリンゴは高くて手が届かないところにあると思われる。そして、このことはリンゴだけに当てはまるわけではない。手に入らないものはなんでも既に持っているものよりいいものに思われるのだ。」 尾上
2024/02/08 (Thu) 0:10


沼津東高吹奏楽部
沼津東高吹奏楽部
2024年2月4日(日)
「箱根神社の節分祭」
 今日は立春!昨日は節分でしたね。箱根神社で3年ぶり完全復活した「節分祭」が見たくて芦ノ湖に行った。湖上に突き出た赤い平和鳥居までくると大勢の人々と急な石の階段を登っていく。本殿前の広場に紅白幕が張られてそこに数百人の観客を引き入れて3年ぶりの「追儺式」(ついなしき)が始まった。赤鬼青鬼が舞台にあがると坂田の金時(金太郎)が弓矢を放ち「鬼は外!」と叫んでは豆を投げつける。退治した後は宮司さんによる「天下泰平!いやさか!」の発声に「節分祭」の参列者や一般見物人たちも皆バンザイして唱和して終了。
 いや、まだ続いたんだ。鬼たちがまだ芦ノ湖で暴れているという情報で、昼食後「節分祭」の参列者は遊覧船に移動し船の上から鬼退治だ。宮司や金時たちも湖岸の「平和鳥居」まで降りてきて豆をまく。水上スキーで飛び回る鬼たちに向かって「鬼は外!」。鬼がすべて退散した後は、白装束に烏帽子姿の神官が湖面をお祓いして走り回る。これも水上スキーで片手でもなかなか上手に・・・

 今日はいつもの日曜日ですが生徒たちの私立大学入試と重なるのでUG会は7日に変更しました。それで「吹奏楽と私」についてお話しします。その10回目です。
 50才になってやっと転勤の機会がやってきた。それは26年前、県の採用試験で希望を聞かれたときに第一希望にあげた「沼津東高校」だった。長泉町本宿の自分の生家に一番近い高校で名門の誉れ高かったからやっと希望がかなった。部活は早速「吹奏楽部」を担当したが、生徒たちの自治意識が強く顧問と指揮者は別の存在だと考えているらしい。本校卒業生で武蔵野音大を出てプロのホルン演奏家だった「並木博美」さんが月に数回来校しては指導していた。しかしその夏のコンクールでは入賞出来なかったせいか、秋になって部長の生徒が「尾上先生、指揮やりたいですか?」と聞いてきた。私は素直に「うん、やりたい!」と答えた。その時から東高吹奏楽部の指導が始まった。 尾上
2024/02/04 (Sun) 1:01


ルール「カンマカンマをカッコにいれる」
ルール「カンマカンマをカッコにいれる」
2024年2月1日(木)
「富士山は不死の山」
 富士吉田市新倉の「福源寺」に行ってみた。山門の向こうに鎮座する豪壮な本殿にまず感動した。左手「枯山水」の前庭には鐘撞堂と聖徳太子ゆかりの「六角堂」、太子が訪れてここで描いた自画像が納められているという。右手には石碑「鶴塚」。鶴に姿を変えて空に舞い上がったという「徐福」伝説に基づく。徐福は紀元前2世紀頃の渡来人。秦の始皇帝の廷臣で「不老不死」の妙薬を探せとの命を受け東方の国日本に渡って来た。富士山にも来たようで「不死」と音が似ているから「富士」の名の起源説の一つになっている。ここ富士吉田は古来機織りの町で特に絹織物の評価が高い。その織物の技術を初めて伝えたのが徐福ということで、近くには機神社が祀られている・・・

 昨日は水曜日でしたが、生徒からの要望があって特別に補講をやりました。また、2月に入っていよいよ私大入試が始まり、25日には国公立二次がありますので、生徒たちと調整の上でUG会の日程変更をしました。
 2月4日⇒7日(水) 11日⇒13日(火) 18日⇒22日(木)
 25日⇒28日(水) 3月3日⇒6日(水) 10日⇒14日(木)
 17日⇒20日(水) 24日、31日はいつもの日曜日です。
 UG会のブログ日記もその実施日と日曜日に投稿します。
 3年生のMUさんは長文で「ホッキョクグマは生き残れるか?」を読んだ。内容を問う設問にはすべて正解だったね。下線部訳で難しかったのはThe bears live almost entirely on floating ice that packs together to create vast expanses separated by small areas of open water that they swim across. 「クマたちはほぼ完全に浮かんだ氷の上で暮らしているのだが、その氷は一つに固まって広い氷の広場を作り、そこは泳いで渡れるような狭い場所の海水で隔てられている。」のように2つの関係代名詞thatで3つの文がつながり、なおかつseparatedがexpansesを修飾しているね。それぞれを独立文としてうまく接続させながら和訳してみるとよかったね。
 OK君は「現代科学者の業績」を和訳した。But also by their means, let us not forget, men have been enabled to destroy each other on a scale undreamt of in former ages. 「でもその業績を用いて人間はさらに、昔なら夢にも思わなかったほど大規模にお互いを殺し合うこともできるようになった、ということをわすれないようにしましょう。」ここで読解のルール、「カンマカンマをカッコにいれる」を覚えている?そう、let us not forgetは文頭で言うべき文が割り込んでいるんだね。undreamt of(夢に見られない)はwhich isの省略と見ればいい。dreamtは過去分詞dreamedと同じだ。。。1945年、第二次世界大戦のさなかに原子爆弾を完成させたアメリカの科学者オッペンハイマーが思い起こされる。昨年映画化されて今年日本でも公開されるらしいよ。唯一の被爆被害者の日本人には上映に反対する人も多いらしいが、、 尾上
2024/02/01 (Thu) 22:01


total : 96014
today : 23
yesterday : 26