「瑞風で京都から下関へ」
京都から山口県の西端下関までは543キロ、新幹線なら3時間で行ける。先週7日、山陽本線の貸し切り夜行列車「瑞風」MIZUKAZEに乗って10時に京都駅を出発、翌日の16時に下関駅に着いた。なんとそれは10倍の30時間もかかる鈍行列車だった!新大阪駅・岡山駅でも停車はするけどドアは開かず、「倉敷駅」でやっと下車できた。瑞風と同じダークグリーンのバスで倉敷美観地区に行き観光だ。懐かしの大原美術館でエル・グレコ「受胎告知」を見たり創立者の生家を見学したりしてまた列車に戻った。夕食は隣の食堂車で名店シェフの西洋料理を味わったが、その間に我々夫婦のツインルームのソファはベッドに早変わり。ガタゴトの振動を気にしていたけど深夜は広島駅に5時間停車していたのでぐっすり眠ることができた。早朝の広島、悲劇のあったいくつもの川を渡って列車は「安芸の宮島」を遠望する。
瀬戸内海と島々を見ながらの列車の旅はいいよ。神戸から先は「明石海峡大橋」が見えたし翌日の岩国から先では「大島大橋」の下をくぐって波打ち際を列車が走っていった。小窓を開けたら潮風が車内に流れて潮の香りが心地よい。2度目の停車駅「岩国」でも伴走してきた瑞風バスに乗り換えて、むかし高校生を修学旅行で引率した思い出の「錦帯橋」に観光だ。江戸時代に大水で流されないよう強靭に設計された5連の「太鼓橋」を歩いて渡り、山頂の「吉川藩・岩国城」天守閣を見上げ、古式鉄砲隊による火縄銃の演武を見物した。列車に戻るとランチは中国料理の名店シェフのフルコース。食べ終わったころ終着駅「下関」到着だ。夫婦、母娘など12組24人の乗客は、展望車やラウンジカーなど10両編成の列車に別れを告げた。一両を3つのコンパートメントに切っただけの贅沢なスペース、走る豪華ホテルだった・・・
9日のジャパンタイムズでビジネスの欄に、登山用品で有名な「モンベル」の会長の写真があった。私も山登り20年、定年退職後の趣味だけどNIKEやadidasのウエアやシューズ、Montbellのソックスなどを御殿場アウトレットに行っては購入している。Montbell founder went from a feeble boy to a renowned mountaineer (モンベルの創立者はひ弱な少年から有名な登山家になった人)という見出しの下ににこやかな笑顔の辰野会長。1975年28才で友人とモンベル社を立ち上げ100億円の予想が創業50年で1600億円の売り上げ、今や国内だけで140の店舗を展開している。 It has also developed a large fan base outside its domestic market with shoppers from Hong Kong, Taiwan and mainland China flocking to its stores. (国内の市場だけでなく香港、台湾、中国本土の顧客も店舗に殺到してモンベル・ファンの層が大きく成長した)。with〜-ingが「付帯状況」の構文で「主語+動詞」の変形だと見るといい。
「登山家は弱虫で用心深い人たちだ。雨や雪の心配をしていて冒険家なんかではない、」と自分の少年時代を振り返る。Tatsuno has applied a similar logic to his own business from its early days, planning ahead for survival. (辰野氏は同様の論理を当初からビジネスに応用し生き残りの計画を立ててきた)。 “It’s out of control. The company has grown automatically,” he laughs, joking that he had little to do with its rocketing success.(「コントロールできるものではない。会社はいつのまにか成長したのです。この急成長に自分はほとんど関係しなかった」、と冗談を言う」。21才で友人とスイス・アルプスの「アイガー北壁」に日本人として初登頂に成功したことがビジネスに生きている。Tatsuno was certain that fabric innovations could vastly improve outdoor gear. “We were the users, we knew what we needed and what was not available,” he said.(辰野氏は素材の改革でアウトドア用品が飛躍的に向上すると信じていた。「自分がユーザーで、何が必要で何が手に入らないかを知っていたから」と語った。) 尾上









