2021年11月4日(木)裾野市民文化センター
「紅葉の村山古道」
紅葉の美しい季節になったね。先日は御殿場から富士宮に通じる「富士山スカイライン」をドライブしたら、標高1400mあたりは真っ青な空に赤や黄色やオレンジ色の森林がまるで燃え立つようで思わず歓声を上げたくなるほどだった。真っ赤なモミジばかりの「日光いろは坂」のようではないけれど。富士宮市に入ったところで空き地に車を停めて、江戸時代以前の登山に使われていた「村山古道」を下って行った。歩道の左右には溶岩の上に色鮮やかな苔がびっしりと敷き詰めてまるで緑の絨毯だ。
放置され荒れ放題だった「村山古道」を最近掘り起こし整備してくれたグループのおかげで、赤いリボンが要所ごとに枝に結わえてある。それを見落とさないように歩くのだがときどき道に迷う。枯沢を下って登り返すと空き地に石の祠が立っていた。「中宮八幡堂」の案内板を読んでみると、これは修験者のためのお堂で今も麓の村山神社の祭礼が開催されるそうだ。さらに下っていくと大きな林道に出た。そこで「アケボノソウ」の大群落を発見して感激!咲いたあとの枯花ばかりで残念だが・・・
2年生のICさんは前回「人の〜をたたく」の構文で「pat 人by the 部位」を勉強した。He had just closed his eyes to try to go to sleep when he was shaken violently by the shoulder.の後半もその例で「彼は肩を激しく揺すられた、」と受動態で訳す。前半は「過去完了形」に注意して、「ちょうど眠ろうとして目を閉じたその時に」と訳せればよかった。今日はforを使うイデイオムを勉強し、英文「老人問題」を和訳した。If you are, or soon will be, responsible for elderly parents,・・は動詞のareの後に挿入された語句がその「未来形」であることに注意して、「あなたに今高齢の両親の責任があるなら、あるいはもうすぐ責任が生まれるなら、・・」と訳す。
YAさんは今日be proud of (〜を誇りにする)be ashamed of(〜を恥ずかしく思う)などの慣用表現を勉強した。More and more people are aware of the dangers of eating too much animal fat. 「動物性脂肪を食べすぎることの危険性に気づいている人がますます増えている」。この文でも前置詞のofが「〜を」の意味で目的語の前についているね。和文英訳の問題ではかなり上達してほぼ正解だった。「なんでも気に入った本を読むというのが、良い考えだとは思いません」は、I don’t think that it is a good idea to read whatever book you like. のように関係代名詞のwhateverがany book that you like(好きなどの本でも)の意味で使える。
KA君は前回「熊本大」の英文「悲しみを楽しむ」がほぼうまく和訳できた。難しかったのはPeople should learn to appreciate this emotion in a positive way. 「人々はこういう感情を前向きに認めるようにならないといけない」。動詞appreciateを「感謝する」と訳してしまったね。その単語は「〜の価値(price)を認める」が原義で、そこから「〜の行為に感謝する」の意味が生まれたのだ。今日はfromを使う動詞のイデイオムを勉強し英文「出世のチャンス」を和訳した。The opportunity to move up and down the social scale is very different from what one finds in the rigid class structure of some countries.で、このwhatは関係詞の「もの」だけど具体的に何を指すのか?「(米国の)社会の地位を上ったり下りたりする機会は、一部の国々の固定した社会構造で見られるもの(機会)とはずいぶん違っている」。 尾上
(追記)15年前に「富士山・村山古道を歩く」という本が出版されて、最近静かなブームになっている。今年の夏にはラン科の花探しに来て、ここで九州から来た老人や若い男女に出会ったこともある。私も挑戦してみたくて、この日はコース下見と紅葉狩りをかねてちょっとだけ往復してみた。9月に富士宮口5合目から山頂「剣が峰」まで登ったし、先月は1400mのスカイラインから2600mの「新6合目」まで「村山古道」を登ったので、今年中にぜひ残りのコースを歩いてみたいと思っている。海抜ゼロメートルの「田子の浦」からこの「中宮八幡堂」まで登れば完成だ。
江戸時代以前の「富士登山」は、「東海道」を来てこの「村山」や裾野の「須山」から登っていたのだけれど、富士宮の「浅間神社」からの「登山道」ができてから100年、「村山古道」は廃れたままだった。さらに江戸が日本の中心になって富士山信仰がブームになってからは、ほとんどの富士登山は「甲州街道」を来て富士吉田の浅間大社から登るようになった。「世界文化遺産」に認定された「吉田登山道」を歩いてみると、「富士講」の石碑や石畳がいたるところに残っているよ。