「吉原高校の体育祭」
5日は教員生活の出発点、思い出の町吉原に行った。「吉原高校」で今日は体育祭だから青春時代にタイムスリップして生徒の若々しさにふれてこようと、十里木高原を越えて海の見える吉原の市街地へ下って行った。校舎の前庭にあった池は今も鯉が泳いでそれが唯一往年の面影で、床がピカピカだった木造校舎は消えている。体育祭は午後の部の最初にブラスバンドのにぎやかな曲に合わせて全校生徒が声をそろえて歌い踊っている。昔の女子高時代の伝統か、「部活対抗リレー」が始まったのだ。教員もチームを作って生徒と走っているよ。あの一人は、あれ、見たことあるような、、沼津東高で一緒に英語を教えた平井剛先生じゃないですか?20年ぶりの再会ですねえ。
体育祭を1時間ほど楽しんでからの帰り道にある「富士東高校」の横を通ったらそこでも体育祭の真っ最中だった。「伊豆中央高校」や「長泉高校」と共に45年ほど前「第二次ベビーブーム」の頃にできた新設校のひとつだ。さて富士山に向かってぐんぐん登ってくると「富士市立丸火自然公園」に来た。「丸火」(丸尾とも)とは溶岩のことで富士山の自然の森をそのまま残してある広大なキャンプ場だから人気が高い。その中に美しい山の花「ササユリ」がそろそろ咲くはず、と聞いていたからこの花を見るのが実は富士市訪問の第一の目的だった。森の散策路にはもう少しで開花しそうな2輪がほんのりピンク色の花弁をもたげて・・・
しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜8」
昭和45年、結婚して直後に転勤となった島田商業高校には9年勤務した。二人の息子もここで生まれた。東海道が大井川にぶつかる旧宿場町「島田」は川根茶の集散地で、今も我が家は島田駅前の「飯塚茶舗」からおいしいお茶を取り寄せている。「八十八夜」の新茶の季節になると学校正門の前にある製茶工場「原田製茶」の芳しい香りが正面玄関の上にある「英語科準備室」によく漂ってきた。LL教室に隣接していて授業用の音声テープやたくさんの教材を保管し準備するのだが、そこは英語科6人の研究室としても重宝した。同僚だった山下哲之、増田儀助、高島仁子、片山勝之先生の名前が懐かしい。私が講師役になってロシア語の勉強会もやったなあ。
のどかな伊豆半島の小さな港町の稲取高校から島田商業に転任したその年(1970)の秋日和の朝、「三島由紀夫、自衛隊で割腹自殺」の事件があってメディアの報道が衝撃的だった。介錯役の隊員に切られた三島の首が総監室の絨毯の上に転がっているスクープ写真も載った。1年前の夏「伊豆下田」の浜辺で遊んでいる三島由紀夫と家族を目の前にしていたから一層だったなぁ。さらに47年の2月には連合赤軍の「浅間山荘事件」がテレビで生中継された時には、ほかの先生たちも一緒にLL教室のコンソールルーム(調整室)にあるテレビで食い入るように見ていた。私が外語大を卒業した直後から東京の多くの大学で学園紛争が激しくなり、外語大でも正門にバリケードが築かれ、様々な事情で卒業を遅らせた同期の友人は1年2年授業のない日々が続いたそうだ。 尾上









