「樹空の森 バラ園」
20日は私の誕生日。いよいよ80才になった、というのにまだまだ人生に未練があるんだな。この記念すべき日に御殿場市役所の「社会教育課」に行って、「ひろがり学習塾」ボランティア講師募集の応募用紙を頂いた。国や県が進める「生涯学習」の一環だけど、私も10月からの後期に「英字新聞を読もう!」という講座を開設したいと思っている。市内の大学生や社会人さらにお年寄りにも対象を広げて、英語を通じて「知の世界」を楽しみたいと思う。私が日頃ネットで読んでいるBBCやUSA TODAYなど英米の新聞だけでなく、参加者が日頃から興味を持っている新聞や雑誌、ネット情報などを持ち寄ってワイワイ「読書会」をするのはきっと楽しいだろうな。
御殿場駅前の一等地に2年前、「けやきかん」という名の新しい「市民サロン」が出現した。この日訪れて下見で2階に上がってみると、一人用ブースに仕切られて中高生がよく利用している「自習室」(32人)と「母子」のためのスペース(20人)のほかにイートインの「ラウンジ」がある。そして36人も収容の「生涯学習室」があって視聴覚機材もありそれが無料で使用できるという。私の講座には最適のすばらしい会場なのでその場で予約をすることにした。「ひろがり学習塾」では後期として10月から来年3月まで8回開講する決まりなので、月に1〜2回土曜日の夜間2時間を借りることができた。今年は新たな出発の年になりそうだ・・・
しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜10」
55年前、稲取高校に赴任して出会った同僚の先生たちから受けた影響は大きなものだった。生物の佐藤先生「ヤッさん」はシダ植物が専門で、東伊豆や下田に生育する植物の名前をたくさん教えてもらった。「北アの奥穂3192mに登ろう!」と同僚4人で上高地に行き、「涸沢」から山頂の「穂高小屋」に一泊し翌日「岳沢」に下った。そこで教わった高山植物が黄色の「シナノキンバイ」と白色の「ハクサンイチゲ」で今も思い出深い。社会科では佐々木が2人いて、一人は生徒に一番人気の「ササヤン」こと義明先生。稲取で教え子と結婚し赤ちゃんをおんぶしている姿を今も思い出す。金沢大学出身で、「白山」登山で事故死した友人を背負って下山したという山男でもあった。
もう一人、日本史の佐々木忠夫先生は「サチューさん」。ハンサムな京都大学出身のインテリだけど、夏休みは下田の白浜海岸で家業の「海の家」を経営していつも短パンにゴム草履姿だった。家の名前「サッチモ」は、トランペットのうまい低音の歌い手で、大好きなジャズの王様「ルイ・アームストロング」(1971没)の愛称だ。一番影響が大きかったのが「ナベさん」こと渡辺秀夫先生。偶然にも東京外語大の10年先輩で、ボート部員だったという巨漢の頼もしい人。「中国語」を専攻し英語ではなくて社会科の資格を取った。組合活動のリーダーで後年静岡市で「高教組委員長」として辣腕を振るい私たち組合員の羨望の的であった。私たちの結婚式の仲人もやってもらった恩人なんだ。 尾上









