「英虞湾のホテルで」
山梨の弟夫婦、東京の従妹夫婦と相談し、尾上と松村両家の「3回忌」法要を一緒にやることに決めて、29日朝東名高速を走って三重県に向かった。御殿場から400キロもあるから京都や大阪に行くのと変わらない。祖母(松村)の故郷である伊賀市上野農人町には大阪にいた祖父が愛妻のために建立した墓所がある。真言宗「愛染院」といって俳聖「松尾芭蕉」のゆかりの寺で、近所に芭蕉の生家が現存し寺内の「芭蕉塚」には芭蕉の遺髪が納められている。由緒あるお寺なので遠隔地ではあるけれど、墓所をそのまま今も移動せずにある。20年6月に叔父が、11月に母が亡くなったので今日はコロナ対策もあって遅ればせの3回忌になった。
私たち3家族6人は前日の宿泊地に「志摩半島」の先端にあるホテル「ベイサイドテラス」を選んだ。「英虞湾」のリアス式海岸で有名な「賢島」にあって、2016年サミットがオバマ大統領やメリケル首相を招いて開催された「志摩観光ホテル」の隣にある姉妹館だ。静かな入江がテラスの眼前に広がる部屋はスペイン風の白い3階建てで、池のある中庭(パティオ)を回遊するような設計だ。このホテルのレストランで人気のフレンチのフルコースを味わいたい、というのが6人全員の希望。近くの海で採れたアワビと伊勢エビ、そして地元「松阪牛」のステーキが濃厚な味わいに調理されじつに極上のおいしいディナーだった。2時間のパーティが瞬く間に終わった・・・
しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜7」
私が島商に赴任した50年前には県内の高校にLL機器が設置されて、先生のコントロール室と生徒1クラス分のブースを備えた「LL教室」(語学研修室)を毎週使うようになった。ヘッドフォーンから流れるテキストを聞いてマイクに自分でリピートしてみるから会話じゃなくてリスニング中心だった。(数年後「東京大学」の駒場校舎に行ったら、そこでは新入生全員がこのLL教室が必修だったのには驚いた。今もきっと続いていると思う。)それから10年後にはその機械も埃をかぶるようになり、代わりに欧米の外人助手ALT(Assistant Language Teacher)の登場となった。県の教育委員会に所属して、ひと月に数回いくつかの学校を訪問する。日本の経済力が高まり、外貨(ドル)減らしのため米国から人材を雇うよう要求されたのだ。
年々採用の外人教師の数も増え、今では各高校に一人ずつ配置され授業の単位に組み込まれている。必然的に文科省で採用される外人教師の質も低下してきた。かつては米国の名門大学を出て「日本文化」研究のためとか、「日本企業」での活躍を夢見る優秀な青年が見受けられた。1年間のALTを終えてから日本の新聞社に採用された米人もいた。しかし最近は給与も低くなり大学出なら英語がしゃべれるというだけで、東南アジアや日系人も含めてアルバイトのように採用されて教育意欲のない外人もいるようだ。高校の集団教育では「英会話」は効果が望めないので、昔のように「英文法」と「英作文」の時間を増やすべきだ、というのが私の意見です。 尾上
