「牧野記念庭園へ」
山野草を求めて毎日のように箱根や富士山を歩きまわっている私には、NHKテレビの朝ドラ「らんまん」は先週の最終回まで毎朝楽しみだった。「バイカオウレン」は4月に西湖の近くで見つけたし「ジョウロウホトトギス」は我が家の庭に今咲いている。それで今日は久しぶりに東京に出かけて、植物学者「牧野富太郎」が晩年住んでいた練馬の住居跡に行ってみた。学生の頃よく使った西武池袋線にのって「大泉学園」で降りると歩いてほんの数分だった。練馬区立の「記念庭園」には大勢の人が訪れ記念館の前には長い行列。「らんまん」のおかげで来場者が10倍に増えて嬉しい悲鳴、とのこと。
庭園の一角には牧野博士の胸像が笹の海の中に立っていた。これが寿衛夫人の内助の功に感謝して牧野が名付けた「スエコザサ」だな。正式なラテン語の学名にもなった。江戸時代長崎に住んだオランダの学者シーボルトが夫人の「お滝さん」にちなんで日本固有の花「あじさい」にオタクサの学名を与えたことも有名だ。やっと順番が回って入場した記念館には自筆の植物画がいくつも展示され、私の好きな「ホテイラン」はうっすらとピンクに彩色され、顕微鏡を使って細かく観察した様子がわかる。大きな口を開けておどけて見せる姿や「金時山」の大岩を登っている写真も面白かった・・・
今日は木曜日。「裾野教室」があれば授業の内容が書けるのですが、今年4月以来しばらく休止しているので、「言語学と私」について話してみましょう。今日はその2回目。
大学3年生で初の海外、それも「シベリア」に貨物船で旅行できロシア語通訳としてアルバイト料もたくさん頂けた。それでこれから面接など公式の場で必要となる背広と念願のオーディオコンポを買うことができたよ。専攻のロシア語を生かしたアルバイトは数が多くはない。私と同じ夏休みにクラスメイトの一人小山君はある水産会社のロシア語通訳に採用された。北海道・根室港からカニ漁に行く漁船「蟹工船」に乗り日ソの国境侵犯などでトラブルになった時の通訳をやる仕事だ。大学を休んで半年近く漁船に乗っていたから心身ともに疲労がたまり体調を崩して、結果大学に復帰できずに早世してしまった。
大学4年になると「古典ギリシャ語上級」を選択した。今は東大名誉教授の風間喜代三先生が土曜日だけ講師で来て私一人のために授業をしてくださった。初級の20名から上級では数名に減り、それも消えて私一人が残ったのだ。それでもギリシャ哲学者「プラトン」の「シュンポシオン」(饗宴)を原書で先生と読んだ感動は忘れられない。寝そべって酒を飲みかわしながらプラトンの弟子たちが「愛」について語り合う場面がある。「人間は元来男女が一体であったが、神の罰で2つに切られてしまいお互いに自分の半分(better half)を求めてさまようことになった。その証拠にそれぞれの背中はのっぺらぼうでしょう?」
