「明星ケ岳に登る」
箱根の強羅温泉に旅行したことがあれば、きっと真正面にそびえる「明星ケ岳」を覚えているでしょう。頂上近くの草地に切り取られた大きな「大」の字が読めるね。そう、そこで毎年8月16日、お盆の最後に「ご先祖様の送り火」として灯されるのが「大文字焼き」で、始まってから100年になったそうだ。今年も雨模様の中実施されたのを見に行ったよ。京都東山で同じ日に開催される「大文字焼き」は400年以上の歴史があって「五山の送り火」の名で有名だけど、一本線のかがり火だから街中から見上げると少々貧弱に見えたよ。しかしこちらは2本線で隈取りした「大」の字なので、宮城野の渓谷をはさんで向かい合う強羅の街からははっきりよく見えるんだ。
4日の朝、箱根宮城野の「明神ケ岳」登山口から出発。紅葉の枯葉を踏みながら急斜面を90分登り、いよいよ山頂かと思う時パッと展望が開けた。樹木や草が刈り払われた広い急な斜面に出た。大きすぎて「大」の字のどの部分か判別できないが一番上らしい。真正面にそびえるのは「早雲山」と噴煙の立つ「小涌谷」だ。その山麓で直線的に区画された大きな市街地は強羅温泉のようだ。目を凝らしてみると「強羅駅」から一直線に登って行くのは「ケーブルカー」。その左に「強羅公園」と「明星中学」のグラウンド、「彫刻の森美術館」も見えた。ここは明治の偉人「渋沢栄一」が開発したリゾート地なんだ・・・
今日は木曜日。「裾野教室」の日ですが今年4月以来しばらく休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。今日はその6回目。
私の正式な「指揮者」デビューは1979年「御殿場南高校」に転勤してからだ。千葉に住む高齢の父親が私たちと同居したいが東京でもまだ勤務があるからと、島田からの中間点になる「御殿場」で合流したのであった。父親は「東名高速バス」で毎朝2時間、新橋まで座ったままの昔の電車よりずっと楽な通勤が始まった。南高では音楽が非常勤講師のため私が吹奏楽部の正顧問に迎えられた。その前年に「御殿場市民会館」がオープンし南高が3月、そこの大ホールで「第1回雪どけコンサート」を生徒の指揮で実施したばかりだった。指揮のできる先生が始めて着任したから大歓迎だったよ。3年生の部員が引退し、新入生も大勢入部してさっそく新メンバー50人で活動が始まった。
8月の吹奏楽コンクールに向けて「課題曲」は青木進の「フェリスタス」、「自由曲」は「エリクソン」の「ジュビローソ」に決め猛烈な練習が始まった。小山町須走の自衛隊「富士学校」に吹奏楽団があって御殿場市民にも馴染みもあり、中学や小学校でも吹奏楽や鼓笛隊の活動が盛んな地区で楽器指導の得意な先生も多く集まっていた。その頃コンクールは中学と高校が2日間共同開催していたので、私は中学の指導者たちとの親密な交友が始まった。当時のプログラムを家の天井裏から引っ張り出してみると、第20回「静岡県吹奏楽コンクール東部大会」は8月13・14日「富士文化センター」で開催され、南高は大編成で5位に入賞し始めて県大会への出場権を得たのだ。 尾上









