K高校のM君もパリに修学旅行中。Y君が部活の関係で三島にふりかえて、三島のM君が参加したので今日は4人。みんな期末テストを今日終えたばかりでだいぶお疲れ。でも、ヤル!
YさんとM君は79課「強調」。一般動詞、名詞、否定語句、疑問詞、比較表現がそれぞれ強調形をもつことを学ぶ。いわゆる「強調構文」の方が単純で覚えやすい。T君は75課「名詞構文」。succeed > success、 important > importanceのように、動詞や形容詞を名詞形に代えると、「接SVO」の文を名詞中心の簡潔な表現に言い換えられるが、語彙力が豊富でないとなかなか難しいね。
3年のSさんはいよいよ文法作文のシリーズ最後のユニットに到達。第20課「動詞の語法」。目的語をとるかとらないか、補語をとるかとらないか、目的語はto不定詞か、ing動名詞か、that節か、などなど、なかなか一筋縄ではいかない変わった動詞の使い方。TOEFLのテストにも通ずるね。「英検準1級」合格も目指してガンバレ! 英語はこれからが楽しくなる。 尾上
(追記)昔話、その3。あの歴史に残る「大学紛争」が始まりかけていた頃の1966年、私は外語大4年生になった。就職活動も気になるし卒論も書かねばいけないが、ちょっとすごいアルバイトを手に入れた。10月に来日するモスクワの「ピャトニツキー民族合唱団」の全国ツアーに同行して1ヶ月通訳する仕事だ。授業をしばらく休ませてもらい東京、京都、大阪、鹿児島をはじめ全国13都市での演奏会に同行した。・・・
ホテルで夜中に「お湯がほしい」というリクエストが多く、50人全員が寝静まるまで安眠できず、朝も早起きの団員に起こされる過酷な日々が始まった。テレビ局に出入りしたのも初めて。日本テレビの朝番組に出演する日はホテルで寝坊していて、一人置いて行かれてしまった(大失敗!)。飛行機に乗ったのもこのときが初めて。YS11という国産初の小型プロペラ旅客機で、重量級のロシア人ばかりで離陸に苦労したらしい。鹿児島空港に到着したときには、鹿児島大学の合唱団が歓迎のコーラスを聴かせてくれたのが思い出深い。前年のオリンピックに合わせて開通したばかりの新幹線「こだま」にも乗ってロシア人たちは感動。名古屋、静岡から東京に戻った。ロシアの民族楽器を使って歌い踊る20数回のコンサートを大好評のうちに終えて、ドルーク(親友)になった合唱団の人々を横浜「大桟橋」に見送った。私も新婚旅行で乗ったことがあるが、ロシア船「バイカル号」で帰国の途についた。津軽海峡を通ってナホトカからシベリア鉄道でモスクワまで10日間の長旅だ。・・・
その頃は「カリンカ」「バイカル湖のほとり」「ウラルのぐみの木」「ヴォルガの舟歌」などロシア民謡がまだまだ人気が高く、ダークダックス、ボニージャックスなどグループサウンズが全盛の時代だった。新宿や池袋の繁華街には「歌声喫茶」があって若者たちが集まってはアコーデオンに合わせて合唱を楽しんでいた。私も店で歌集を買って仲間になったものだ。来日の合唱団は日本とソ連(ロシア)の国交が回復して10年の記念に「日ソ交流協会」が招聘したもので、銀座の「石井音楽事務所」が担当した。社長の石井好子さん(今は亡き名シャンソン歌手)から「卒業してもこんなやくざな仕事をやるんじゃないよ、尾上クン・・」、と言われたが、とても充実した1ヶ月だった。
「後日談」・・・その15年後、島田市から御殿場に転勤で引っ越してきたら、我が家のウラの林の中に石井好子さんが別荘をお持ちで、しばしばスーパーで出会うことになるとは!
