高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


their poor social adjustmentは「名詞構文」。SVO〜の文に言い換えると、、
their poor social adjustmentは「名詞構文」。SVO〜の文に言い換えると、、
2023年5月21日(日)
御殿場市民会館にて
「八ヶ岳のホテイラン」
 母校「甲陽学院高校」の同窓会は、地元西宮市のグループとは別に東京組が「枯山水」という名称をつけて盛んに活動している。その名の由来は単純で、隔月の第3水曜日に会おう、というもの。今回も5月例会として恒例の「蓼科ゴルフコンペ」が2泊3日で企画されたので家内同伴でまた参加した。ゴルフをやらない参加者は夜の親睦会に出れば昼間自由に遊んでよいから私はいつも山登りだ。蓼科はいつも緑豊かで新緑の5月は特に気持ちいい。オレンジ色のレンゲツツジ、ピンク色のミツバツツジが咲き誇り「カッコー、カッコー」と野鳥のさえずりが森に響き渡る。遠くに残雪の八ヶ岳や南アルプスが見えて感動する。
 今回「八ヶ岳」の山頂はまだ雪が残って「山開き」の前なので、2400mにある「赤岳鉱泉」の小屋まで歩くことにした。「美濃戸」という別荘地の中を抜けると登山口の駐車場に着く。「硫黄岳」に向かう「北沢」を登って行くと「スミレ」や「黄花のコマノツメ」や「春リンドウ」が咲き乱れて見あきることがない。3時間も歩いてたどり着いた「赤岳鉱泉」で一休み。昼食に注文した醤油ラーメンが実にうまかった。「横岳」「赤岳」の威容を見上げながら残雪が固まった登山道をさらに「中山乗越」まで登った。「行者小屋」が見えてきたら足元に「ウスギオウレン」が一輪。そこからは下りで、「南沢」コースで「美濃戸登山口」に戻る手前には今日のお目当ての「ホテイラン」がピンクの艶やかな姿で咲きだしていたよ・・・

 2年生のMUさんはsuperior、seniorなど-orで終わる比較級を勉強した。和訳ではHowever it originated, once language arose it made them immeasurably superior to the highest of the lower animals and laid the foundations for the rise of civilized life. 「言語がどんな風に始まったにせよ、一旦生まれてしまえば言語のおかげで、人間は下等動物のなかのどんな高等なものよりとてつもなく優れた存在になって、言語は文明化した生活が生まれる基盤となった。」で、動詞のmadeとlaidの主語がlanguageで「無生物主語の文」だとわかれば、them(=human beings)を主語にして和訳する方がいいね。長めの単語immeasurablyは、接頭辞im-(ない)+語幹measure(測る)+接尾辞-ably(できるほど)と分析できれば覚えやすい。
 IKさんは前回長文で「現代家族と社会」の和訳が難しかった。While it is popular to lay the blame for their poor social adjustment on lack of discipline in the home and parental irresponsibility,・・・ は、theirが前文の「問題児の青少年たち」で、lay the blame on〜(〜に責めを負わせる)に注意すれば、「若者たちが社会に不適応になった責めを、家庭でのしつけ不足とか親の無責任のせいにするのが流行っているけれど、・・・」と訳せる。their poor social adjustmentは「名詞構文」のひとつで、動詞 adjustを使って「文」 に直した方が良い和訳になる。They are poor at adjusting themselves socially.のように。今日はno more than〜とnot more than〜の違い、no less than〜とnot less than〜の違いを勉強した。noはmoreを否定、notはmore than〜以下を否定するのだ。
2023/05/21 (Sun) 23:07


コンピューターはFORTRANとCOBOLから始まった
コンピューターはFORTRANとCOBOLから始まった
2023年5月18日(木) 
「清里の花たち」
 清里の「美しの森」には初めて来た。ほかの車の人たちは展望台の階段を上がってミズバショウを見に行くらしい。が、私は駐車場からやぶの中の細い足跡をたどって下っていくのだ。100歩も歩いたあたりにピンク色の点々が、「あった!サクラソウだ!ああ、あそこにも!」山の中に咲く野生のサクラソウは初めてだ。小川の作った小さな湿原を見つけたら、20本ほどの花束になった群落も。スリムな白い花「アマナ」も「春リンドウ」も一杯だ!
 山梨市に住む「花友」の雨宮さんの情報をたよりに「美しの森・駐車場のトイレの横」を入ってみた成果だった。清里高原に来るとまず「清泉寮」に行って、広い甲府盆地をとりまく山々を見渡しながら名物のソフトクリームをなめた。40年前に息子たちと家族4人で来た時にはここで「室内楽演奏会」があって、ホールの外のベンチに座って漏れてくる美しい弦楽に聞き入った思い出が懐かしい。突然の立ち寄りでチケットが完売だったから・・・
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜5」
 東伊豆で見るもの聞くものすべてが珍しく桃源郷のような2年間だったが、新婚生活を始めたばかりで稲取高校を去る時が来た。若い主任以下5人の英語教師のうちでまだ着任したばかりの私が転出することになり、1970年3月末静岡市のまだ先の島田市へ引っ越した。「島田商業高校」は商業教育でも野球の伝統でも「静岡商業」とライバルで活気にあふれていた。当時はコンピューターの草創期で、「情報処理科」のクラスを担任したので、生徒と一緒に私もプログラミングを勉強してみた。テレビの講座で「フォートラン」FORTRANや「コボル」COBOLなどもやってみたなあ。
 島商では最初にバスケット部を任された。ゲームの使用語が英語だから英語の先生が担当することが多いのかな。しかし運動音痴の私は生徒のすばやい動きについていけず1年で辞退。翌年から「吹奏楽部」の顧問となって特技が発揮できるようになった。高校や大学でやったトランペットやサキソフォーンやホルンが吹けたから。ここで演奏する曲は、吹奏楽の盛んなアメリカから直輸入の楽譜がほとんどなので英語が生かせた。「吹奏楽部」の顧問になって最初の指揮はストラビンスキーの「火の鳥」で、静岡の「駿府会館大ホール」で開催した中部地区だけのコンテストで1位がとれたよ。 尾上
2023/05/20 (Sat) 11:27


「鯨の公式」を考え直そう
「鯨の公式」を考え直そう
2023年5月14日(日)
御殿場市民会館にて
「マティス大回顧展」
 上野の東京都美術館でThe path to Colorと題して「マティス展」が先月末から始まった。私の大好きな画家の一人で、毎日混むだろうけど近いうち東京に出る機会を狙っている。パリの「ポンピドゥー・センター・国立近代美術館」から貸し出しの作品も含め150点も展示されているそうだ。これだけの作品数を一挙に展示する展覧会をRetrospective Exhibition (大回顧展)と呼んでいる。野獣派(フォービズム)の一人として原色を使い強烈な色彩の魔術師の異名をもつ画家だ。宣伝パンフレットのLarge red interior (赤い大きな部屋)はマティスの代表作で、壁も床もテーブルも深紅色だよ。同時代のピカソにもこんな配色はないね。
 若いころはイタリア16世紀ベネツィア派の絵画が私は好きで特にティツィアーノが気に入っていた。1976年夏のヨーロッパ一人旅ではベネツィアの「ウフィツィ美術館」を訪れ、代表作「フローラ」や「ダナエ」のその色彩の輝きにうっとりしたものだ。1992年冬、長男と一緒に米国旅行した折、ニューヨークのMoMA(近代美術館)でたまたま「マテイス大回顧展」が開催されていた。入場チケットを買うのに朝8時から長い行列の後ろに並んだよ。五番街で小雨降る中、イギリスからの若者、スペインからの女性たちの間に立って順番を待った。これは世界から集めたマティスが400点という古今東西、初の大規模な展覧会だったそうだ。それ以来マティスのとりこになって、その時買った分厚い画集を今日も開いて見ては・・・

 2年生のMUさんは前回英作文で「世の中で生きていくとき、他人の心がわかるか、わからないかで大きな違いが出てくる。」は、「違いがある」ではなくて「違いを生み出す」の方がベターだったね。It makes a great differenceで始めてwhether you understand others or not.でいい。「他人の心」は日本語の直訳でthe feeling of othersとやらないで英語のSV〜の文で表現した方が自然だ。日本語は「名詞」の羅列が多い言語だね。今日はThe more SV, the more SV.(〜すればするほどますます…)を勉強した。The smaller the house is, the less it will cost us to heat. の和訳は「暖房は、家が狭ければ狭いほどお金がかからない」で、普通の語順に直してみることが大切だ。「〜につれて」の接続詞Asを使ってAs the house is smaller, it will cost us less to heat. と言い換えればいい。「比較級」の語句にtheをつけて文頭に移動するんだね。
 IKさんは童話「赤ずきんちゃん」から始まる勧善懲悪のエッセイを呼んで和訳した。The key to a happy ending in Japan is not just the triumph of the hero, but also a conciliation with the defeated evil person. 「日本におけるハッピーエンドの大事なところは、主人公が勝つことだけじゃなくて、負けた悪人と仲直りすることでもあるんだ。」で、構文not just A but also Bは、「Aは当然だけどBもあるんだよ」とBを強調して和訳しよう。逆にB as well as Aという表現もあるね。not A but B(AではなくてBだ)との違いに注意だ。今日はいわゆる「鯨の公式」を勉強した。A whale is no more a fish than a horse. 「鯨は馬と同様に魚ではない」とどの参考書にも書いてあるよ。でもね、後半部の省略を補えば・・than a horse is a fish.だよね。「否定文」じゃないね。no more than〜は「〜と比べると、少しも上ではない。同じなんだ」の意味。 a little more than〜(〜より少し上)から考えるといい。だから直訳は「鯨が魚だといえば、馬が魚だというのと変わりがないよ」。 尾上
2023/05/14 (Sun) 23:00


英語劇「青い鳥」
英語劇「青い鳥」
2023年5月11日(木) 
「北海道の花たち」
 家内の歩行リハビリで、箱根の「湿生花園」に行った。園のホームページで月2回発行の「花だより」に見ごろの花が掲載されていて目安になる。身障者手帳を最近交付してもらったので入場料が付き添いの私も無料なのも嬉しい。入口で車椅子を借りて「高山の花畑地区」へ、お目当てのハナシノブを探しに直行だ。南アの「北岳」の雪渓にも咲くらしいけれど、2010年の夏一人で北海道「礼文島」に旅した時に見つけた可愛い花はレブンハナシノブと呼んでいた。ここのはエゾノハナシノブで6輪も咲いていたよ。薄紫色の花弁に黄色のおしべが5本突き出して実におしゃれな花、大好きだ。
 2019年は北海道の屋根と呼ばれる「大雪山」にも登ったよ。「層雲峡」から登った「赤岳」では雪渓にエゾコザクラが一面に咲いていた。エゾツツジ、エゾツガザクラなど「蝦夷」を冠する北海道の花々はどれもさらに色鮮やかで美しかった。その2日前「富良野岳」に登った時、ガスった山頂でやっとひとむら見つけたのは幻の花「エゾルリソウ」。瑠璃色の鈴のような花が一杯に群がっていた。その懐かしい花もこの湿生花園で咲かせているとは!黄色いマメ科の花「センダイハギ」は道北の「サロベツ原野」に咲いていたし同じマメ科で赤紫色の「レブンソウ」も「礼文島」で見た花だよ・・・

 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜4」
 昭和44年の冬、私は稲取の「黒根岬」灯台のレストランでこじんまりと結婚式を挙げた。パーティには同僚の先生や生徒たちも出席してくれた。東伊豆の大海原を見渡す丘の上にたつ「稲取高校」は、駅からの坂道をずっとみかん畑に囲まれて現世から隔絶された美しい「桃源郷」のような土地だった。漁業と観光がおもな産業だから、生徒は漁師の子供や温泉旅館の子女が多く誰もが純朴な屈託のない明るい性格だった。ある日、稲取駅前の独身寮に住んでいた私の部屋の扉をいきなり開けて、大きな篭を放り込んでいった生徒がいた。「先生、たべてくらっせい」と、親に言われて採りたてのサザエを20〜30個ももらって困ったことがある。
 担当した英語部には、後に千葉大や静大に合格した生徒もいて、小さな漁村の高校ながら玉石混交という楽しい学校だった。2年目の文化祭の「英語劇」には誰でも知っている「メーテルリンク」の童話「青い鳥」を演目に決めた。(註、この1969年には東京の「劇団四季」でもミュージカル上演されていたよ。)女子部員ばかりになって男子が1年の早川君一人しかいないので頭をひねった結果の選択だった。英語版を売っている店は町中にも下田や伊東に出かけてもないので、一日東京の神保町古書街に行って探し回った。チルチルとミチル兄妹が「幸せの青い鳥」を探して旅に出るお話で生徒たちも大好きになった。夏休みには伊豆湯ケ野のユースホステルで合宿練習し、その成果が十分出せた楽しい舞台になったよ。 尾上
2023/05/11 (Thu) 22:52


no more than〜とnot more than〜の違いは?
no more than〜とnot more than〜の違いは?
2023年5月7日(日)
御殿場市民会館にて
「御胎内のツツジ園」
 キンラン(金蘭)とギンラン(銀蘭)の美しい季節になった。昔は農家の庭や茅葺の屋根の上にも咲いていたというのにいまでは絶滅危惧種になって、山に行ってもめったに見られなくなった。それでも、我が家の裏に大きな林があってそこに今キンランが3本咲いている。球形の小さな黄色の花が開くと花弁の内側に紅色の筋が見える。この林は私有地だが私の密かな花園で、大木の根元にサイハイラン(采配蘭)が10数本つぼみを膨らませている。真っ白な鷺が群がって羽を広げたようなツレサギソウ(連鷺草)も2本、ことしも美しい姿を見せてくれそう。
 先日御殿場市印野の「御胎内清宏園」にギンランを探しに行ってみた。今はツツジとシャクナゲが一杯咲き乱れる広大な園内には「溶岩隧道」があって、ローソクを灯して真っ暗なトンネル(母親の胎内)を一周できる。その入口には「胎内神社」が安産の神様として祀られている。その社の裏に回ってみた、、、ない!赤い鳥居の下にあったキンランの大群落もないよ。最近ここにオートキャンプ場を敷設したのでブルドーザーで踏みつぶされてしまったのかなあ。40年前、夏のコンクールが近づくと御殿場南高校の吹奏楽部を引率して、生徒たちとこの「会館」で合宿練習したのが懐かしい・・・

 2年生のMUさんは前回「同志社大」の長文問題で、「現代家族と社会」を読んだ。内容一致文の選択も正解、難解な下線部和訳もほぼ正しく解答できた。There is at present a real danger of placing too much emphasis on the mother-child relationship to the neglect of the father. 「今日では、父親を無視してしまうほどに母親と子供の関係を強調しすぎるという現実的な危険性がある」。今日は「比較表現」でno more than〜とnot more than〜の違いを勉強した。It is no more than ten minutes' walk from here.(ここから歩いてわずか10分の距離です)はa little more than〜(〜より少し上)を基本にすれば「〜より少しも上じゃない、変わらない、〜だけ」で、onlyの意味に同じ。noがnotだとmore than〜を否定して「〜より上ということはない、同じかそれ以下だ、せいぜい〜だ」でat mostと同じになるんだ。no less than〜、not less than〜についても同様に考えてみよう。
 IKさんは「最上級の意味になるas〜as any・・、more〜than any other・・」を勉強した。She is as popular a singer as any in Japan.(彼女は日本のどの歌手にも負けないくらい人気がある)はShe is the most popular〜と同じ意味になる。主語を入れ替えて否定文でも同じ内容が言えるよ。No one in Japan is as popular a singer as she.(彼女ほど人気のある歌手は日本にいない)。I don’t do as many things I don’t like to do as I had to when I was young. も和訳しにくいね。2つ目のasは「〜と比べて」の接続詞で、後にSV〜がくるはず。前に出た語句を省略するから和訳するときには、それを補ってやるといい。had toの後に何が省略されているか?ここではas I had to (do many things I don’t like to do) when〜だね。「私は若い頃やりたくないことでやらねばならなかった事が多かったが、それとくらべると今ではそれほど多くはやっていない」。 尾上
2023/05/07 (Sun) 23:07


英語劇「夕鶴」Twilight Crane
英語劇「夕鶴」Twilight Crane
2023年5月4日(木) 
「自然ガイドデビュー」
 「篭坂峠」を越えて富士吉田の「富士山科学研究所」に着いた。今日はいよいよ「自然解説員」としてデビューする日。研究所の周囲の森を訪問者に案内する「ガイドウォーク」の今年度企画の初日に当番になった。30人以上が登録している中で、10年以上のキャリアをもつという荒さんと広田さん、二人のベテランに支えられ、その案内ぶりを午前中は参考にして、いよいよ午後1時の回に私のガイドデビューとなった。甲府から尋ねてきたという女性3人を45分間案内することになった。アカマツの林の中の生態園を一周しながら、樹木や溶岩、野鳥、コウモリ、草花などの解説をするのだがそれがなかなか難しいんだな。
 背の高いアカマツの林の中には、ソヨゴ、アオダモ、ウリカエデなどの灌木に名札がついている。「そこの枝にぶら下がった麻袋はなんですか?」ー(私)「ある動物がここに潜り込むんですが、さてなんでしょう?そう、コウモリですね。木の葉の傘の中に潜る習性を利用して研究員がコウモリの生態を観察しています。」と答えた。薄暗い林の中にはピンクのミツバツツジが華やかさを添え、足元にヒトリシズカとチゴユリをみつけた。「夏にはミヤマウズラという小さなラン科の花が一杯咲きますよ。羽を広げた白いヒヨコのような姿でとてもかわいい。またぜひおいでください・・・
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜3」
 吉原高校で始まった新米教師の7か月は瞬く間に過ぎた。翌年になると母校の東京外国語大学に学年末試験で一日戻って、必須科目の「教育心理学」の単位を習得し、晴れて東京都から「高校英語教員」の免許がもらえた。3月末の離任式で悲しい挨拶することになったが、「講師」から正式に「教諭」の資格になり、昭和43年4月新採用の高校に赴任することになった。そこは東伊豆町の「稲取高校」で、熱海から旧国鉄「伊東線」と出来立ての鉄道「伊豆急行」を乗り継いで伊豆半島の東海岸をかなり南下した港町「稲取」にある県立高校だった。
 稲取高校の教員は20才代の若い独身者が過半数で、生徒との年齢差も小さいからまるで大学生活の延長のようで、新人の研修所のような楽しい毎日だった。ここでも教科の英語のほかに英語部の顧問を任されて、秋の文化祭では日本の民話を題材にした木下順二の「夕鶴」Twilight Craneをやることに決まった。大学時代のシナリオを入手して練習を始めた。主役の「つう」の木村まりの他に男子の部員がたくさんいて、夫の「よひょう」には鳥沢勇が適任だった。「うんず」「そうど」も前田や梅沢を配した。文化祭前日には体育館の舞台練習がおそくまでかかり、結局学校に泊まることになった。本番の舞台は生徒たちの迫真の演技に、観客の中には涙を流すお年寄りもいたそうだ。英語がつうじたのかな。 尾上
2023/05/04 (Thu) 22:19


A bat is no less a mammal than a dog is.「コウモリは犬と同様に哺乳動物だ」
A bat is no less a mammal than a dog is.「コウモリは犬と同様に哺乳動物だ」
2023年4月30日(日)
御殿場市民会館にて
「飛鳥山の渋沢史料館」
 先日は大学同窓3人との都内トレッキングの日。都電「荒川線」の三ノ輪橋から「土手通り」を歩いて、隅田川河岸の公園の中を「浅草雷門」まで歩こう、と企画してJRの「王子駅」に集合した。将軍・徳川吉宗ゆかりの「飛鳥山公園」に初めて行ってみた。「王子駅」の前から小さなモノレールで山頂に着く。ここは昔から桜の名所で、気持ちの良い高木の森を抜けると児童公園の前に出た。幼い子供連れやベビーカーを押す若い母親の姿が多い。その展望テラスでは崖下にたくさんの鉄道線路が並んでいる。JRの東北本線、京浜東北線、高崎線などのほかにグリーンとブルーの新幹線が絶え間なく左右に飛びすぎていく。東京ー新青森の東北新幹線、東京ー新潟の上越新幹線だ。
 お目当ての「渋沢史料館」を見学して、渋沢栄一の図書館「青淵文庫」と賓客をもてなす茶室「晩香蘆」に立ち寄ってみた。母校の外語大がここから路面電車で10分の近距離にあるのに初めての訪問で、来年1万円の新紙幣の顔になる明治の実業家「渋沢栄一」が晩年この「飛鳥山」に住んでいたことも知らなかった。一昨年、NHK大河ドラマ「青天を衝け」を毎週見ていてその波乱の生涯に触れてから今も大いに興味を持ち続けているよ。箱根でも「強羅」に別荘地を開拓して「強羅公園」が残っているし、「仙石原」を広大な牧場に変えて牛や羊による酪農を奨励した。牛乳やバター、毛布を作る事業に取り組んだそうだ、、、

 2年生のMUさんは前回、There are numerous medical and psychological studies which show that sick people who have petsの後の文を埋める問題で、recover faster than those who don’t. と並べればよかった。「ペットを飼っている病人は飼っていない病人よりも回復が早い、ということを証明する医学論文や心理研究がたくさんある」。今日は「比較構文」の中で特に難しい「鯨の公式」をやった。A mermaid is no more real than a ghost is.で、no more は「〜より上ということはない、同じだ」の意味で、文尾にa ghost is realと補えば、「人魚が実在するといえば、幽霊が実在するというのと同じだ。(ありえないことだ)」の意味になる。逆にno less〜thanも「〜より下ということはない、同じだ」の意味になるから、A bat is no less a mammal than a dog is.の訳は、「コウモリは犬と同様に哺乳動物だ」。
 IKさんも「比較構文」でnot so much A as B (AというよりむしろBだ)をやった。接続詞asに注意して直訳すれば「Bと比べるとAはそんなに多くない」だね。その構文が含まれる英文の和訳に苦労したが、問題はandの用法だった。The English have always been attached to their home, not so much owing to their affection for their family as to their dislike of interference from others, and to their love of being alone and minding their own business. 「英国人は昔から家庭に愛着を感じてきた。それは家族への愛情のため、というよりむしろ他人からの干渉を嫌ったり、一人きりでいて他人のことに関わらないことが好きであるためだ」。1つ目のandは直後のto their loveと前のto their dislikeに、2つ目はmindingが前のbeingと同じ形で並列しているね。「A and A’のルール」に注意して、andやorに気づいたら△マークをつけるようにしよう。 尾上
2023/04/30 (Sun) 23:01


「生きるべきか死すべきか、それが問題だ、、、」
「生きるべきか死すべきか、それが問題だ、、、」
2023年4月27日(木) 
「金時登山道 開通記念」
 今日も金時山へ。327回目はひさびさに足柄峠から登ってみよう。足柄城跡からは静岡と神奈川の県境のなだらかな尾根道を2キロ走るとゲートに突き当たる。金太郎のマスコットとちいさな鯉のぼりが迎えてくれた。4年前の台風で崩落した登山道がこの春やっと修復されて開通できたので、小山町が記念品のタオルを差し上げます、とのお知らせ。よし、山小屋で貰うことにしよう。紫のタチツボスミレやヤマザクラが咲く尾根道をたどるといよいよ急な上りにさしかかった。別名「猪鼻山」というくらいだから、イノシシの鼻のように絶壁の切り立った岩場の連続なんだ。
 この北側の斜面でしか咲かない花が楽しみで登っていく。あっ!もうイワカガミが!つるつる光る丸い葉の上にピンクのフリルのスカートを広げたような可愛い花が。「紅花姫イワカガミ」のツボミ群落のなかにほんの数株だけ開花していたよ。今年は早いなあ!半月も前倒しで咲くから予想しにくいよ。ルートをはずれて秘密の岩陰を覗いてみると、「おっと!オノエランだ!一株はつぼみがふくらんでいるよ、、あと1ケ月後かな?」さて、そろそろ山頂に近づいた。「あったあった、コイワザクラ!」直立の急な崖にしか咲かないからなかなか写真を撮りにくいよ、、
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜2」
 私の前任の飯塚先生は経験豊かなベテランで、引継ぎも出来ずに退職されたから(校長とケンカした、とか?)、私のような初心者には試行錯誤の連続だった。学期の途中の変更は生徒たちにも不幸だね。教科書を途中から始めるのも難しかった。リーディング(読本)はとりあえず丁寧に説明したら50分の授業でパラグラフ一つ、7行しか進まない。同じ英語担当の星野教頭先生に授業視察していただきいろいろアドバイスをしてもらった。教頭とは、私が沼津の叔父の家に下宿していたので吉原から一緒の列車で帰ることも多く緊張した。
 楽しいこともあった。翌10月の文化祭では「英語部」が英語劇を出すことになった。その幕前の前座として、託された私は大好きなシェークスピアの名作「ハムレット」の中で恋人オフィーリアの一人芝居を選んで、授業でも教えている2年生の米山裕子にやらせることにした。「生きるべきか死すべきか、それが問題だ、、、」と悩む王子ハムレットに、間違って自分の父親を殺され気が狂って宮廷を歌いながらさ迷い歩く、という有名な場面だ。たった一度きりのステージだったけど、真っ白なロングドレスに包まれて野の花を抱きながらじつに堂々と見事に演じた姿をいまもくっきり覚えているよ。ロンドンの劇団の名優による「ハムレット」の全曲レコードを何度も聞いて、美しい英語で語りハスキーな声で歌っていたなあ。 尾上
2023/04/28 (Fri) 0:12


「A and A’ のルール」
「A and A’ のルール」
2023年4月23日(日)
御殿場市民会館にて
「麗しきユウシュンラン」
 放映中のNHKテレビ朝ドラ「らんまん」が実に面白いよ。午後や夜に再放送もやっているね。第1週「バイカオウレン」第2週「キンセイラン」第3週「ジョウロウホトトギス」のように馴染みの少ない山野草の名前が副題になっていたね。私はぜーんぶ実物を野山で発見しているけどね。今週は「ササユリ」でこれも私の大好きな花のひとつ。主人公「万太郎」は後に植物学博士になった「牧野富太郎」(1862〜1957)のことで、造り酒屋「峰屋」の長男で高知県の田舎町の神童と呼ばれた才能あふれる人物なんだ。
 一昨日、小山町の「富士霊園」にいつもの墓参に行った。316年前の「宝永山」の噴火で火山灰が厚く降り積もった後、自然の姿の野山に育った広大な園内には珍しい花がいくつか見られる。その一つ、川端康成や井上靖の写真が展示された「文学の庵」の前庭に10センチほどの小さな花、ユウシュンランがぽつぽつと8本ほど飛び散って咲いていた。牧野の後輩で同じ植物分類学の泰斗、と呼ばれれた「工藤祐舜」(1887〜1932)が発見し自分の名をそのままつけた。同じ「キンラン属」のギンランの仲間で透き通るように美しい・・・ 
 
 2年生のMUさんは「最上級の意味になる原級、比較級」をやった。asとthanが「比較」の接続詞で共に「〜と比べると」の意味であること。その後に省略語があることに注意しないといけない。There is no single thing in my adult life so regularly unpleasant and burdensome as homework was in my youth.の和訳では、no〜so〜as・・(・・ほど〜なものはない)に注意すれば、「若いころ宿題がいつもいつも不愉快で重荷だったのと比べると、大人になった生活ではそれほどいつも嫌になるようなことは一つもない。」と訳せる。as homework wasの後に同じregularly〜を補ってみると良い。
 IKさんは前回英文和訳が難しかった。The overseas visitor…would be even more astonished if he had the opportunity of visiting all the countries where English is used and of experiencing all the varieties of English that exist. 「・・・のような海外からの旅行者は、もし仮に英語が使用されるすべての国を訪問して、この世のすべての種類の英語を経験するような機会があったとしたらもっとずっと驚くだろうが。」では例によって「A and A’のルール」を思い出せばよかった。ここではof visiting〜とof experiencing〜が並列なんだね。さらに、2つの行為じゃなくて、「一つながりの行為」にも注意。このルールは「andの後を見よ!」で、「同じ種類の語句を前方に探せ!」だ。 尾上
2023/04/23 (Sun) 22:36


「英語教師 なりはじめ」
「英語教師 なりはじめ」
2023年4月20日(木) 
「強羅公園」
 きのうはまだ4月だというのに初夏の陽気だったね。箱根のドライブに出かけてまずは「早雲山」に向かった。早川渓谷に沿って新緑がまばゆいほど美しい。箱根も桜の季節が終わると赤や白のツツジの世界になった。宮ノ下から急な坂を登りつめるとケーブルカーの終点の「早雲山駅」に着く。駅舎は最近改装されて、2階の展望台に半円形の長い足湯ができた。そこにはテーブルもあるので、今日の目的は弁当持参で足湯につかり、箱根外輪山の「明星ケ岳」「明神岳」を展望しようだった。様々な顔つきの外人たちも珍しがって、私たちの隣に座ってズボンをまくり上げて脚をお湯に突っ込むから国際親善の混浴だね。
 午後は坂を下って「強羅公園」に寄ってみた。家内の歩行練習もかねて、急斜面の上の裏門から入り、階段やスロープで少しずつ下って行った。ここでも外国の観光客に大勢出会う。有名なローズガーデンはまだバラには早すぎていたけど、シャクナゲやツツジが満開で素晴らしい。階段を少しずつ下りて中央の「噴水広場」に来ると色とりどりの草花に縁どられて、周囲の洋風カフェやレストランもあって記念写真をとるのには絶好の場所だ。100年以上も前の大正年間、別荘に来た避暑客たちのために造成された左右対称のフランス風公園だそうだ・・・
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ」
 今から56年前の昭和42年、吉原高校には9月から常勤講師として採用された。つまり、ほかの先生と全く同じ勤務形態で資格は講師。7月に静岡県の教員採用試験を受験、10月には東京都の試験も控えてまだ合否の結果が出てはいなかった。卒業はしたけれどまだ東京外語大の聴講生に籍を置いていて千葉県柏市の実家にいた8月末、吉原高校の浦辺校長先生から電話があった。英語のベテラン教員が突然退職したのでその後任として来てほしいと。「女子高」と聞いて私は逡巡したが翌日受諾のお返事をして静岡県に向かった。大学は週に1回出席すればいいから。
 製紙工場に囲まれた吉原市(後に富士市に編入)は東海道線で吉原駅に着く早々煙突の煙と臭気に悩まされたが、緑が丘の上に立つ高校までは届かなかった。富士山を背景にした木造の歴史ある校舎で、前身の「旧制吉原高等女学校」は「沼津高女」(現沼津西高)、「三島高女」(三島北高)と共に名門の誉れ高かった。(ちなみに私の母は大正10年の生まれで「三島高女」の出身)。9月1日から私はなんの練習もなしにいきなり2年生と3年生の英語の授業を途中から引き継いで担当することになった。17、8才の大人びた女子ばかり1クラスに50人もいる前で24才のお兄さんにどんな授業ができただろう。 尾上
2023/04/20 (Thu) 21:47


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