73年前の今日、ハワイの「パールハーバー」奇襲で太平洋戦争が勃発した。「日米開戦」と共に3年半いや10年以上に渡る塗炭の苦しみが始まった日。小国日本があの強大なアメリカにケンカを仕掛けたなんて信じられないね。「窮鼠猫をかむ」のたとえがあるけど。
TACさんが2週間ぶりに参加。修学旅行でパリ市内をグループ研修したそうだ。身振り言語でなんとか通じたけれど、事前に仕入れておいたフランス語を数回は使うチャンスがあったらしい。貴重な経験になったね。しかし、なぜ英語圏のイギリス、アメリカ、オーストラリアでないのだろう。特にフランス人は英語を知っていても使いたがらないのに。この修学旅行の教育意図はなんだろう?言葉の通じない国に放り込まれるのも人生経験なのかな。
TACさんに前回の和訳を返却した。A and A’を早く身につけて、andやor、butを見つけたら三角マーク△が付けられるといいな。桃山学院の問題でWhereas one gesture may be common in a particular culture and have a clear interpretation, it may be meaningless in another culture or even have a completely opposite meaning. でもandは次の動詞原形haveと前の動詞原形beが並列だし、orも同様に次のhaveと前のbeが並列だと見抜くこと。「ある身振り言語がある特定の文化では一般的なものであっても、別の文化では意味を持たないものであったり、全く逆の意味もったりすることもあるかもしれない。」
T年TAMさんは「不定詞」で日本女大の「入試にチャレンジ」をやってみた。修飾語(Modifier)の働きはこういう問題で力がつくよ。修飾語(M)の位置に注意。M1+S+V+O+C+M2+M3+M4となっていたら、M1は後の文全体を修飾する。M2、M3、M4などは直前の名詞(形容詞的用法)だけでなく、前方の動詞(V)を修飾すること(副詞的用法)もよくあるから気をつけよう。次の前置詞句も後ろの文にかかるよ。In the past people became famous・・「昔は、人々は・・」であって「昔の人々」ではダメ。Yesterday I went to the sea.「昨日の私は海へ行った。」ではおかしいよね。同様にBecause the media are everywhere 〜,we get used to ・・も「メディアが〜なので、私たちは・・」と訳す。Why・・?と聞かれてBecause〜と答えるのはIt is because〜「それは〜だからです」の略であって、「なぜならば〜」と訳すからマチガイの元なのだ。
TA君は前回高知大の下線部和訳をやってみた。not〜 but〜構文が2度も出てきたね。ここではbutを「しかし」とは訳さない。前を否定して後を主張する構文なのだ。今日は「津田塾大」の過去問にチャレンジ。日本人の自然観の変化を読み取る難しい英文だ。
NU君は文法問題には自信がついてきた。400語の英文読解をやってみた。冬期講習にも参加希望してくれた。いよいよセンター試験目前だね。
MA君は前回試験前でお休みしたので、その時のプリントを家でやって提出した。今日は総合問題で南山大の動詞穴埋め問題が難しかったね。私が横でちょこっとヒントをだすとすぐに正解出来るのに。自動詞・他動詞の区別がどうも苦手だね。 尾上
(追記)私もパリに一度行ったことがあるよ。ずっと昔だけど33歳の時の夏、羽田空港からパキスタン航空に乗ってヨーロッパ7カ国を一人旅した。「オルリー空港」についたら澄み切った真っ青な空が印象的だった。ヨーロッパの夏はとても乾燥している。タクシーに乗り込んだら、短いスカートでサンダルばきのオバサンがドライバーだったのにびっくり。パリ市内まで15フランだね、と確認しておいたのに降りるときになって50フラン請求された。Fifteenと発音して50だと言い張る。「ティ」が強いよ。フランス人の英語力に疑問を持った。50なら「フィ」を強く発音しなくちゃ。高速を20分も走ったから3000円は仕方ないか。
パリではセーヌ川近くの地下鉄駅前にある安宿だった。「近代美術館」「ルーブル美術館」「凱旋門」「ノートルダム寺院」「モンパルナス」などを3日間がむしゃらに巡り歩いた。宿の水道の水をうっかり飲んで下痢を起こし、最終日は「ブーローニュの森」の芝生でぶっ倒れていた。その夜、市北部の「ノルド駅」から夜行列車で北部海岸のダンケルクに向かい、船に乗って「ドーバー海峡」から翌朝イギリスに渡る計画だった。ロンドン発イスタンブール行きの長距離国際列車「オリエント急行」の路線を走ってみたい、の一念で。
ニューヨークに限らずロンドンもパリも人種のるつぼだ。長い移民の歴史を持っている。ノルド駅にはすでに私の「ナイトフェリー号」が入線していて、隣のホームにはブリュッセル行きの国際列車TEEも待っている。いろんな人種の乗客で満席の普通列車は30分遅れで走り出した。隣席はアイルランド生まれのシスターで、私はパリへ来て最後にやっとここで英語が通じた。私のフランス語は大学の2年間、週2回ではどだい物にはならなかったんだよ。
指定席が買えなくて通路にごろごろしていた若者たちが酔っぱらってフランス語で騒いでいる。近くの女の子に絡みだしてDo you want a coffin? と6・7人も団体で座っているシスターたちにあてつけるように叫んでいる。coffinとは「お棺・ひつぎ」のこと。明らかにcoffeeとかけことばにしているのだ。シスターたちは迷惑顔で無視しているけど、周りの乗客たちが皆苦笑いをしているから、失礼な若者は得意になってなんども繰り返す。ふだんは使わないくせに英語をこんな時にはしゃべるんだな。
真夜中の2時に船に乗換させられて足はフラフラ。「ダンケルク」を明け方4時に出港。1000人超の満員で座る席もなし。階段をいくつも下りて船底に行って見た。そこにはたくさんの鉄道レールが敷き詰められて何両かの客車が停まっていた。オリエント急行は直行の特別車両だけをここに押し込んで、対岸の「ドーバー港」に着いたら今度はイギリスの機関車が牽引していくという仕組みだね。
そうか、日本の昔の「青函連絡船」と同じだ。60年前「洞爺丸」が函館港内で沈没事故をおこし、修学旅行の高校生も含めて1000人以上が死んでから鉄道のフェリーは廃止された。この海底には再来年「北海道新幹線」が開通してあっという間に通り抜けるそうだ。海底を抜けて「奥津軽いまべつ」駅に入る試験車がテレビで報道されるのを昨日見たよ。
35年前私がフェリーで2時間かかった40kmの「ドーバー海峡」も、快速艇ホーバークラフトに車を載せれば半分の時間で英仏を行き来できた。20年前には海底トンネルも完成しロンドンーパリ間の特急列車「ユーロスター」が往来している。
