高校英語UG会 三島・裾野・御殿場


Be it so humble, there is no place like home.(どんなに貧しくても家庭ほどいい所はない。)
Be it so humble, there is no place like home.(どんなに貧しくても家庭ほどいい所はない。)
2023年6月25日(日)
御殿場市民会館にて
「浮島ケ原自然公園」
 忍野村「高座山」で偶然出会って仲良くなった花友のGOさんは、毎日のように山や草原を歩いては見つけた花々をインスタにUPする。時には富士山をぐるっと回ってわが御殿場を荒したり、さらに南麓の海辺まで遠出してくるフットワークの良さを持つ。「浮島もよく行くよ」というので、地図で調べたら吉原の東側「田子の浦」地区にある「浮島ケ原自然公園」のことだった。先日「田子の浦漁港」「みなと公園」を見学した後に行ってみると、長距離トラックがビュンビュンと行き交う「国道一号線」から少し折れた所にその公園があった。
 千本松原に沿っている旧東海道と、愛鷹山の裾野を行く「根方街道」にはさまれた地域は海抜が海よりも低く、昔から冠水が多く湿原地帯で「浮島沼」には船が浮かんでいた。古来排水がうまくいかないから田んぼの稲作も大変だったそうだ。案内板にはかつて農民たちが泥沼の中で胸まで浸かって苗を植えている情景の写真を見ることができた。この日は雨天で誰もいなかったが休憩小屋が設置され「富士自然観察の会」の会員がボランテイアで草花や野鳥などの保存に尽力している。この日は真っ白な「サワトラノオ」や黄色の「クサレダマ」が咲いていた。葉が半分白い「ハンゲショウ」も花を咲かせ「ヒメナミキ」は実に小さな薄紫色の花で絶滅危惧種・・・
  
 3年生のMUさんはwh-everで始まる「譲歩文」を勉強した。Whatever results may follow, I will do my best.(どういう結果が生じようとも私は最善を尽くします。)はNo matter what results・・で書き変えても同じ「副詞節」だが、He is always cheerful in whatever condition his health is. (健康状態がどんなときにもいつも陽気だ。)は主文の一部で、・・in any condition which his health isと言えるね。このwhateverはany〜whichだから「複合関係代名詞」なんだね。。。今日は文法作文でも「譲歩」がテーマで、Be it so humble, there is no place like home.(どんなに貧しくても家庭ほどいい所はない。)の前半は「慣用表現」でNo matter how humble it may be,の意味だから、However humble〜といえばよかった。
 長文読解は「生命と神」で下線部訳はほぼうまく訳せたけれど内容が難解だったね。And within each little seed is contained as it were a replica of the whole world.は「倒置の文」であることに気づいたかな?「仮定法」のas it were(いわば、たとえてみれば)が次の語句の注釈になって、is containedの主語は後半全部であることがわかる。He is ,as it were, a walking dictionary. (彼はいわば生き字引だ)のように挿入語句がカンマで区切ってあれば思いついたかな。「そしてそれぞれの小さなタネの中に、いわば世界全体のレプリカ(複製)が含まれているのだ」。 尾上
2023/06/25 (Sun) 23:39


忘れがたい先生たち
忘れがたい先生たち
2023年6月22日(木) 
「樹空の森 バラ園」
 20日は私の誕生日。いよいよ80才になった、というのにまだまだ人生に未練があるんだな。この記念すべき日に御殿場市役所の「社会教育課」に行って、「ひろがり学習塾」ボランティア講師募集の応募用紙を頂いた。国や県が進める「生涯学習」の一環だけど、私も10月からの後期に「英字新聞を読もう!」という講座を開設したいと思っている。市内の大学生や社会人さらにお年寄りにも対象を広げて、英語を通じて「知の世界」を楽しみたいと思う。私が日頃ネットで読んでいるBBCやUSA TODAYなど英米の新聞だけでなく、参加者が日頃から興味を持っている新聞や雑誌、ネット情報などを持ち寄ってワイワイ「読書会」をするのはきっと楽しいだろうな。
 御殿場駅前の一等地に2年前、「けやきかん」という名の新しい「市民サロン」が出現した。この日訪れて下見で2階に上がってみると、一人用ブースに仕切られて中高生がよく利用している「自習室」(32人)と「母子」のためのスペース(20人)のほかにイートインの「ラウンジ」がある。そして36人も収容の「生涯学習室」があって視聴覚機材もありそれが無料で使用できるという。私の講座には最適のすばらしい会場なのでその場で予約をすることにした。「ひろがり学習塾」では後期として10月から来年3月まで8回開講する決まりなので、月に1〜2回土曜日の夜間2時間を借りることができた。今年は新たな出発の年になりそうだ・・・ 
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜10」
 55年前、稲取高校に赴任して出会った同僚の先生たちから受けた影響は大きなものだった。生物の佐藤先生「ヤッさん」はシダ植物が専門で、東伊豆や下田に生育する植物の名前をたくさん教えてもらった。「北アの奥穂3192mに登ろう!」と同僚4人で上高地に行き、「涸沢」から山頂の「穂高小屋」に一泊し翌日「岳沢」に下った。そこで教わった高山植物が黄色の「シナノキンバイ」と白色の「ハクサンイチゲ」で今も思い出深い。社会科では佐々木が2人いて、一人は生徒に一番人気の「ササヤン」こと義明先生。稲取で教え子と結婚し赤ちゃんをおんぶしている姿を今も思い出す。金沢大学出身で、「白山」登山で事故死した友人を背負って下山したという山男でもあった。
 もう一人、日本史の佐々木忠夫先生は「サチューさん」。ハンサムな京都大学出身のインテリだけど、夏休みは下田の白浜海岸で家業の「海の家」を経営していつも短パンにゴム草履姿だった。家の名前「サッチモ」は、トランペットのうまい低音の歌い手で、大好きなジャズの王様「ルイ・アームストロング」(1971没)の愛称だ。一番影響が大きかったのが「ナベさん」こと渡辺秀夫先生。偶然にも東京外語大の10年先輩で、ボート部員だったという巨漢の頼もしい人。「中国語」を専攻し英語ではなくて社会科の資格を取った。組合活動のリーダーで後年静岡市で「高教組委員長」として辣腕を振るい私たち組合員の羨望の的であった。私たちの結婚式の仲人もやってもらった恩人なんだ。 尾上
2023/06/22 (Thu) 21:25


This is what he thinks is right. は関係詞 what の「移動」
This is what he thinks is right. は関係詞 what の「移動」
2023年6月18日(日)
御殿場市民会館(休講)
「キンセイランだ!」
 ドラマ「らんまん」第2週のサブタイトル、「キンセイラン」に少年期の牧野万太郎が出会う場面をネットで見直してみた。寺子屋の塾長と野山を探索していて偶然その花に出会う。「キンセイランじゃないろうか。ぞくっときたき。なんて綺麗ながじゃ。。。わしの金色の道はどこじゃろうか」と土佐弁の字幕付きだ。この時から家業の造り酒屋の跡取りを捨て、東京に出て「植物学者」の道に歩みだすんだな。。。キンセイランは漢字で「金精蘭」とか「金星蘭」と書く、ラン科の中のエビネ属(海老根)の仲間で「女王」と称されている絶滅危惧種なんだ。日照が少ない我が家の玄関先には白と茶色のジエビネがよく生育し、黄色のキエビネ、ピンク色のナツエビネと順番に毎年楽しませてくれるよ。
 一昨日山梨県の山奥でそのキンセイランに、ある花友の案内で出会えたよ。先日その人が山登りから下ってくると、暗い森の中に一か所だけ日が差してそこに何かピカッと輝くものが見えた。気になって近寄ってみるとなんと以前から夢にも見たキンセイランが咲いているではないか、という話を聞きLINEで写真も送ってもらっては、ぜひ案内してもらおうと出かけていった。せまい登山道を40分ほど登っていき、すこし開けた林の中に踏み込むと、「あったよ、キンセイランが3本も!」エビネと似た細長い葉に包まれてまっすぐ伸び上がった茎にクリーム色の大きな花が3つも4つも開いて、それが時折差し込む日差しを受けて黄金色に光るよ・・・
 
 3年生のMUさんは前回「京都大学」の長文「星界からのメッセージ」を読んで下線部訳でほぼ正解が出せた。難しかったのはLuckily, we have some record of what each of those two men thought he observed , and it is instructive to compare their private notes, if we are to understand the reasons for the great differences between them. で、前半のwhatはthoughtの後の位置から「移動」した関係代名詞だから、「この二人の男(ガリレオとハリオット)がそれぞれ観察した、と思った物(月面)の記録が残っている。」 これは例文This is what he thinks is right(これは彼が正しいと思っていることだ)と同じ。後半はIf文の中のbe to〜が「意図」を表すのだから、「もし二人の間に大きな違いがある理由を理解したいならば」と訳せばいい。「二人の個人的なメモを比較することがためになる。」
 MUさん、今日は体調すぐれずお休みした。お大事に! 尾上
2023/06/18 (Sun) 21:23


吹奏楽部の顧問に
吹奏楽部の顧問に
2023年6月15日(木) 
「朝ドラ らんまん」
 NHK朝ドラ「らんまん」見てる?朝8時からだから学生や会社員には無理だよね。私は大好きだけど朝食の支度を台所でしながらだからなかなか集中できない。見逃しに便利な「NHKプラス」で空き時間を見つけては見直しをしているよ。ドラマの「牧野万太郎」は後に植物学博士になった牧野富太郎のことで、実話に基づいているから私には実にワクワクの連続なんだ。江戸時代から「本草学」が盛んで漢方薬などの「生薬」が栽培・研究されていたが、「美しい・珍しい」という観点で研究に没頭し標本を作り、植物図鑑を出版までした日本人は牧野が最初なんだ。幕末の日本に来たオランダの植物学者シーボルトやロシアのマキシモビッチが日本滞在中に採集した植物はみな本国に持ち帰ってしまっていたから。
 私がつけた名前なんだといいたいけど、「尾根の上の蘭」という意味の「オノエラン」の学名を調べたら、サワダとマエカワに続いてマキシモビッチとマキノまで4人も発見者の名前が書いてある日本固有のラン科の花だった。牧野が発見し自身の名を冠して名付けた「マキノスミレ」もあれば、「ユウシュンラン」(発見者が工藤祐舜)、「チョウノスケソウ」(同、須川長之助)、「トラキチラン」(同、神山虎吉)なんていうのもあるよ。。。先日雨の中「金時山」に登って中腹で見つけたランは「ジガバチソウ」という奇妙な名前。これも絶滅危惧種の一つで、富士山の樹海でも見たことがある。ジガジガ(似我々々)と羽音をたてる「ジガ蜂」に姿が似ているのでついた名前だとか・・・
  
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「教育」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜9」
 島商に赴任して1年目は「女子バスケット部」の顧問になった。週末は他校との練習試合に生徒引率したが、困ったことに顧問が審判(レフェリー)をやらねばならなかった。小学校以来ずっと音楽関係ばかりで運動神経の鈍い私にはなかなかの重荷だったよ。バスケットシューズを履いて、選手たちよりも先にゴール下に走っていってシュートが入ったかどうか判定しないといけない。「指導者講習会」にも参加したがルールが実に複雑で、そのホイッスルがなかなか吹けないのだ。さらに試合終了後は全部員の前でなにか励ましのことばで講評しないといけない、ということで1年だけで許してもらった。
 翌年から「音楽部」(吹奏楽部)の顧問に変わることができて、それこそ「水を得た魚」で喜んだ。夏の「全国吹奏楽コンクール」の県大会と年末の「定期演奏会」が主な行事で、校外の演奏に生徒引率したり楽器の購入や修理の世話をするだけでなく、2年目にはちょっと指揮までするようになった。島商は以前から東京芸大出身のプロの指導者にコンクールの指揮をお願いしてきて、「県大会」や「東海大会」に出場しいつも良い成績を出していた。数年後には音楽の担当に武蔵野音大でクラリネットをやった先生が赴任してきて、指揮をお願いすることになった。私は吹奏楽連盟の理事の一人としてコンクール県大会の運営などに専念し、他の高校や中学の先生たちとの交流で充実した生活だった。 尾上
2023/06/15 (Thu) 10:31


whether〜or not(〜であろうとなかろうと)
whether〜or not(〜であろうとなかろうと)
2023年6月11日(日)
御殿場市民会館にて
「三つ峠のアツモリソウ」
 昨日は「富士山科学研究所」で「ネイチャーガイド」の研修会だった。私のような今年の新人6人や経験豊かな人たち30人が集合し、5班に分かれて短時間の「模擬ガイドツアー」をやらされた。私の班では10年以上も前から場数を踏んでいるらしい渡辺さんがトップバッターで、突然の課題を歯切れよく上手にこなしてチームの称賛を浴びた。もとは食堂のコックさんだというから面白い。本日のタイトルが「インタープリテーション講座」というので、講師の若い女性に「interpretationは和訳したら何ですか?」ととぼけて質問したら、「通訳、翻訳の意味ですが、、、人と自然の対話、かな、、、」と答えにならない。実は「解釈」とか「解説」の意味ではないか、と思う。
 国語の授業で「古典解釈」というのがあるね。古文を現代文に翻訳(解釈)するわけだ。それがinterpretation、つまり私たちボランティアのガイド(案内人)がやっている仕事は「自然の解説」ということなんだ。だからタイトルはカタカナでなく誰にもわかるように「自然解説研修会」としたほうがいいね。。。午前中には研修会が終了したので、かねてから予定の「三つ峠」登山に出発したら同じ市内だから30分で着いた。土曜日なので登山口には車が満杯。もう下山してくる老人グループ、楽し気な若い男女ペアなどと挨拶をかわしながら山頂へ。絶滅危惧種の大きなランの花「アツモリソウ」が咲く稀有な山なんだ。ほら、あったよ!金網にさえぎられ鳥かごのような檻を被せられて・・・
  
 3年生のMUさんは「譲歩構文」のwhether〜or not(〜であろうとなかろうと)を勉強した。ほぼよく理解できていたが和訳では「言語と思考」で苦労した。Language is closely connected with thought, since we use it to convey our thoughts to others.「言語は思考と密接に結びついています。なぜなら他人に考えを伝えるためには言語を使っているのだから」、とカンマで区切って理由を後から述べたほうがよかった。次の文This requires that symbols, whether words or signs, be associated with the objects, actions and qualities that we store in our minds. が難しかったね。
 ここでsymbolsは「象徴」じゃなく「記号」の意味。wordsは「ことば」でsignsはことば以外の伝達手段で「身ぶり」だ。objectsは「対象物、つまり主語や目的語など」、actionsは「動作、つまり動詞のこと」、qualitiesは「性質、つまり形容詞や副詞のこと」でどれも伝達文を構成する主な要素だね。whetherの後にthey areが省略されていると気づけば、thisは前文の後半を指すから和訳は、「こういう目的には、言葉でも身ぶりでもいいが、記号が頭の中にある対象物や動作や物の性質と関連していることが求められるのだ。」となる。主語がsymbolsで動詞がbeになっているのはrequireのように「要求・提案・主張」などの動詞がある時、その内容には原形の動詞を使うんだったね。イギリス英語ではshould beとなるが。今日の文法プリントが「仮定法」で、例文が丁度いくつか出てきたね。 尾上
2023/06/11 (Sun) 23:13


激動の昭和40年代
激動の昭和40年代
2023年6月8日(木) 
「吉原高校の体育祭」 
 5日は教員生活の出発点、思い出の町吉原に行った。「吉原高校」で今日は体育祭だから青春時代にタイムスリップして生徒の若々しさにふれてこようと、十里木高原を越えて海の見える吉原の市街地へ下って行った。校舎の前庭にあった池は今も鯉が泳いでそれが唯一往年の面影で、床がピカピカだった木造校舎は消えている。体育祭は午後の部の最初にブラスバンドのにぎやかな曲に合わせて全校生徒が声をそろえて歌い踊っている。昔の女子高時代の伝統か、「部活対抗リレー」が始まったのだ。教員もチームを作って生徒と走っているよ。あの一人は、あれ、見たことあるような、、沼津東高で一緒に英語を教えた平井剛先生じゃないですか?20年ぶりの再会ですねえ。
 体育祭を1時間ほど楽しんでからの帰り道にある「富士東高校」の横を通ったらそこでも体育祭の真っ最中だった。「伊豆中央高校」や「長泉高校」と共に45年ほど前「第二次ベビーブーム」の頃にできた新設校のひとつだ。さて富士山に向かってぐんぐん登ってくると「富士市立丸火自然公園」に来た。「丸火」(丸尾とも)とは溶岩のことで富士山の自然の森をそのまま残してある広大なキャンプ場だから人気が高い。その中に美しい山の花「ササユリ」がそろそろ咲くはず、と聞いていたからこの花を見るのが実は富士市訪問の第一の目的だった。森の散策路にはもう少しで開花しそうな2輪がほんのりピンク色の花弁をもたげて・・・ 
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜8」
 昭和45年、結婚して直後に転勤となった島田商業高校には9年勤務した。二人の息子もここで生まれた。東海道が大井川にぶつかる旧宿場町「島田」は川根茶の集散地で、今も我が家は島田駅前の「飯塚茶舗」からおいしいお茶を取り寄せている。「八十八夜」の新茶の季節になると学校正門の前にある製茶工場「原田製茶」の芳しい香りが正面玄関の上にある「英語科準備室」によく漂ってきた。LL教室に隣接していて授業用の音声テープやたくさんの教材を保管し準備するのだが、そこは英語科6人の研究室としても重宝した。同僚だった山下哲之、増田儀助、高島仁子、片山勝之先生の名前が懐かしい。私が講師役になってロシア語の勉強会もやったなあ。
 のどかな伊豆半島の小さな港町の稲取高校から島田商業に転任したその年(1970)の秋日和の朝、「三島由紀夫、自衛隊で割腹自殺」の事件があってメディアの報道が衝撃的だった。介錯役の隊員に切られた三島の首が総監室の絨毯の上に転がっているスクープ写真も載った。1年前の夏「伊豆下田」の浜辺で遊んでいる三島由紀夫と家族を目の前にしていたから一層だったなぁ。さらに47年の2月には連合赤軍の「浅間山荘事件」がテレビで生中継された時には、ほかの先生たちも一緒にLL教室のコンソールルーム(調整室)にあるテレビで食い入るように見ていた。私が外語大を卒業した直後から東京の多くの大学で学園紛争が激しくなり、外語大でも正門にバリケードが築かれ、様々な事情で卒業を遅らせた同期の友人は1年2年授業のない日々が続いたそうだ。 尾上
2023/06/08 (Thu) 23:24


It is・・for人to〜 の構文(不定詞の意味上の主語)
It is・・for人to〜 の構文(不定詞の意味上の主語)
2023年6月4日(日)
御殿場市民会館にて
「オノエランの咲く山」
 私の名前の花があったの?初めてオノエランに出会ったのは15年も前。「金時山」の山頂に立つ「金時娘の山小屋」の売店で、「金時山の花」の花図鑑を見つけて買った時のこと。すぐに著者の高田和彦さん(南足柄市在住)に電話して、「私は尾上といいますが、オノエランはどこに咲いてますか?黄色のW印のついた純白の小さな花、ぜひ見たいのですが」と聞くと、「今ちょうど咲いてますから一緒にどうですか?」とのご返事。翌朝さっそく北側「足柄峠」コースのゲート前に待ち合わせして登山開始。初対面の私を秘密の花園へと案内してくださった。オノエランは箱根や富士山周辺では珍しくて、東北の「谷川岳」や「蔵王」「栗駒山」などにしかない絶滅危惧種なのだが。
 その時以来、毎年6月の誕生日のころに咲いていたのが今年は異常気象のために、5月の末から咲き始めた。先週の1日(木)は330回目の金時登山になって、南側「矢倉沢峠」に新設の「金時見晴らしパーキング」からスタートした。紫色の「ヒメハギ」や「ハンショウヅル」「ツクバネソウ」「サラサドウダンツツジ」を楽しみながら山頂へ。雲がなければ富士山とその右肩のあたりに南アルプスが見えるのに今日は残念。持参のおにぎりには山小屋の味噌汁がぴったり。アイスキャンディも最後の一本!さあ、いよいよご対面だ。外人も多い山頂の登山者たちを尻目にちょっと先の岩陰に行ってみようか。あったよ!オノエラン!直立の黒い岩壁に1本、ほらあと2本咲いてる!
 昨日、オオヤマサギソウというランの仲間を教えてもらおうと、久しぶりに高田さんに電話したら奥様が悲痛な声で、「一昨年亡くなりました。白血病ガンで81才でした・・・」と。えーっ、あんなに山好きの人が、信じられません!合掌・・・
 
 3年生のMUさんは前回「早稲田大」の長文「歴史の発見」を読んで下線部を和訳した。If we think a moment, we will realize how difficult it must have been for people whose whole world had consisted of a universe of seasons and cycles to think in a way so different. は長い一文だが、whoseからcyclesまでがpeopleを修飾していることが分かればIt is・・for人to〜 の構文(不定詞の意味上の主語)だね。「全世界が四季と周回の宇宙から成り立っていた時代の人々が、そんなに異なる考え方をするのはどれほど困難だったか、ちょっと考えればわかるだろう」。
 今日は接続詞のasの用法でTry as she might, she couldn’t find her lost ring.「どんなに探してみても失くした指輪が見つからなかった。」は前半が「譲歩文」(〜ても、〜でも)で、However hard she might try to find it,の意味。Much as we may pride ourselves on our good taste, we are no longer free to choose the things we want. も「(広告のせいで、)自分の良い趣味をどんなに誇りにしていても、もはや好きなものを自由に選ぶことができないのだ。」 尾上
2023/06/04 (Sun) 22:48


英会話より英作文を
英会話より英作文を
2023年6月1日(木) 
「英虞湾のホテルで」
 山梨の弟夫婦、東京の従妹夫婦と相談し、尾上と松村両家の「3回忌」法要を一緒にやることに決めて、29日朝東名高速を走って三重県に向かった。御殿場から400キロもあるから京都や大阪に行くのと変わらない。祖母(松村)の故郷である伊賀市上野農人町には大阪にいた祖父が愛妻のために建立した墓所がある。真言宗「愛染院」といって俳聖「松尾芭蕉」のゆかりの寺で、近所に芭蕉の生家が現存し寺内の「芭蕉塚」には芭蕉の遺髪が納められている。由緒あるお寺なので遠隔地ではあるけれど、墓所をそのまま今も移動せずにある。20年6月に叔父が、11月に母が亡くなったので今日はコロナ対策もあって遅ればせの3回忌になった。
 私たち3家族6人は前日の宿泊地に「志摩半島」の先端にあるホテル「ベイサイドテラス」を選んだ。「英虞湾」のリアス式海岸で有名な「賢島」にあって、2016年サミットがオバマ大統領やメリケル首相を招いて開催された「志摩観光ホテル」の隣にある姉妹館だ。静かな入江がテラスの眼前に広がる部屋はスペイン風の白い3階建てで、池のある中庭(パティオ)を回遊するような設計だ。このホテルのレストランで人気のフレンチのフルコースを味わいたい、というのが6人全員の希望。近くの海で採れたアワビと伊勢エビ、そして地元「松阪牛」のステーキが濃厚な味わいに調理されじつに極上のおいしいディナーだった。2時間のパーティが瞬く間に終わった・・・
 
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜7」
  私が島商に赴任した50年前には県内の高校にLL機器が設置されて、先生のコントロール室と生徒1クラス分のブースを備えた「LL教室」(語学研修室)を毎週使うようになった。ヘッドフォーンから流れるテキストを聞いてマイクに自分でリピートしてみるから会話じゃなくてリスニング中心だった。(数年後「東京大学」の駒場校舎に行ったら、そこでは新入生全員がこのLL教室が必修だったのには驚いた。今もきっと続いていると思う。)それから10年後にはその機械も埃をかぶるようになり、代わりに欧米の外人助手ALT(Assistant Language Teacher)の登場となった。県の教育委員会に所属して、ひと月に数回いくつかの学校を訪問する。日本の経済力が高まり、外貨(ドル)減らしのため米国から人材を雇うよう要求されたのだ。
 年々採用の外人教師の数も増え、今では各高校に一人ずつ配置され授業の単位に組み込まれている。必然的に文科省で採用される外人教師の質も低下してきた。かつては米国の名門大学を出て「日本文化」研究のためとか、「日本企業」での活躍を夢見る優秀な青年が見受けられた。1年間のALTを終えてから日本の新聞社に採用された米人もいた。しかし最近は給与も低くなり大学出なら英語がしゃべれるというだけで、東南アジアや日系人も含めてアルバイトのように採用されて教育意欲のない外人もいるようだ。高校の集団教育では「英会話」は効果が望めないので、昔のように「英文法」と「英作文」の時間を増やすべきだ、というのが私の意見です。 尾上
2023/06/01 (Thu) 23:51


Hardly had I turned off the light when I fell asleep. (明かりを消すとすぐに眠ってしまった)
Hardly had I turned off the light when I fell asleep.	(明かりを消すとすぐに眠ってしまった)
2023年5月28日(日)
御殿場市民会館にて
「庚申山の虫取りスミレ」
 真夜中に車を飛ばして日光の山奥へ行った。4時間後に着いた所は「銀山平」というかつて銅鉱石の採掘で栄えた「足尾銅山」。国民宿舎の「かじか荘」に車を預けて5:30には登山に出発だ。「庚申渓谷」に沿って長い林道が続く。「一の鳥居」「鏡岩」「夫婦蛙岩」の先に「猿田彦神社跡」。「庚申山荘」で一休みしてスケジュールを立て直そう。「庚申山」の山頂は森に囲まれて展望がないというし、今日の目的が花探しなので山頂には直登しないで「お山巡りコース」を迂回することにした。小さな虫を葉で丸く包んで食べるという「虫取りスミレ」の別名がある「コウシンソウ」(庚申草)が昔から見たくてやっと実現したのだ。
 登るにつれてオレンジ色の山ツツジ、ピンク色のミツバツツジ、そして真っ白な「シロヤシオ」が山全体をおおい始めたよ。「愛子様」の御印というこの花の高貴な白さは筆舌に尽くしがたい。「八汐」は八回も染め直したという意味なんだ。「笹尾根出会い」まで登りきるといよいよ岩壁のアップダウンの始まりだ。ハシゴ、吊り橋、くさり、ロープの助けで一歩ずつ進んでいく。左手は絶壁で少しも気が抜けない。そしてついに「コウシンソウ自生地」に着いた。サクラソウの一種で小さな「庚申コザクラ」が岩壁に一杯咲き乱れて美しいなあ!でも、お目当てのコウシンソウはどこに・・・
 
 3年生のMUさんは前回「東北大」の英文「若者たちの変化」を読んだ。But it is much less clear how far this outward transformation of life-style has been accompanied by change in the inner life of young Japanese men and women. で、A is accompanied by Bは「能動態」におきかえて、「AにBが伴う」と訳せばいい。itはhow far以下の節をうける「形式主語」だから、「こういう(西欧化のような)外見上のライフスタイルの変化に、日本の若者たちの内面生活の変化がどこまで共起してきたかはそれほど明確ではない。」今日は文法作文で「否定」をやった。On no account should you leave the door unlocked while driving. (運転中は決してドアをロックしないでおいてはいけない)、Hardly had I turned off the light when I fell asleep. (明かりを消すとすぐに眠ってしまった)は共に、「否定の副詞句」が文頭に出たのでSVが「倒置」された。
 IKさんは前回長文で「主婦の意識と負担」を読んだ。It is more difficult today for the wife and mother to be the moral example that used to be so admired in American women.はいつものIt is・・for 人 to〜の構文、「人が〜するのは・・だ」で、for人は「人にとって」じゃないよ。その後の不定詞を「動詞」とすれば「主語」なんだ。「不定詞の意味上の主語」というのだったね。「主婦や母親が、昔はアメリカ人女性に中にあってすごく称賛されていたような、道徳的なお手本になるということは今日ではより難しくなっている」。 今日は「比較級」で、The more〜,the more・・.(〜すればするほどますます・・)の特殊な構文をやった。The more he talked, the more bored I became.(彼がたくさんしゃべればしゃべるほど、ますます私は退屈してきた)で2つのmoreの働きがこと異なることに注意しよう。普通の構文ならAs he talked more, I became more bored.といえるから前のmoreはmuch(たくさん)の比較級、後のmoreはboredの比較級をつくるものだね。 尾上
2023/05/28 (Sun) 22:45


ロシア語通訳
ロシア語通訳
2023年5月25日(木) 
「戸隠奥社の花たち」
 先週「信州旅行」で宿泊した「テラス蓼科」は、さすが世界の「トヨタ」が経営しているだけあって贅沢な高級感あふれる「4つ星ホテル」なんだ。高校の同窓会が今年も実施した「蓼科合宿コンペ」に参加してここに格安の料金で宿泊できたよ。3年間同じC組でブラスバンドでも一緒だった吉村君が神戸大を出てトヨタで大活躍したものだから、「社友」の彼が幹事をやると12人の参加者も同じ扱いをしてもらえるのだ。このホテル滞在のメリットがもう一つあるよ。ホテル主催の「ワンデイトリップ」に参加すると、「上高地」「乗鞍山頂」など、ふつうは自家用車では行きにくい観光地にホテルのマイクロバスで案内してくれるんだ。それも無料で!
 合宿最終日の木曜日は「戸隠」だった。早朝私たち夫婦が乗り込んだらバスはホテル滞在客で超満員!伊藤君夫妻や大西君も今日はゴルフをやらずに乗車した。バスは長野市に向かって高速を走る。運転している島館さんのガイドも手慣れたもので名調子だ。昨年訪れて「御開帳」でにぎわった「善光寺」の前も素通りして、「七曲」の急な坂を満員のバスが登っていく。やっと「戸隠神社」の広大な社域に着くと、バスは「中社」の鳥居を横目に見てさらに「奥社」に向かった。ここで3時間の自由行動になったのでまずは二人で昼食だ。もちろん「戸隠そば!」。そして有名な参道の「大鳥居」「随神門」や「杉並木」を見て「森林植物園」に向かうと、そこには薄紫色の高貴な「トガクシショウマ」が・・・
  
 しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ〜6」
 島商での9年間は、よい同僚やよい生徒たちに恵まれ充実した年月だった。「稲取高校」から「島田商業」に転勤した1970年の夏休み、先延ばししていた新婚旅行の行先としてソビエト連邦の「シベリア」に決めた。私が大学の4年の時、アルバイトでロシア語を教えたことが縁で親しくなった家内とは3年後に結婚した。日ソの航空協定がまだ結ばれず、「ソ連旅行」が一般的でない時代だったが団体旅行会社の「シベリア・ツアー」に参加した。
 8月、横浜の大桟橋に横付けしたソ連船「バイカル号」に乗り太平洋岸を北上。「津軽海峡」を通って3日目に日本海の対岸にある「ナホトカ港」に上陸した。そこから「ハバロフスク」まで夜行列車で15時間、さらにソ連の国内便でシベリア最大の都市「イルクーツク」に飛んだ。近郊の「バイカル湖」や世界最大の「ブラーツク発電所」にも脚を伸ばした。広大なシベリアの大地、白樺林、建設の意欲に燃える若者たち、どれも思い出深い旅になった。ツアーにはロシア人の現地学生がアルバイトの通訳をやったがたどたどしい日本語なのて、私がたびたび通訳を買って出た。大学3年でシベリア行の材木輸送船、4年でモスクワからの合唱団で通訳やったから自信あった。 尾上
2023/05/26 (Fri) 22:12


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