2023年6月25日(日)
御殿場市民会館にて
「浮島ケ原自然公園」
忍野村「高座山」で偶然出会って仲良くなった花友のGOさんは、毎日のように山や草原を歩いては見つけた花々をインスタにUPする。時には富士山をぐるっと回ってわが御殿場を荒したり、さらに南麓の海辺まで遠出してくるフットワークの良さを持つ。「浮島もよく行くよ」というので、地図で調べたら吉原の東側「田子の浦」地区にある「浮島ケ原自然公園」のことだった。先日「田子の浦漁港」「みなと公園」を見学した後に行ってみると、長距離トラックがビュンビュンと行き交う「国道一号線」から少し折れた所にその公園があった。
千本松原に沿っている旧東海道と、愛鷹山の裾野を行く「根方街道」にはさまれた地域は海抜が海よりも低く、昔から冠水が多く湿原地帯で「浮島沼」には船が浮かんでいた。古来排水がうまくいかないから田んぼの稲作も大変だったそうだ。案内板にはかつて農民たちが泥沼の中で胸まで浸かって苗を植えている情景の写真を見ることができた。この日は雨天で誰もいなかったが休憩小屋が設置され「富士自然観察の会」の会員がボランテイアで草花や野鳥などの保存に尽力している。この日は真っ白な「サワトラノオ」や黄色の「クサレダマ」が咲いていた。葉が半分白い「ハンゲショウ」も花を咲かせ「ヒメナミキ」は実に小さな薄紫色の花で絶滅危惧種・・・
3年生のMUさんはwh-everで始まる「譲歩文」を勉強した。Whatever results may follow, I will do my best.(どういう結果が生じようとも私は最善を尽くします。)はNo matter what results・・で書き変えても同じ「副詞節」だが、He is always cheerful in whatever condition his health is. (健康状態がどんなときにもいつも陽気だ。)は主文の一部で、・・in any condition which his health isと言えるね。このwhateverはany〜whichだから「複合関係代名詞」なんだね。。。今日は文法作文でも「譲歩」がテーマで、Be it so humble, there is no place like home.(どんなに貧しくても家庭ほどいい所はない。)の前半は「慣用表現」でNo matter how humble it may be,の意味だから、However humble〜といえばよかった。
長文読解は「生命と神」で下線部訳はほぼうまく訳せたけれど内容が難解だったね。And within each little seed is contained as it were a replica of the whole world.は「倒置の文」であることに気づいたかな?「仮定法」のas it were(いわば、たとえてみれば)が次の語句の注釈になって、is containedの主語は後半全部であることがわかる。He is ,as it were, a walking dictionary. (彼はいわば生き字引だ)のように挿入語句がカンマで区切ってあれば思いついたかな。「そしてそれぞれの小さなタネの中に、いわば世界全体のレプリカ(複製)が含まれているのだ」。 尾上