TAYさんは前回「仮定法」の入試問題を和訳した。仮定法未来はIf 文の動詞にshouldまたはwere toを添えて、前者は「ほぼありえないが、万が一あるとしたら」、後者は「全くありえないが仮にそうだとしたら」の意味として使い分ける、と覚えておこう。今日は81課「倒置」と82課「省略」を勉強した。獨協大のYou can learn to speak English very quickly when you really need to.「本当に必要になった時に英語はすぐにしゃべれるようになるよ。」で、need toの後にspeak Englishが省略されているね。「この文、本当ですか?」と聞くから、「そうだよ、私の次男は大学1年でニューヨークに語学留学して3ケ月の滞在でペラペラになって帰ってきたよ。」語学学校に通ったけど、むしろ大学生や若者が中心のYMCAに下宿していたおかげかな。24時間英語漬けになるのがいい。だから中学や高校ではもっと読み書きをみっちりやる方がいい。週1回の英会話の時間ではほとんどお遊びだから。
TACさんは重要構文の「同格」を勉強した。龍谷大の問題で読みにくかったのは ・・―almost everything, indeed, that makes you what you are.「言いたいことは・・・・など、つまり、自分を自分たらしめているほぼすべてのことがらなのだ。」ここで「カンマカンマはカッコ」だから除外すると、thatが関係代名詞whichと同じでeverythingを先行詞とする。すると「挿入」のindeed(実に)は直前の「ほとんど全て」を修飾しているとわかる。what you areは「自分のこと→姿、人柄」と訳せばよい。後半の時間は明日のテスト対策に切り替えた。
OH君は「特定の前置詞をとる動詞」を勉強した。例えばprotect our eyes from the sun(太陽から目を守る)はprevent A from Bとかkeep A from Bも同じ仲間だ。「分離」の意味ではseparate A from Bやdistinguish A from Bも「分離」から「区別」の意味に発展した。同じような意味の動詞は同じ前置詞を取る、という原則に気づくね。誰でも知っているregard him as their hero(彼を英雄とみなす)もsee A as B とか、look on A as B、think of A as Bと同じだね。イディオムとしてたくさん覚えておこう。
2年NIさんはまだtheyときたら「かれら」と訳す「ワルイクセ」が抜けないね。heとsheとitの複数形だから注意。第12課「動詞+分詞」の構文では「進行形」と「受身形」がそれぞれbe動詞を別の動詞に置き換えられることを勉強した。たとえば Most of us feel relaxed when we see the green of grass or trees.「われわれはほとんど草や木の緑をみるとホッと安らぎを感じる」で be relaxedという受け身文にfeelという動詞の意味を追加しているんだ。NIさん、「最近、学校の課題の難しい英文がしっかり読めるようになってきました」という。「UG会」効果が出てきたね。
金曜日に来られなかったSUさんが三島に出席。前回は英語検定IELTSのライティングを同じ問題でもう一度書いてみた。前よりずっと上達した。名詞の処理で冠詞の付け方や前置詞の間違いがいくつかあるけど、かなり読みやすくなった。パラグラフの切り替えで一文字分引っ込める「インデント」も上手になった。しかし、中身BODYの部分が弱いね。「大学の学生数増加に反対」というなら、自分の中学での体験では引用例として弱い。自分の大学受験でえた知識や入学後の大学生活から事例を引っ張ってくるべきだね。今日もIELTSのリーディング問題で「米国人と英国人の平均寿命の差」をグラフ入りで読んだ。設問にたいする解答は、本文を丁寧に見ていけばかなり見つけやすいね。今日は2問しか間違えなかった。要領がつかめてきたね。後半はライティングで「アジアの3国のPC売り上げ比較」の折れ線グラフを150語以上で説明するという問題。楽しみに読ませて貰うよ。 尾上
(追記)静岡の駅前繁華街を歩いたのは何十年ぶりだろう。昨日は日曜日だからとくに買い物客に溢れていたのだけれど、その変貌ぶりには驚いた。まるで新宿か澁谷のようだ!昔たしか西武デパートがあったと思われる駅前の一等地に複合ビルの「葵タワー」ができて5年だそうだ。市内一の25階建て高層ビルで、オフィスが中心だが「ブケ東海」の結婚式場と書店などの小売店も入っている。特筆すべきは「市立美術館」だ。
じつはこの日、このビル3Fの美術館にあるカフェテラスで50年ぶりに旧友KA君と待ち合わせしたのだ。静岡福祉大学の学長を6年もやったからいかめしい雰囲気を予想していたけど、昔とちっとも変わらず気さくで若々しく今日も静岡でひとつ仕事を終えたところだった。開館5周年記念に倉敷の「大原美術館展」を開催中で興味もあったが絵の方は同行した家内だけが鑑賞した。
KA君は東京外語大ロシア科の同窓だが、大変に優秀な男でさらに東大の大学院に進学した。修士課程と博士課程を終えて「国会図書館」に就職したことまでは知っていた。私が静岡県の英語教員に採用され最初の吉原高校に赴任したときにすぐ下宿を訪ねてきてくれたし、半年後東伊豆の稲取高校に転任したときも遊びに来てくれた。私も熊谷市の彼の新婚家庭にお邪魔したこともある親しい仲だった。
しかし互いの結婚を契機に音信不通となって半世紀も経ってしまっていた。まさか同じ静岡県内で同じ教育に携わっていたとは!彼も私を捜したらしい。新しい大学の学長として県内の高校を訪ね歩き、優秀な生徒獲得の先頭に立っていたという。「沼津東高にも行ったよ。校長先生にお会いしたと思う・・」きっと同じ校舎ですれ違っていたんだね。
この日KA君から著書を2冊贈呈された。「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニをつなぐ(焼津流平和の作り方)」と「やいづ平和学入門」だ。静岡福祉大学に赴任して焼津に来てから25年。国際関係論や民族問題が専門だったのに関心が市民運動に広がって、1954年焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」がビキニ環礁でアメリカの原爆実験のために被爆した事件から、反核や世界平和を求める運動の地域の先頭に立っていた。そしてこの著書でも触れているように3・11の福島原発の事故やその対応にも政治的関連性を指摘し警鐘を打ち鳴らす。
最近では、安倍首相が国連でやった「勇み足」演説が問題になっているよね。ノーベル賞作家の大江健三郎が「アベ!」と呼び捨てにして糾弾している。KA君もそういう「闘う学者」の一人であるようだ。私と同じ高校教員だった奥方の父上は地元埼玉県の大物で自民党の県議だったそうだがKA君は孤高の精神を貫いているよ。「長いものには巻かれない!」東大というより外語の血筋だね。また近いうちに会いましょう。今度は焼津か御殿場で。
