我が家のすぐ近くのパン屋さん「KUKKA」に買いに寄ったら、今年「三島教室」を卒業したYAさんのお母さんとお姉さんにバッタリお会いしてオドロイタ。三島のお宅からはるばるこんな田舎まで。お店の評判がどんどん広まっているらしい。ご姉妹共に上智大学の1年生と4年生。UG会でご縁が出来て、こうして卒業後も親しくしていただけるのはとても嬉しい。
お姉さんは米国留学から戻ったばかり。YAさんは国際交流の活動で「ミャンマー」に滞在中とか。おまけにお父さんは東京勤務からNYに転勤になり単身赴任中。なんと国際色豊かなご一家だなあ。ちなみにご両親は宝塚のご出身で、お父さんは私の母校「甲陽学院」の後輩なのだ・・・。
EC君は「否定」をやった。難しい構文がたくさんある項目で、さらに自宅でも復習しておいてね。慶応の空所問題でOn no account should you leave the door unlocked while driving. (運転中は決してドアのロックをあけておいてはいけない。)は否定語句のOn no account(=never)が強調されて文頭に出たのでSVに「倒置」が起こるのだ。つまり「疑問文」の語順になっているね。
3年生は「101構文」がやっと終わったので、英文読解のセンター対策として旺文社の「Bruch-Up Test 60」を始めた。1パラグラフの短い英文を提示して、発音、語彙、文法、和訳などオールラウンドの設問が用意されて、とてもいい問題揃いだ、
今日の21課には例の「鯨の公式」が登場。EC君はA grammarian has no more right to say how people ought to talk than a chemist has to say how molecules ought to act upon each other. がなかなか難しかった。「文法家には人々がどう話すべきか、と述べる権利がないのは、化学者に分子同志がお互いにどう作用すべきか、など述べる権利がないのと同じことだ。」 thanの後のhas の後には前文のrightが省略されているね。「同じものは省略する」という原則だ。
KI君は「関係詞」を勉強した。基本例文に I’ll give you what help I can. とあるけどその意味は? whatever help と考えて「私にできるどんな援助でもしてあげるよ。」 立命館の問題でも「労働条件の改善に微力ながらも力を尽くした。」は I did what little I could to Improve working conditions. となる。littleを「わずかなこと」という代名詞とみなせば「どんなわずかなことでも」の意味になるね。
和訳では The role of the historian is less to discover and catalog documents than to interpret and explain them. が難しかった。接続詞のthanの後は前の繰り返しを避けて、対比の部分だけを述べるから、ここではto discover以下とto interpret以下を対比させて、前者が後者よりもless「少ない」としている。つまり後者の方が「多い」となるから、「歴史家の役割は、歴史的事実を発見して分類する事というより、むしろそれを解釈して説明することの方が大きい。」と和訳できるようにガンバロウ。
KI君は次回から月曜日「三島教室」に移動する。金曜日に数学・理科の塾に行く関係で希望した。金曜日はEC君一人になるよ。新人に入ってほしいなあ。紹介してくださーい。 尾上
(追記)散歩がわりによく「裏山」に登ってくる。通称「城山」といって天気のいい日には富士山の裾野全景と愛鷹山連峰、駿河湾の牛臥山や達磨山連山まで見渡せるほど眺めが良い。「森山道」という名のハイキングコースが整備されて、毎年夏休みになると地区の子供会が竹藪を切り開いてくれる。そのまま登れば箱根外輪山の「丸岳」へ我が家からの最短ルートになる。
今日も久しぶりに歩いたら、茶店「しるこや」がある「駿河台」までの道がしっかり草刈りされたばかりでとても歩きやすかった。小さなうす紫色のベルをたくさんつけた「ツリガネニンジン」は残してくれて、右手にも左手にも一杯咲いて私の進む先々までついてくる。
いつも立ち寄っていた「しるこや」が閉店して半年になる。庭は生い茂るつる性の「センニンソウ」の白い花に占領されてシャッターの閉まった姿がもの寂しい。店主のKOさんとはすごく仲良くなって夫婦ぐるみでおつきあいし、滋賀県大津市の琵琶湖畔のご実家にもお邪魔したことがある。このブログ日記もKOさんが先にお店の紹介に始めたのをきいて教えてもらったのだ。
宝塚・西宮出身の私には、帰り際に「オオキニ」といって京ナマリで言ってくれるのが嬉しかったが、京都に「服飾デザイン」の仕事をもつ奥様と二重の生活に無理がきて5年間の御殿場仮住まいにピリオドを打った。東名を使って車の往復も大変だった。そのKOさんから最近「ホテル経営を始めました。尾上さんもどうぞ。」とパンフレットつきのお便り。なんと今度は「金沢」、あの「兼六園」の近くだよ。築80年の瀟洒な古民家を借り受け、素泊まりだけの民宿を始めた。
最近、欧米からの旅行者に「民宿」が人気だそうだ。リーズナブルな価格で日本文化が身近に味わえるのがいいらしい。畳の部屋にフトンを敷いて寝るのが最高の体験とか。今朝も「しるこや」の前から金沢に電話したら、「今ドイツ人の女学生たちがチェックアウトをしたところです。『しるこや』は草ぼうぼうですか・・」と。
京都の大学を出て計理士事務所で働いていたのに、ある時タクシーの運転手に転職。京都の観光案内には特に自信を持っていて修学旅行の中高生の案内には人気があったそうだ。郷里の茅ヶ崎になんどか里帰りする内に、縁あって「富士山」の見える箱根山西麓の茶店、つまり我が家の裏山にある「しるこや」を引き受け4代目の経営者になった、という波瀾万丈の人生。
私の山歴のほうが古く、2代目の女主人、3代目の川崎市の青年も知っていたが、KO氏のアイディアによる「京しるこ」や「ぜんざい」と、ご夫婦の経験豊富なお話が楽しみで何度も出入りさせて貰ったのに。今は寂しい廃屋の風情だった。しかしまた新たな人生を、お気に入りの金沢で始めるのもいいね。そこにはKO氏が数年前に支店として作ってから知人に経営をゆだねたもう一軒の「しるこや」があり、「兼六園」の観光客に人気がある。
