2年生NIさんからは明日から試験勉強のためお休みします、と電話がかかった。3年生のTU君も出席したが試験対策のため自分勉強にした。今日の分は来週やることにしよう。
TACさんも水曜日から中間テストだけど9時まで「原因・理由」の問題に取り組んで、残りをテスト勉強にした。語句の並べ替え完成は得意分野だったね。ほぼ満点だった。文法では、「こういう理由で〜」は前置詞句を使って 〜for this reason だけど、「これが〜の理由だ」といいかえて関係詞でもいえる。 This is the reason why 〜. 先行詞を省略してThis is why 〜.のほうが普通だ。さらに「〜のために」(理由)を表す前置詞句はたくさんあって、for、with、through、byなど使い方も様々だが、2語以上つながったbecause of〜, thanks to〜, due to〜, on account of〜, owing to〜,など英語の表現は実に豊富だ。しかし、接続詞との区別は特にしっかりやりたいね。 Because SV〜, since SV〜, as SV〜, Now that SV〜など、必ず後にSVを従える節になる。
TAYさんは今日中間テストが終わったとのこと。前々回は「比較表現」の入試和訳をやった。どれもよく推敲した日本語になっていて立派な英語力がついたことがわかる。 Because the children are young, sensitive, easily embarrassed and shamed, and might by too much correction be discouraged from further talking. がうまく訳せたね。副詞句by too much correction(あまり訂正しすぎると)が助動詞mightの後に挿入されているのも見破った。ここでは2組の動詞句がandでつながっているから冒頭のbecauseはIt is because・・のこと。「それは、子供たちというものは幼く感受性がゆたかで、すぐに迷ったり恥ずかしい思いをするから、言葉遣いを余り訂正しすぎると、それ以上しゃべろうという気が失せてしまうこともたまにあるからです。」仮定法の助動詞mightがmayよりも可能性がずっと低いことも意識できるといいね。今日は「関係詞」のプリントで和文英訳の入試問題をやってかなり正確に書けたね。
OH君は前回裾野教室に参加して「関係詞」を勉強した。並べ替えでは難しい問題が多かったね。玉川大の「ジャックにはよくあることだが・・」は As is often the case with Jack, でとても大切な表現だ。with は「〜に関しては」、the caseは「場合」から「よくあるケース」の意味で usual と言っても良い。文頭のAsはすぐ動詞が続くから「主語」の働きで「関係代名詞」なのだ。後置してあればwhichと同じように前の文を受ける働きで、ここでは先に出てしまっているだけ。今日は試験前だけど、ここのプリント学習を優先して「否定」に取り組んだ。「重要例文」10コを和訳してから、「部分否定」「二重否定構文」「準否定」「その他の特殊な否定表現」などを復習しながら頭にたたき込んだ。4択の文法問題は20問もあって、どれも重要なものばかり。一つ一つ解説していったらノドが枯れた。君も疲れた分だけ学力がぐっとついたはず。忘れないでよ。
1年生YO君も試験前なので短時間で前回のプリントを添削して解説した。語句並べ替えで always had his hair cut by the same hairdresser.(いつも髪の毛を同じ理容師に切ってもらっていた)が難しかったね。「分詞」の項目で勉強したように 「〜を〜してもらう」はhave+物+-edと覚えよう。SVOCの文型でOとCが「受け身」の関係になるように並べるのだ。あとは自習に切り替えた。 尾上
(追記)船といえばもっと長い船旅もなつかしいよ。大学時代、3年生の夏休みアルバイトで「シベリア」に行った。大阪の「安宅産業」がチャーターした2000トンくらいの貨物船に乗って富山県「伏木」を出港し、「佐渡ケ島」と「秋田」「津軽」沖を通って、北海道の「奥尻島」や「利尻島」「礼文島」を見て宗谷海峡を越えいよいよロシア領に入って行った。この船旅で入ったお風呂は、機関室のエンジンの振動が湯船にそのまま伝わってきて胸や腹をドンドンと打ち続けるのでのんびり落ち着いていられなかったよ。
「樺太」の西岸をみながらシベリアの「ラザレフ岬」まで4日もかかった。アムール川の河口に近く「間宮海峡」が一番狭くなるところで、シベリアで集めた木材の積み出しのための小さな集落だった。人生で初めての海外体験はこのラザレフの港だった。船のタラップを一段ずつ下りてシベリアの台地を踏んだときの興奮が今も蘇るよ。右足だったか左足だったかはっきりしないが。4日も船に乗っていると「揺れ」に慣れてしまい、踏み入れた台地がしっかり固定して「揺れてない!」という感触も新鮮な体験だった。
ここで木材輸入の取引に立ち会って「通訳」をするのが私の大事な仕事だった。失敗の思い出がないから、なんとか無事に役目をこなしたらしい。外語大では2年と少しで通訳が出来るまでにロシア語会話を鍛えてくれたんだなあ。4日ほどの滞在中はもちろん船室に寝泊まりだが、仕事がオフの日は集落の中にある「船員クラブ」に行ってロシア人女性とダンスをした。木造の小さな平屋が散在する村で、街灯もなく道路は未舗装でずっとドロンコ道。豊富な木の板が歩行者用に並べてあってクラブまで続いていた。
木材の買い取りが順調に終わってさあ帰国だ。船では船長と機関長をトップにして階級社会がはっきりしていた。食事や風呂の時間に順番がある。雇い主の社員と通訳の私は船長と同じ待遇で気分良かったが。復路は同じ航路をさらに日数をかけて「能登半島」の先端「輪島」の街の灯を懐かしみながら通り抜けた。京都府の若狭湾から「舞鶴」に入港して木材の荷下ろしをしたのだ。
ここは終戦後「満州」や「シベリア」から命からがら帰ってきた「引きあげ船」の港だ。リアス式海岸の奥深い緑の入り江がすごく美しかったのを覚えている。エンジンもとめて全く無音の中を桟橋まで進んでいった。「やはり日本がいいなあ」と思った。かなりホームシックにかかっていたのかな。
行きも帰りもただ「食っちゃ寝て」の船旅だったけど、半月近い中年の社員との二人部屋生活に疲れて、「西舞鶴駅」からすぐに一人になって列車に乗り夜行で東京にまっすぐ帰った。このアルバイトで会社から大金をいただき、初めて背広の上下とオーディオセットを買ったなあ。









