台風18号が東海地方から日本海に抜けたあとも天気が不安定で、関東地方に大雨を降らせて、とうとう「鬼怒川」の大氾濫を引き起こしている。広大な田畑が水の底になって、もうじき刈り取りなのに常総市の米作はきっと大被害だろうなあ。
自分の田んぼも気になったので山登りに行く途中に寄ってみた。他の田はそろそろ稲刈り前の水を止める時期で、1週間遅れで田植えをした私の田んぼにも水が来ていなかった。それでもなにも被害がなくてほっとした。タネを蒔いたばかりの聖護院カブも芽を出したので、殺虫剤をまきネットをかぶせて害虫対策をしておいた。これでよし。
また「シラヒゲソウ」を求めて今日は愛鷹山の「割石峠」に向かう山道を歩いた。昨年のこの日にはレースのような真っ白な花が25本もあったのに、今日咲いていたのはやっと4本だけ。雨上がりの大水が砕け散るような大岩にしがみついていたよ。異常気象の年だけに予想が狂うね・・・。
EC君は英作文がよく書けていたね。ミスが少なくなって力がついてきた。動詞の seemは「思うthink」ではなく「思われるbe thought」のこと。だから It seems that〜 は It is thought that〜と同じだ。主語をweにしてはいけない。センター対策では「比較構文」 Happiness lies not so much in riches as in contentment. (幸福は富にあるというよりむしろ満足にある。)に気づかなかったね。接続詞の asに注意して直訳すれば「満足に比べれば富にはそれほどたくさん幸福はない。」ということだね。今日は「仮定法」の総復習をやった。記憶が少々怪しい箇所もあったね。「今」の仮定と「昔」の仮定の2つ、とおぼえておけばよい。特殊なものとして「仮定法未来」に使う助動詞のshouldとwere to、「要求・提案」の動詞の後の節に用いる「原形」の動詞も「仮定法」動詞の一つだ。
KI君は今回から始めたセンター対策で第1回は「鯨の公式」A whale is no more a fish than a horse is. がテーマだった。同じことをA whale is not a fish any more than〜という風にずばり否定文でも言えるし、no moreは否定で「多いことはない」だけど、逆にno lessなら「〜が少ないなんてことはない。」つまり「まさるとも劣らず〜、」と肯定の意味になるんだね。 She is no less beautiful than her sister. 今日の「比較構文」はよかったねえ。全問正解だったよ。英作文にミスがへったら完璧だ!
今日は手作りの「発音プリント」を2人に配って子音と母音の話をした。特に小さな「オウ」と大きな「オー」の違いは日本人には苦手だけど入試問題には頻出だ。スペリングの違いでだいたい区別できるよ。大きな長母音「アー」とあいまい母音の「ウー」の違いにも要注意。こちらは-ar-に対して他は全て-ir、-ur、-er-、-or-、-ear-とつづるからすぐわかる。 尾上
(追記)三島北高では11月末に期末テストを終えて2年生がパリに修学旅行に行くそうだ。そろそろ準備にかかる頃かな。月曜から4日間だけだから実質は2日半くらいの短い滞在だと思う。その間に何を見て、何を感じるかが大事だね。街で出会ったパリ市民のこと、アフリカ系やアラブ系、中国系などおおぜいの移民のこと、フランスという国のこと、ヨーロッパ共同体とは?日仏の国際関係は?という風に、視点を広げて物事を考えるきっかけになれば、大金を遣って遠くまで飛行機に乗って行った価値が2倍、3倍になる。長い人生の投資だね。
私がパリに旅行したのはもう40年も前。息子たちが幼稚園の頃で島田商業高校で英語を教えていた。大学先輩のNAさんが結婚してドイツ・フランクフルトに住み、後輩の銀行員SA君一家が海外勤務でロンドンに駐在していたので、そこを起点にヨーロッパ7カ国の4週間旅行を計画したのだ。
けちけちの一人旅だから一番安いフライトを使った。羽田空港でタラップを上り、グリーンの機体の「パキスタン航空」に乗り込み出発。マニラ空港に寄り、バンコックにも降り、やっと終点のカラチに到着。ここでヨーロッパ路線の「ロンドン」行きに乗り換えてイスタンブール上空、ザグレブ上空、の機内アナウンスを聞きながらドイツの「フランクフルト」に寄港し、もう一度飛び上がってやっとパリの「オルリー空港」にたどり着いた。30時間もかかったよ。
新幹線を使わないで、東海道線や山陽本線の各駅停車で東京から鹿児島に旅するようなものかなあ。今のように格安ツアー旅行が一般的でなく海外旅行も普及していない時代だから「東京―パリ直行便」なんてなかった。きっと10時間もノンストップで飛べるほど大量の燃料を載せられなかったと思う。昭和37年、私が大学受験で東京に出てきたときには大阪から特急「つばめ」を使って7時間くらいかかった。それでもその当時一番速かった。「東京オリンピック」の2年前のことで新幹線も東名高速もまだできていなかった。
今も一冊のポケット版の手帳を私は大切にしている。赤い表紙に「敏起・ヨーロッパ・4週間・ひとり旅・1976」と書いてある。旅行中はいつも行動や出会いや感想を記録していた。われながらマメな性格だと思うよ。最初の訪問地パリでは、「近代美術館」や「ルーブル美術館」とその別館の「印象派美術館」を訪れて美術鑑賞がメインだった。英語ガイドつきの観光バスで一通り街中を観光することも出来た。失敗したのは、宿泊したホテルの水道水をうっかり飲んでしまって、一日中下痢に悩まされパリの最終目はさんざんだった。ブーローニュの森に行って池の畔のベンチで半日ぐったりとしていたよ。その深夜、パリの北「ノルド駅」から夜行列車で港町ダンケルクに向かい、フェリーに乗り換えて「ドーバー海峡」を渡り、次の訪問地ロンドンに行く計画だった。
