少々遅くなったけど「10月・11月」予定表を配付した。また「御殿場市民会館」に変更の日が2回あるのでよろしく。中間テストが近づいてそろそろ対策に忙しくなるね。直前の人はプリントは持ち帰って自宅でやることにして、時間中は試験勉強に集中してくれてもいいよ。なにかアドバイスが出来ると思うから・・・。
YAさんは前回、不定詞の用法で 〜 strong enough to support him.(彼を支えられるほど強い)がso strong as to support him と言い換えられることを忘れていたね。さらに節に直せば 〜 so strong that it can support him. とも言えるね。 今日は「譲歩」の勉強でさまざまな表現を整理した。「〜だけれど」「〜なのに」「〜でも」などの表現は「接続詞」ならalthough やeven if、even though だし、前置詞なら despite〜やin spite of、for all〜などがある。特にNo matter wh- S V や Wh- -ever S V のような「譲歩構文」には十分慣れていないと。
MOさんは前回「仮定法」の勉強で英作文をやった。SVOの文型を組み立てるのは得意のようだがケアレスミスが多かった。冠詞の aとtheの用法も勉強し直したいね。今日は「譲歩」の文法・作文をやった。並べ替え問題では大事なことを勉強した。それは「主文」と「従節」の関係だ。I'll love you no matter what you do. で「従節」が後半になっているからカンマが不要。「読む」時に「間」をあけないから。しかし「従節」を主文の前に出す場合はNo matter what you do, I'll love you. のようにカンマで区切る必要がある。前半が後半の主文に対する修飾語になるから。
1年生SEさんは前回、「不定詞・分詞・動名詞」のまとめ問題をやってみた。よく問題になるのがremember to〜(これから〜するのを覚えておく=未来)と remember –ing(すでに〜したことを覚えている=過去)の使い分け。反対語のforget でも同じことがいえるよ。今日は添削を返しながら弱点を指摘し、来週の中間テストの対策とした。学校より早いけど「関係詞」の勉強にもはいった。2文を関係詞をつかって1文にする問題をいくつかやってみた。中学では「ひと」の後には who で「もの」の後には whichで、that は両方に使える、と教えるね。しかしそんなクイズ式では高校の様々な英文には対応できない。第2文の中の代名詞の代わりになる関係代名詞、副詞の代わりになる関係副詞という風に考えないといけない。さらに、SとVの間にもう一つ文がはさまる「わりこみ式」の文が難しいね。前回の基本編の解説をした後で「中級編」をやってみたら、ほとんどすべて正解だったね。たいしたものだ。 尾上
(追記)水曜日は私のオフの日。(本当は毎日オフだけど・・)。熱海港から船に乗って「初島」に行ってみた。10kmの海路を10羽ほどのカモメに護衛されながら30分で渡る。9月末の平日なのに大学生らしきグループがめだつなあ。そうか!まだ夏休みだったんだ。私が大学生の頃は7・8月が夏休みで、9月になると「前期試験」があり10月から後期の授業開始だった。今はどこの大学も7月末までに前期の授業を終えて試験を実施し、8・9月を夏休みにしているようだ。もうすっかり涼しくなっているのに。
船が「初島港」に入港すると真っ先に目に入ってくるのが緑色の大きなホテル風の2階建て。2,3人の釣り人を横目に上陸するとほかの乗船客はすべて送迎のマイクロバスに吸い込まれてどこかへ運ばれていってあとは閑散としたもの。船に乗るだけが目的の私たち夫婦は1時間後の帰りの便までやることなし。食堂がいくつも並んで看板を出しているのにどこも閉店だ。小さな売店でアイスを買って、聞いてみると今日は町民体育大会だとか。平日にやるのかあ。
気になったあの緑色の屋根のホテル風建物まで坂道を登ってみた。正門に看板が出ていて「熱海市立初島小学校・中学校」とある。グランドは狭いけれど、まるで南の島のリゾートホテルのようなログハウスだった。これ、学校だったの?今どきすべて木造とは素晴らしいね。床から壁や天井まですべて木をふんだんにつかっているそうだ。
静まりかえっているから子供たちもきっと体育大会に参加してるんだろう。校歌の作詞が阿久悠で、作曲が三木たかしとはすごい!現在生徒数が19人というから学年に1人というクラスもあるらしい。教師10人とは何ともぜいたくな学校だ。卒業すると、対岸の熱海まで毎日船で渡って高校に通うんだろうね。もう少し先に歩いたら鮮やかな赤い漁網を庭先に干している家が何軒も見受けられた。ここは漁師町なんだね。たくさん並んでいた食堂も漁師たちが釣った魚を食べさせるらしい。
「灯台資料館」や「水族館」にも行かず、海岸の露天風呂とか南国の花が見られるという「初島アイランドリゾート」にも行かず港をうろうろしている内に、林芙美子の石碑を発見。ここを訪れて書いた小説「うず潮」からの一節が彫られていた。大正時代、与謝野晶子夫妻は船を借り切ってこの島に渡り、咲き誇る椿と水仙に見とれて鉄幹は歌を詠み、晶子は「初島紀行」を書いたとのこと。
帰りの上船時間になってまた若い人たちのグループと一緒になった。恋仲のようなペアもたくさん見かける。デッキに上ったら海の向こうに「富士山」の7合目から頂上にかけてと箱根「駒ヶ岳」の山頂の台地部分が見えた。前日に登った「駒ヶ岳」の山頂からも相模灘の沖合に「初島」と「大島」が見えていたなあ。「初島」には春の花が咲く頃もう一度この船に乗ってゆっくり訪れよう。(明日はシベリアへの船旅を書きます。)
