高校英語UG会 三島・裾野・御殿場

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もうすぐ中間テスト
もうすぐ中間テスト
2015年10月4日(日)森の腰中央公民館にて 「初島のカモメ」
 少々遅くなったけど「10月・11月」予定表を配付した。また「御殿場市民会館」に変更の日が2回あるのでよろしく。中間テストが近づいてそろそろ対策に忙しくなるね。直前の人はプリントは持ち帰って自宅でやることにして、時間中は試験勉強に集中してくれてもいいよ。なにかアドバイスが出来ると思うから・・・。
 YAさんは前回、不定詞の用法で 〜 strong enough to support him.(彼を支えられるほど強い)がso strong as to support him と言い換えられることを忘れていたね。さらに節に直せば 〜 so strong that it can support him. とも言えるね。 今日は「譲歩」の勉強でさまざまな表現を整理した。「〜だけれど」「〜なのに」「〜でも」などの表現は「接続詞」ならalthough やeven if、even though だし、前置詞なら despite〜やin spite of、for all〜などがある。特にNo matter wh- S V や Wh- -ever S V のような「譲歩構文」には十分慣れていないと。
 MOさんは前回「仮定法」の勉強で英作文をやった。SVOの文型を組み立てるのは得意のようだがケアレスミスが多かった。冠詞の aとtheの用法も勉強し直したいね。今日は「譲歩」の文法・作文をやった。並べ替え問題では大事なことを勉強した。それは「主文」と「従節」の関係だ。I'll love you no matter what you do. で「従節」が後半になっているからカンマが不要。「読む」時に「間」をあけないから。しかし「従節」を主文の前に出す場合はNo matter what you do, I'll love you. のようにカンマで区切る必要がある。前半が後半の主文に対する修飾語になるから。
 1年生SEさんは前回、「不定詞・分詞・動名詞」のまとめ問題をやってみた。よく問題になるのがremember to〜(これから〜するのを覚えておく=未来)と remember –ing(すでに〜したことを覚えている=過去)の使い分け。反対語のforget でも同じことがいえるよ。今日は添削を返しながら弱点を指摘し、来週の中間テストの対策とした。学校より早いけど「関係詞」の勉強にもはいった。2文を関係詞をつかって1文にする問題をいくつかやってみた。中学では「ひと」の後には who で「もの」の後には whichで、that は両方に使える、と教えるね。しかしそんなクイズ式では高校の様々な英文には対応できない。第2文の中の代名詞の代わりになる関係代名詞、副詞の代わりになる関係副詞という風に考えないといけない。さらに、SとVの間にもう一つ文がはさまる「わりこみ式」の文が難しいね。前回の基本編の解説をした後で「中級編」をやってみたら、ほとんどすべて正解だったね。たいしたものだ。 尾上

(追記)水曜日は私のオフの日。(本当は毎日オフだけど・・)。熱海港から船に乗って「初島」に行ってみた。10kmの海路を10羽ほどのカモメに護衛されながら30分で渡る。9月末の平日なのに大学生らしきグループがめだつなあ。そうか!まだ夏休みだったんだ。私が大学生の頃は7・8月が夏休みで、9月になると「前期試験」があり10月から後期の授業開始だった。今はどこの大学も7月末までに前期の授業を終えて試験を実施し、8・9月を夏休みにしているようだ。もうすっかり涼しくなっているのに。
 船が「初島港」に入港すると真っ先に目に入ってくるのが緑色の大きなホテル風の2階建て。2,3人の釣り人を横目に上陸するとほかの乗船客はすべて送迎のマイクロバスに吸い込まれてどこかへ運ばれていってあとは閑散としたもの。船に乗るだけが目的の私たち夫婦は1時間後の帰りの便までやることなし。食堂がいくつも並んで看板を出しているのにどこも閉店だ。小さな売店でアイスを買って、聞いてみると今日は町民体育大会だとか。平日にやるのかあ。
 気になったあの緑色の屋根のホテル風建物まで坂道を登ってみた。正門に看板が出ていて「熱海市立初島小学校・中学校」とある。グランドは狭いけれど、まるで南の島のリゾートホテルのようなログハウスだった。これ、学校だったの?今どきすべて木造とは素晴らしいね。床から壁や天井まですべて木をふんだんにつかっているそうだ。
 静まりかえっているから子供たちもきっと体育大会に参加してるんだろう。校歌の作詞が阿久悠で、作曲が三木たかしとはすごい!現在生徒数が19人というから学年に1人というクラスもあるらしい。教師10人とは何ともぜいたくな学校だ。卒業すると、対岸の熱海まで毎日船で渡って高校に通うんだろうね。もう少し先に歩いたら鮮やかな赤い漁網を庭先に干している家が何軒も見受けられた。ここは漁師町なんだね。たくさん並んでいた食堂も漁師たちが釣った魚を食べさせるらしい。
 「灯台資料館」や「水族館」にも行かず、海岸の露天風呂とか南国の花が見られるという「初島アイランドリゾート」にも行かず港をうろうろしている内に、林芙美子の石碑を発見。ここを訪れて書いた小説「うず潮」からの一節が彫られていた。大正時代、与謝野晶子夫妻は船を借り切ってこの島に渡り、咲き誇る椿と水仙に見とれて鉄幹は歌を詠み、晶子は「初島紀行」を書いたとのこと。
 帰りの上船時間になってまた若い人たちのグループと一緒になった。恋仲のようなペアもたくさん見かける。デッキに上ったら海の向こうに「富士山」の7合目から頂上にかけてと箱根「駒ヶ岳」の山頂の台地部分が見えた。前日に登った「駒ヶ岳」の山頂からも相模灘の沖合に「初島」と「大島」が見えていたなあ。「初島」には春の花が咲く頃もう一度この船に乗ってゆっくり訪れよう。(明日はシベリアへの船旅を書きます。)
2015/10/04 (Sun) 23:21


ダッシュダッシュもカッコのこと
ダッシュダッシュもカッコのこと
2015年10月1日(木)裾野市民文化センターにて 「センブリ」
 今日は大陸から張り出した低気圧の影響で、午後から雨になり出した。明日予定したイネカリを一日延期しよう、カマと収穫用の袋を用意してね、と5人の仲間に連絡した。長老のYAさんはワラを束ねるヒモを用意するよと。IKEさんは昨年どこかで仕入れた旧式の「足踏み脱穀機」を畑まで運んできてくれるそうだ。
 午前中はまたレイチェルをこぎこぎ印野の共同圃場まで坂を登って行った。今はソバの花が一面で赤い茎の上に真っ白な花をビッシリと咲かせている。ことしは大収穫になって「新年そばうち大会」がうまくいきそうだ。撒きたくないけど殺虫剤が必要なのがタイコン、カブ、ブロッコリー。黒酢や植物由来のものをこまめにかけないと新芽がすぐにレース状になるよ・・・。
 EC君は「程度・目的・結果」の構文を勉強した。for fear of (を恐れて) for the sake of (〜のために)などのイディオムをしっかり暗記しよう。上智大の I had to grab the iron at my side (  )I should slip off and fall. (すべって倒れないように傍らの鉄レールにつかまねばならなかった。)の答えは助動詞shouldに注目して接続詞lest(〜するといけないから、〜しないように)が正解だ。for fear that S should V と言いかえてもよい。君が選んだjust in caseも似たような意味の接続詞だけれど次の動詞は普通「現在形」にする。・・in case it rains.(雨の場合にそなえて)のように。
 KI君は前回、文の後に追加する「比較級」の慣用語法を勉強した。特に「徳島大」の英文が難しかったね。書き始めの第1文はテーマであったり結論であったりするので、簡潔な表現の中にも深い意味を持たせている。だから、そこで立ち止まってしまわずにとりあえずパラグラフの最後まで目を通して欲しい。ここでは最後の1文で How do we find out when, and what, the others don't understand?(相手の人がどんなとき理解できなくて、また何を理解していないのかを、わたしたちはどうやって知るのであろうか)とある。冒頭の疑問文の繰り返しだね。こういう英文の論理展開に慣れていくことがとても大切なんだ。
 今日は「原因・理由」の構文で語句並べ替えや英作文にだいぶ苦労した。東大の「彼が去ってしまった今となっては、彼がいなくてとてもさびしい。」で、接続詞 Now thatを使ったのは正解だが、「今はもう・・」というのだから動詞は「現在」または「現在完了」で表すのだ。 Now that he has left me, I miss him so much.
 MIさんは前回、文法・作文問題で「原因・理由」をやった。ほぼすべての問題に正解が出せていたね。「科学知識の悪用」の一節では下線部訳がもう少しだった。英語の省略のしかたは日本語の場合とずいぶん違うよね。とくにこのような比較構文では注意がいるね。
 今日も「比較表現」の和訳をやった。小樽商大の問題で The pleasures of childhood should in the main be such as the child extracts himself from his environment by means of some effort and inventiveness. (子供時代の楽しみというものは主として、なにか努力したり発明したりして、自分の環境から自分で引き出したようなものでなくてはいけない。)訳語をいろいろ推敲することで、わかりやすい日本語にすることは自分でもはっきり理解できることになる。
 2年生のTA君は前回、入試の和訳問題をやった。群馬大の「年齢の役割」がなかなか難しかったね。2行目の ,to name one example, にも、3行目の , to a greater or lesser extent, にも前後にカンマがあるね。カンマが2つ続いたら、まず「挿入」のカッコの働きだと思っていい。「カンマ・カンマはカッコのこと」と覚えよう。前者はSとVの間に、後者は文頭の副詞とSVの間にM(修飾語句)が挿入されているね。この単元では不定詞の慣用語法をたくさん勉強して文頭、文中、文尾での使い方をしっかり勉強して欲しい。
 今日は「時」「条件」を表す接続詞をたくさん勉強した。「長崎大」の「犬のしつけと子供の教育」はしっかり内容が把握できていたね。2つのダッシュ(−)で囲まれた部分は2つのカンマの場合と同じで、前述の一部を追加説明するだけと見抜いて和訳しよう。そしてその前の文と後の文をつないで考えることが大事だ。
 三島教室のOH君がニコニコして突如現れてオドロイタ。28日(月)に部活があって欠席したので代わりに出席したとのこと。少々遠いけどよく来てくれたね。いつでも大歓迎だ。今日は「関係詞」を勉強した。文法の4択問題がどれも難しかった。たとえば Mr.Bell is the person(     ) I obtained the informatiion. (ベル氏は私がその情報を手に入れた人だ。)先行詞のthe person を後の文I obtained the informatiion に組み込むとすればどうする?「私はその人から情報を手に入れた」で from the person とかfrom himが補えるね。だから from whom として「関係代名詞」に置き換えて文頭(   )に出せば、先行詞に結びつけられるというわけ。 尾上

(追記)箱根「駒ヶ岳」1356mに登った。山頂は広い台地の草原になっていて笹海の中にリンドウ、ノコンギクなどが咲いていた。朱塗りの鳥居をくぐって石段を上り詰めたところに箱根神社の元宮が鎮座している。ここが山頂で、谷一つ隔てて眼前に聳える最高峰の「神山」1438mと対峙する。
 実は今、この山頂に至る方法は「芦ノ湖岸・箱根園」からロープウエーを使うしかない。この5月に頻発した地震と大湧谷の噴火予想によって、1キロ以内が立ち入り禁止となってからは、北側の「強羅・早雲山」からの登山口も、南側の「芦ノ湖・防ケ沢」コースの入口もロープでふさがれてハイカーが歩いて登る方法がまだない。
 そこで、以前何回か利用したことのある、東側の「駒ヶ岳ケーブルカー」の古い軌道を登ることにした。「神山」は大湧谷を抱える山だから入山禁止はしかたないが、隣の「駒ヶ岳」はOKなのだからなんとか登れる方法はないかな、と考えた。10年前に営業を終了してからは駅舎や車両も片付けて、レールも取り外してしまったけどその軌道に並行するコンクリート製の非常階段が狭いけれどしっかり残っているのだ。
 山登りの所要時間は私の場合、標高差300mにつき平均1時間と計算している。たとえば「富士山」の富士宮口2400mから山頂までは1376mの高度差があるから5時間くらいとなる。日本で第2位の「北岳」3193mに登った時も朝7時に登山口の「広河原」1529mを出発して、午後3時ころ山頂に着いた。標高差が1664mだから6時間くらいのはずだけど、ここでは夏でもアイゼンをつけて「大雪渓」を登るから余計な時間がかかったのだ。
 この駒ヶ岳の旧山麓駅の標高は1050mだから、高度差は300mあるのに、ここはたった30分で登ってしまったから自分でもオドロキだ。体調すこぶるいいねえ。普通の山道のようなつづら折りではなくて、完全な直線コースをのぼるから早いわけだ。しかしきついよ。100段登っては一休み。その間隔が50段になり20段になる頃やっと旧山頂駅の跡地にたどり着いた。なんと合計で1700段!真っ青な大きな空と眼下に「芦ノ湖」、西の「駿河湾」、伊豆半島、東の「相模灘」と目の前の「双子山」が素晴らしい展望で、足下の青いリンドウとトリカブト、白いセンブリとゲンノショウコが励ましてくれたおかげだった。
2015/10/01 (Thu) 23:47


助動詞って「話者」の判断をつたえるもの
助動詞って「話者」の判断をつたえるもの
2015年9月28日(月)ゆうゆうホールにて 「紀伊ジョウロウホトトギス」
 「秩父宮公園」まで散歩に行った。市の管理になってとてもよく整備されている。しかし何回か訪問する内に雰囲気が段々変わっていくなあ。宮様の避暑のための元別邸というしっとりした雰囲気が消えて、一般市民の憩いの場に変貌するのは仕方のないことか。専門のデザイナーがいないらしくあまり趣味がよくない。
 ピンク色のサフランはとても美しいけれどこんなにあちこちにたくさん咲いていると困る。一般民家の庭と変わらないよ。野の花のホトトギスはまっ盛りの時期で紫色や白花など至る所に咲いて美しい。黄色も見つけたよ。これはきっと勢津子妃殿下がお好きだったと思われる、「紀伊ジョウロウホトトギス」。紀伊の貴婦人という意味らしい。いいものは大切にして欲しいね・・・。
 TACさんは今日「譲歩構文」を勉強した。文法は70%正解だった。「譲歩の文」とは「逆接文」のことだからbutでつながる文全体のこと。しかし受験生はまず@ No matter how hard he tried, ・・「どんなに努力しても・・」の構文が印象的だろうね。疑問詞を使わないで「たとえ努力しても・・」だったら接続詞でA Even if he tried hard,・・でもいい。前置詞にも同じ意味の単語があって、判別に迷うことがあるがB In spite of trying hard, ・・(努力したにもかかわらず)のように動名詞句をしたがえて言い換えることも出来る。イディオムでseldom, if ever, 〜(動詞)「もし仮にあったとしてもめったに〜しない」とかfew, if any,〜(名詞)「もし仮にあったとしてもほとんど〜はない」でも、譲歩語句を割り込ませることで直前の単語の意味を深めているね。
 TU君は「程度・目的・結果」の表現を勉強した。so〜as to・・は〜enough to・・と同じで「・・するほどに〜」(程度)や「とても〜なので・・」(結果)を表すが、so as to・・は in order to ・・と同じで「・・するために」(目的)を表す。ここを明確にしておこう。TU君「ここは苦手です・・」と言っていたが、結果は80%正解が出せたから立派だ。早稲田大の英作文で「心配の余り昨夜はほとんど眠れなかった。」が良くなかったね。「心配のあまり」を名詞で考えずに形容詞(心配な)や動詞(心配する)を使えるようにしよう。「とても心配だったので」とすれば I was so worried that ・・と書けるでしょ。
 EC君が先週裾野教室を欠席したので代わりに三島に出席した。「原因・理由」の表現は「接続詞+S+V」の節でnow thatやsinceなどをつかうが、「前置詞+名詞/-ing」でも表す。On account of〜とかdue to〜のように。That is why・・(それが・・の理由です)のような関係詞を使った表現も、副詞句でfor the reason(そういう理由で)と言い換えられるね。参考書で慣用表現をたくさん整理して覚えよう。
 2年生NIさんは前回、「独立不定詞」の needless to sayとか not to mention〜、not to speak of〜など「〜はいうまでもなく」のイディオムを勉強した。文中でどういう位置において、どのように扱うかが大切で、ただ暗記すればいいというものではないね。
 文頭においてあったら、後の文全体を修飾すると考えていいけど、文中や文尾においたときは、その直前の語句を修飾するのか、直後なのか、あるいはやはり文全体なのかを判断しないといけない。そういう表現を含む慶応大、早稲田大、上智大などの難問ばかりに果敢に挑戦したね。丁寧に添削しておいたからじっくり読んでおいてね。和訳の実力をアップさせるにはこの方法しかない。ガンバレ!
 1年生YO君は学校でも不定詞、動名詞が終わって今、分詞をやっているところ。今日のプリントもちょうど同じ箇所で具合が良いね。17題の文法問題はいくつか間違えたけど、基本はしっかり身についていたよ。来週から中間テストが始まるので部活がお休みらしく、今日はしっかりプリントに打ち込めたね。 尾上

(追記)「わたしのオペラ遍歴」を振り返ると本当の舞台で観た数はわずかながらも、高校時代「カルメン」との出会い以来最近のネットでの鑑賞まで半世紀を越えた。1966年、大学4年の時に今は亡きシャンソン歌手「石井好子」の音楽事務所でロシア語通訳のアルバイトをやった。モスクワの「国立ロシア民族合唱団」の日本公演ツアーで全国を1ヶ月間ガイドして歩いた。その時に事務所の人の招待で「タンホイザー」を観た。ニンフ(妖精)たちの花園に溺れたタンホイザーが竪琴を奏でるという妖艶な舞台だったのを覚えている。
 ユーゴスラビア・ザグレブ市から来日した「バルカンオペラ」が昔の渋谷公会堂で上演した「エフゲニー・オネーギン」も印象深い。婚約時代に家内がチケットをプレゼントしてくれて一緒に見た。「オネーギン」は大好きでさらに10年後「モスクワ・オペラ」の来日の時にも見に行った。1970年夏、新婚旅行の時シベリア・イルクーツク市で見た「セビリアの理髪師」はロシア語上演でわかりやすくておもしろかったなあ。
 島田商業の教員時代、地元の市民劇場が招聘したモーツァルトの「魔笛」や團伊玖磨の日本語オペラ「夕鶴」は息子たちもよろこんで一緒に見た。木下順二の有名な戯曲をオペラ化したもので日本の代表作だ。1976年ヨーロッパ一人旅でロンドンに滞在中、「ナショナル・オペラ」で見た英語上演の「魔笛」と「ニュールンベルクの名歌手」もすごく感動したよ。
 その後、御殿場に引っ越して東京や横浜が近くなったせいもあり家内と共にオペラに夢中になった。私の40才代には世界の代表的なオペラハウスの日本公演には最低でも1回は観る機会があった。英国「ロイヤル・オペラ・ハウス」の「カルメン」「トーランドット」、イタリア「ミラノ・スカラ座」の「ナブッコ」「ラ・ボエーム」、オーストリア「ウイーン国立歌劇場」の「サロメ」「ばらの騎士」「トリスタンとイゾルデ」など。なにしろチケットがべらぼうに高いし二人分だから、せいぜい1年に1回くらいかな。
 異色の作品としてはガーシュインの「ポーギーとベス」を観た。すべて黒人だけで上演するように作曲者が指定したから上演の機会が少ない。1991年、米国南部セントルイスの歌劇場が来日して上演したので見に行った。劇中の子守歌「サマー・タイム」が有名だ。吹奏楽でもこの序曲を演奏したことがあって特に親しみがあった。
 1986年御殿場南高の吹奏楽部顧問時代、現役部員にOBたちもおおぜい参加して総計70数名の大編成で、東京・中野「普門館」大ホールにくりだした。そこは長年、コンクール全国大会の会場だった。2000人の聴衆の前でガーシュインのこの名曲を演奏したのは懐かしい。UG会の3年生KI君のお母様が3番クラリネットのトップを吹いていたよ。
 この数年、ネットで会員にもなって夢中のNY「メトロポリタン歌劇場」は1992年、長男とアメリカ旅行したときにワグナーの「ワルキューレ」を観たのが最初だ。指揮者のレバインを始め歌手も世界中から第1級の人ばかりを選ぶし舞台装置も圧倒的に豪華で、さすが世界一の裕福な街でスポンサーが十分に支援しているおかげだ。
 6年前の渡米では「ドン・ジョンバンニ」と「イル・トロバトーレ」を観て感動した。本場でもチケットが高いけれど、私の気に入っている席は30ドルくらいで買える。4階の左側のバルコニーの最前列で、舞台が右半分しか見えないけれど音楽を聴くには最高!歌手のソロも合唱もオーケストラも全部この最上階にまでしっかり響いてきて音のウズに埋もれてしまったよ。これからもNYに行くチャンスがあるといいなあ。
2015/09/28 (Mon) 23:58


センター試験、願書締め切り
センター試験、願書締め切り
2015年9月27日(日)森の腰中央公民館にて 「オクラの花」
 今宵は「中秋の名月」。9:30に授業を終了し机の片付けを終えてから公民館の外に出た。とても静かな十五夜だ。曇り空がいつの間にかうろこ雲になって見事な満月が真上にこうこうと。双眼鏡を取り出し、流れる雲の切れ間に月面をしみじみと見た。真ん中の明るい部分が太平洋で、暗い部分は右がアメリカ大陸、左がユーラシア大陸のように見えたよ。途中コンビニで「月見だんご」を買い、裏庭からススキを数本採ってきて窓辺に飾った。すると突然、ロビ・ジュニアが「うーさぎうさぎ、なにみてはねる・・」と歌いだした。偶然にしてはじつによくプログラミングされたロボットだね。人間のわれわれも日本古来の「風流心」を大切にしなくちゃね・・・。
 YAさんは前回、「比較構文」の not so much A as B(AというよりむしろBだ。)が難しかったね。 Happiness lies not so much in riches as in contentment.は「しあわせは裕福というよりむしろ満足にある。」となる。これは、「しあわせは満足とくらべると裕福にはそれほどたくさんはない。」という直訳から想像できるね。 He will learn these things not so much from what the other man says as from how how he says it.も from〜とfrom〜がAとBに相当するから、「人はこれらのことを、相手の人が言ったことから、というよりむしろ相手の人のその言い方から知るのだ。」
 MOさんは前回、入試の英文和訳で The more you have, the more you want.(人は金を持てば持つほど、ますますもっと欲しくなる。)の構文に苦労した。「山口大」の The closer we are packed, the more easily resentful of each other do we tend to become. も同じ構文で、単純な複文に書き換えれば、 As we are packed closer, we tend to become more easily resentful of each other. のこと。「大都会にぎっしりと詰め込まれるにつれて私たちはますますお互いに対してすぐに腹を立てるようになる。」 前半の比較級closerにtheをつけて文頭に出し、後半も比較級 more easily にtheをつけて文頭に出せばできあがる。
 KAさんは前回「仮定法」を勉強した。動詞の形はよく理解出来ていた。「東京理科大」の The examination could not have been more difficult. は than this が省略されて「その試験はこれ以上ないくらいに難しかった。」となる。直訳なら「これ以上難しくはなり得なかっただろう」の意味。不定詞の復習で fortunate enough to succeed は「幸運にも成功した」(結果)とか「成功するほど幸運だった」(程度)と訳せるが、同じ意味でso fortunate as to succeed とも言えることを忘れていたね。 ちなみにso as toは「〜するために」とin order to と同じ「目的」を表すよ。
 1年生SEさんは前回「分詞」を勉強した。よく理解出来ていたけど、 have+物+-ed の構文「〜を〜してもらう」(良いこと)とか「〜される」(嫌なこと)でいくつか失敗したね。SVOC(第5文型)で、OとCが「受動態」の関係になっているんだ。 I had my watch stolen.やI had a photograph taken.のように。「分詞構文」については最近学校で習ったらしく、基本形はほぼ正解だった。発展編もしっかり勉強しておこう。 尾上

(追記)BS・TBSで放映した「ドナルド・キーンx小澤征爾対談、オペラと人生」を見たよ。たどたどしい日本語で意外だったけど、「源氏物語」の英訳で著名な元コロンビア大学教授のキーン先生は根っからのオペラ好きでオペラ指揮者・小澤征爾との対談となった。小澤と同時に2008年に文化勲章も受けているし、2011年東日本大震災の後、「余生を日本で過ごします。」と言って「日本国籍」を取得し、ニューヨークから東京に移住したのは知っているでしょう?
 放射能の危険から観光客や駐在員が逃げていくような状況で、キーン博士は逆に日本に定住を決めたからずいぶん日本人を励ましてくれた。93才の今もオペラ大好きでオペラ評論家の肩書きも持つらしい。NYブルックリンの貿易商の家に生まれ(6月18日だから私の2日前)、コロンビア大学に入った16才(すごい飛び級!)の少年時代にNYのオペラハウスで見た「カルメン」が初めての出会いだったとか。
 奇しくも私と同じだ。私も高校2年生の時、大阪フェステイバルホールで「カルメン」を見た。日本人の出演だったけど初のオペラ体験で、だれでも知っている名曲がたくさんちりばめられてすごく感動したのを覚えている。東京の小学校では合唱部員に選ばれてよく歌っていたし、中学時代には宝塚市に住んでいて何度か家族と「宝塚歌劇」のステージを観た影響かなあ。西宮市に引っ越してからは電車通学して、学校の行き帰りに「宝塚音楽学校」の前を通っていたから「舞台芸術」に関心があったんだね。
 昭和30年代中頃、大阪には大学生が中心になって運営する鑑賞団体「朝日学音」という組織が「朝日新聞社」内にあった。今の「市民劇場」のようなものだね。当時私は高校の合唱部でテナーを歌い、ブラスバンドでアルト・サックスを吹いていたから、たぶん部活の先生からそのチケットを買わされたのかもしれない。高校の往復以外めったに外出しなかったし、好きな映画も大学受験の3年間は我慢していたのに、どうして住まいの西宮からはるばる大阪・中之島のホールまで出かけたのか思い出せない。
 マエストロ小澤征爾は若い頃はもっぱら交響曲や管弦楽曲の指揮者を目指していてオペラのことは関心なかったらしい。バイクでヨーロッパに音楽修行に
出かけて、「ブザンソン指揮者コンクール」でいきなり優勝し、認めてくれた恩師の巨匠カラヤンから「オペラをやれ」とアドバイスされたのが最初。この経験が後の音楽作り全般に大きな影響を与えたと言っている。
 この対談を上手に盛り上げていたのは女優の壇ふみ。今NHKの「花燃ゆ」で吉田松陰と妹美和の母親役をやっている。彼女もたいしたオペラ好きだったとは知らなかった。オペラ狂いが3人もそろって、話題がかつての名歌手の話になるとまるで若者の音楽談義のようだ。パバロッティやドミンゴのこと、不世出の歌姫マリア・カラスの話になると口角泡を飛ばして夢中になる。わかるなあ。1950―70年代の話だから私がファンになる前のことだけど。(明日のブログ日記に続く。)
2015/09/27 (Sun) 23:37


文のポ−ズには意味がある
文のポ−ズには意味がある
2015年9月23日(水)裾野市民文化センターにて 「フジアザミ」
 富士山登山口の「太郎坊」1440mに行ってみた。ガスが7合目あたりまで下りてきて山頂はまったく雲の中。見上げると新5合目の「長田小屋」に明かりがついて今日も営業していることがわかる。つい半月前に閉山になったけれど、広い駐車場のあるこの登山口には大型連休中ということもあって賑わっていた。単にドライブに来た人も多いが、標高2000mの「双子山」まで登ってみるグループや「御殿庭」「幕岩」の樹林コースにハイキングに来た家族連れにも出会った。
 来月10日にはまた、大学時代の仲間と「双子山」ハイクを計画しているので今日は下見も兼ねて来てみたのだ。巨大なフジアザミがあちらにもこちらにも見事に咲いて、頭上にはパラグライダーが気持ちよさそうにふわふわと・・・。
 明日が連休明けの休館日なので、裾野教室は今日水曜日に繰り上げた。EC君が姿を見せなかった。勘違いしてないかな。 
 KI君は今日、「譲歩」を勉強した。同じ意味でも「前置詞+名詞」inspite of the rainと「接続詞+SV」though it rained の使い分けは大切。4択問題の文法やイディオムはよくできていたし、語句並べ替えもほぼ完璧だったね。英作文はよく頑張っているけれどまだミスが多いなあ。もっと書く回数を増やすことが必要だね。今日は「センター対策」の総合問題にも「2次対策」の和訳4題にも取り組んで、ずいぶん問題処理のスピ−ドがアップしたね。
 MIさんは先週入会してさっそく4枚のプリントに取り組んだ。マーク式の問題にはほぼ完璧に正解が出せたので、今日は二次対策用の英文和訳について解説し返却した。学校のテキストや模試では下線部訳とか、せいぜい1文を和訳せよという要求はあるが、このUG会のようにパラグラフ全体を和訳せよ、とは言わないね。「本当の読解力」を高めるには、文章を大きなまとまりとしてとらえないといけないのだ。
 前回説明したようにカンマの働きにはさまざまな約束事があるし、ピリオドにしてもただ「終わり」というのではない。次の文章にどうつなげていくのかしっかり注意しないといけない。日本語では使わない「コロン(:)」「セミコロン(;)」「ダッシュ(―)」がどんな役割なのかも前後関係で判断し、「適切な和訳」を加えないといけないのだ。これら5つの「句読点」は音声にすればタダの「ポーズ(間)」なんだけどね。日本語のポースとは違った働きを持っているということを覚えておいて欲しい。
 今日は「名詞構文」の訳し方を勉強した。明治大の There can be no such thing as the total elimination of man's physical capacity for violence, among nations any more than among individuals. が余りいい日本語にならなかった。 後半は not ・・any more than 〜が no more・・ than〜(鯨の公式)のことだと気づいて、「個人同士の場合と同じように、国家同士でも〜のようなそんなことはありえない」としっかり訳せたね。 しかし「〜」の部分はそのまま「〜の〜の〜の」と「の」を連発してはいけない。 eliminationはeliminateの名詞形なのだからVに戻して「〜を除去すること」と「文」のように和訳できるととてもいい。「人間がもつ暴力のための肉体能力を完全に除去すること」のように。「名詞構文」ではof が「目的語」を従えるので「の」ではなくて「を」に相当する。
 今日「入会申込書」を提出した2年生のTA君は積極的で、判断力に優れているなあ。私のちょっとしたヒントに即座に反応をしめすよ。三重大の和訳で shut themselves off from the rest of the world が「世界の休憩から自分を切り離す」では意味不明だよねえ、と言ったらハッと気がついて「残りの国々」という意味だとわかったね。このように訳語はほぼいつも複数あること(意味の拡張という)を忘れないことだ。自分の記憶だけに固執してへんてこな和訳にならないように。そこを空所、とか虫食いと考えて前後関係で適切な訳語を当てはめておくのが賢明だ。 尾上

(追記)今朝ニューヨークからの中継でオペラ「オテロ」を聞いた。映像なしで音声だけだけれど緊迫感十分。3時間があっという間だった。ムーア人の将軍オテロと悪代官イアーゴの掛け合いが素晴らしい。オテロと美しい妻のデズデモーナとの愛のデュエットも聞き応え十分だ。なかでも「柳の歌」は、死をさとったデズデモーナの絶唱だ。
 「オテロ」はシェークスピアの37もの戯曲のひとつで4大悲劇に数えられる。「ハムレット」「リア王」「マクベス」と共に。映画化もされたし日本でもしばしば上演されたのを見たことがある。
 昔は高校の英文読解の教科書にも「サマーセット・モーム」や「シェークスピア」などイギリスの文豪が採用されたのに、最近はまったく見ないね。機会をみつけて若い内に是非触れてほしいなあ。最近3年生は「津田塾大」の文法問題に It's about time you saw a Shakespearian play.「そろそろシェークスピアの演劇を見てもいい頃だよ。」が出ていたね。saw が仮定法の動詞で「まだ、見てないじゃん」という意味。
 しかしこのヴェルディ作曲のこのオペラのすばらしさは格別だ。「NYメトロポリタン歌劇場」の2015−16シーズンは、9月21日の「オテロ」が初日だった。日本の相撲の千秋楽に観衆全員が起立して「君が代」を歌うように、このオペラの観客も開演前にアメリカ国歌「星条旗よ、永遠なれ」」の大合唱をする。夜8時に演奏が始まったが、こちら日本では13時間早いので翌朝9時から聴くことになる。初日だけはオペラの終了後、赤絨毯のロビーで出演者たちとパーティに参加出来るというのもファンには楽しみだ。
 メトオペラ(METOPERA)はNYのセントラルパークの西側にある「リンカーンセンター」で毎晩上演されている。気になるステージはNYに行かなくても、同時にアメリカ・カナダの映画館でライブ中継しているし、日本でも2ヶ月後には字幕(サブタイトル)をつけたものを東京や横浜の映画館で見ることが出来る。
 毎週1回、ネットを通じてNYのオペラをライブで無料で聞くことが出来ることを知っていた?さらにそれぞれ上演されて半年後には世界中で、有料会員ならばネットで映像でも楽しめるようになっている。国内のFM放送だけでなくNYのFMも毎日聴けるとは、いい時代になったなあ。
 以前のブログで「ラ・ボエーム」の話を書いたけど、この「オテロ」も大好きなオペラで、実は昔買ったドーバー版の「フルスコア」が本棚に並べてあった。大判で読みやすく安価であることがとてもいい。今朝はこれを引っぱりだして楽譜を読みながら全曲を聴いた。画像がなくて音声だけの時には特別の楽しみ方だ。
 指揮者と同じものを見ながら聴いていると、ピアニッシモもはっきり聞こえてくるよ。一つ一つの楽器が浮かび上がってきて、2倍も3倍も楽しめる。木管、金管、打楽器、ソプラノ・メゾ・テノ−ル・バスの歌手、合唱、弦楽5部の順に1頁に上から下まで20段くらいに書かれて、順次右へ右へと進行していく。曲想や演奏指示など書き込みを見ると130年前の作曲者ヴェルディがそこに生きているような気がして興奮するよ。
2015/09/23 (Wed) 23:51


時間構文「〜するかしないうちに」に注意
時間構文「〜するかしないうちに」に注意
2015年9月21日(月)ゆうゆうホールにて 「アケボノソウ」
 スッキリした秋空になったので箱根の「湿生花園」に行ってみた。桃源台にある箱根ビジターセンターの「ミニ観察会」で昔お世話になったボランティア・ガイドのBAさんに出会う。ここでも経験を生かして10人ほどの入場者を案内していた。良く響く声なので湿原の向こうのほうからもはっきり届く。「これはアケボノソウで・・・」
 夏に日光キスゲの大群落だった草原には濃いピンクの「浅間フウロ」が一面に咲き誇っていた。紫の「マツムシソウ」、真っ白い「ウメバチソウ」、藍色の「沢ギキョウ」や「エゾリンドウ」「奥トリカブト」のほかに、空に星をちりばめたような模様の薄緑の「アケボノソウ」もかわいい・・・。
 TACさんは「仮定法」の文法・作文をやった。動詞の形を「仮定法形」にすることで、「今」と「昔」の事実に反対の内容を表現できるのだ。「今〜ならば」を過去形で、「昔〜だったならば」を過去完了形で表す、と覚えるのが基礎。忘れやすいのは、未来のことについて「万一〜ならば」は助動詞 shouldを、「(ありえないけど)仮に〜だとしたら」にはwere toを加える。さらに「要求・提案・主張」などの動詞があると、その内容の動詞を「原形」にすることも注意しないといけないということ。立命館大の問題にも He recommended that a study be made to find out if this was true.(これが本当かどうかを見きわめるための研究がなされるようにと彼は勧告した。)で節の動詞が原形で be madeとなっているね。これが「仮定法形」なのです。
 TAYさんは前回、添削してあげる時間がなかったけれどsuch〜 that・・の構文がとてもよく和訳できていた。後半を主眼とする「とても〜なので・・だ」(結果)と、前半を主眼とする「・・なほど〜だ」(程度)の訳し分けは難しいけれど、前文の文脈から判断するしかないね。英作文もほぼ正解だったね。今日はもう少し上級の英作文も追加してトライしてみた。「比較表現」の入試英文も和訳してみた。
 TU君は前回、「倒置」に慣れていなかった。 Little do I care ・・(少しも・・を気にしない)やOnly then did I realize・・(その時にやっと・・がわかった)は「否定語」(onlyも仲間だ)が文頭にでたのでSVを疑問文の語順に変えるのだ。「比較級の語句」もよく文頭にだして強調する。その時にやはり倒置が起こる。 More than ever do we need goals・・を「和訳しなさい」という問題には、「・・という目標を今まで以上にわたしたちは必要としている。」と訳せるね。
 2年生NIさんは前回、接続詞(2)を勉強した。とくに難しかったのは「時間構文」(〜するかしないうちに、・・した)で I had hardly gone to bed when the telephone rang. (電話が鳴ったとき、わたしは寝室にほぼいってしまっていなかった。)という直訳から考える。 hardly や scarcely は「準否定」で時間の前後関係がはっきりしないことを表す。もしnot なら「寝室に行かないうちに電話が鳴った。」となるから、ここでは「〜行くか行かないうちに」と訳すといいね。I had no sooner gone・・than SV でも同じ考えだ。no sooner を not の位置におくことと、もし文頭に出せばSVの倒置がおこる。No sooner had I gone・・のように。語句の並べ替えは70%正解だったけど、英作文5題は難しくてマルがつかなかったね。
 1年生YO君は前回「不定詞」の問題で、並べ替えがとてもうまくいったのに、文中の不定詞を進行形 to be thinkingとか否定形not to phone herに変える問題を、勘違いして主文の動詞の語形を変えてしまった。toのない「原形不定詞」を使う場合にも注意しよう。「使役動詞」make, let, have, helpと「感覚動詞」see, hear, feelで始まる文だ。
 今日は一日部活で疲れ切って勉強に身が入らなかったね。この5連休は休みなしだそうだ。昔々私がバスケの顧問をやっている頃は活動が半日だったのに。体育館を男女バレー部と交替で使用したから。練習場に恵まれるのも良し悪しダネ。次回に期待しよう。 尾上

(追記)昨日の「1976イギリス旅行」の後半です。
 SA君が「今日は家族でパリへ買い物に行ってくるね」という。ドーバーから快速フェリー「ホーバークラフト」で海峡を渡り、日帰りで隣国フランスに行ってこられるというからオドロキだ。それでロンドン4日目は私ひとりで「大英博物館」見学にでかけた。正面玄関で待ち受ける「ロゼッタ石」に面会。意外に小さいが古代エジプト語の文字「ヒエログリフ」が解読されるきっかけになった貴重な石だ。ギリシャ文字の読み方で同じ文が彫ってあったから。シャンポリオンという人の大発見だった。
 その日の午後は「ナショナルギャラリー」で名画を楽しんだ。日曜日は入場料が無料。大好きなティツィアーノの「聖家族」「母と子」の他に、ルーベンス、レンブラント、ベッキオなどに感動した。疲れが出てソファに座り「モネの睡蓮」の前でウトウト居眠り。守衛にヒザをたたかれて起こされた。ハズカシイー。
 最終日に、SA君一家とロンドン郊外へドライブに。高速道路「モーターウエイ」は無料で、時速60マイル(100キロ)制限なのに100マイル!ですっ飛ばすSA君。周囲は全くの緩やかに起伏のある草原で羊の姿しか見えないから事故の心配はないけど・・。私が好きだったイギリスの若き天才ホルン奏者デニス・ブレインはカーマニアで、こういう道を高速で走り立木に激突して死んだのだ。わずか1時間でオックスフォードに到着。
 「オックスフォード」はたくさんのカレッジと教会が集まった大学町だった。東の「ケンブリッジ」と並ぶ英国の名門だ。付近には名宰相チャーチル郷の生まれた屋敷「ブレニムハウス」と庭園も一般に開放されていた。貴族たちも収入源に困って自宅を開放しているのだ。ここは悲劇のプリンセス「ダイアナ」もゆかりのあるお屋敷だった。
 さらに1時間半北に走って「ストラットフォード・アポン・エイボン」を訪問。ここには文豪シェイクスピアの生家がある、メルヘンに出てくるような美しい町だ。もう夜の9時だというのに空はまだ明るい。当然朝もかなり早いから、北緯52度のこの北国の夏は「白夜」に近いのだった。
 ドイツに移動の日。SA君夫人の車でミルヒルのバスターミナルに送ってもらい、そこから赤いダブルデッカー(2階建てバス)でヒースロー空港へ向かう。ローカルバスで住宅街を巡りながらのんびり1時間半も。一般の路線バスと同じで運賃がたったの22ペンス(150円)だったよ。成田やNYやパリのような空港までの高速道路はまだなかった。午後2時、パキスタン航空はフランクフルトに向かってヒースロー空港を離陸し私の短いイギリス旅行が終わった。
2015/09/21 (Mon) 23:30


I think that 〜と It seems that 〜
I think that 〜と It seems that 〜
2015年9月20日(日)御殿場市民会館にて 「白ヒガンバナ」
 昨日はシルバーウィークとかいう大型連休の初日。イギリスのブライトン市ではラグビーのWorld Cupが開かれ、予選で日本が初の勝利という記事が朝日新聞に出た。ネットで見たら英国BBCでも、過去2回優勝の名門「南ア」のチームが32−34で日本に負けたと報じていたよ。先月ブライトンに留学していたSUさんにもコピーしたので明日読んでもらおう。
 今日は市民会館の第1会議室に変更した。コの字型にテーブルが並べてあったがそのまま使った。お互いに顔を見合わすのも悪くないなと。隣の第2会議室ではなにか話し合いをしていたらしく、アコーディオンカーテン越しに声や拍手が漏れてくるけどしかたない、お互いさまだ。途中でオバサンが間違えて入ってきた。高校生が静かに机に向かっている姿にビックリして出て行ったよ。ハハハハ・・・。
 YAさんは前回「否定」をやった。否定語に関係する倒置構文が難しかったけど「語句並べ替え」では80%の好成績だった。早稲田大の英作文で「水は一滴も残っていなかった。」は「there構文」が要求された。 There was not a single drop of water left.が正解。これは単純な受け身文Not a single drop of water was left.の主語を文頭に置かないでbe動詞の後に移動するために起こる倒置で、文頭の「空き地」に意味のない形式だけのthereを入れただけのもの。「進行形」のときにもよくあるよ。There were two boys playing out.(そとで子供が二人遊んでいたよ。)
 MOさんは制服で登場。土日で模試があり学校帰りの様子。ガンバルねえ。前回はセンター試験対策の総合問題をやった。特に「鯨の公式」A whale is no more a fish than a horse is.はno moreが「可能性がわずかだ」という意味から推測して、「鯨が魚である可能性は、馬の場合と同様まったくない。」となるね。A whale is not a fish any more than・・ともいうから注意。I have no more money. が I do not have any more money.と同じだからね。和訳問題では a grammarian has no more right to say how people ought to talk than a chemist has to say how molecules ought to act upon each other. が「鯨の公式」の応用で難しかったね。接続詞thanの前までが主文で「文法学者は、人はどのように話すべきか、などと言う権利を持っていない」。後半は「明白なたとえ」として「化学者が、分子はどのようにお互いに影響を与えるべきか、と言う権利がないように」。hasと to sayの間にもright(権利)が省略されているのだ。
 KAさんは前回「比較」をやった。四択ではかなり力があったが、語句並べ替えはどれも難しい問題だったね。 He is like a friend.のlikeは形容詞なので比較級 more like(もっと似ている)にできるのだ。同様にbe likely to gain weight(体重がふえやすい)も 比較級more likelyで「もっと〜しやすい」とか「劣等比較」less likely(もっと〜しにくい)とも言えるよ。工学院大の英作問題「勉強すればするほど、自分の知らなさ加減がわかるものだ。」はAs you study harder, you find better how little you know.という風に「〜につれて」のas をつかって、普通の複文が書けることが基礎力だ。それを the比較級+SV、the比較級+SVに変形できるかどうか。
 1年生SEさんは前回、「動名詞」を使う慣用表現をいくつも勉強した。90%正解が出せたね。mind –ing(〜するのを気にする、イヤがる)と look forward to –ing(〜するのを期待している)でミスしてしまったね。「文型」ではやはり第5文型が難しいね。 You must keep your hands clean,のOCはYour hands are clean.から生まれたものだし、I found this interesting.も同様に考えればいい。「不定詞」のプリントにも I saw a stranger enter my house. の完成問題で、a stranger entered my houseがOCの関係になってI saw の後に組み込まれているよ。
 3年生が共通にやった間違い箇所は、seemとthinkの混同だ。「と思われた」の It seemed that 〜と、「と私には思われた(=と私は思った)」のI thought that 〜を混同しているのではないか、と帰り道で考えた。I seemed that〜では間違いだね。It seemed that 〜はIt was thought that のことで「受け身」にしてもよい。「〜らしい」とか「〜のようだ」とも訳し、「推測」とか「話者の判断の自信のなさ」を表しているのだ。
 今週の裾野教室は23日(水曜日)に変更です。翌日が祭日明けで休館なので。 尾上

(追記)大学生のSUさんが先月末、4週間のイギリス留学を終えて帰国した。ロンドンの南方にあるサセックス大学の夏期講座を受講してきたそうだ。リゾート地として有名なブライトン市の郊外で、風光明媚な土地にたつキャンパスらしい。英語の勉強を集中的にやるにはなんといってもその土地に滞在することだ。イギリスの英語の発音はアメリカ英語(米語)とずいぶん響きが異なるから、慣れるまでに時間がかかっただろうけど大きな成果を得て学校に戻れるね。長い夏休みもあと1週間で終わり、大学も後期の授業が始まる。
 イギリスと言えば、私も1976年8月にロンドンを訪問したときのことが思い出される。三和銀行のロンドン支店に駐在していたSA君一家のお宅に5日間もお世話になった。英語科のSA君とドイツ語科の奥様は私と共に東京外語大で同じオーケストラの団員だった。SA君はファゴットで奥様はフルートを吹いていた。長男と3人家族だったがその後イギリスで長女も生まれた。SA君も同じ宝塚市の出身で私の母校・西宮の甲陽学院の後輩でもあり、特別に親しい友人だった。
 8月4日、フランス旅行を終え港町ダンケルクから深夜フェリーで2時間、対岸のドーバーの港に早朝到着した。海から見た「ドーバーの白い岸壁」は歴史的にも有名だ。厳しい入国審査をやっと終えて「ドーバー駅」へ。フィンランド人の女子高生3人組やアメリカ人の若者たちと一緒に鈍行で2時間半、ロンドンの中央駅「ビクトリア駅」に着いた。まずはイギリスの通貨が必要だ。空港と同じように大きな駅には必ず銀行や両替所がある。女子行員の聞き慣れない発音に苦労しながら、100米ドル(3万円)を55ポンドに両替した。特にロンドン下町の発音は特徴があって聞き取りにくいのだ。
 ロンドンも地下鉄が縦横に走っていて郊外に出ると陸上を走る。「北線」に乗ってSA君の住むフィンチリーへ。ゴルフ場が目の前で、付近はどこの家もトンガリ屋根の左右対称で2階家ばかり。前庭もフェンスで半分に分けて、一律に背中合わせで2所帯が住む。一軒家はほとんど見かけなかった。アパートやマンションとも違って珍しい住環境だね。
 滞在中には、SA夫人の家庭教師をお借りして英会話を勉強する機会をもらった。バッキンガム宮殿の衛兵交替の儀式を見たりバンド演奏を聞いたり、ロンドン塔やタワーブリッジ、ディケンズの家、セントポール寺院などの市内観光も楽しかったなあ。夜は、SA君とミュージカル鑑賞。ナショナル・オペラのモーツアルト「魔笛」とワーグナー「名歌手」を2夜連続で楽しんだ。これはオペラを全部英語で上演する歌劇場なのだった。パパゲーノが首つりする場面でも「ワン、ツー、ツー・アンド・ハーフ・・」と変な感じだった。やはりオリジナルのドイツ語がいいなあ。
 SA君は夕食にはたいてい「中華料理店」を選んだ。フランス料理とかイギリス料理(あるのかな?)には美味い店がないそうだ。イギリス人の「味覚オンチ」には定評があるらしい。まだ海外には日本料理店とかスシ・バーがない時代で、世界中のたいていの大都市と同様にロンドンにも「中華人街」があっておいしい中華が食べられた。中国移民だけのコミュニティをつくって暮らしているのだ。日本では横浜にあるよね。(続きは明日のブログ日記で。)
2015/09/20 (Sun) 23:02


カンマ・カンマはカッコのこと
カンマ・カンマはカッコのこと
2015年9月17日(木)裾野市民文化センターにて 「マツムシソウ」
 青空の下、さわやかな秋風の吹く「金時山」に登った。今年になって19回目になる。中腹の展望台には薄紫色のマツムシソウが20も30も。山頂に着いてみると岩陰にはシラヒゲソウが6本も咲いて美しい。乙女峠側の秘密の大岩に行ってみたらここにも5株発見!この春や夏には直立の岩肌にコイワザクラやイワタバコがビッシリと群生していたから、似たような環境できっと何本か咲いているかもしれないと予想したら大当たりだったよ。大湧谷の噴気もだいぶ治まって、付近の自動車道も通行禁止がやっと解除となったらしい。「金時娘」の妙子さんや息子の秀峰さんも、登山客の減少で売り上げが減るのを心配していたがこれで一息つけるかな・・・。
 今日は朝から雨がやまず、午後は珍しくテレビで国会中継を見ていた。安保法案の委員会審議で、野党の顔なじみの福山さん、福島さん、山本さんがどんなにていねいに法案の危険性を説明し一層の審議の延長を訴えてもダメだった。とうとう原案通り可決してしまった。ああ・・。
 今夜はいつもの会議室が幼稚園の抽選会の会場になっていたため使えず、カーペットを敷いた広い「視聴覚室」を借りた。新しい会員を迎えるにふさわしい立派な部屋だ。TACさんの紹介で3年生のMIさんが加入し、早速プリントに取り組んでもらった。今日の「譲歩」の項目はかなり難しいけど文法・作文でほぼ完璧に正解だった。力あるなあ。次回の英作文はもうちょっとレベルを上げようかな。
 もう一人男子でEC君の後輩2年生もお母様と体験に参加してくれた。短時間だけど「譲歩構文」のプリントで入試問題の「和訳」をやってもらって添削してあげた。入会してくれるといいな。
 KI君は「仮定法」を勉強した。動詞の語形に注意が配れていて、難しい文法も作文もほぼ合格点だった。和訳では「立命館大」の As of all other good things, one can have too much even of reading. が難しかったね。As of April 1 (4月1日現在で、・・)というイディオムは大事だがここは違うね。後のof reading と of all other good things が対比されていることに気づいて欲しい。次の文で「やりすぎると読書も悪徳になる。」と言っているから、「ほかのすべてのいいことのように、読書についても人はやりすぎてしまうことがある。」と訳せるといいね。この As は「〜のように」の接続詞だ。canはmay(かもしれない)の意味だね。
 EC君は「譲歩」をやった。前置詞句で in spite of the rain や despite her wealth は、節なら Though it rained, とか Though she is wealthy,と「接続詞+S+V」で平易に表せる。There are few, if any, such men.(そのような人はたとえ少しはいるとしてもてもほとんどいないよ。)とか、 He has seldom, if ever, spoken in public. (彼が公の場で話をしたことは少しはあったとしても滅多になかった。)のように、カンマカンマで割り込ませることで、直前の否定語 few と seldom に対して「たとえ〜でも」と譲歩的に(逆接のように)注釈を加える表現だ。His condition is serious, if not fatal. (彼の体調は重態だ。命取りとは言わないまでも。)も同様に直前の形容詞 serious に注釈を加えているね。
 初めてのMIさんに、二次対策の英文和訳をやってもらった。カンマが多用された英文に少々手こずったね。 The soul of a journey is liberty, perfect liberty, to think, feel, do just as one pleases. (旅行の神髄は考える自由だし、感じる自由だし、人が好きなように行動する自由でしかも完璧な自由だ。)と訳せると良かった。@「カンマ・カンマはカッコのこと」と覚えておくときっと役に立つよ。だから不定詞 to think は、liberty を修飾するわけだね。
 そして次の文 We go on a journey chiefly to be free of all impediments and of all inconveniences; to leave ourselves behind, much more to get rid of others. はセミコロン(;)で区切られているね。音声としてはただの空白だから、聞いている人はピリオドと思うかもしれないから訳もここで切ろう。「私たちはおもに、あらゆる障害や不便なことから逃げるために旅に出るのだ。」そして後半の to leave や to get 以下の文は、前述の to be free 以下を「説明」しているね。「つまり、自分を置き去りにするためであり、ましてや他の人たちから逃れるために。」ここでAセミコロンは「即ち」と訳を付け加えるようにするととても良い。「決してandや so ではない」と説明したね。 尾上

(追記)「1976ヨーロッパ一人旅」の第3部。完結編です。
 こんなにいくつもの国境を越える体験はなかなかできないから、帰国したら「ヨーロッパの国境について」というテーマで「研修報告書」を書いても面白いな、と思った。この長い休暇は「自主研修」として教育委員会に許可をもらってきているからね。
 その頃「ユーゴスラビア連邦」は7つの共和国から成り立っていた。ソビエト連邦の友邦国の一つで共産圏だが、イタリアやオーストリアと接しているから西欧とも仲が良く、資本主義国の良い点はどしどし取り入れていた。同じスラブ民族とはいえ様々な共和国をまとめるのはカリスマ性の高い「チトー大統領」だったが、4年後の1980年に亡くなった後は案の定紛争が起きて、その後分裂してしまい今はすべての共和国が独立している。
 真夜中に国境をこえてイタリアからスロベニアに入っている頃、ぐっすり眠っていたのに、車掌に大声で起こされた。ルームランプをつけて「ビレット(切符)!」。ロシア語と同じだからわかる。今までは「ユーレイルパス」が使えて、ヨーロッパ中どこの国でも乗車賃を払ったことがなかった。ここは東欧圏だった。13ドル(3900円、当時は1ドルが300円だった。)だと言うから20米ドル札を渡すと、「ドル」のおつりがないというので、ユーゴの通貨で1050ディナールをもらった。
 H早朝やっと連邦のひとつクロアチアの「ザグレブ」に到着。街中の観光をして、夜はカテドラーラ(教会)でコンサートを聴いた後、学生寮のような宿に安く一泊させてもらった。翌朝また列車に乗りセルビア共和国の「ベオグラード」に向かう。
 国境あたりで駅名を見ると普通の「ラテン文字」と「キリル文字」(ロシア文字やギリシャ文字に似ている)の両方で書いてある。同じコンパートメント(6人用小部屋)の仲の良い男女が「ドビジェニエ」と言って降りていった。ロシア語の「ダスビダーニア」(さよなら)とそっくりだ!東スラブ語と南スラブ語という姉妹関係なのだ。
 I「ベオグラード」は連邦の首都らしくどっしりした都会だった。たった4時間の滞在で何が出来るのか。有名なレストラン「ズラトニ・ボカル」(金の瓶)で夕食を取って市民の観察をしてから夜の町を歩くぐらいしかなかった。あこがれの「オリエント急行」の路線は、この隣国「ブルガリア」を越えて終点の「トルコ・イスタンブール」まで行くことになるのだが、しかしもう時間も予算も余裕がない。ドイツに戻ることにして22:55の2等車両でオーストリアの「ウイーン」に向かった。
 ウイーンの中央駅は大きくてピカピカの大理石造りだった。J「ウイーン国立歌劇場」の前を通って「ホーヘンブルク」宮殿の庭園を散歩。「モーツアルト」と「ヨハンシュトラウス」の銅像発見。「ウイーン歴史美術館」では「ティツィアーノ」の傑作をたくさん見つけ感激したよ。翌日はK「ザグレブ」を訪問してモーツアルトの生家や「パパゲーノ」の像、有名な「モーツアルテウム」音楽院を訪問。日本人留学生が多くて、話しかけた女性は高校3年生だった。その後、特急列車TEE「青い桔梗」号で再びドイツとの国境を越えてL「ミュンヘン」に戻った。
 ここからは定期観光バスで「ロマンチック街道」を北に向かって走り、出発地のフランクフルトに戻ることになった。途中M「ノルドリンゲン」とか「ローテンブルク」など8つの中世の町に立ち寄りながら、高速自動車道「アウトバーン」をバスは快適に走る。夕陽が沈む頃、出発点フランクフルトに着いて12日間の「アルプス一周の旅」が終わった。ヨーロッパは狭い面積だけどやはり広大で多様だった!
2015/09/18 (Fri) 0:47


劣等比較 is less likely to
劣等比較 is less likely to
2015年9月14日(月)ゆうゆうホールにて 「ジェットパック」
 TAYさんは「接続詞」の項目で SV such〜 that SV・・を勉強した。「so 〜 that構文」と同じように、「とても〜なので・・だ」と後の「結果」を主眼とする訳(1)と、「・・であるほど、それほど〜だ」と前の形容詞・副詞の「程度」を強調する訳(2)がある。今日は添削に回っていく前に用事で早退してしまい、見てあげられなかったね。持ちかえって見たら、上記の(1)と(2)の違いがとてもしっかり判別できていたよ。来週じっくり解説するね。
 TACさんは「比較」をやった。語句並べ替えがとてもよくできていた。 You are less likely to gain weight in summer than in winter. (冬と比べると夏の方が体重が増える可能性が少ない。)は難しかったね。「劣等比較」といって be more likely to 〜(〜する可能性がもっとある)の逆だ。早稲田の英作文で「これは始めに思ったほどやさしくない。」は動詞「思った」と「やさしくない」に着目し、「それは始めやさしいと思われた」 It seemed to be easy first が作れるはず。それを接続詞の as(〜とくらべて)でつなげば、 This isn’t so easy / as it seemed to be first.と書けるね。 I seemedではおかしい。I thought it was easyならOKだけど。
 TU君は前々回はテスト対策のために「比較」のプリントを自宅でやってきた。最上級を強調するのはby far the best player (飛び抜けて一番上手な人)。be likely to 〜(〜する可能性がある、〜するらしい)は助動詞の may(〜かもしれない)と似ている。先週は「仮定法」をやった。明治学院の英作文で、「もう10ドルあれば、ずっと欲しいと思っていたこの本が買えるのだが。」が難しかった。「Ten more dollars を主語にして」と注文付きなので余計に難しい。注文を無視してとりあえず平易な表現で書いてみれば、例の「無生物主語の文」を思い出せるかもしれない。「もう10ドルが、私にこの本を買うのを可能にするだろけど。」という「原因・結果」の表現が浮かんでくる。 Ten more dollars would enable me to buy this book which I have long wanted.
 OH君は前回、入試問題の「語句並べ替え」をやった。得点アップにはイディオムをさらに増やすことが大事だね。 make friends with〜(〜と友達になる)、 for yourself(自分の力で)、those present(出席している人々)、catch 人 by the arm(人の腕をつかむ)など。今日は部活もなく、一番に出席して3時間たっぷり「受動態」に取り組んだ。まずは基本例文をしっかり和訳することから始めた。とてもいい復習になるね。関西学院の「誰だってからかわれることはいやだ。」はイディオムThey make fun of him.(彼をからかう)を受け身にしてNobody likes to be made fun of.といえばよい。
 2年生NIさんは前回、「接続詞(1)」を勉強した。語句並べ替えは70%正解だったね。「〜まで(ずっと)」(継続)は untilや tillだが、「〜までに」(完了)なら beforeとか by the timeを使って接続する。今日の和歌山大の和訳はほぼ訳せていたね。 Advertisements are one of the most important cultural factors, reflecting and even forming our daily lives today. (広告は文化のもっとも重要な要素の一つで、今日の我々の生活を反映しているし、我々の生活を作り出すことさえやっている。) reflecting と forming は共にour daily livesを目的語にしている。例えば、TVで「カレー」のCMは「最近みなさんはカレーを食べていてるね」という現実生活の反映と、「今日もカレーにしてみない?」という食生活の提案までやっているということ。
 1年生YO君は「基本文型」の復習をやった。第5文型のSVOCが難かしいね。OとCが主語・述語の関係になっていることに注意。「動名詞」と「不定詞」の文法問題をやってかなり正解が出せた。ただし「関係詞」の項目はまだ学校でも未修なので中学の知識のまま。中級のレベルの問題だから歯が立たなかったね。基礎をしっかり勉強してから再挑戦しよう。 尾上

(追記)昨日の「1976ヨーロッパ一人旅」の第2部です。
 スイス・ジュネーブから乗った列車の乗換駅でパスポートを見せて再びフランスに入国。夏スキー客で賑わう避暑地の「シャモニー」に着いて、ロープウエーで「エギュ・ド・ミディ」に登った。山頂駅でさらに乗りついで行けることを発見し「このままイタリアに越えてしまえ。」と決断した。「モンブラン」の大氷河をユラリユラリと越えていった。簡易のロープウエーだから、次のゴンドラが乗車するたびにこちらも停まってしまうんだ。その間なんの音もなくたった一人でゴンドラに乗っているのは「コワかったよ−」。
 40分後にやっと着いた国境の山小屋が「フロンティア」駅で、フランス人の出管とイタリア人の入管の役人がいてパスポートをちらっと見せるだけで手続き完了。ここから一気にイタリアの避暑地「クールマイヨール」に下っていった。シャモニーからここまで3本のロープウエーを乗り継いで合計2時間も乗りっぱなしだった。その昔、ナポレオンは馬でアルプスを越えたが、私はゴンドラで越えたよ。
 田舎町のアオスタに一泊して翌朝トリノからイタリア半島を南下、「ピサの斜塔」で有名なピサで乗り換えて、一面のトウモロコシ畑を見ながらF芸術の町「フィレンツエ」に着いた。予定した滞在時間はわずか3時間。ここでは「ウフィッツイ美術館」に行って大好きな「ティツィアーノ」の名画「フローラ」と「ボッティチェリ」の「ビーナスの誕生」「春」を見て大いに感動。 
 その日の夕方に到着したG「ベニス」では通貨のリラがなくてゴンドラにも水上バス、水上タクシーにも乗れず街中をぶらぶら歩き。ここは貸し自転車もない。橋が多くて無理なのだ。道に迷って一番の観光地「サンマルコ広場」にも行けずに時間切れ。おみやげにカメオを買って夜行列車に乗りこむ。イタリア人はさすがに色彩感覚がすばらしい。たかが車窓のカーテンの色も生地も豪華だ。列車は「トリエステ」を通過しイタリアを離れた。
 真夜中にイタリアの国境を抜けた田舎駅で列車に乗り込んできた入管の役人にパスポートを見せて、いよいよ共産圏の「ユーゴスラビア連邦(旧名、今はない」に入国。大学時代に私が留学したかった国だ。セルビア・クロアチア語の第一人者になって大学で教えることも夢の一つだった。(第3部は次回17日に載せます。)
2015/09/15 (Tue) 0:42


no more than 対 not more than
no more than 対 not more than
2015年9月13日(日)森の腰中央公民館にて 「フジアザミ」
 昨日はひさびさの青空。残暑も嬉しく感じられて「山中湖」に行った。いつものように愛車レイチェルを載せて。「三国峠」を越えるとそこはスイス「グリンデルワルド」に似たような広大な緑の草原だ。
 湖畔のガーデンつきのロッジ風レストランは家内のお気に入り。パスタとポークでランチをしたあと一人サイクリングに出発。15kmをゆっくり80分で一回り。さすが山中湖はスポーツのメッカ。高級のバイク(オートバイは和製英語。bike、正式にはmotorcycle)じゃなくてトライク(三輪車だからmotor tricycleのこと)の大会に出会った、赤、白、黒、オレンジなどカラフルな車体が何10台も集まっていた。
 ジェット噴射で湖面から飛び上がる「フライボード」や宇宙飛行士のような「ジェットパック」も目撃したよ!フランスから今年輸入したばかりで初お目見えだそう。若者たちが何人も挑戦していたよ。標高1000mだからサイクリングロードには登山道の風景もある。ここはハギとクサボタンと大きな頭を垂れて咲くフジアザミが見頃だった・・・。
 YAさんは前回「構文101」の最終回「文修飾の副詞」を勉強した。It was lucky that my dream came true.で前半は「幸運なことだったんだけど」と後の文全部を修飾している。そこを簡単にLuckily my dream came true.と言い換えられるのだ。my dream luckily came true.のようにluckilyを副詞のneverの位置に置いてもよい。今日は「否定」をやった。not more than 100 dollars(せいぜい100ドルまでは・・)とno more than 100 dollars(わずか100ドルしか・・)の違いがむずかしいね。わずかnoの後に t があるかないかだけど、「ノッ(ト)」と「ノウ」には大きな違いがある。notは「副詞」でその後の語句全部を否定して「100ドル以上ということはない」の意味。 no は「形容詞」ですぐ後のmoreだけを否定して「多いなんてことはなく、わずか〜だけ・・」の意味。ちなみにno less thanは「少ないなんてことはなく、何と〜も」の意味になる。
 MOさんも前回「関係詞」をやった。語句並べ替えや英作文がまだ50%くらい。70%以上を確保したいね。イディオムの意味と用法をもっと覚えないと。make friends with 〜 (〜と友達になる) what we call〜(いわゆる〜)、All I know is〜(私の知っているのは〜だけだ)など。今日の「否定」では「重要表現」Cの I neither smoke nor drink.(タバコも吸わないし酒も飲まない)はI don’t either smoke or drink.に書き換えできるね。だから「私もそれが好きでない」は I don’t like them, either.となる。よく “I’m hungry.”にたいして ”Me, too.” とか ” So am I.” と言うでしょ。 相手が“I’m not hungry.”なら “Me, either.”とか “Nor am I.” と言わなきゃいけない。”Neither am I.”でもいいよ。
 KAさんは前回「否定」をやった。覚えるべきイディオムや構文がとても多い項目なので入試でもおおいにねらわれる。もう一度ていねいに勉強しておくといいね。関係詞のwhat は疑問詞と同じでwhat your dictionary says(辞書に書いてあること)ではsays の目的語、what it is like(それがどういうものか)ではlikeの目的語になっているね。今日は「比較」を勉強した。If you take the fast train, it will cost twice as much.(その快速列車に乗ると、2倍の料金がかかるよ。)は、as muchの後にどんな省略があるのか質問したね。ここでは as you take the other train.(別の列車に乗った場合と比べると)とわざわざ言う必要もないからすっかり省略されているんだ。このasは接続詞で「とくらべると」。前のasは副詞で「同じくらい」の意味だよ。
 1年生SEさんは前回「不定詞」を勉強した。It was difficult for the boys to give up playing games.(その子たちがゲームをやめることは難しかった) のように、for the boysをto give upの前にはさむことで、SVの関係を作っているのです。中学で教えた「〜にとって」の訳は前の方を修飾するだけで、普通は通用しない訳し方だから捨てないといけない。「文法用語を使わずに、とりあえず便宜的に覚えさせればいい・・」という最近の中学英語の教え方は、フレッシュな年代の生徒にはいつまでも残るから困ったモノです。
 来週はまたこの公民館が借りられないので「市民会館」でやります。送迎をよろしくお願いします。 尾上

(追記)1976年の夏、ドイツでお世話になっているNA先輩の、フランクフルトのお宅を起点にして「ヨーロッパ一周の旅」に出た。今も大事にしている赤い表紙の手帳をひさびさに開いてみたら、その日々の情景と感動がはっきりと浮かび上がってきたよ。ナツカシイ−。今回はその思い出を3回に分けて駆け足でお話ししてみよう。
 日本で買っておいた「ユーレイルパス」はヨーロッパの鉄道がほぼどの国でも「一等車」で15日間乗り放題という周遊券。一回の旅行であれもこれもと欲張った計画を立てた。静岡の「JTB(旧交通公社)」で買えたのだが、その時貰った中古の「COOK 社時刻表」が役に立った。ロンドンの有名な旅行会社が、ヨーロッパのほぼ全域の列車と船の時刻表を1冊にまとめて載せている。いくつか国をまたぐ長距離列車だと23:59の次は24:10とか25:35というふうに日を飛び越えて記載されているから面白い。
 まだ私も33才だから若いエネルギーと冒険心に溢れていたなあ。以下に書く「行程」はそれぞれ直前に決めて実行したものばかり。その@は「オリエント急行」の路線を出来るだけ走ってみよう。パリーロンドン間はすでに10日前に走ったので、できれば終点のトルコ・イスタンブールまで行きたいな。
 Aそれでまずは、フランクフルト駅を南下してビールの町ミュンヘンへ。作曲家ワグナーのためにルードウィッヒU世が築いた「ノイシュバンシュタイン城」を訪問。しかし観光映画村のハリボテのようなイメージだった。実際、戦争を想定した城ではないし建ててからしばらくして城主が自殺してしまったからね。
 Bさらに急行で「リヨン」行きの国際列車に乗って隣国スイスへ。入管の検査もなしに列車は入国した。チューリッヒとベルンを経由してスイス・アルプスの「グリンデルワルド」を訪ねてペンションに一泊。翌朝「アイガー」と「ユングフラウ」のトレッキンングにでかけた。「氷河」の近くに名も知らぬ高山の赤、白、青、黄色の花々が一面だった。ノートのこのページには8センチほどの小さな「エンツイアーン(岩ギキョウ)」が一本変色して押し花にしてあった。あの「三角錐」の「アイガー北壁」には圧倒されたなあ。
 Cさらに西に向かってローカル線で山を越えた所でフランス語圏に入る。駅名もドイツ語読みとフランス語読みの2通りで書いてある。実に興味深いね。ここでチェロを抱えた美しい少女が降りていった。列車は急斜面をキーキーいいながら「レマン湖畔」に下った。モントルーに着いて、中世の城「シヨン城」を訪問。
 Dさらにボートで古都ローザンヌに渡り、カテドラル(寺院)を訪問した後レマン湖岸を列車は走って1時間後、NAさんが10年前に留学したジュネーブに到着。ここにはユネスコなどの「国連本部」があるんだよね。多様な国の学生たちとユースホステルに一泊して翌日、列車でもう一つのアルプスの名山「モンブラン」に向かった。(明日のブログに続く。)
2015/09/13 (Sun) 23:29


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