山梨県南部町で一軒宿の「佐野川温泉」を営む私の弟をひさしぶりに訪ねた。富士川の支流「佐野川」のほとりにあって「下部温泉」と同じちょっとぬるめの温泉だ。丁度ヤマザクラが満開で周囲の山を薄ピンクに彩っていた。この冬に法要で一度会ってはいたが今日はゆっくり話ができた。「ウナギの蒲焼き」が得意料理で、三島の「うなよし」や「桜家」より美味いよ、と自慢する。
「鰻重」と「肝すい」「カシラの照り焼き」にも感動したのはもう20年ぶりかな。弟はもとは東京理科大出身の新聞記者だったのに脱サラして旅館のオヤジ。板前の修行もしてよく腕を磨いたね。「先日女優のMAさんが泊まってくれたよ。」と。時々TV局の取材を受けて弟がローカルニュースに出たりする。婿に行って姓は佐野に変わったけど私の唯一の実弟、孫が6人もいる・・・。
御殿場教室は人数が増えてこの「森の腰中央公民館」では手狭なので、来週から「御殿場市民会館」の第2会議室を借りることにしました。玄関を入って受付のすぐ前にあります。よろしくお願いします。
新1年生MU君は前回、「私のインド、私の夢」という英文を全訳してみた。難しい文法はないけどそれぞれの文がかなり長めでどうしたら日本語の流れに直せるのかに困った。一歩ずつトライしてみることが大切だ。
2年生YAさんは「山形大」の整序問題で、「われわれは自分の行為ばかりでなく、読む物に対しても責任を負わねばならぬ。」は We are as responsible で始まっているので、後の比較の対象にも 接続詞のas が必要だと考えると良かった。・・・for what we read as for what we do.
EN君は前回、「山形大」の整序問題が難しかった。 We took the greatest care of books. を「受動態」に書き換えると答えは2つあって、どの語句を目的語と考えるかで(1) The greatest care was taken of books. と(2)Books were taken the greatest care of. が生まれる。この問題では(1)が答えだったね。
3年生のTA君は入試の英文和訳で「迷信」で60%はうまく訳せていたね。 But there is probably no superstition that has as many people observing it, in one way or another, all over the world, as the one that 13 is unlucky. いつものようにカンマカンマをカッコでくくるといいね。するとas 〜 as・・ の構文が見えてくる。「13は運が悪いという迷信ほど、多くの人が信じている迷信はたぶんないだろう。」そこに修飾語(M)の「世界中、なんらかの形で」が加わる。has many people observing itはSVOCの文型でI had him believe me.(彼に私を信じさせた)と似て「ある迷信のために人々がずっと信じ込んでいる」という意味。原形でなくて-ing形になって「継続」の意味が強調されている珍しい例文だね。「無生物主語の文」でもあるからさらに難しかった。
大学生のYAさんは今日もTOEICの模試をプリントでやってみた。パート1〜4のリスニング問題100問を45分で、パート5〜7のリーディング問題100問を75分で解答することになっている。今日はパート5と6の52題、単語を補充して英文を完成する問題ばかりをやってみた。語彙のレベルが高いのでまだまだ辞書が頼りだが、ほぼ80%の正解だった。次回はパート7の内容理解の問題に取り組んでみよう。 尾上
(追記)「バンド・クリニック」参加の合間にシカゴ市内にある有名な楽譜出版社「カール・フィッシャー」を訪問。「シカゴ美術館」に行ったり「シカゴ・シンフォニー」のコンサートを聞いたり、シカゴで充実した数日間をすごした後、武蔵野音大の秋山紀男先生率いる私たちのツアーは、さらに南部の町テキサス州サン・アントニオに飛んだ。
ここには吹奏楽の楽譜出版で有名な「サザン・ミュージック」の本社があって、日本の「ミュージック・エイト社」とも強い繋がりがあった。19世紀の前半、今はアメリカの1州だけどここで「テキサス共和国」の独立のための戦争があった。ジョン・ウエインの主演で映画にもなって主題歌がヒットしたから、デイビー・クロケット大佐の活躍で有名な「アラモ砦」が街観光の目玉となっている。
夜は町を一周できる運河で船遊びを楽しんだ。12月だというのに米国で最南端の町はまだ初秋のようなポカポカした気候で、川岸に面したカフェやホテルのレストランなどの前のプロムナードを行く大勢の人々を見ながら、わたしたちを乗せた観光ボートは川面を静かに滑っていく。街中の水辺の散歩道「リバー・ウォーク」という名で世界的に有名だよ。われらが三島市も「水郷の町」という共通点があって参考にしているらしい。商工会議所の裏の「白滝公園」の川のあたりと雰囲気が似ていたな。
隣国メキシコから米国に編入した土地だからテキサス州にはメキシコ人やその文化が一杯だった。チョコレートを溶かして乗せた肉料理はなかなかなじめない。デザートのマンゴー・シャーベットだけはボリュームもあって実に美味かったなあ。サザン・ミュージック社の社長が家族ぐるみで我々をディナーに招いてくれて,楽しいメキシカンの演奏も聴かせてくれた。
この出版社「サザン・ミュージック」の社長のもとを12年後に再び訪れることになろうとは、運命のいたずらだろうか。「シカゴ・バンド・クリニック」で出会ったニューヨークの作曲家デル・ボルゴ氏に依頼して、私が個人的に作曲してもらったA Remembrance という題の吹奏楽曲をこの会社から出版してもらった。その10年後この出版社は後継者がなくて残念ながら閉業してしまったが、版権はシカゴのあの「カール・フィッシャー社」に受け継がれている。(つづく)









