先週は「芦ノ湖」の東岸を自転車で走った。桃源台の「箱根ビジターセンター」まで行って車に乗せてきた組み立て自転車で出発。久々の青空でぽかぽか暖かいし、湖岸を1時間くらい走ってみよう。「元箱根」の「箱根神社」まで行けるでしょう。「箱根ベーカリー」でおいしいパンも買ってこようかな。
坂を下っていくと「湖尻」の船着き場には中国人らしき外国人がおおぜい観光船から下りてくるよ。ここからは「箱根園」に向かって歩行者・自転車専用の湖岸道路が続いている。原生林のような巨大な樹木の向こうに湖水を見下ろしながらアップダウンするとたっぷり汗が出る。遊覧船や海賊船と競走するのも楽しい。「九頭竜神社」までくるとおおぜいの団体客とすれちがった。「縁結びの神様」といわれて「箱根神社」のあと回ってくる観光客が多いそうだ。大学生らしき若いカップルの姿が目につくな。そうか、大学は2月からずっと春休みだったね・・・。
2年生NIさんは前回「時制・上級編」の書き換え問題が難しかったね。元の文の意味をしっかり掴んで英作文する訳だから大変だ。 He did not appear until the meeting was over. は「会合が終わるまで現れなかった。」だから、It was で始めるには、強調構文で「現れたのは会合が終わってからだった。」と書けねばいけない。It was not until the meeting was over that he appeared. となる。
I haven’t seen you for a long time. もIt で書き始めよ、だから「時間」の It と考えて It is a long time since I saw you last. (以前に会ってからしばらくだ。)と書ける。since の後は必ず「過去形」にすること。It にはたくさんの用法があるからしっかり整理しておかないといけないね。
1年生YO君も前回「不定詞・動名詞」はすべてOKだった。今日は「関係詞(2)」をやってみたが、6問中半分がXだったね。春休み中にしっかり再学習しておくべき項目だよ。「ケビンはあなたを手伝うことができると私が思っている生徒の一人です。」の整序問題は Kevin is one of the students. と I believe they can help you. の2文をまず想定しておかないと無理。 第2文のthey をwho (関係詞)に置きかえてstudents(先行詞)の直後に移動させるとKevin is one of the students who I believe can help you. のようになる。まるでI believeがwhoと canの間に「挿入」されたようにも見えるね。そういう一般的な説明でも間違いではないが。
中学生のNI君は前回「関係代名詞」を初めて勉強した。who、which、thatなどが「代名詞」の代わりになって前にある単語を修飾する働きだと理解して、「健二のスピーチ」を全訳してみた。丸もたくさんついたけど少々難しかったね。SVの前にあるはずの「関係代名詞」がよく省略されているから見分けられない。SSV〜V〜 という語順になっていたら外側のSVの中にもう一つSV〜が組み込まれていると見るんだ。SとSの間に「関係代名詞」が省略されているよ。
Older people have a lot of things they can teach younger people.「お年寄りは若い人たちに教えてあげられることを一杯持っている。」 後半の部分はThey can teach younger people a lot of things. というSVOOの文型で、a lot of thingsを関係代名詞の which に置きかえて they の前に出せばいい。ここでは省略しているけど。
先週末、新聞朝刊に「UG会・新会員募集」の折り込み広告を入れてもらったので、今日の「見学説明会」の参加者を期待していたのにゼロだった。残念だけど来週もう一度やるので期待しよう。代わりにTACさんのお母様が合格の報告に見えた。
東京女子大、日本女子大など名門私大にすべて受かったのに、本人の意志で浜松の新しい「静岡文芸大学」に決めた。自分のやりたいコースがそこにあるから、と。とても的確な素晴らしい選択だね。「・・を研究している・・先生がいるから」という理由なら最高だ。大学のネームバリューなんて一瞬のものだ。お母様から「UG」という銘の入ったボルドーワインを頂いた。え?偶然ですか?おまけに珍しいチリ産のワインも。嬉しいね。 尾上
(追記)親友のON君は、定年まで長年英語の出版で有名な「研究社」の編集長だった。大学の頃からずっと勉強の虫ではあったが、最近ロシア語の親戚である「ポーランド語」の勉強を始めて熱心に語学教室に通ううちに「スピーチコンテスト」にも出場し、定年過ぎのこの老人が見事優勝してしまったよ。そのご褒美に「ポーランド留学」をしたのがオレッグ君との交友のきっかけだそうだ。昨年は奥様も同伴でポーランド一周のツアーにも出かけたほどの熱の入れよう。
御殿場訪問の別れ際にオレッグ君から民族衣装を着た人形と郷里の観光写真をもらった。ふるさとウクライナの「ルビウ」はどんな町か興味が湧いて、ネットの衛星写真「グーグル・アース」を使って空から見てみた。首都「キエフ」からは一番西のはずれで、ポーランドとの国境に近い歴史のある美しい町のようだ。首都は「ワルシャワ」までの方が距離は近いから留学先もポーランドだったんだな。まだ40才代の若いご両親の写真も見せてくれた。
国名の「ウ・クライナ」は「国境の向こう側」と言う意味のロシア語で、ロシア人から見ると「辺境の地」の意味のようだ。しかし「黒海」とオデッサなどの良港を抱える温暖な土地だから、北国ロシアの人々のあこがれの「南の国」なのかもしれない。
たしかにここは東欧の豊かな穀倉地帯と言われている。「黒海」に突き出した「クリミヤ半島」は最近、プーチン政権が国土占領してロシア編入を宣言してしまったし、東部地区の国土もロシア人の住民が多くて、ロシアの政治介入が問題になっている国だ。私の好きなチェホフの小説「犬を連れた貴婦人」の舞台は「クリミヤ半島」先端の温暖な保養地「ヤルタ」だったな。
あの第2次世界大戦・終結のための「ヤルタ会談」が行われた土地でもある。ここに1945年、ソ連のスターリン書記長と米国ルーズベルト大統領、英国チャーチル首相の3巨頭が集まって大戦後の世界の扱いを協議して決め、それが「ベルリンの壁・崩壊」まで45年も続く「東西冷戦」の引き金になったそうだ。
今から25年前の1991年、「ソビエト社会主義共和国連邦」つまり「ソ連」(USSR、ロシア語ではCCCP)が解体し「ウクライナ共和国」がやっと独立国になった。そのちょっと後にオレッグ君は生まれたから、ロシア語がほとんどしゃべれないわけだ。ご両親の若い頃はきっとロシア語が必修だったろうけど、今では中学・高校での外国語は英語で、本人も大学院で「ウクライナ文学」を専攻している。将来は大学教授かな。
