この薄い和紙のような花びらはどう?北海道・利尻島で見たクリーム色の「リシリヒナゲシ」も、仙石原「湿生花園」で見た「ヒマラヤの青いケシ」も美しいが、この別名「シベリアポピー」が私は大好きだ。昔三島の東芝TECの敷地で赤、ピンク、白など色とりどりに群生しているのを始めて発見して感動したよ。たいてい青い「ヤグルマソウ」が一緒に咲いていた。
いよいよ明日は「田植え」の2回目をやるのでその準備に、家から7キロ離れた農作地まで今日も愛車レイチェルで登っていった。これは富士登山のコースで1時間近くかかるから汗をたっぷりかくけど、健康のためにはきっといいはず。途中のコンビニで一休みして100円の挽き立てコーヒーを飲むのも楽しみ。途中の垣根に見つけたのがこの大輪のポピーたち。風にゆらゆら揺れてまるで蝶々が舞っているようでしょ。きれいだよね・・・。
2年生のMIさんは前回、構文(1)の整序問題で難しい入試問題をやった。ほとんどできたけど、特に 「It で始まる強調構文」が難しかった。「東京理科大」では「ずっと後になってようやく事実を知った。」 は英語で、「その事実を知ったのは、ずっと後になる以前のことではない」と考えればいい。つまり、not until much later が It was 〜 that I learned the truth. の構文で強調されればOKだ。 同様に、 It is 〜 that counts. は「大事なのは〜だ。」 It was 〜 that made me angry. は「腹が立ったのは〜のせいだ。」
今日は「独立分詞構文」を勉強した。主文のSV〜の前か後にもう一つ文をつけ加えるときに、名詞+分詞(-ing か –ed) の形をしているもの。普通の分詞構文と同じようにカンマでつなげる代わりに「前置詞」のwith でつなげることがある。それを「付帯状況」のwith と呼んでいる。 The boy, with a police officer running after him, suddenly jumped into the river. 「その少年は、警官があとから追いかけてくるので、突然川に飛び込んだ。」この文では文尾又は文頭に置くべき with 〜の付帯状況が主文のSとVの間に挿入されているね。
3年生のOMさんは「不定詞(2)」を勉強した。「使役動詞」(〜させる) make、let、have、helpの文中では、不定詞に to をつけない。それを原形不定詞と呼んでいる。「感覚動詞」のsee、hear、,feel などの文中でも同じだ。整序問題はかなり難しかったけど、文法の四択問題はほとんど全て正解が出せたね。今日は志望校の話しや将来の夢も聞かせてくれたね。センター試験は必要ないようだけど、基本を大事に勉強を続けよう。
SEさんは中間テスト中のためお休みした。 尾上
(追記)私が青年教師の頃、昭和45年から9年間は「島田商業高校」の英語教諭だった。「情報処理科」のクラスを担任していて、生徒たちがいつもくるくる巻いた「紙テープ」を持ち歩いているのが気になった。「情報処理」の授業になると特別教室に移動した。そこには人の背丈よりも高い金属の巨大な箱が設置してあった。富士通とかIBMからのリースのコンピューターだった。「記録」にはまだオープンリールの録音機が使われていた。
彼ら彼女らは「情報処理」つまり、コンピューターのプログラミングを勉強していたのだ。自分が作ったプログラムをこの紙テープにパンチして記録していたらしい。まだ「言語処理」とか「デザイン」などに発展するずっと前の段階で、商店の「売り上げ計算」や「帳簿づけ」を機械にやらせるのが目的だった。「そろばん」の先生も同僚にまだいたから、コンピューター時代に移行する過渡期だったんだね。しばらくすると「カシオ」の電卓が発売された。
私も生徒に負けまい、とプログラミングという新しい学問に挑戦してみた。同僚の商業科のSI先生とはゴルフや囲碁でもよく一緒したが、NHKのテキストを買って二人で勉強を始めた。NHK教育テレビ(今の「Eテレ」)で1969年から始まった番組「コンピューター講座」は、東大の森口先生を始め慶応大学・立教大学の先生やNTTの技術者が講師を勤めて、3年目のこの年は「フォートラン入門」という副題だった。
本棚に残っていたNHKテキスト1971年版を開いてみたら、自分で書いたメモも残っていて懐かしいけどさっぱり理解できない。「整数四則」、「野球選手の打率」、「電報料金」、「売り上げファイル」などの計算をプログラム化してみよう、というようなテーマが並んでいる。本の間に挟まっていたのは「富士通」製の「雲形定規」だ。プラスチックの透明板に丸、三角、四角、台形などがくりぬいてあって、スタートからゴ−ルまでプログラミングの「流れ」を書いたのだ。これを「フローチャート」と呼んでいたなあ。
その後の教育は「コボル」という言語が中心になり、近年の「情報処理科」では「ジャバ」という言語を使っているそうだ。日頃気楽に使っているPCもその仕組みは、となると理解しにくい世界なんだなあ。









