高校英語UG会 三島・裾野・御殿場

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新年度スタート!
新年度スタート!
2016年4月4日(月)三島ゆうゆうホールにて 「カタクリの花」
 御殿場のサクラの見頃はまだ遅れそうだ。自転車に乗って「秩父宮公園」に行ったら2日から「さくら祭」の期間に入ったらしいけど、「宮邸」のシンボルになっている巨大なしだれ桜はまだ2分咲きだ。10日までの期間内に満開を迎えるかどうかあやしいね。早春のユキワリソウやショウジョウバカマ、カタクリが見事な花をつけている。この庭はこれからが楽しみ・・・

 新3年生NIさんは、今日から日栄社の定評ある「英文法・英作文演習」を始めた。この1年間続けた「重要構文101」の基礎を受けていよいよ入試問題の実践編だ。第1課は「Itの用法」で、空所補充、文整序、そして和文英訳の順に力を高めていく、とてもいい問題集だ。take it for granted that〜(〜を当たり前だと考える)や see to it that〜(〜に注意する)のような it は that 以下を受ける「仮目的語」の働きだったね。
 春期講習に参加した新2年生のENさんが正式に入会して、さっそく第1回目の「重要構文101」に取り組んだ。文法解説とその例文はじっくり読む価値がある。とくに1パラグラフで易しめの入試問題を全訳することで効果が上がるよ。今日は「不定詞」の構文、how to〜、と be to〜の働きを勉強した。入試の「和文英訳」はこれからも続けていくので、できる範囲でいいから挑戦して欲しい。残りのプリントも少しやって今日は早めに早退した。
 新2年生YO君も今日から「重要構文101」を始めた。毎回2課こなせば50週、つまり来年の3月にはゴールに着く。和訳を中心に力をつけて欲しい。前回は1年最後の文法として「特殊構文」を勉強した。「名詞構文」も「無生物主語構文」も難しい項目だけど、すべて正解が出せたね。最近よく勉強している様子が感じられるよ。英作文では○がつかなかったから「動詞」の用法をいくつも覚えなくてはいけない。This money enabled him to enter college. に対しmade him enter では to が不要だし「可能にさせる」の意味が足りない。allow 人 to〜 や advise 人 to〜 など、似た文型をまとめてたくさん覚えておこう。
 中学3年生になるNI君は高1の分野に進むことにした。まだ学校では「現在完了」や「関係詞」など教えていないけど「UG会」では早めに取り組んでいこう。今日は「5文型」を勉強したね。SVの後に何が来るかで文型を5種類に分ける。特に「第5文型」というのが難しかったね。 尾上

(追記)御殿場南高校の吹奏楽部が2年目のコンクールでまた金賞が取れた曲で、同じ米国の作曲家ミッチェルの「海の歌」も壮大でロマンチックな曲だったなあ。こういう新しい曲の紹介は例年プロの楽団が演奏して「東芝EMI」のLPレコードで発表されるので、購入して生徒たちと一緒に聞いてからアンケートを採ったりしてその年のコンクール自由曲を決定したよ。
 「全日本指導者クリニック」に参加すればプロの生の演奏も聴くことができた。それは毎年5月に三重県浜島の英虞湾に突き出た「合歓の郷」(ねむのさと)にある「ヤマハ音楽キャンプ」で開催された。全国から参加した中学や高校などの先生が2泊3日の合宿で「吹奏楽部の運営」や「指揮法」、「10種類の楽器の演奏法」「楽譜の読み方」など盛りだくさんのプログラムを勉強する。
 コンサートではプロのバンドが出演して素晴らしい曲を聴かせて、気に入ればすぐに買えるように楽譜の即売コーナーもあって、私にはこれがまず一番のお目当てだった。このクリニックはとても刺激的で参加希望すると、校長先生の許可がもらえて毎年のように出張できたのはいい思い出だ。
 新幹線で名古屋経由で行くこともあったが、海が荒れていないときには、マイカーで知多半島の先端「伊良湖岬」まで行ってフェリーで伊勢湾を渡った。対岸の「鳥羽港」に着くと「御木本真珠」の展示館が目につく。いきなり関西圏に来てなぜか「ふるさと」のように懐かしい。「浜島町」のはずれにあるリゾートの「合歓の郷」は広大な半島の芝生の敷地にゴルフ場やコンサートホール、楽器の練習棟が点在して、休み時間には園内バスで浜辺をぐるっと回るのが楽しみだった。
 このクリニックには日本のプロの指揮者、演奏家、作曲家も招かれて講習会が開かれた。時には吹奏楽の本場、米国からも指揮者や作曲家が招聘された。F・フェネルやA・リードは日本でとても人気の高い音楽家で昼休みに一緒に写真を撮らせてもらったなあ。
 このクリニックの元祖はアメリカのシカゴで12月に開催される「全米・カナダ」のバンド・クリニックだ。5日間に生演奏で次々と発表されるオーケストラ曲や吹奏楽曲を、多くの出版社がブースを開設して紹介し商談をまとめる。つまり「楽譜の見本市」だね。1988年の冬、日本の出版社が企画したツアーに私は家内と申し込み渡米して、シカゴのホテルを借り切って開催された「ミッド・ウエスト・バンド・クリニック」に参加した。(つづく)
2016/04/04 (Mon) 23:16


UG会は期待に応えます
UG会は期待に応えます
2016年4月3日(日)森の腰中央公民館にて 「紅枝垂れ」
 毎年、その日の「春期講習」が正午に終わると遠回りして「三島大社」に立ち寄りお花見をしていく。今春は寒波のせいでソメイヨシノの開花が遅れて今日やっと5分咲きくらい。紅色のしだれ桜は満開で池の水面に影を映して赤い橋の欄干を背景に実に美しい。800年前、源頼朝の妻・北條政子が寄進した「厳島神社」に渡る橋だそうだ。
 長泉村(池田病院のあたり)生まれの私には、大社の「夏まつり」は小学校の頃欠かしたことがない。戦後東京に一家で引っ越ししてからも、夏休みには必ず大好きな祖父母の住む「いなか」に帰った。東海道線で一人旅しては「三島・広小路駅」に降り立った。従兄弟たちと三島大社に行っては「花火大会」と「お化け屋敷」が楽しみだったなあ・・・。

 4日間の「春期講習」が終わった。3年生のTA君とNIさんは「センター試験」の練習を初めてやってみて予想以上に高得点が取りにくいことに驚いたようだ。解答はマークするだけだけど、本文以上に4つの選択肢をしっかり読み取らないといけない。配点が1問6点では全体の影響は大だ。まずは、語彙力を増やすことが緊急だし、イディオムをどれだけ使いこなせるかが高得点につながる。新学期が始まらないうちにすぐに取りかかろう。
 2年のENさんは第4日目として「特殊構文」の文法問題をひとつひとつやった。学校の授業ではなにも扱ってくれない単元だけど実は大変難しい。春休みの課題にして自学自習せよ、とは無理だよね。強調・倒置・省略を見抜くのはなかなか大変だ。さらにほかの問題集に挑戦してみてね。
 中3のNI君は英作文が4日目に入り、少し長めの日本文になった。動詞になる部分が2カ所以上あるからSV〜を2つ組み合わせて、時には「関係代名詞」を使わないといけない。英文を作るのが一番勉強になるね。

 今日は御殿場教室の第1回目。先週見学に来てくれた生徒が2人参加して、5人の授業が始まった。
 もうじき入学式があって1年生になるMU君が加入してくれた。第1回は「5文型」を勉強した。和訳にも英訳にも不可欠のルールでとてもたいせつなものだ。これは毎回の勉強に登場するよ。後半は「ショートストーリー」を全訳してもらった。こうして実際に書いてみると、自分の理解力がはっきりしてとても勉強になる。
 新2年生は山口書店の「重要構文101」のテキストを使って、文法のまとめと入試の和訳をやる。構文は英語学習の基本だから、毎回2課ずつ50週にわけて積み重ねていこう。これが入試英語の入門になるんだ。2年生YAさんの悩みは、学校で「文法」を特別に教えてもらえなかったこと。入試の文法問題は自分でやれ、ということのようだ。進学校はどこでも「文法問題集」と「参考書」をつかって1年次に週2回は授業をしているのだけどね。これから勉強する「構文101」のテキストでも文法の解説が載っているから、このプリントをやりつつ文法も復習していこう。
 SEさんも「101構文」をやった。まず「不定詞」の構文でHow to swimやwhat to readのような「疑問詞+to 〜」の使い方だ。不定詞は「未来」の意味を持つから「どうやって泳いだらよいか」とか「何を読んだらよいか」のように訳すよ。第2課では「be + to〜」が助動詞の働きをする場合を勉強した。
 EN君は前回、入試の整序問題で We took the greatest care of books. の受動態への書き換えが難しかったね。「本に最大の注意が払われた。」は2つの答え方があって、目的語がcareであるとすればThe greatest care was taken of books.だし、目的語がbooksなら Books were taken the greatest care of. となる。今日から「構文101」で一斉に「不定詞」の勉強を始めた。1年の文法を復習しながらコツコツ積み重ねていこう。
 3年生を卒業したYAさんのお父様がご挨拶に見えた。今月から新たに「大学生」として、英語力にさらに磨きをかけるという目標を掲げて「UG会」で学んでいくのでよろしく、というお話だった。自分の目標達成のために大学の授業だけでなく、様々な技術や資格を獲得しに塾や専門学校に通うケースが多い。ダブルスクールが将来の就職や海外留学、大学院進学などを達成するために望ましい。YAさん、今日はTOEIC検定の模試をやってみた。じっくり時間をかければどれも全て正解が出せた。すばらしい。あとは処理のスピードアップだね。 尾上

(追記)私のライフワークといえば勿論「英語教師」だけど、課外授業の部活で30年以上担当した「吹奏楽」の話をしよう。いまや吹奏楽ファンがすごく増えたおかげで、テレビでもFMでも吹奏楽の番組が放送されることが多いよね。しかし昔は主催者の「朝日新聞」に夏のコンクール結果が小さく載る程度で、世間の注目度は低かった。
 中学から大学までずっと「トラペット」や「サキソフォーン」「ホルン」のような楽器を吹いていたので、転勤先の「島田商業高校」では「吹奏楽部」の顧問を拝命した。コンクールの指揮は専門の音楽講師にお願いして私はお手伝いに徹していたが、次第に自分でも指揮がやってみたくなった。高校時代に「甲子園球場」で、野球応援のバンドを指揮したくらいの経験だけど。
 島田市内の仲間たちで指揮法の勉強会を開くなどして、次第に指揮棒も振れるようになったので、「島商」時代の最後の2年間には定期演奏会の指揮もやらしてもらった。ストラビンスキーの「火の鳥」がデビュー曲で、静岡市のコンテストでは1位になったんだよ。ピアノコンチェルトにも挑戦して、グリーグの協奏曲やガーシュインの「ラプソデー・イン・ブルー」もやったなあ。クラリネットのグリッサンドで始まる難しいジャズ風の大曲だった。LPレコードを製作して今も手元に残っている。
 9年後「御殿場南高校」に転勤するとすぐに吹奏楽顧問に任命され、私が顧問と指揮者を兼ねることになり責任が増えた。昭和54年のことで、アメリカの吹奏楽が盛んに日本にも紹介され、ネリベル、マクベス、デル・ボルゴ、リードといったすばらしい作曲家が次々と新曲を発表した。彼らは難易度でいうと4や5の最高位の作風で音楽性が高度で、コンクールの選曲にはぴったりだった。
 グレードの2や3は小中のブラスバンド用や教育教材に作曲したものだった。日本では音楽の授業といえば縦笛の「レコーダ−」を全員に持たせて相変わらず低レベルだけれど、米国では音楽の授業がなんと「オーケストラ」「吹奏楽」「ダンス」の3つから選択できる。必要な楽器が全部備え付けだからさすがリッチな国だ。日本も情操教育にはもっと投資しないとダメだよね。
 「御南」の吹奏楽部を担当した私のコンクール・デビューは、大編成でいきなり東部大会「金賞」だった。幸先の良いスタートを切った。エリクソン作曲の軽快な「序曲・祝典」で、今も時々演奏される名曲だ。YouTubeでみつけたので聴いてみたらすごく懐かしかったよ。(つづく)
2016/04/04 (Mon) 0:06


「今日はウナギだ!」を英語で言うと・・
「今日はウナギだ!」を英語で言うと・・
2016年3月31日(木)裾野市民文化センターにて 「これロダン?」
 先週、三島大社に「お花見」に行ったらまだまだつぼみでがっかり。美味しいコーヒーを探して旧東海道を「プラザ・ホテル」まで家内と歩いて行った。知らぬ間に一部が改装されていてギャラリーも立派になっていた。ここに彫刻家・高田博厚の作品が展示されていて楽しかった。いくつかはロダンの作風そっくりだったよ。
 高田博厚の略歴を見ると能登半島の生まれで、1919年に「東京外語大」のイタリア語科に入学したから私より40才くらい先輩だ。文学の才能にも溢れていたが入学直後に彫刻制作に没頭して大学を中退したらしく私の卒業生名簿には名前が載っていない。その後渡仏してロマンローランなどと交友をもち30年近く滞在していた。戦後帰国して鎌倉に住みこのホテルのオーナーとも親しかったらしくここに多数の作品が常設展示されているのはすばらしい・・・。

 今日は午前中「春期講習」の第2日目だった。「ゆうゆうホール」の駐車場に入ったら守衛さんに「今日はUG会さん、予約入ってませんよ・・」と言われてあわてた。ひょっとしたら、と向かいの「商工会議所」に行ってみたらやはりこちらに申し込んであった。TA君はじめ4人の参加者を9:30にホール玄関で待ち受けて移動してもらった。
 中学生のNI君は、「今日はウナギだ!」というような「日本語」をいかに「英語」に言い換えるか、という面白いテキストをつかって「英作文」の勉強をやっている。私が尊敬する「お茶の水女子大」の水谷信子教授のとてもユニークなテキストだ。初心者の英作文には楽しくってピッタリの良書だと思うよ。
 新2年生のENさんが加入しさっそく「春期講習」に参加してくれた。学校では終わったはずの「文法」が、進度が駆け足過ぎるためにどの高校生も実はまだまだ未消化のままだ。そこで特に難しかった単元を4つに絞って特訓している。前回は「比較」、今日は「関係詞」だった。
 さらに新3年生のTA君とNIさんが参加しているので「センター試験」対策をやることにした。80分・200点の試験を半分の40分・100点に作り替えたプリントでやってもらい自己採点してみる。日頃のUG会は「英文和訳」「和文英訳」のような記述問題が中心なので、「春期講習」で「マークシート」問題をやってみると個人の様々な弱点がわかる。紛らわしい4つの選択肢を正しくふるいにかけるにはどうするかを着実に勉強しよう。

 さて、今日はダブルヘッダーで大変だが夕方「裾野」に出かけた。新人のENさんが「春期講習」第3日目が都合悪いというので、こちらにも来てもらった。「仮定法」の問題を基礎から発展まで4頁に亘って勉強して、じっくりと問題を解いてもらった。後半の上級編はまだこれから2年生・3年生でマスターしていけばいいが前半の「基礎編」は今のうちにキチンと頭の整理ができていなければいけない。3時間の成果があってかなり理解が進んでよかった。
 新2年生のMIさんは前回「形容詞・副詞」をやってほぼ正解だった。Lateとlately、hardとhardly の違いなどよく理解していたね。few とlittleの使い分けは要注意だ。今日も入試の英作文をやったら、かなり良い英文が書けていた。日本語の動詞語尾「〜テイル」を見たらすぐに「進行形」と思ってはいけない。「今〜しているところだ」(1)というならOKだけど、「いつも〜している」(2)なら「習慣」を表すから「現在形」で書くし、「もうすでに〜している」(3)なら「現在完了形」を使わなくてはいけない。日本語教育では「テイル形」と呼んでいる。動詞の形には「ル形」「タ形」というのもあるよ。
 今日は最後の「見学会」で、20:00に新3年生がお母様と参加してくれた。「代名詞」の文法はほぼ正解。和訳も少しやってもらったらまだまだ伸びる余地がありそうだ。三島でも裾野でも都合のいい教室に出席できます。 尾上

(追記)自宅の書斎の棚に並んでいる一冊は私が2000年に提出した「修士論文」だ。黒い背表紙に金文字で The Grammar of the Verb «SEE» with Inanimate Subjects と彫り込んである。「無生物主語と動詞SEEの文法」という意味だ。「見る」という動作の主体が「人」ではない場合の英文がたくさんあるよ、なぜだろう?という研究だった。たとえば1997 has seen two economic developments. (1997年は2度の経済発展を見た。)のような、日本語に直訳すれば少し変な英文の研究だった。
 修士論文の厚さとしてはほぼ十分で120頁強の大作となっている。ワープロで打ちプリントしたものを小山町のなじみの印刷所に持ち込み、装丁を依頼して3冊完成してもらった。一冊は学芸大学の図書館に納められ、残りの一冊は担当教官の「鈴木猛教授」に贈呈した。
 巻末の参考文献のページを見ると内外の45冊がリストアップしてある。大学院で1年目から2年目にかけて読んだ文献の数だ。とくにこのSEEを使った実用例文を検索するのに苦労した。世界一の英語辞書OEDにも載っていないような例文を探してみたら、英国新聞のThe TimesやThe Gurdian などのデジタル版がCD化されていて、研究室から借り出すことができ大いに助かった。300ほどの例文を収集するのに大変な時間と労力が必要だった。
 「修士論文」のテーマを決めたのは2年目の夏休み、避暑がてら行った箱根の芦ノ湖畔だったのを思い出す。高校生むけの文法書にも2,3の例文しか載らないような項目だけど、予想以上に巾の広い用法であることがわかって興味が深まった。沼津東高校のALT、米国人のマリーン・ゲール先生にそれぞれの例文の信憑性を確かめながらの執筆だった。米紙Newsweekにもみつけた New York saw its first New Year's ball drop in 1907. (ニューヨークでは1907年に第1回目の新年のボール落としがあった。)は面白い例文だね。今でもタイムズスクエアでは大晦日のカウントダウンに合わせて、高層ビルの上から大きなガラス玉を落下させるよ。
2016/03/31 (Thu) 23:25


来週から新学年、明日から春期講習
来週から新学年、明日から春期講習
2016年3月28日(月)三島ゆうゆうホールにて 「スプリング」
 東京ではソメイヨシノが開花した、とのニュースが流れた直後に又寒波がぶりかえして上野公園のお花見はしばらくお預けのようだ。三島大社のサクラも見に行ったらまだまだつぼみだった。しかし標高500mの御殿場高原でも春は着実に近づいていますよ。我が家の裏庭にも私が植えた色とりどりのアネモネ。薄紫のハナニラもスノードロップもかわいい。モクレンも左右に大枝を広げて真っ白な花を一杯に開き始めた。下界よりも半月遅い春の訪れだ。
 「木の芽や草花の芽がスプリング、つまりバネのように飛び出す季節」。だから春はスプリング。明日の朝から「ゆうゆうホール」で4人が参加して春期講習がはじまるよ。2Fの教室の窓からはまた「楽寿園」の広い庭に吉野ザクラが咲きだし、もえぎ色の木の芽が噴き出すのが見えるだろうな・・・。

 東京の聖心女子大に通っているSUさんが退会することになって挨拶に見えた。3年生になるので東京に下宿していよいよ就職活動(就活)を本格化させるそうだ。「スイスに行って時計職人になる、という幼い頃からの夢もかなえたいなあ・・」とも。「女子大でロシア語とトルコ語も勉強したのだから、オデッサからイスタンブールまで船で黒海を越えてみたら・・・」、なんて私の夢の話も楽しかったね。これからもTOEIC受検を忘れずに英語の勉強を楽しんでください。
 2年生NIさんは前回「態」の文法と書き換え問題をやった。命令文でDo it at once.(すぐにそれをやれ。) の受身形は?Let it be done at once.(すぐにそれがやられるようにせよ。)のようにLet を用いるよ。They saw him go into the room. もhimを主語にすればHe was seen to go into the room. となって不定詞のtoが復活するよ。People often heard her speak ill of others. はherを主語に置きかえて She was often heard to speak ill of others.(人の悪口を言うのをよく聞かれた。)ここでもtoが復活しているね。
 今日は「101構文」の最終回で「全文修飾の副詞」を勉強した。文頭に置いた副詞のFortunately(幸運にも)が動詞だけを修飾するのではなく、後の文全体にかかっていく働きのこと。動詞の前でもいいけれど、文尾においてはいけない。Happily he didn't die.は「幸せなことに、彼は死ななかった。」となるけど、He didn't die happily. だと「彼は幸福な死に方をしなかった。」となって、「死んだ」ことになってしまう。英語は並べ方ひとつで意味が全く変わることが多いのだよ。Tom loves Sue. とSue loves Tom. が全く異なるように。
 中学生のNI君は前回「日本の庭園」という題の会話文を和訳してみた。文にand が見つかると△マークをしっかりつけられたね。そうしたら、A and A' という「ルール」を思い出して、A'と同じ種類(カテゴリーという)のものをその文の前の方に見つけること。 The leaves and the stones in a Japanese garden shine and look more beautiful. の英文では、the stonesの前には そっくりなthe leavesが見つかるし、動詞Vのlookの前には同じ shine が見つかるね。つまり主語Sは共通ということだ。「日本庭園の木の葉や石がキラキラ光って、もっと美しく見えるのです。」
 今日は2年生の最後に「関係代名詞」の使い方を勉強した。学校ではもうすぐ習うと思うけど今のうちにマスターしておくと余裕ができるし、深く知ることもできるよ。 
 今日は三島教室の「見学会」で、新2年生がお母様と1組だけ参加してくれた。小手調べに「関係詞」のプリントをやってもらったら、少々難しい問題もしっかり正解が出せるよ。理解はできているのに学校のテストの点数に反映されないという悩みの生徒は確かにいるね。たくさんの問題をこなすことで成績アップができると思うよ。まずは明日からの「春期講習」に参加してみてください。 尾上

(追記)20年前の夏休み、5日間の「沼津・理論言語学」セミナーで若い学生たちに囲まれて勉強しているうちに、いつの間にか私も「大学院」で勉強してみたいと思い立ち、今の教師の仕事を続けながら通学できる方法を模索し始めた。そして「生成文法」を学べる候補に浮かんだのが「東大」と「東京学芸大」だった。セミナー参加者の若いひとたちに励まされて。
 その一人「学習院大学」の院生には小田原の出身ということもあって親しくなり、入試対策でおおいに貴重なアドバイスをもらったなあ。彼女は私の御殿場南高校時代の教え子と従姉妹同士だと後で判明した。世間は狭いなあ。私が顧問をしていた吹奏楽部の出身ということで特に親しく、私たち夫婦が結婚式の仲人もしてあげたのだよ。
 11月の「学芸大」には余裕もあって合格したが、2月の「東大」は大変な激戦で不合格だった。東大の学部卒だけでなく社会人の女性たちがおうぜい受験していたよ。この2月はちょうど次男の交通事故にぶつかって何度もNYに飛んでいかねばならず、受験勉強どころではなかったのも敗因だ。
 99年4月からいよいよ「東京学芸大学」で私の大学院生活が始まった。教師をきちんとやりながらだから大変。2年間で修了の32単位を修得するには、金曜日と土曜日の2回通学すれば良いように時間割が組めたのは指導教官がたの熱意あるご協力のおかげだった。
 1対1の授業がほとんどで、読みたい研究書の希望も叶えられ実に恵まれていた。「英語史」の児馬修先生にも多くを学んだ。実は私の小学校の8年も後輩だと判明してびっくりした。同じ中野区立桃園第三小学校の卒業生だとは。世の中狭いなあ・・・。
 高校で金曜日の3時間目の授業が終わると、数秒を惜しんで履き替える間もなくサンダルでそのまま車に飛び乗り、沼津ICから東名高速で川崎ICまで突っ走る。大学は90分授業だから午後は13時に3時間目が始まる。これに辛くも間に合うようにいつも焦ったなあ。社会人の学生が多い大学院なので夜間の講座も多く、私は連続4コマの授業を選択したので合計6時間で、修了すると夜8時半を過ぎていた。
 翌日は土曜日だからゆっくり出発。東名を小田急バスに乗って、新宿から中央線で「武蔵小金井」のキャンパスまで通ったよ。なつかしいなあ。(つづく)

2016/03/28 (Mon) 23:25


関係代名詞の省略
関係代名詞の省略
2016年3月27日(日)森の腰中央公民館にて 「くっついちゃった」
 農作の仲間たちと「そば打ち」のパーティをやった。そば粉100gと小麦粉100gをかき混ぜて水を加えて捏ねる。ボウルの中で300回捏ねるとちょうど耳たぶの硬さになる。麺棒で5ミリくらいに平べったく広げたら折り重ねて包丁で細く切る。初めての人ばかりで男も女も失敗しては大笑いの調理教室になった。しかし自分たちでタネを播いて育てて収穫したソバは、思い入れが強い分だけうまさも格別だったよ。
 このそば粉は昨秋、みんなの畑で収穫したもの。1kg買ってきた種を蒔いて育てたら、とれた蕎麦の量はわずか1.5キロほど。どんな荒れ地でも育つというふうに聞いていたけどなかなか難しいね。私は昨年市内の「樹空の森」に隣接している「おそば屋さん」で5回ほど修行したけどあまり自信がない。元幼稚園の先生だったTAさんがとても上手でどんどん指示してくれて、各人1玉ずつの蕎麦をなんとか大鍋でゆでるところまでできたよ・・・。

 SEさんは前回「名詞・冠詞・代名詞」をやった。文法や整序問題はほぼ正解だったけど「英文和訳」が不練れなようだ。It is not easy for Japanese people to know 'shun', because there are many kinds of food they can get in all four seasons. 前半の「主文」と後半の「副詞節」がカンマで切れているときは、和訳も一度切っておくこと。「日本人が旬を知るのは容易ではない。」と訳してその後に理由を付け加えると良い。「それは4つの季節で手に入る食べ物の種類がとても多いからだが。」大事なことは「動詞」に十分注意を払うこと。ココでは他動詞getの目的語がないね。それは「さまざまな食べ物」をさす代名詞themがwhichにかわってtheyの前に出たけれど、省略されている訳だ。
 4月から大学生のYAさんはTOEICの第7パート「広告文などの読み取り」をやってみた。どれも設問4つのうち3つは正解だったね。ひとつだけ紛らわしい選択肢がまざっていてこれをクリアすれば80%の得点率が達成できる。努力の積み重ねが期待されるね。後半は「英作文」をやってみた。大学で必要とされるのは「表現力」だ。Speakingでも実際はWriting の力が反映されないと説得力のある話し方はできないよ。
 今日は新聞の折り込み広告に載せたように20:00から「見学・説明会」を始めた。合計で3組の生徒とお母様が参加してくれた。それぞれプリントを10分ほどやってもらって学力をみさせてもらった。新2年生が2人と1年生で、いずれの顔にも意志の強さが感じられUG会のメンバー合格だ。来週から一緒にやりましょう。 尾上

(追記)沼津の北西部、「根方街道」沿いの沢田に「大中寺」という古刹がある。鎌倉時代に「夢窓疎石」が創建し、奥庭には皇室ゆかりの「恩香殿」が大切に保存され、たくさんの梅の名木に囲まれた落ち着いた雰囲気で大好きなお寺だ。ここの本堂で20年前の夏休み、英語ばかりが飛び交う5日間の勉強合宿があって私も参加した。ご本尊の真ん前でアメリカ人が一日英語をしゃべる。
 新しもの好きの和尚さんの快諾を得て、市内のある学習塾の塾長さんが私財を投じて「地方都市・沼津の活性化」のために「理論言語学」の夏期セミナーを企画した。日本国内では英語学会や言語学会で「革命的」な言語理論がさかんに討論され、東大や教育大・慶応・ICUや津田塾大などに先進的な研究者がおうぜい輩出していた時代。静岡大学の英語科教授・船城道雄先生を通じて、筑波大学の原口庄輔教授が主管となった。
 「大中寺」は私が勤務する沼津東高校からは目と鼻の先で、「こんな田舎で全国規模の言語学セミナーがやれるのか?」とおどろいたが、「私のために神様が仕組んだの?」という思いで真っ先に参加希望した。高校教師は私一人で、ほとんどが「チョムスキー」の言語理論を研究している若い大学院生や講師たちだった。世界の6000の言語に共通する文法(UG)がある、というのは何とも魅惑的な仮説だと思いませんか?
 ここで初めて沼津駅前ヒトスギ塾の「一杉真城」という発起人で運営のマネージメントを仕切っている人と知り合いになった。2人でお寺に一緒に寝泊まりして、一杯かたむけながら若い頃の武勇伝を聞いた。大阪府立大学の出身で、青春時代を学生運動や演劇活動に燃やしたそうだ。私も兵庫県西宮市の甲陽学院の出身で同じ関西出身である親しみも交友にプラスした。かつては「アフガニスタン」の少年ムハマド君を来日させ、テロでケガした目の手術ができるよう手配した人でも知られた人だ。TVのニュースにもその姿が映った。
 5カ年計画の第1回目は米国コネチカット州の大学(UConn)から招聘したレイ・ジャッケンドフ博士だった。新聞紙上で広告を出したので、北海道から九州まで広い範囲から応募して来た研究者や学生が30人くらいで皆このお寺や市内のホテルに寝泊まりしてこのセミナーに通った。5日間の連続講義はとても高度な内容だったから半分も理解できなかったけど、チョムスキー博士の研究を直弟子ともいえる先生から教わるのは素晴らしい体験だったよ。
 その中にかの若き「渡辺明」が、まだどこかの講師だったろうけど一日だけ勉強会に参加して、周囲の人にかなり高度な話しをしていたのを覚えている。その後母校の東大の大学院教授になろうとは、そしてこの人が私の高校の後輩であったとはつい先日になって知ったよ。(つづく)
2016/03/27 (Sun) 23:48


「時間構文」〜するかしないうちに・・・
「時間構文」〜するかしないうちに・・・
2016年3月24日(木)裾野市民文化センターにて 「旧太郎坊スキー場」
 真っ青な空に富士山がすっきりとした姿を見せてくれた朝、御殿場口5合目の「太郎坊」に向かった。トンネル脇の空き地には東京近辺からの車が数台停まっている。スパイクつきのブーツで雪を踏みしめながら林間を登っていくのは楽しいよ。お彼岸も過ぎて気温も高く雪も大分溶けて、ズブズブもぐるような箇所もないから持参の「かんじき」も用がない。
 シカが雪原を縦横に走ったらしき足跡をたくさん発見。1時間ほど登って6合目の「長田小屋」まで来て見上げると、真っ白な山が4つ連なって見える。下双子山、上双子山、宝永山そして富士山と。昔はこのあたりに御殿場市営のスキー場があって、簡易のリフトも営業していた。息子たちもよくスキーをしたりそり滑りで遊んだ。さあ、私も童心に返ってこの赤いソリで一気に滑っておりようか・・・。

 2年生のTA君は「注意すべき構文」としてThereで始まる「倒置構文」が、進行形や受身形の動詞の場合を勉強した。このbe 動詞はいわゆる「存在」の「〜がある」「〜がいる」という意味ではなく、「進行形」と「受身形」の一部だ。だから「今朝はほとんど作業はなされなかった。」はThere was little work done this morning. となる。今日の重要構文では英文がずいぶん正確に和訳できるようになったね。
 1年生のMIさんは「形容詞・副詞」の問題がほぼ完璧にできた。I had not gone so far before it began to rain. は「雨が降り始めるまでにはそれほど遠くまで行っていなかった。」でもいいけど、「それほど進まないうちに雨が降りだした。」のように後半に焦点をおく訳し方が一般的だ。ちょっと語句を入れ替えてI had hardly gone so far before it began to rain. となると「それほど行くか行かないうちに雨が降り出した。」といういわゆる「時間構文」に結びつく。
 御殿場教室のSEさんがこちらに参加した。前回は入試の英作文に挑戦した。横浜市立大の「必要なときに誰とでも英語で自由に話しができればと思う人は多い。」では、後半は「願望」の文であるとわかれば、 Most people wish they could talk と「仮定法」の動詞が使える。その後に前半部の easily with anyone when necessary と続ければいい。「自由に」はfreely やnaturally より「容易に」easilyと考えた方がよさそう。「文法」は「否定」の上級レベルを勉強した。これも入試のレベルに近いから難しかったね。Noやnotを使わないでも「否定」の意味になる表現がいくつもあるからしっかり覚えていこう。
 1年生EN君も都合でこちらに出席した。関係詞のA「関係副詞」やeverのつく「複合関係詞」をやったらどれもほぼ正解だった。「特殊構文」では「無生物主語の文」が少々難しかった。「物が人に〜させる」、という不自然な日本語になる英文のことで、This picture reminds me of my school days. 「この写真は私に学生時代を思い出させる。」という変な直訳を、「私」を主語におきかえてパラフレーズしてみるといい。「私はこの写真で、学生時代を思い出す。」のように。
 金沢大に合格したKI君がいよいよ最後の授業となってお母様もご挨拶に見えた。山梨大の4年生になるお兄さんも努力家でこのUG会の優等生だった。今度は大学院進学を模索しているらしい。KI君も兄貴に続いてガンバレ!今日もTOEICの過去問を少しやってみた。文法はセンター試験よりも易しいけど、語彙やイデイオムを問われる問題が多かったね。将来の進学にも就職にも英語が重要だと痛感しているようだね。金沢大も一昨年、文科省が推進する「スーパーグローバル大学」の全国26校の一つに選ばれたそうだから、英語学習にはきっといい環境に恵まれると思うよ。専門の建築学でもおおいに力を発揮して欲しい。 尾上

(追記)私にライフワークと呼べるものがあるとしたら「吹奏楽」と「言語学」かな。大学4年の時に出会ったチョムスキー博士の「生成文法」は、文の構造を研究する「統語論」の革新的な見解だった。UG理論ともいうからこの「UG会」の出所でもある。欧米人でもアジア人でもアフリカ人でも人類が共通に持っている(らしい)Universal Grammar(普遍文法)の略だ。
 高校教師をやりながらもまるで趣味のひとつのように50年間も「ことば」の勉強を続けてきたのは私の誇りだ。(バカのひとつおぼえ?)定年直前に「東京学芸大学」の大学院進学も果たして修士号もいただいた。若い言語学者たちの登竜門ともいえる「英語学会」の研究大会に、発表者のひとりにも選ばれた。東大駒場の文系校舎の大教室が満員になるほどおおぜいの学者や教授たちを前に、私の修士論文の担当教官の鈴木猛先生と共同発表したよ。テーマは「動詞SEEの研究」だった。
 東京外語大4年の時、澁谷のビルで開催した「理論言語学講座」に毎週通ったのがきっかけだ。「新しい言語学発展のため」と東大の服部四郎教授(音声学)が提唱して、外部から有能な学生を新聞で公募し授業料無料で講座が開かれた。外語大からは私だけだったけど、他大学の院生や早稲田の教授という方も一緒に机を並べた。東大、慶応、早稲田、上智大などの言語学のトップの先生方から多岐に亘って学んだ。「音声学」「社会言語学」「マルチネ言語学」などを受講したが、中でもまだ出版されたばかりの「チョムスキー言語理論」を手ほどきしてくださったのは東大の藤村靖先生だった。MIT留学で学んだ「生成文法」(当時はまだ「変形文法」と呼んでいた)を「原書」で読むところから始めた。
 この米国ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)のチョムスキー博士に弟子入りして、博士号Ph.Dをとった日本の学者がほかにも数人いる。「日本英語学会」では著名な人たちだが、そのひとり東大大学院の「渡辺明教授」は私もお会いしたことがあるが立派な研究者だ。英語の「疑問文」で WH-が文頭に移動する仕組みを解明している。古代日本語にも同じ現象がある、というのだ。
 先日母校「甲陽学院」の同窓会報が届いたので開いてみたら、なんとこの「渡辺明」の写真がのっているよ。昨年秋、母校の講演会に招かれて「ことばの研究」という題で話をしたというではないか。同窓会名簿を開いてみたら、64回生のページに発見!私が43回生だから20才くらい年下だ。へェー!私の後輩だったのかあ。まったく知らなかったよ。世の中、狭いなあ。
2016/03/24 (Thu) 23:54


新会員募集中です
新会員募集中です
2016年3月21日(月)三島ゆうゆうホールにて 「湖尻の船着き場」
 先週は「芦ノ湖」の東岸を自転車で走った。桃源台の「箱根ビジターセンター」まで行って車に乗せてきた組み立て自転車で出発。久々の青空でぽかぽか暖かいし、湖岸を1時間くらい走ってみよう。「元箱根」の「箱根神社」まで行けるでしょう。「箱根ベーカリー」でおいしいパンも買ってこようかな。
 坂を下っていくと「湖尻」の船着き場には中国人らしき外国人がおおぜい観光船から下りてくるよ。ここからは「箱根園」に向かって歩行者・自転車専用の湖岸道路が続いている。原生林のような巨大な樹木の向こうに湖水を見下ろしながらアップダウンするとたっぷり汗が出る。遊覧船や海賊船と競走するのも楽しい。「九頭竜神社」までくるとおおぜいの団体客とすれちがった。「縁結びの神様」といわれて「箱根神社」のあと回ってくる観光客が多いそうだ。大学生らしき若いカップルの姿が目につくな。そうか、大学は2月からずっと春休みだったね・・・。

 2年生NIさんは前回「時制・上級編」の書き換え問題が難しかったね。元の文の意味をしっかり掴んで英作文する訳だから大変だ。 He did not appear until the meeting was over. は「会合が終わるまで現れなかった。」だから、It was で始めるには、強調構文で「現れたのは会合が終わってからだった。」と書けねばいけない。It was not until the meeting was over that he appeared. となる。
 I haven’t seen you for a long time. もIt で書き始めよ、だから「時間」の It と考えて It is a long time since I saw you last. (以前に会ってからしばらくだ。)と書ける。since の後は必ず「過去形」にすること。It にはたくさんの用法があるからしっかり整理しておかないといけないね。
 1年生YO君も前回「不定詞・動名詞」はすべてOKだった。今日は「関係詞(2)」をやってみたが、6問中半分がXだったね。春休み中にしっかり再学習しておくべき項目だよ。「ケビンはあなたを手伝うことができると私が思っている生徒の一人です。」の整序問題は Kevin is one of the students. と I believe they can help you. の2文をまず想定しておかないと無理。 第2文のthey をwho (関係詞)に置きかえてstudents(先行詞)の直後に移動させるとKevin is one of the students who I believe can help you. のようになる。まるでI believeがwhoと canの間に「挿入」されたようにも見えるね。そういう一般的な説明でも間違いではないが。
 中学生のNI君は前回「関係代名詞」を初めて勉強した。who、which、thatなどが「代名詞」の代わりになって前にある単語を修飾する働きだと理解して、「健二のスピーチ」を全訳してみた。丸もたくさんついたけど少々難しかったね。SVの前にあるはずの「関係代名詞」がよく省略されているから見分けられない。SSV〜V〜 という語順になっていたら外側のSVの中にもう一つSV〜が組み込まれていると見るんだ。SとSの間に「関係代名詞」が省略されているよ。
 Older people have a lot of things they can teach younger people.「お年寄りは若い人たちに教えてあげられることを一杯持っている。」 後半の部分はThey can teach younger people a lot of things. というSVOOの文型で、a lot of thingsを関係代名詞の which に置きかえて they の前に出せばいい。ここでは省略しているけど。
 先週末、新聞朝刊に「UG会・新会員募集」の折り込み広告を入れてもらったので、今日の「見学説明会」の参加者を期待していたのにゼロだった。残念だけど来週もう一度やるので期待しよう。代わりにTACさんのお母様が合格の報告に見えた。
 東京女子大、日本女子大など名門私大にすべて受かったのに、本人の意志で浜松の新しい「静岡文芸大学」に決めた。自分のやりたいコースがそこにあるから、と。とても的確な素晴らしい選択だね。「・・を研究している・・先生がいるから」という理由なら最高だ。大学のネームバリューなんて一瞬のものだ。お母様から「UG」という銘の入ったボルドーワインを頂いた。え?偶然ですか?おまけに珍しいチリ産のワインも。嬉しいね。 尾上

(追記)親友のON君は、定年まで長年英語の出版で有名な「研究社」の編集長だった。大学の頃からずっと勉強の虫ではあったが、最近ロシア語の親戚である「ポーランド語」の勉強を始めて熱心に語学教室に通ううちに「スピーチコンテスト」にも出場し、定年過ぎのこの老人が見事優勝してしまったよ。そのご褒美に「ポーランド留学」をしたのがオレッグ君との交友のきっかけだそうだ。昨年は奥様も同伴でポーランド一周のツアーにも出かけたほどの熱の入れよう。
 御殿場訪問の別れ際にオレッグ君から民族衣装を着た人形と郷里の観光写真をもらった。ふるさとウクライナの「ルビウ」はどんな町か興味が湧いて、ネットの衛星写真「グーグル・アース」を使って空から見てみた。首都「キエフ」からは一番西のはずれで、ポーランドとの国境に近い歴史のある美しい町のようだ。首都は「ワルシャワ」までの方が距離は近いから留学先もポーランドだったんだな。まだ40才代の若いご両親の写真も見せてくれた。
 国名の「ウ・クライナ」は「国境の向こう側」と言う意味のロシア語で、ロシア人から見ると「辺境の地」の意味のようだ。しかし「黒海」とオデッサなどの良港を抱える温暖な土地だから、北国ロシアの人々のあこがれの「南の国」なのかもしれない。
 たしかにここは東欧の豊かな穀倉地帯と言われている。「黒海」に突き出した「クリミヤ半島」は最近、プーチン政権が国土占領してロシア編入を宣言してしまったし、東部地区の国土もロシア人の住民が多くて、ロシアの政治介入が問題になっている国だ。私の好きなチェホフの小説「犬を連れた貴婦人」の舞台は「クリミヤ半島」先端の温暖な保養地「ヤルタ」だったな。
 あの第2次世界大戦・終結のための「ヤルタ会談」が行われた土地でもある。ここに1945年、ソ連のスターリン書記長と米国ルーズベルト大統領、英国チャーチル首相の3巨頭が集まって大戦後の世界の扱いを協議して決め、それが「ベルリンの壁・崩壊」まで45年も続く「東西冷戦」の引き金になったそうだ。 
 今から25年前の1991年、「ソビエト社会主義共和国連邦」つまり「ソ連」(USSR、ロシア語ではCCCP)が解体し「ウクライナ共和国」がやっと独立国になった。そのちょっと後にオレッグ君は生まれたから、ロシア語がほとんどしゃべれないわけだ。ご両親の若い頃はきっとロシア語が必修だったろうけど、今では中学・高校での外国語は英語で、本人も大学院で「ウクライナ文学」を専攻している。将来は大学教授かな。
2016/03/21 (Mon) 23:21


TOEICを英語力のめやすに
TOEICを英語力のめやすに
2016年3月20日(日)森の腰中央公民館にて 「ミズバショウ」
 「ミズバショウ」が咲いたよ。箱根仙石原の「湿生花園」が今日からオープンしたのでさっそく見に行った。我が家から「乙女峠」を越えて車でたったの15分で行ける。今にも降り出しそうな空模様だけれどちょうどお彼岸の3連休だから初日にしてはおうぜい詰めかけた。
 入場券売り場では「まだ五分咲きですよ。ザゼンソウもまだ一株だけ・・」なんて言って箱根町営の職員は素っ気ないけど、どうしてどうしてミズバショウは今が最高だったよ!花をくるむ白い包の部分が真の純白なのは今だけ。まだ葉の方が小さいから水に映えてとても美しい。しばらくすると黄ばんできて葉も本当の芭蕉のように巨大に成長してしまう・・・。

 EN君は文法で「不定詞・動名詞」の問題にほぼすべて正解が出せたが、「関係詞」では50%しか理解できていなかった。he、she、it、theyなどの「人称代名詞」が入るところに「関係代名詞」who、which、thatなどが収まる、と考えた方が良い。もちろんhis、her、its、theirの代わりがwhoseなのだ。「先行詞」のない関係詞 whatの意味は「こと」「もの」「姿」と覚えよう。「否定」についてのハイレベルの問題もやってみた。far from(決して〜でない)と free from(〜を持っていない)の違いにも注意したいね。
 3年生を卒業したYAさんは常葉大学に決まった。英語・英文学が専攻なので、大学の授業以外にも英語力を高める機会が欲しい。今日から「UG会」でTOEICのための勉強を始めることにした。さっそく第5問「文法・語彙」40題と第6問「誤文訂正」20題の問題に取り組んだ。60%正解のページも80%もとれたページもあったが、まだまだ「センター試験」のための英語力が維持できていて嬉しかった。900点中730点以上が目標ということなので、目標80%ということだ。来週は第7問「読解問題」をやってみよう。
 「国公立・後期試験」が今日合格発表があった。三島教室を卒業したTACさんが静岡文化芸術大学にも合格した。静岡県立大浜松キャンパスが前身で小規模ながらすばらしい先生をそろえた若々しい大学のようだ。TVの歴史番組で人気絶頂の「磯田道史教授」もこの大学だ。長い闘いをあきらめずに最後までねばった人の勝ちだね。おめでとう。 尾上

(追記)先週は千葉県に住む友人のON君ご夫妻を御殿場の我が家にご招待した。10年ぶりの訪問で、今回は日本に1週間滞在中の大学院生オレッグ君も一緒だった。ウクライナ人の彼はポーランドに留学中、同じく短期留学していたON君と友人になったそうだ。おじいさんと孫ほどの年の差があるけれど。無口な背の高いハンサムな好青年で、「ルビウ」というウクライナ西方の小さな町の出身だった。前日は浅草「浅草寺」を案内してもらい珍しい「日本文化」にたくさん触れて感激したそうだ。
 私の家内も一緒に乗って5人でドライブにでかけた。まずは神山の「時の栖」に行ってみると川沿いに連なるサクラ並木がピンクの花のまっさかり。春霞のむこうにぼんやり富士山も姿を見せて皆さん感動することしきり。レストランに入って「御殿場高原ビール」を飲みながらパスタとピッツアの昼食となった。バンドのナマ演奏もあってなかなか楽しい雰囲気だった。
 さあ食後の運動に「富士山」に行ってみよう。前の日に下見に行って見てきたとおり、「須走登山道」は除雪がおわっていて標高1200mほどの冬期ゲートまで難なく登って行けたよ」。車を降りて雪景色の中を少し散策もできたから、オレッグ君には「世界遺産の富士山に登ったよ、ちょっとだけ・・」と自慢できる土産話ができた。
 県道「ふじあざみライン」を下ってきて須走登山口の「浅間神社」に立ち寄り、拝殿の大きな鈴を鳴らした。ここは富士宮口や富士吉田口の「浅間神社」と共に「世界文化遺産」の一つに数えられている。江戸時代に盛んだった「富士講」という民間信仰の団体が、富士登山によって功徳をつみ感謝の石碑をいくつも境内に建立してある。朱塗りの山門や拝殿がヨーロッパ人には珍しいらしい。オレッグ君もしきりに写真を撮っていた。
 3人は17時の御殿場線に乗る予定で、その後「横浜」に行って一泊する、というので残り時間がわずかだけれど温泉に入ることにした。印野の「樹空の森」に立ち寄り広々した「お胎内温泉」で男3人裸のおつきあいをした。露天風呂に行ってみると、正面に富士山を仰ぎ見るすばらしいロケーションに感動すること。
 オレッグ君にはもっぱら英語が通じた。時折私がロシア語を混ぜるとキョトンとしている。数字の1、2、3を言い合って「アヂン、ドバ、トリ・・」といえば、なんだ、ほとんど同じじゃないか。方言みたいなものだよ。御殿場駅で「ダ・スビダーニア!」と別れのあいさつを交わした。(つづく)
2016/03/20 (Sun) 23:08


「〜する人はいない」はNo one〜で始めるね
「〜する人はいない」はNo one〜で始めるね
2016年3月17日(木)裾野市民文化センターにて 「須走口の除雪車」
 富士山の「須走口登山道」に行っていい汗をかいた。前日に降った雪が積もって凍りノーマルタイヤでは走れず、車を松林においてプラスチックの「そり」を手に登っていくと、真っ青な空に白銀の富士山が聳えて美しい。1時間・3キロほど登ったところで標高1200mくらいになる。持参の「かんじき」を取り出し長靴の上に装着して、周りの雑木林のなかを歩いてみた。50センチくらいの積雪の中を踏みつけるとサックサックといい音をたてる。
 県の車が登ってきて調査しているらしく、除雪車もあとから2台もやってきて次々と積雪を掻き分けている。5月の連休には5合目まで車の通行ができるようにもう除雪作業が始まったのだ。おまけに気温も急に上がってきて雪がどんどん溶け出した。いざ「そり」で滑って降りようとしたらああ、雪がすっかり片付いてしまいせっかくの楽しみを奪われてしまったよ・・・。

 2年生のTA君は動詞の慣用句をいくつか勉強した。 make one's way 「進む」や pat 人 on the shoulder 「人の肩をたたく」など。後半は of または for をとる形容詞をグループわけして覚えた。入試の和訳では上智大の「文明の発達で犠牲になったもの」が難しかったね。 Every European knows, as a matter of historical fact, that, in Europe, wealth could only be acquired at the expense of other human beings, either by conquering them or by exploiting their labor in factories. カンマが多用されて困惑したようだけど、S knows that SV を見抜けばよかった。as a matter of historical fact,(歴史上の事実として)もin Europeもただ修飾語(M)とみなしてカッコに入れれば、スッキリした複文が現れる。「ヨーロッパ人は皆、富が他の人間を犠牲にして得られた物に過ぎないことを知っている。他の人間を征服するか、または工場でその労働力を搾取するかのどちらかで。」
 1年生のMIさんは前回、入試の英作文をやった。ほぼ70%は書けているけど文法で「仮定法」の動詞を学校ではまだ教えていないので誤りを数カ所添削しておいたよ。「願望」を表す「〜であればいいのになあ・・」でI wish や If only の後にくるSVは、「今」のことなら「過去形」で、「昔」のことなら「過去完了形」で書く。
 今日の英作文では「数量詞」の扱いを勉強した。「・・旅行者の数が急増している。」は直訳で The number of travelers is increasing でも通じるけれど、動詞にtravel を選んで More and more people are traveling と書けると平易な英文でとてもいい。「〜する人はいない」という否定文なら No oneで書き始めるように、「〜する人もいる」なら Some people を主語にして始める。「〜する人はますます増えている」と言うなら More and more people で書き始めるととてもいい。
 卒業したEC君が大学を決めてお母様とご挨拶に見えた。センター試験の失敗が国公立の2次試験で挽回できなかった。私立の工学部に入学して大学院を目ざすことにしたそうだ。「全ての道はローマに通ず」というよ。努力はどこかで報われるはず。英語の勉強は忘れずに。まずはTOEICを目標にして。 尾上

(追記)思い起こしながら書いてみると、若い頃はずいぶん映画を見ていたんだな。ソ連映画だけをとりあげても数え切れないほどだ。英国アカデミー賞をとった「誓いの休暇」(1959)も名画だった。チェホフ原作の短編「犬を連れた貴婦人」(1959)も映画化され、その後シェイクスピアの「ハムレット」(1964)もロシア語で映画化された。「ガムレット」という題でね。ロシア語では「ハ」の代わりに「ガ」というから「横浜で」はなんと「ヴ・ヨコガメ」と言うよ。
 同じくシェイクスピアの「リヤ王」(1970)や、ドストエフスキーの名作「カラマーゾフの兄弟」(1969)「罪と罰」(1970)などの文芸作品もよく映画化された。どれもどこかで見た記憶がある。
 よく「ソ連映画祭」が東京のあちこちで開催されて、戦前の名画では無声映画の「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)や「イワン雷帝」(1944)も見た。「モンタージュ」技法の創始者、エイゼンシュテイン監督の作品だった。白黒映画の「戦艦ポチョムキン」(1925)は、最後の「オデッサの階段」のシーンで艦の上にたなびく「赤い旗」だけカラーだったのが印象的だった。フィルムの一枚一枚に手で色つけしたそうだ。
 米国ではグリフィス監督が早くも1919年に「Intolerance(不寛容)」でその技法を駆使していて映画史に残る大作だ。現代のスピルバーグのハリウッド映画に受け継がれている。日本では小津安二郎が取り入れて黒沢明監督も「七人の侍」(1954)で多用している。つまり「フラッシュバック」のことで今では普通の表現法になっているそうだ。
 先日レンタルで見た最新の映画「ガガーリン」(2013)の中で、宇宙飛行中にたびたび入る「回想シーン」こそが「モンタージュ技法」と呼ばれるものらしい。つまりフランス語で「貼り合わせ」の意味だそうだ。日本でDVD化されるほどのロシア映画がやっと登場したということかもしれない。
 1990年の「ベルリンの壁崩壊」の前後はソビエト連邦が解体し、ロシア連邦に移行した時期で、政治も経済も不安定でその影響もあって10年ほど映画界が沈黙状態だったらしい。タルコフスキーの「惑星ソラリス」(1971)や「エルミタージュ幻想」(2003)はそういう体制の移行期前と後の作品だから比較するのも面白い。評価の高い映画だそうだからレンタルで見つけたら見てみよう。
2016/03/17 (Thu) 23:14


助動詞とは文に気持ちを添えるもの
助動詞とは文に気持ちを添えるもの
2016年3月14日(月)三島ゆうゆうホールにて 「クチバシの黄色い子」
 これが私の最高傑作「シジュウカラのヒナ」の瞬間映像だ。デジカメで撮ったのはもう10年以上も前になるかな。5羽しか写ってないけど実は9羽もいて、4月末に生まれたらしく5月なかばには巣立っていった。 
 ゴールデンウイークのある日、裏庭に行ったら使ってない裏返しの植木鉢の中からヒナのさえずりが聞こえるよ。離れてそっと見ていると親鳥がときどき帰ってきては底の小さな穴から入っていく。エサを探しに出て行っている一瞬の間に空けてみたら、ほらこの通り。絹糸のような真っ白な巣はどうやってつくったの?クチバシの下に大きな目玉が見える・・?

 2年生NIさんは前回「助動詞」の上級編を勉強した。どれも難しくて,半分も丸がつかなかったね。25問中6問が「助動詞+完了形」の問題だった。1,未来完了will have finished (きっと終えてしまっているだろう)2,昔の仮定法 would have finished (本当なら終えてしまっているだろうに)3,昔の推量 must have finished (終えてしまったにちがいない)4,昔の非難 should have finished (終えてしまうべきだったのに)のように「チャート式」に自分でまとめておくといい。2語や3語で助動詞になるものも重要だ。had better、would rather、ought to、used to、may wellや may as wellなど。
 今日は文頭において全文を修飾する To my surprise,・・(私が驚いたことに、・・)の表現を勉強して「東海大」の英文を和訳した。To my regret, a pure love of acquiring knowledge seems to be diminishing among students throughout the world. 「残念なことに、知識を得る事を純粋に愛する気持ちがだんだん世界中の若者たちの間で薄れていくように思われるのだ」。ここではloveが名詞だけど動詞にもどして「〜を愛する気持ち」と訳せば「名詞構文」をSVOMの文型に当てはめることでわかりやすい訳になる。
 1年生YO君も前回、会話文での「助動詞」をやった。こちらは基礎編でほぼ理解できていたね。Can such a cheap ring be gold?(そんな安い指輪が本当に金なの?)でのcanは疑問文で「いったいそんなことがありうるだろうか」の意味だからIs it possible?と言い換えられる。反対に、「ありえない、〜のはずがない、〜であるわけがない」ならcannotということは知っていたね。It is impossible・・と言える。
 こんな風に「助動詞」とは「文全体に話者の判断をつけくわえるもの」なんだよ。単に「動詞を助けている(??)」のではない。だから疑問文では文の先頭に置くのだ。それ以外では主語(S)が先に出たがるだけ。「主語はよく文のテーマになるからね。」
 この上の「・・・」の日本語で一番大切なものはどの部分?そう、最後の「ね」だ。話者(私)が読者(君たち)に「承認してほしい」という気持ちの表れだ。日本語では文の最後に一番大切なものが登場する。英語なら ,isn't itとかRight? You see? と付け加えるところ。これが「助動詞」となって文頭に組み込まれているのです。
 中学生のNI君は前回「包装紙と環境問題」を和訳してみた。「受身形」の動詞は正しく訳せていたね。I see small thing like pens in a nice bag. で動詞 see はSVOC(第5文型)に使うから注意しよう。OとCも「主語+述語」の関係になっているのだ。「OがCであるのを私は見る」ということ。「ペンのような小さなものが立派な袋に入っているのを見る。」という意味になるよ。今日は「分詞」と「関係詞」を勉強して、英文「韓国のキムチ」を全訳してみた。 尾上

(追記)昨日は久々に見たロシア映画「ガガーリン」(2013)の感想を書いたけど、学生時代はロシア語が専攻であったからソ連映画をよく見たなあ。池袋の「文芸座」、飯田橋の「人生座」、新宿の「武蔵野館」、有楽町のATG(アート・シアター・ギルド)などへ出かけた。短編映画はよく六本木の狸穴にある「ソ連大使館」の映写会に招かれて見た。「私はモスクワを歩く」(1963)という軽快な歌の流れるモダーンなのもあったな。
 私が大学在学中の63年から67年の間に輸入・上映された映画はタルコフスキー監督の「僕の村は戦場だった」(1962)を筆頭に、トルストイ原作をボンダルチュク監督が映画化した大作「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」も1967年の制作で、日本で公開された時にはほとんど見に行ったよ。
 それまではすべて白黒映画だったのに、戦後まもない「石の花」(1946)と「シベリア物語」(1947)はソ連のカラー映画初登場で日本より10年も早いがアメリカより10年遅れている。マルシャークの童話をアニメで映画化した「森は生きている」(1956)もカラーの傑作だったよ。
 アメリカでは1935年にはすでにカラー映画が始まっていて、ディズニーがアニメ「白雪姫」(1937)をカラーで制作している。私が生まれて初めて見た映画がこれだ。小学校1年生の時、澁谷駅前の大きな映画館だった。今の「109」ビルの向かいにあった「澁谷東宝」だと思う。今も「TOHOシネマズ澁谷」で続いている。
 1950年頃、ランドセルを背負って通学の途中通った澁谷駅前も「道玄坂」もまだ戦後の焼け野が原だったのに映画館の復興は早かった。このカラー映画を見た大人たちは戦勝国のアメリカの技術・財力・国力に度肝を抜かれたという。「こんなスゴイ映画を戦争中に作っていたのか!勝てないわけだ・・」と。1939年制作の大作「風と共に去りぬ」もカラーだったなあ。クラーク・ゲーブルとビビアン・リーが眩しかったなあ。(つづく)
2016/03/14 (Mon) 23:19


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