今日からGWに突入。
昨日の雨は夜遅くには上がり、
今日は清々しい新緑が目に鮮やかなほどによいお天気になった。
まさに、好きなものにゆったりと向き合えるような高揚感に包まれてきて
自然に笑みがこぼれてくる。
とはいえ、
前半のお休みは仕事での提出物があり、それを仕上げたり、家の中を春から初夏仕様にして、衣替えもしなければならないから、
そうそう浮かれてもいられない。
今日は土曜日だから、もう着ないだろう(着られなくなった)古着を区の回収センターに出して、そのまま予約していた本を受け取りに図書館まで足を延ばした。
本は、重光葵の手記2編。
どちらも分厚いので驚いた。
重光 葵は、昭和戦前から太平洋戦争、戦後の国連加盟に至るまでの代表的な外交官のひとりである。
1945年(昭和20年)9月2日、日本政府全権として、
東京湾上で米国の戦艦ミズーリ号甲板上で連合国への降伏文書調印した。
A級戦犯の判決を受けた1人。
1956年(昭和31年)12月18日、国連本部で日本代表として有名な東西の架け橋演説を行う。
1957年(昭和32年)1月26日、神奈川県湯河原の別荘で死去。
69歳。
( 大分県情報ウェブ「豊の蔵」より抜粋 )
東條 英機内閣あたりからの軍部主導で日本が戦争へと突き進む中、彼は外相として冷静に国際社会の中での日本を見ていた人であった。
非常に人格者だった。
その重光の日記が手記集として、正・続2冊まとめて出版されている。
それを今回借りてきた。
手記は、昭和13年(1938年)重光51歳の時、英国特命全権大使としてロンドン駐在から始まり、昭和31年の日本の国連加盟まで続く。
重光のこの国連総会の席での演説、「日本は東西の架け橋になる」
が、感動的である。
私の尊敬する人の中の1人である重光葵。
本の巻頭にある写真が、とても品格のある姿で
その彼の人となりを如実に表している。
私の部屋を整えたら、椅子に座ってゆっくりと読み進めていきたい。
かなりな量だ…‥‥。



