「一張羅(いっちょうら)」
という言葉は
既に21世紀の世の中には
存在しない言葉なのかもしれない。
この頃 私の頭の中から
この言葉が
ふと浮かんで来るようになった。
私の両親は戦前の生まれで、
父の倹しい給料と
次男である父が
本家から分家する時に分け与えられた
田畠の農業収入、
そして、元気な頃の母の内職の手当。
そういう、ごく普通の庶民の家で
私は育った。
こんな我が家では
「何かある時のために大事にしまっておく」
という習慣が根付いていた。
「普段は一切の贅沢をしない。」
何か晴れがましい日のために
「一張羅」を大切にとっておく。
そういう根強い生活の価値観が
私が小学5年生の時に新築した
自宅の家の中にずっと覆っていた。
地方公務員だった父の退職金を担保にして
建てた二階建ての我が家は
父のこだわりの賜物の普請であった廊下、玄関、
二間続きの座敷と書院造りの床の間
欄間
それらは「一張羅」として
何か慶弔事の時のために
カバーを掛けられ
ついに
この家の慶弔であった
長姉の見合いの席から結婚の祝いの席
私の結納の席
そして皮肉なことに両親の葬儀と
生涯10度に満たない
お披露目でしかなかった家の普請は、
その生涯を終えた。
あの父のこだわりは一体何になったのだろうか。
真新しい廊下や縁側の長い板、白い柱、青畳の匂い……
それらを保つために、日常的にカバーをして
木そのものの風化による風格も示されないまま
取り壊されていった我が家。
戦前の物の不足していた昭和の日本を生きた
庶民の父たちの思いを理解はするが、
私がその父親の年齢に近づいて老いを迎えた今、
大事に取っておいた食器や
洋服など身の回りの物など
普段にどんどん使っていこうと
思うようになっている。
私が死んだ後、
残された息子には
何の価値も見出せない物だろう。
これらのモノたちに
日の光を浴びせ
物としてその機能を使ってやろうと
そう思うのだ。