今年度から、縁あって高校3年生の
受験「古文」の指導をしている。
理系の私が?
と思うのだけれど、実は私は高校2年生になるまで
漠然と志望大学の進む学部は、文学部であった。
国語が得意であったことや
本を読むことが好きであったこと等が
単純に自分の将来を決める要因であったように思う。
それで、県内の進学校であった高校では、
高2年生になる際に、
文系コースと理系コースの選択をすることになっていた。
当然、私は文系コースを選んだ。
まあ、至極当然のことながら、その当時は、
「女子は理系の科目が苦手、文系の科目が得意」
という風潮があった頃で、
必然的に、理系コースには男子生徒が集まり、
文系コースには女子生徒が集まってきた。
そうすると、クラス分けする際、
クラス編成上あぶれた生徒は、
文系コースには女子だけのクラス編成、
理系コースには男子だけのクラスが、
1クラスずつ存在した。
その高2時代の「女子クラス」と呼ばれる
文系クラスに属した私は、
そこでの1年間で、
将来的に大きな進路変更をすることになる。
現在でいうところの、
お茶の水女子大付属高とか慶応女子高とか
そういった、才能あふれる女子高校生たちの
集結したクラスだった。
クラスの一位二位を争う優秀な女子には、
「Mの更衣」とかの呼び名をつけて
一目置いた。
「倫理社会」の授業では、自由闊達に意見交換をし、
「数学」の時間は、「代数」と「幾何」の
二つの授業の担当の先生の人気を競い合った。
私はと言えば、それまでそれほど好きでもなかった
「数学」の幾何担当の目のぎろりと大きなT先生の
魅力的な授業に引き込まれ、
数研出版社のチャート式参考書を手に、
前日解いて解らなかった問題をもって、
職員室のその先生の席に質問に訪ねて行ったものだった。
そうしているうちに、
毎月実施される実力テストで、
数学も高得点(私的にではあるが。。。)を
得られるようになってきた。
当然、それまで不得意と思って敬遠していた数学を
好きになっていった。
そして、得意の「国語」。
それは、高3になって、進路を迷っていた私を
「国立文系コース」クラスから転籍せず、
獣医学科に進むことを後押ししてくださった
M先生の「現代国語」「古文・漢文」の授業が
今の自分の財産となって形成しているのだ。
、
国語の奥深さや楽しさを教えてくださった
M先生には本当に感謝している。
将に、”人生の恩師”というべき存在だ。
こうして、振り返ってみると
私は、実に充実した青春時代を過ごしてきたと
改めて思うのだ。
その高校時代の受験勉強という
確かな知識が根底に残っているため
第一志望であった国立大学の獣医学科には
進むことはできなかったが、
こうして、今、私は
大学受験生に対して、
「古文」を指導することができているのだ。
そんな中で、
今、傾倒しているのが「源氏物語」読解である。
来年1月に実施される新しい形の「共通テスト」や
担当生徒の志望大学にも、
当然出題される可能性の高い
物語文学の最高傑作である。
担当する生徒のためではあるが、
半ば自分の情報収集として
様々な「源氏物語」に関する本を収集している。
ただ、私の専門はあくまでも獣医学に関連するものだ。
日本史の中や文学史の中での「源氏物語」は、
ただただ54帖という冗長な話である。
光源氏という当代の色男の恋愛話
というような位置づけで、
実際じっくり手に取って
全巻を読んだことはなかったし、
おそらく、今後もすべてを読み終えることは難しいだろう。
それでも、作者である紫式部の実生活、
つまり仕えていた一条天皇の中宮である彰子と
彼女のライバルと言われている清少納言の
お仕えしていた皇后定子との関係など、
彼女の記した「紫式部日記」等を読み進めていくうち、
それまで持っていた平安の世に生きた貴族達や
その周囲の人々の心模様を推測するようになった。
よく、
「先生、古文なんか勉強して将来何の役に立つのですか?」
という生徒が毎年いる。
しかし、それは数学の不得意な文系女子の言う戯言と
同等レベルだ。
私は、これからも「古文」や「漢文」の原文に触れ、
古に生きた人々から多くの教訓を学んでいきたい。




