photo 実家の庭に咲いていたバラ
2012年10月8日 撮影
久しぶりに、
何も予定を入れていない休日を過ごしている。
プライベートの外出もなく、
映画でも観ようか、近くのスパに行って、
お湯にゆっくりつかり
ボディーマッサージでも受けようか。。。
と、前日に色々案を練っていたが、
朝起きて、それすら億劫で、
本当にただシンプルに心身を癒す
という時間を過ごすことにした。
外は、良く晴れた秋晴れのお天気。
猫の絹(シルク)と周辺の空き地で
ぼんやり日向ぼっこをする。
部屋に戻って、久しぶりに
10歳年下の従妹と電話で話をした。
二人の男の子の母親である彼女は転勤族。
長男は、愚息と同じ学年。
「今、京都だよ。」
という変わらない彼女の声に、
久しぶりに聞く身内との方言の会話で
じんわり心が温かくなった。
過酷な人間関係に
疲弊した毎日を過ごしている私にとっては、
気の置けないおしゃべりができる数少ない相手だ。
ひとしきり、色々なこと、
ここ数年の我が家の出来事を話ながら、
実家のことなどを聞いてみる。
6年前に帰郷する際、
とうとう実家の家を壊すことになったとは、
聞いていた。
ただ、家を継ぐことになっている次姉の住む家として
新しく建てるのかなくらいしか思っていなかったので、
従妹の話で、
すでに実家(土地)は、他人の手に渡っている
という。
管理している長姉と二人で、決断したのだろう。
持っていた田畑も売ってしまったとのこと。
完全に私の育ってきた”故郷”が
思い出になっってしまった。
亡くなった両親が守ってきた家や土地が
無くなったということだ。
跡を継ぐ者のいない家の末路とでもいうのか。。。
ここ東京の我が家の周囲でも、一戸建ての立派な家が
ある日、取り壊され、更地になり、
その後マンションに替わったり
どこの家にも起こりうる
世代交代のその後というものだろう。
生まれ育って高校卒業まで過ごしていた家だが、
姉妹がそれぞれ家を出てしまい、
晩年一人暮らしをしていた父が入院ご亡くなった後は、
20年以上の間、ずっと空き家だった。
コロナ禍で、両親の墓参りにも帰れず、
「故郷は遠くにありて思ふもの」
という、室生犀星の詩が頭の中を駆け巡る。
晩秋の秋の休日、
少し重たい郷愁に浸る一日になった。