いや、どの範囲までがファンアートと言えるのかなあ、と思って。
一説には「親に見せても恥ずかしくないもの」らしい。
で、つらつら考えて出た結論。
反抗(イチャモン)と支配欲から対象に関わろうとするのがオタク、肯定と奉仕願望(見返りを求めない)から関わろうとするのがファン。
そう分けられるんでないかな、現在は。
まあ作品のパロディから二次創作にスライドするパターンが多いんじゃなかろうか。
つまり、「このシーンはこうあるべき」って改変シーンを実際に描いて作品化した場合、それは作品の作り手への反抗心があるからなんじゃねぇかなあ、と思って。
そう考えると、オタクがやたらケチ付けたりストーカーじみてるのも宿命みたいなもんかー、て腑に落ちるなと。
まあロクでもない話だ。
二次創作は難しい。
なんかねぇ、遊びの場だと思うんですよ。二次創作ってのは。
即売会とかあるけど、課金するのは印刷費を回収してプラマイゼロにして会に参加し続ける為の行いだろう基本。
で、みみっちく漫画の作者やアニメの監督相手に、パロディ作品を作って細やかな反抗心を晒すことで社会不安とか、自分の生活を脅かすものへの不安を掻き消す。
それが長らく日本の生活様式だったんではないかなーと個人的に思ってます、私は。
だからオタク界隈は遊び場なんだから、政治的な呼び掛けとかに利用されたくないんですよね。
現代日本のオタク文化の頂点・原点がコミケ=日本最大の遊び場であると仮定して。
コミケが滅んだからって、だからそれがどうした。
それが私の見解です。
別に遊び場の一つが駄目になろうが知ったことか。頓着してられねぇよ。
色んな縛りが他人から付けられようと、構わない。それを受け入れて、遊びのルールを自力で考案して見せる。それで済む話だ。
法案反対だなんだと騒いでいる人たちは、「私は遊びのルール一つ考える力もありません。人の真似でしか物事を考えられません」そう言ってるようにしか見えないんだよな。特に、アマチュア。
別に政治に興味はないんだけど。
界隈を彷徨いてて不穏さを感じるから、考えを吐き出しておく。
まあ私がさっさとオタクを卒業すれば良いだけのことなんだけど。
マニアとファンであることからは、逃げられないかもしれないなあ。