コンクリートに、猫の足跡が転々とついていました。かわいい。ところで今の時期は、枯れ葉が散って、地面にたくさん落ちているけど、アスファルトやコンクリートの上だと、ただのゴミになってしまうのだから、もったいないなと思う。この世から無くなるものなど何もないはずなのに、それを実感するのが難しい。
自分のことなんか信じなくてもいいけど、自分を存在させている世界のことは信じなくては。信じるという行為は、哀しい。“疑い”が前提になっている。それでも、疑っていてもいいから、信じなくてはならない。わたしがわたしとして存在していることで、君が君として存在することで、どこかで誰かが(何かが)救われていることだってあるんでしょう?ねぇ、そうでしょう?たとえそれを、わたし達が知ることは、一生無いとしても。