久しぶりに会社に行ったら、化粧室の水道の蛇口が非接触タイプに変わっていた。石鹸も手をかざすと自動で出てくるようになった。蛇口でコロナが感染したという報道があったからだと思う。
わたしは元々蛇口はキレイではないと思っているので、子供のころから手を洗ったら、掌に水をためて蛇口を洗うのが当たり前だった。もちろん出来ない形状の洗面台もたくさんあるので、そこで無理にやるほど徹底はしていないし、水で何度か流しただけでどの程度キレイになるのかはよく知らない。なので、コロナ以降は石鹸で手を洗ってもその後アルコール消毒はするようにしていて、母にもそれは厳しく言っている。
感染症対策や節水という観点からは非接触タイプの蛇口は大変好ましいが、わたしは実はあまり好きではない。自分で水量を調節出来ないし、なかなか水が出て来なかったりすぐに止まったりイライラすることも多いし、洗面台に何か物を落とした時に意図せず水が出てしまって大惨事ということも、まあまあある。
まあ、わたしの好き嫌いは置いておいて、こうやって何かあった時にすぐに対応してくれるような環境にいられることについては本当に恵まれていると思ってる。
性能の良い頭脳も持っていない、特段善良な心を持っているわけでもない、コツコツと努力出来る真面目さもない、高い志もない、安定した実家があるわけでもない、整った顔も、面白い発想も、優しい思いやりも才能も何もない。ないないずくしでボヤボヤとただ生きていただけなんだけど、何故か困ったことにはならないというのはなかなかすごいことだと思う。もしかしたら運が良いのかもしれない。
それはそれで感謝しつつ、でも、個人の運に依存せずともすべての人が困らないようにそろそろ社会をデザインして行きたいところだ。
梅の花がずいぶんと咲いてきて散歩の楽しみが増えた。歩いて行ける公園には梅園があって毎年梅祭りが開催されている(今年は中止)。一昔前に2年だけ住んだことのある横浜の大倉山というところにも梅園があって、そこもとてもキレイだった。
大盃という種類の梅があるようで、どのあたりが大盃なのかなどと以前人と会話していた。たしかに他の種類よりは少し花が大きいような感じはするが、そこまでの大きさだろうかという他愛の無い話だ。この前のやけに暖かかった日に散歩をしていたら蜂が活発に活動していて、大盃の花の回りに特にに集まっているような気がしたのだけど、蜂からしたら確かに大盃だなと思った。今度そんな話をしてあげよう。(写真は大盃ではない)
そういえばもっと若い頃には梅よりも桜に気持ちが向いていた。ダイナミックな桜に比べて梅は地味な印象があったのだ。梅には梅の、桜とは比べることの出来ない深い味わいがあるのだということが年齢を重ねてようやくわかってきたような気がする。
そんなような話をしようとすると、「自分は昔から梅の方が好きだった」などと言い出すような層がいるのは一体なんなのか。話の本質はそこじゃないし、あなたの好みは聞いてないし、そもそもわたしの話はまだ終わってない。会話泥棒にはご注意を。