【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


コロッケ
コロッケ
新年より、職場が自宅から近くなり、時間に余裕が出来たので、日々コツコツと、お弁当を持参している。わたしの作る弁当など、どうでもよすぎて、とてもじゃないがココで紹介など出来やしないけど、卵焼きは砂糖醤油です。チーズ入りのオムレツなども好きだけど、毎日食べるなら断然、砂糖醤油。なーんか地味な感じー(茶色い)。
家から歩いて行ける場所に、瀕死の商店街がある。半分以上の店が閉店している。年齢層も高い。たぶん、今経営している世代で終わっちゃうんだろうな。そこのお肉屋さんで売っているコロッケが好き。日曜に買って、ひとつは月曜のお昼の弁当に入れたりする。隣のおばさんが作ったコロッケって感じで美味しい。でも、お肉屋さんは隣のおばさんではないので、3個で100円を支払って食べさせてもらう。
それにしても。外で買う弁当は、毎日同じものはとても食べられないけど、自分で作る分には、日々代わり映えのないメニューでもなんとも思わない。最初から諦めているからか。

2010/02/10 (Wed)



ケーキ ケーキ ケーキ
ケーキ ケーキ ケーキ
萩尾望都さんの『ケーキ ケーキ ケーキ』を久しぶりに読んで号泣。なんとなく再読したのだけど、最近色々と荒んでいるわたしの気持ちにすごく必要だったみたい。
話の内容もさることながら、わたしが今これを読んで何故か思い出したのは、母のことと子供時代。わたしが幼稚園や小学校の低学年のころまでは、ケーキと言えば母の手作りのデコレーションケーキだった。日常的に作ってくれたわけではない。誕生日とかクリスマスとか。家には『お菓子の作り方』の大きな本があって、わたしはそれを見るのが大好きだった。大好きだったんだ。幸福で豊な記憶を発掘した。
母は、あの頃のような、実際には苦手ながらも、一生懸命に子供らにケーキを焼いて食べさせるような、そんな慎ましやかな暮らしを、続けたかったはずだ。別に詳しくは書かぬが、それは叶わなかったわけで、彼女のことを思うと、泣けてきて泣けてきて仕方がない。
わたしの母は、強い。もともとの勝ち気な性格もあるだろうが、それ以上に強くならざるを得なかった。その強さと引き替えに失った物がどれだけあったことか。わたし自身、正直、思春期のころからは、長らくそれが許せなかったりもしたし、身内の甘えから、母に対する文句などを口にしたり、あるいは冗談のネタにすることがたまにあるけれど、他人がそれに乗っかって彼女自身を茶化すようなことを言ったならば、はっきりと殺意を覚える。「お前が言うな」と思う。きっとみんなそうだと思うけど。
先日友人が「人なんてそれぞれにいろんなハンデを背負っていて、なんの重荷も背負わぬ人間などいないのだろうから、ことさらに自分のハンデを主張してわかってもらおうとするのって好きじゃない」と話していた。本当にそうだ。母だって、自分のハンデをわかってもらいたいと、きっと幾度と無く思ったはずだ。思わなかったはずがない。しかし、そんなそぶりは一切見せなかった。少なくとも子供らの前では。わたしはあの母の娘なのだから、それだけで自分の人生を誇っていいはずだ。自分自身のことなど何一つ誇れなくたって、それだけは誇れるはずだ。
もはや支離滅裂で何を言っているのかわからぬが、そんなことを思い、そろそろ顔を上げようかという気になった。この話はこれでおしまい。

2010/02/08 (Mon)


生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない


吉野弘 『生命は』
2010/02/07 (Sun)


・
夕方に外を見たら、雲の色がかわいかったんだった。ケータイの写真だと、なかなかそのかわいらしさは伝わらないね。そういえば、桜のつぼみがずいぶん膨らんできたみたい。わたしが見たのは、早咲きの木なのかな。
「自分以外の誰かと歩くのは、ただそれだけで大変だ」と書いたけど、お互いが(あるいはみんなが)それぞれに、その大変さを前提にして、それでも一緒に歩きたいと思えるかどうかというのが、結局は重要なのだよね。そう思えるか思えないかというのが、どこで違ってくるのかは、よくわからない。歩くというのは、実際に道を歩くっていうのもそうだし、もっと広い意味であったりもするのだけど。
2010/02/07 (Sun)


銀座銭湯
銀座銭湯
全然馴染めなかった古巣である銀座。そこに唯一ある銭湯は、こじんまりと生活に馴染んで存在しているみたいでした。どんな場所でも、そこで生活している人たちというのは、当たり前にいるんだよな。

友達がやっている『食べる』ことに関する集まりで、紹興酒を飲み過ぎた。いくらでも飲めてしまいそうで恐ろしい。そこで聞いた話だが、世界的にみて「いただきます」「ごちそうさま」といった言葉は、日本語にしか無いのだって。それって本当なのかなー(疑惑)。あー、でも少なくとも英語圏だと、 なんとなく「日々の糧をありがとう」と、“神様に対して”感謝の祈りを捧げているような気がするので、わたしたちが言う「いただきます」とは、ニュアンスが違うような気はするかも。しれない。イメージだけど。うーむ。

しかし今日は寒かった。
そして自分以外の誰かと一緒に歩くのは、ただそれだけで大変だ。そう思う。

2010/02/06 (Sat)


立春
立春
寒い。けど春。(←毎年言ってる気がするよ)立春は昨日でしたね。梅がきれい。
とある神社のお稲荷さんを覗いたら、大きな狐の背中にに子狐がくっついていて可愛かった。お稲荷さんって、そもそもああゆうものなのだろうか。


***


会社での話。「『報告・連絡・相談』は(履歴を残すという意味で)メールが基本ではあるかもしれないけれど、口頭での方がよい場合もあるんだよ」と言われた人が、それ以降、口頭でしか報告をしなくなったという、もはや笑い話にしかならないようなことが最近あった。本人は、説教された腹いせとか、嫌がらせでやっているわけではなく、いたって大真面目なのだが。「口頭の方がよい場合“も”ある」と「口頭“が”よい」の区別がつかなかったみたいだと、説教した方が嘆いていた。(そして再び説教)

2010/02/05 (Fri)


菜の花
菜の花
雪はあっと言う間に消えてしまったね。子供の頃は、冬の間の朝に、母に「ほら、雪が積もっているよ!」と、何度も騙されて布団から飛び出しました。雪が積もるのが嬉しくて嬉しくて。雪。そのにおいとか、しんとした夜とか。光が反射して眩しすぎる朝とか。幸福な記憶。

***

菜の花が出てますね。わたしは菜の花が好きで好きで。辛子和えなんて、たぶん、どんぶりに山盛り一杯でもぺろりと食べられると思う。今年初の菜の花です。寒いけど春だなー。梅も咲いてるし。明日は節分ですか。気持ちが切り替わりますね。うむ。
2010/02/02 (Tue)


墓場にて
墓場にて
この週末はダメダメだった。今もダメ。もう何もかもが面倒くさい。ため息ばっかり。重い想い。ナメクジになって塩にダイブして溶けちゃえばいいのだよ、わたしなど。・・・わたしがもしもトゥイッターを始めたら、こんな風に薄暗くて重苦しい呟きばっかりを垂れ流してしまうのだろうなー。ブルブルブル。あ、2月?
2010/02/01 (Mon)


あたしを好きって言って
あたしを好きって言って
「ロミオロミオ。なんであんたロミオ?名前捨てなよ縁切りなぁ〜。ダメでもあたしを好きって言ってよぉ〜」
楠美津香さんの『超訳ロミオとジュリエット』を観て参りましたよ。美津香さん10年前の作品だということで、最近のテイストとちょっと違っていて、それが新鮮だった(“がんばってる感じ”とでも言うのだろうか)。恋に狂った若者のバカバカしい話である。浮かれとんちき!ロミオの友人マキューシオのキチガイぶりは最高で、マキューシオのおやじギャグラップでは、期せずして拍手がまきおこりました。(マキューシオは、山岸涼子の『アラベスク』のルキンで観ていたよ。脳内で)ひょーっ!!
劇中のバカップルもさることながら、現実に、現在、浮き世離れした恋に発狂している知人が近くに座っており、「彼はこの劇をどのような気持ちで観ているのだろう」と、気になって仕方がありませんでした。フンフン。


そう言えば辻仁成(わたしは“ツジジンセイ”と読んでいる)。わたしの中では、エコーズ(というバンド)で『visitor』とかを歌っていた、タンクトップにバンダナ姿みたいな、あか抜けない、でも気のいい彼のイメージしかなくて、先日中山美穂を久しぶりに見たときに「そういえば辻仁成はいつからオシャレになったんだろう」と、うすらぼんやり考えていました。ついさきほど、彼の最近の公式写真(?)を見て、ひぃとおののいた。
昔『ミックジャガー初来日記念』みたいなラジオ番組で、ブライアンジョーンズが、ある時期からストーンズ内でいじめられまくられて〜といった話になったときに、某ギタリストから「辻、お前行って助けてあげなきゃ!」とか言われていたのが、眩しく思い出されます(いじめられっこの味方!)。
2010/01/30 (Sat)


楽園
楽園
吉田秋生の『夢みる頃をすぎても』を買った。そういえば読んだことなかった。何人かの男女の10代終わりの連作青春記なんだけど(なんともつまらぬ説明である)、なんかもう読んでいて辛い。(いや。辛いといってよいものかわからない。もしや幸福感なのかもしれぬ)。特に『はるかな天使たちの群れ パート2』は、信じられないくらいに泣いた。なんでなの?泣く理由がわからない。本当に。
だれか読んだことある人がいたら、あれで泣くというのは一体どうゆうわけなのか、ぜひ意見を聞きたいところです。

2010/01/27 (Wed)



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