【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


訂正(追記)
前の記事で、「“ジーンズ”ってのはパンツの形になるまえの布のことのはずなだから、誰がなんと言おうと、わたしはジーパンと言うぞ」などと息巻いていたところ、友達から「ジーンズはジーン生地でできたパンツのことだよ」とのご指摘が。ええーと思ったけど

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ジーンズ(英語:jeans)はジーン生地つまりデニム生地のパンツのことである。かつては日本ではGパンという呼び名が一般的であった。これはG.I.が履いていたパンツでGパンとなったという説、ジーンズを日本に紹介した人物が、ジーン (jean) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、元の発音に近い「Gパン」を代用したという説、「ジーン生地のパンツ」を略して「ジーパン」となり、「ジー」に「G」を当てて「Gパン」となった説等がある。

デニム生地製の上着はデニム・ジャケットあるいはジーン・ジャケット(jean jacket)であるが、日本ではジーン・ジャケットと言う呼称は一般的ではない。しかし、ジャンパータイプはジーンズジャンパーを略してジージャンと呼ばれている。

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と、Wikipediaも言っていた。なんと。知らなかった。では、これより自信を持って“ジーンズ”と言うことにします。しかししかし、なんでjeanにsがついただけで、パンツのことになるのだろうか?ジャケットは、jean jacketなのにね。jean pantsではないのだね(←こうゆうことだと思っていた)。不思議。


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(追記)

しつこくあちこち見ていたけれど(くだらないことにやけに労力を使うものよの)、jean pantsという単語も使われているみたいだった。jeans=jean pantsということなのかしら。チノパンもチノーズという言い方をするらしい。不思議。ジーンズのズ。(誰か詳しいことを知っている方がいたら、教えてください)
2010/02/28 (Sun)



光射す
光射す
日曜の午後。雨が上がって明るくなりましたよ。どこかに出かけたい気もするけど、今日は家でじっとしていよう(出不精)。来週あたりには梅を見に行こうかな。
とても気に入っていたブラウスがだんだん古くなり、穴などあいていたのを、それでも見て見ぬ振りをしながら着用していたのだけど、午前中に洗濯をして干す際にマジマジとながめたら、さすがにもう無理かもってくらいにボロくなっていた。哀しい。わたしの洋服タンスには、10年以上着ているようなものがけっこうある。ブラウスとかシャツなんかは大して型くずれとかしないからねぇ。ジーパンも、15年位はいているのもある。幸いなことに、体型が著しく変わるということが無いから出来ることでしょうが(成人してからこっち、今が一番太ってはいるけど、大幅な変化は無い)。もちろん、新しく買うことも、着なくなって処分したものも沢山あるけど、だいたいこうして10年とか着続けているような感じが、わたしが落ち着くべきスタイルなんだろうなぁ。色々迷走したような時期もあったが‥‥。
ところで新井理恵じゃないけど、“ジーンズ”ってのはパンツの形になるまえの布のことのはずなので(だよね?ち違う?)、誰がなんと言おうと、わたしはジーパンと言うぞ。デニム(↑)のパンツ(↑)とか洒落臭い。

ハーベストに新しい味が出たことを知る。た食べなきゃ!明日にでも探してみよう。
2010/02/28 (Sun)


隣町
隣町
わたしが住んでいる町は、山の上にあって、たぶんあんまり古くない。それなりに古いけど、何代も遡って住み着いているような家って、あんまり無いんじゃないかな。せいぜい3代とか。わかんないけど。友達とも話していたのだけど、山を切り崩して無理に住み着いた感がある。ところがこれが隣町になると、ずいぶんと風情が変わってくる。古い。そして平べったい(坂がない)。地形が町の成り立ちに関わるのだと思うけど、やはりずいぶんと昔から、住み着きやすかったのだろうなぁ。川も流れているし。古い町は歩いていて楽しい。かつてモダンだったと思われるビルとかが、わんさかあるし、そのビルが新しかった時分には、きっとその時点での“かつてのモダン”があったんじゃないかなぁ。知らないけど。たぶん。今ピカピカのマンションも、あと40年くらいすれば“かつてのモダン”になる。そうやって町は生き続けるのだねぇ。
2010/02/27 (Sat)


雨YOKOHAMA
雨YOKOHAMA
春の雨。横浜。

昨年まで某企業の銀座本社でガツガツと働いていたのだが、事情により同じ会社の横浜事業所に移った。わたし、派遣社員なのだが。(このあたりのことは、2009年12月の記事にチラホラ書いてあると思う)。ところがまたもや事情により、急遽本社に戻ることに。期間限定で。なんと。望まれて行くのが幸せというものなのか。(以前の部署の人たちは、みんなわたしのことが大好き!好きすぎるだろうってくらいに。わたしも好きよ)。本社には友達もいるから、楽しみではある。
‥‥企業勤めだと、自分が何故、お金をいただけるのかが本当にわからない。そんな風にして得たお金って、ちっとも現実味が無い。ただでさえそんな風なのに、この2ヶ月間いたところは、その中でも特に、「‥‥なんで。なんで、コレでお金がもらえるんだ」と、毎日毎日、死ぬ思いだった。そんなところだった。3月から出戻るところだって、程度の差こそあれ、それはそうなのだ。こういった生活から抜け出すにはどうすればいいのだろう。実際、掃除とかしているほうが、よっぽどマシな気がするのよ。はぁ。


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年齢を言って驚かれることがよくあって、正直、凹む。大して若くないだろうなんてことは、実際見れば一目瞭然でわかることだろうけど、たぶん言動が実年齢に伴っていないのでしょう。実際、「子供っぽい」だの「もっと大人になった方がいい」だのと忠告をしてくださる方も、いたりする。親切。
文章でしかわたしを知らない場合は、文字の印象しかないわけだから、こんな幼稚なことばかりを書くような人間が、30代も半ば過ぎだなんて思わないだろうな、とは思う。ネットにこんな風に何やら書き散らしている時点でアウトだろう。
おばちゃんの逞しさや大らかさに憧れる(秋日子かく語りき)。まるで自分はおばさんではないかのような言い方だけど、我が精神年齢の幼さ、青さっていう意味では、おばさんじゃないだろう。んーっと、主に悪い意味で。自分自身のことでなんか悩みたくないし、これがよいとか悪いとかなんて、本当はどうでもいい。ただ、素敵な大人になりたい。身内自慢だが、我が兄はかなり素敵な大人だと思う。いい男なんだ(見た目じゃない)。気持ちも見た目も若いけど、決して幼稚じゃない。とか、色々。ブ、ブラコンか。しりめつれつ。
2010/02/26 (Fri)


いつか僕らも大人になり老けてゆく
時は流れて止まることなく状況は変わり続けて子供はいつしか大人になりやがて死ぬ。ああそれでもきっと変わらぬ美しさというものはきっとあって。変わらないことが美しいのではない。それは違う。美しさは変わらないということだ。たぶん。
2010/02/23 (Tue)


 
 
沈丁花。こちらももうすぐ。香りは一足先にほころんでいるみたい。
世界は一瞬たりとも止まらない。めぐりまわり変化し続ける。泣きたくなるくらいにキレイ。わたしもいつか死ぬよ。君もいつかいなくなる。
止まらぬ世界をこんな風に記録するのは愚かかしら。たぶん。
2010/02/22 (Mon)


あともう少し
あともう少し
2010/02/21 (Sun)


ブーム
ブーム
キャベツが美味しい。味噌マヨネーズ(味噌とマヨネーズを混ぜただけ)を付けてムシャムシャ食べる。人参もいける。あと今日はカレーを大量に作ったので、向こう一週間はカレー天国(地獄)である。本屋の雑誌コーナで、なんの雑誌か知らぬが『巷でブームの春野菜』という見出しを見つけて吹いた。ブ、ブームてそんな。えー。なんか変じゃないですか、どうですか?

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少し前に「人に『ジョジョの奇妙な冒険』の4部と5部を借りて読んだ。今度3部を借りることになっているが、いつ貸してもらえるかわからない」という話を人にしたら「漫画喫茶で読めばいいんじゃないですか?」と言われて、とてもびっくりした。ああ、そうだねぇ。確かにそうですねぇ。‥‥そういえば、漫画喫茶って、過去に一回しか入ったことないや(時間潰しでやむを得ず)。積極的に利用したいとは、全く思わないサービスだなぁ。もちろん時と場合によるけど、こういったものは、出来れば持っている人にお願いして貸してもらう方がいいや。「お願いをする」という機会も、今や貴重なのだねぇ。

2010/02/14 (Sun)


鳴門金時芋
鳴門金時芋
友達に貸し出していた漫画が、ゆうパックで返ってきたよ。中には夢のお菓子ハーベスト(スイートポテト味)が添えられていました!きゃっきゃっ。うれちい。
MOW(モウ)というアイスの巨峰味も天国的に美味しかったので、見かけた人は食べてみてください。そしてご一報を。期間限定物だから、まず売ってないと思うけど。もし万が一、なんかの拍子に見かけたらぜひ。わたしは本当にそのアイスを買いだめする夢を見ました。今年の秋にはまた出るのだろうか。どうなのだろうか。
2010/02/13 (Sat)


☆
最近仲良くなった人と、色々お話していたら「たまたまご縁があってね」という言い回しを何回もされていた。それは仕事についてであったり、人とのつながりのことであったり。聞いていて「“たまたま”は、本当は“たまたま”ではないのだろうなー」とか思った。たとえばの話だけど、会社組織という枠の中にいてですら(だからこそ?ということもありそうだけど)、人とつながれる人とつながれない人というのはいて、つながれる人というのは、結果的に(なのかどうかは知らぬが)色んな場面でそれを仕事に活かせているように思う。見る人が見れば「あれはたまたま同じフロアにああゆう人がいたからだよ」という風になるのだけど(やや否定的なニュアンスで)、その“たまたま”で、誰もが誰かとつながれるわけではないのだろうなー。ふーむ。ちなみに、別に自分自身のことを話しているわけではない。


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何回も同じことを書くけれど、自分というものは常に未完成だ。だから一人の人間のことを知りたいと思ったら、生まれた時から死ぬまで片時も離れずに見ていなくてはならない。と思う。そんなことはどうしたって無理なのだから、わたしたちは皆お互いに、『知らない』ということを知っていなくてはならないのに、つい忘れてしまうわたしは未熟者だ。
わたしが誰かのことを語る時、それはその誰か自身のことではありえないし、誰かがわたしのことを語る時、それはわたし自身のことではない。誰かが誰かのことを話しているのをその対象である誰かにくっつけて真に受けてはいけないし(あえてどちらかと言えば、話している誰かにくっつけた方がよい)、わたしがわたし自身のことを語る時ですら、それはわたしそのものではない。


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自慢の友達が、ただいま行われている某ビッグアイドル(なのかな?)の1ヶ月間ソロコンサートに出演するというので、「1ヶ月コンサートって何?」と思って調べてみたら、あまりの怒濤のスケジュールにおののいた。一日二公演の日まで!ひぃ!どうか体に気を付けてがんばって欲しい。しかしアイドルってすごい。すごすぎる。
2010/02/12 (Fri)



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