先日迎えたお誕生日のお祝いに、お友達からいただきました。春らしい清々しい香り。
当日、母からメールをもらった。慣れないメールでたどたどしく「幸せを ねがって います」と書いてあった。わたしは、幸せを願われている。
穴 |
いただきもの
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先日迎えたお誕生日のお祝いに、お友達からいただきました。春らしい清々しい香り。
当日、母からメールをもらった。慣れないメールでたどたどしく「幸せを ねがって います」と書いてあった。わたしは、幸せを願われている。 |
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2010/03/17 (Wed)
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母子
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強風の土曜日。上野まで、お友達に誘われていた美術展に行った。芸術を観賞するような文化的な習慣は、わたしには無いのだが、たまに行くと面白い。そこで観た、黒田清輝さんの『母子』という作品がとても良かった。農村の母親が、(たぶん)農作業の合間、幼子に乳を含ませているという、そんな絵なんだけど、とっても美しかった。よいものを観たよ。黒田清輝さんというと、たしか‥‥、アレですよね。ね?(←誰に向かって何を言っているのか)
公園に咲いていた寒緋桜がキレイだった。動物園行きたい。野毛山動物園なら無料だし、誰か今度行こうぜー。写真は、名物(なのかどうか知らんが)パンダケーキ。想像以上に美味しかった。 “日記を書く”ということについて話した。ネット上で、ということではなくて、いわゆる手書きの日記のことだったのだけど、「書くことが無い。“朝起きて会社に行きました”で終わってしまう」という人がいたので「“出来事”を書こうとするからではないか。思ったことや考えたことを書けばよいのではないか」といったことを言ってみたのだけど、その意見はいまひとつ受け入れられなかったように見えた。 こんな風に思ったことをダラダラと書き散らかすことが習慣になっていると、「別に書くことなんて無い」というのはとても不思議だけど、その方が健全なのかもしれない。手書きの日記とネット上の日記はまた別なのだろうけど。 |
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2010/03/16 (Tue)
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宇さん
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先日、少しのどが痛いと思っていたら、翌日になって痛みが本格的に。頭も痛い。また風邪。昨日は仕事を早退けして、トボトボと帰宅。昏々と眠りこけたら少し良くなったよ。写真は前に2回投稿した桜。昨日の様子。満開です。早咲きの種類なのね。ソメイヨシノは今頑張ってるところ。つぼみが少しずつ大きくなってきているよ。‥なんて書いていて思ったけど「早咲きの種類」だなんて。無意識にソメイヨシノを基準にして考えてしまっているのだな。その種類の木にとっては、早くも遅くもないのだろうにねぇ。
*** 少し前の朝のことだけど、思い立って大島弓子さんの本をカバンに放り込んで電車内で読んで、ぐぅとなった。ぐぅう。うかつに読むもんじゃない。なんなんだろうなぁ、この人って。なんなんだろう。なんだと思います?ロングロングケーキ。秋日子かく語りき。「みんなで一人の人になるのよ。素敵でしょう」 *** 最近、人の過去のweb日記をチマチマと読んでいる。量が膨大で画面で読むのが辛いので、会社でカサコソと印刷なぞしてまで読んでいる(面白いから)。そこに「いてもいなくてもよい友達ならば、いた方がよいのじゃないか」といった意味のことが書かれていたのを読んで、うむと頷いたよ。 (今それが手元に無いので、上記は正確ではないし、書いた本人が当時どのような気持ちでそれを書いたのかはわからぬので、ここからはそれを読んで、わたしがもやもやと思ったことを綴るだけなのだけど‥と、前置きして)、あくまで“いてもいなくてもよいのならば”って話だけど、無理して関係を続けるのも変だけど、わざわざ終わらせる必要もないよね。 「友達とは‥」だなんて、変に難しく考えたあげく、勝手に怖くなったり、排他的になってしまうよりも、そのくらいの姿勢でいたほうが全然よいと思う。白黒はっきりつけて、人間関係を整理したがる人をたまに見かけるけれど、よくよく見ていると、それって自分に都合の良い人とだけ付き合いたいってことでしかなさそうな気がすると言ったら言い過ぎかしら。ああ、都合の良いっていうのは、何も、ただ楽しいとか、気分がよいってだけではなくてね。 たとえば。“言いたいことを何でも言い合える”とか“全てをさらけ出せる”とか、そういったことが友情の条件なのだとしたら、わたしなど全然いないよ、友達なんて。それらを逆手にとって、先取りして、「こんなにさらけ出したのだから(さらけだしてくれたのだから)、わたし達は友達のはずだ」なんて思ってみたり、さらには“さらけだすために”自ら悩みを作り上げたりなんてことを、特に若い頃にはしがちなように思う。人のそういった寂しい心理をホストなんかが悪用しそう。悪用は言い過ぎでも利用くらいは、していそう。「彼が自分の弱さをさらけ出してくれたのは、わたしを信頼してくれているからなのだわ」とか「言いにくいことをハッキリと言ってくれるのは(説教とか)わたしを愛してくれているからだわ」とか、そうゆうの。もちろん、なにも、そうやって、全てをさらけ出したり、言いにくいことを言ったりすることが悪いとか、不要だとか言いたいわけでは全然無くて、それはもちろんとっても素敵なことだと思うけど、それが無くたって、友達は素敵だし、いつかそんなふうになる日も来るかもしれないよ。 なんにせよ、結果を先取りして何かを証明しようとするのは好きじゃない。友達は自分の安心のための道具ではないのだからね。なんてね。こんなことも、あんまり考えすぎても変に慎重になったりしちゃうから、何事もほどほどにな。(別にいつも考えてるわけではない) 実は明日はわたしの誕生日で、友達がカードをくれたり、遠方からメールをいただいたり。とても嬉しい。 |
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2010/03/12 (Fri)
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big love
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水っぽい雪がジャンジャンと降っています。春の雪だ。のどが少し痛い。
ひとつ前の記事で、木暮氏の音楽について「どんどん変化する。ライブで昔の曲はほとんどやらない」と書いたけれども、それはもちろん過去と断絶している、ということではない。それは違う。 様々な時の積み重ねの全てが今を後押しして、きっと、未来に繋がっている。全て、の中には、あらゆる「反発」や「拒絶」も含まれている。先日のライブの最後に、全員が(たぶん、客席も)一緒になって演奏した『big love』の、なんと美しかったことか。様々なバンドを作っては壊してきた彼なのだが、今になって思えば、ただただ“変化”しているだけであった、ということだ。それはその過程ではわからなかったことであろうね。(わからなくてもよいことなのかもしれない)。 レベッカ→レッドウォーリアーズ→カジノドライブとバンド遍歴を重ねてきて行き着いたのがサイコデリシャスという非バンドスタイル。固定のメンバーを決めずに、その時々で出来る人、やりたい人、必要な人で臨機応変に活動する。だから、そこには解散も脱退も無いし、音だってどんどん変わる。これは素晴らしいことよ。まあ、「要はソロプロジェクトでしょ」とか言われればそれまでだけど。たまたま現在は、そこから自然発生的に生まれたマウントデリシャスというバンド活動を中心にはしているけれど(木暮氏曰く、「自分にとって、最後のパーマネントバンド」)、だからといってサイコデリシャスが無くなったわけではない。だって。どう考えたって、無くなりようがないもの。 上手く言えなくて、大変にもどかしいのだけど、彼の、あのありようは、本当に美しいと思う。散らない花は無いけれど花は咲き続けるし、雪は必ず溶けるけど来年にはまた降ってくる。なんというか、そんな感じよ。 |
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2010/03/09 (Tue)
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不思議な旅
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20年好きでいつづける木暮武彦氏の、明日は(は。明けて今日だ)誕生日。50歳。半世紀。今日は(は。というか昨日だ)生誕50年記念ライブだった。感無量。かつて彼とともに音を作ってきたあんな人やこんな人が、これでもかというくらいに入れ替わり立ち替わりステージに現れて、ほとんど同窓会だよ。
いつになっても完成されることのない彼の音楽は、その時々でどんどんどんどん変化してゆくので、通常のライブだと昔の曲は(どの時代のものも)ほとんどやらないのだけど、今日ばかりは、泣きたくなるくらいに様々な時代の曲が聴けた。わたしが異様に(はた迷惑なくらいに)キラッキラしていたあの頃とかを思い出して、それがまぶしくてまぶしくて。思わず目をふせる。あの頃の仲間とは、今でも彼のライブで顔を合わせる。タイミングが合わなくて何年も間が空いたって別に平気。ともに、あるいはそれぞれに楽しみ、未来の約束もなく「またね」と別れる。これで会えないかもなんてことを前提にすることは、ない。そりゃあ、いつかは、その「またね」が最後になって会えなくなる日は必ずくるのだろうけれど。一度も話したことがなくても、いつも見かける人たちというのもたくさんいて、なんか、横目で見ている。妙な距離感だけど、それもたまよし。ライブ仲間の枠を越えて無二の友になった子だっているよ。 20年も好きでいれば、色んな時期があって、なんだかやけにディスりまくったような頃もあったよな。ほとんど義務のように。我ながら悪趣味で、今更ながら呆れるよ!今となってはもうね、彼は生きていてさえいてくれればそれでよいとすら思う。順当に考えれば無茶な願いだが、どうかわたしより先に死なないで欲しい。どうかわたしより先に死なないで!50歳おめでっと。 |
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2010/03/08 (Mon)
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プラズマ
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水樹和佳さんの『月虹〜セレス還元〜』を読み返した(知っている人がいたら友達になりたい。わたしに彼女の作品を教えてくれた人以外に、彼女を好きだという人にお目にかかったことがない)。何度読んでも絶対に泣くが、案の定。
残念ながら、わたし達ヒトというのは、決して平和的な種族ではない。そして、どうしようもなく愚かかもしれない。それでもきっと、その暗い本能を乗り越えることが出来るはずだという、祈り。プラズマは最後までわたし達を信じてはいないけれど、「もしかしたら好きになることが出来るかもしれない」というわずかな希望とともに眠りについたよ。 |
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2010/03/07 (Sun)
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梅。梅。梅。
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昨年まで2年間暮らした町、大倉山。梅林が割と有名。今日は雨の中散歩をしてきましたよ。清々しい香りと、ほっこりとした梅の花がなんと素敵か。なんと素敵か。梅って好き。なんかウグイスみたいな鳥が沢山いたよ。ウグイス色だったからたぶんウグイスだよ。ここは、桜の時期もよい。特に、雨の日には、人が全然いなくてね。桜独り占め。東屋でボケーッとするのがよい。口をポカンと空けてね。ボケーッとね。
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2010/03/07 (Sun)
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春の雨
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しとしとと降っていましたが、今日はなんという輝かしい朝。雨上がりの朝って大好きだ。
10日くらい前の記事のつぼみが、今はこんな。昨日の様子です。濃いめのピンクが素敵。 春。春。春。蠢く春。ザワザワ。 |
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2010/03/05 (Fri)
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薔薇戦争勃発
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昨年10月に、新宿にて行われた、楠美津香さんのひとりシェイクスピア『超訳薔薇戦争』の連続公演(2009年10月あたりの投稿をご参照ください)。今年もやってくださるようです。しかも、わたしの地元で。超近い。やっほーい!前回はとてもタイトなスケジュールだったけど、今回は違うみたい。杉田劇場というところなのですが、同じ場所で4月に、ひとりコント(シェイクスピアじゃない)もされるようで、非常に楽しみ。
*** 昨日、エンピツ日記の方に書いたことですが、なんというか、嫌な人とか、受け入れがたい人とかが、たとえば、いたとして、わたし個人がその人個人を好こうと嫌おうと、認めようと認めまいと、許そうと許すまいと、その人が存在しているという事実は揺るがないのだから、安心していればよいと、なんかそんなことを思いながら書いていました。個人の好き嫌いなんて、その程度のものだよ。きっと。悪い意味で言っているわけではなくてね。自分は特別な存在だと思いたい人は、違うのかもしれないけれども。それもまたよしか。 |
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2010/03/02 (Tue)
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