【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


また風邪をひいた。今に始まったことではないが、わたしは非常に風邪をひきやすく、3ヶ月に一度くらいはやられている気がするよ。なんなの。

何がどうというわけではないし、何かがあったわけでもないけれど、どうにも気持ちが荒んでいた。キレイなものに触れたくて、一年近く温存していた小説を読み始める。ああ、キレイだなぁ。
この人の文章って大好き。誰の何を読んでいるのかは、秘密。

ミクシで、わたしの日記を読んで下さっていた方から、ファンレターをいただきました。いや、ファンレターは、いくらなんでも言い過ぎだ!
お会いしたことは一度も無いし、ネット上でも頻繁にやりとりをしていたわけではないのに、わたしなどを惜しんでわざわざお葉書をくださったのです。(←お互いの住所は知っている)心底嬉しいです。
別件で、やはりミクシでやりとりさせていただいていた方からメールをいただいたりもして、本当にありがとうござりまする。いずれも、またゆっくりお返事などさせていただきますね。

もうすぐ夏至ですね。21日だったかな。
一年で一番昼間が長い。なんかお祝いめいたことがしたいな。

2010/06/15 (Tue)



フライデーチャイナタウン
フライデーチャイナタウン
17年振りくらいで父方の叔父一家に会った。行くまでは億劫な気持ちと楽しみな感じで複雑であったが、実際に会ってみると、なんのわだかまりもない朗らかな会食であった。
3つ年下のいとこには、長年のブランクなど全く感じず、キャッキャキャッキャと会話が弾み、聞けば職場も近いことが判明。また遊ぼうと約束をした。
叔父からは、ちょっと信じられないくらいのお小遣い(なんていう金額ではない。特にお金持ちということも無いのだが)までいただいてしまった。

色々と話を聞くにつけ、父方の親戚達の変人振りに呆れ(医者率高し)、帰宅途中に兄と「俺たち兄妹は実にノーマルだよなぁ」などと言って笑った。

我が父の消息は誰も知らないが、「死んだという話は聞かないから、どこかで生きているのでは?」というところで落ち着いた。

6年生の甥が、本を貸してくれた。嬉しい。
2010/06/12 (Sat)


おやすみなさい
おやすみなさい
友達が先月から一人で旅をしている。観光地巡りは、さほど積極的にはせずに、なるべくその国の生活に入り込み、『家庭料理』を食べるという趣旨の元、あちこち動き回るみたい。帰国は12月の予定。
今はフィンランドにいるらしく、今日葉書が届きました(ムーミンの葉書!)。切手が何ともいえず、可愛らしい。少ーし、台形なのです‥。
は。切手といえば。記念切手とかじゃなくて、通常のものであれば、わたしは100円切手が可愛くて好き。色も絵柄も。使う機会はまるでないのだけど。

***


「おやすみなさい」という挨拶って、とっても素敵だと思う。一人で生活をしていると、誰かに「おやすみなさい」なんて言うことも言われることも無い。「おはよう」は、まだしも言う機会は多いけど。
「おやすみなさい」という挨拶は、そもそも同じ屋根の下で共に生活している相手にしか言わないようなものだから(あるいは生活がお互いに密に関わり合っている共同体の中で‥とか?大きな意味での「一つ屋根の下」とでもいうのかしら)、夜更けの別れ際に、誰かからふいに「おやすみなさい」と言われると、心理的にぐっと近付くような気がするよ。物理的な距離とはまた別に、「ああ、わたしたちは一つ屋根の下にいるのだな」と、感じる。

おやすみなさい。
2010/06/05 (Sat)


みっともなく右往左往する
みっともなく右往左往する
なっつさんのお母様が、上高地を訪れてれていらっしゃるという話を読み、写真を拝見して、心が一気に彼の地へ飛んでしまった。写真は、昨年わたしが訪れた際のもの。ポスタみたいだ。
「空気ってこんなに美味しいんだ」と、胸がブルブル震えたし、「水ってこんな色なんだ」と驚きました。水の色って、本当に水色なわけですね‥。本当に幸せだったー。(他にも写真がありますので、よろしければ、2009年8月の記事をご参照下さい。ページ上部のプルダウンメニューで年月の選択が可能です。あと、たまに書くけど、写真はクリックすると大きくなります‥)
旅行って実はちょっと苦手なんだけど、あの場所はまた行きたい。前回泊まったのは安曇野だったのだけど、今度は上高地に泊まり、あの場所で、星空や朝露を体験したい。星空や、朝露。


***


萩尾望都さんの『アメリカン・パイ』を読み直す。何回も読み直しているけど、また読み直す。好きなんです。
グラン・パのように、「俺がここにいなきゃ、友達が訪れた時に困るだろう?」と言って、「場」を守る人というのは素敵だ。

「場」があって、集う人がいて、番人、守人としての役割はあるものの、提供する側/される側という垣根があってその場を消費するわけではなく、教えたり教えられたりしながら、「関わっていく」ということ。昨日はそんな話を聞いたり、色々思ったりしていました。
きっと、わたしたちは「場に関わる」とか「参加する」ということに、慣れていないよね。個包装だから。
だから何だという結論は、無いのだけど。せいぜいみっともなく右往左往するしかないね。
2010/06/04 (Fri)


蓋のない瓶
蓋のない瓶
6月。しかし、寒い。毎年5月のGWにホットカーペットを仕舞うのだけど、今年はまだ出しっぱなし。実際に使うことは、さすがにそうそう無いけど、やたらと寒い日があるので、仕舞うタイミングがつかめないまま、今に至っている。

さて、ツイッタ。早速やめてしまいました。結局登録していた期間って、1ヶ月くらいだったかしら。もう少しかな。
他の人はどうなのかわからないけど、わたしにはアレは、‥簡単に言うと、寂しくて寂しくて耐えられなかった。言ってみれば「紙にいくら言葉を書いても海のそこに沈んでく蓋の無い瓶」という感じ。
楽しみ方はわかる。正直、楽しいとも思う。でも、やっぱりよいことではないなと思ってしまったよ。(なんてことを書くと、やっている人が悲しむかもしれないのだけど‥あまり気にされないでください)。
あと、140文字という制限は、やはり辛い。「本当は句点やら読点やらを打ちたいのだけど‥」とか「自分としてはここはひらがなにしたいなぁー」とかいう些細だけど大切なところを曲げないといけなくなる場合も多い。改行が出来ないのも嫌だな。

どうせ好きな人のページは個別に見に行くのだけど(登録している間も、フォローせずして、あるいはフォローしていながらも、個別に読みに行っていた人というのは、何人かいたよ)、フォローして自動的に自分のタイムラインに呟きが流れ込むよりも、自ら赴いたほうが健全なように思う。
自分のタイムラインに流れ込ませてさえいれば‥という条件の下でなら面白く読めるようなものも、いざ自分がその条件から離脱してから後も、個別に読みに行くかといったら、まあ、97%くらいは、行かないよね。 97%というのは適当な数字だけど。

大好きな、とよ田みのるさんの『友達100人できるかな』3巻を読んだときの感動や幸福感という大切な宝物を、みすみすタイムラインという使い捨ての流れに放り込んでしまった、というのが、やめるにあたっての直接的なきっかけではあった。大げさかもしれないけど、取り返しのつかないことをしてしまった気がしたよ。

そうそう。実はミクシも、ひっそり退会してしまったので、えーっと、もしもこれを元マイミク(←いつまで経っても恥ずかしい)の方達が読まれていましたら、どうかミクシ内で名文を書かないでいただきたい。と、こっそり書いてみる。

2010/06/02 (Wed)


横笛を吹き鳴らす
横笛を吹き鳴らす
ウーフでしばらく青森に滞在していた友人が帰ってきた。農作物を育て牛を飼いながら、ほぼ自給自足の生活を営んでいるお宅のお手伝いをしてきたそうな。そこで出会った人々のこと、秋には食用として売られてゆくつぶらな瞳の仔牛のこと、そこで思ったことなどを聞かせてもらった。
世の中には色んな人がいて、色んな風に生きているのだな。

最近お会いした方は、66歳にして一度も定職についたことがなく、歌を歌い、横笛を吹き鳴らし、旅をして、絵を描いて暮らし、まるで子供のように周りから可愛がられている。(絵も歌も楽器も、40歳を過ぎてから始めたそう)。男性で、いくつになっても可愛がられるなんて、それを自分に許せるなんて、まるで奇跡みたいなものなのじゃないですか?
ネクタイをきっちりと締めた男の人に「あなたは、僕が必死になって一つ一つ手に入れてきた物を何一つ持っていませんね。でも、僕が何か一つ手にするたびに捨ててきた物を全て持っています」と言われたという話を聞いて、なんだか泣きたくなったよ。
見る人が見れば単なる「ダメな人」という風になるのかもしれないし、彼のような生き方「こそ」がよいのだと主張するつもりもないけれど、でもあんな風に子供みたいな笑顔でいられるのはやはり素敵だ。もちろん、生活を営む以上、ただ楽しいってだけでいられるとは思わないけど、何かをどうにかすれば、みんながもう少し、のんびりと朗らかに生活することが出来るんじゃないかなと、そんなことを思った。

写真は、友達がくれたオレンジ(名前忘れた)。皮のまま食べられるのだけど、一つ食べ出すと、美味しくて止まらなくなる。パクパク食べちゃう。パクパク。

2010/05/28 (Fri)


夢の中
夢の中
見上げると‥。
2010/05/23 (Sun)


五月の森
五月の森
富士の麓の樹海に行ってきた。ずいぶんと久しぶりな気がするよ。あの場所はいつ行っても、夢の中に紛れ込んだみたいで、ぐんにゃりしてしまう。
あんなに素敵なところなのに、変に「肝試し」的に訪れる人がいるのは、とても残念だなと思うけど、年に何人かはあそこで自殺する人がいるのも確かなんだろうし、仕方がないのかな。
幽霊とか怨念的な怖さというものが仮に存在したとしても(別に否定も肯定もしないよ)、そんな人間の思惑なんぞも全て飲み込んで、ただ圧倒的に(そして極めて静かに)存在しているのが樹海というところの美しさなんだね。怖いと感じるのも当然といえば当然だけど、それは自然に対する畏怖というもので、海が怖いのと同じ。たぶん。圧倒的といえば。あのあたりに行くと、富士山の大きさに毎回いちいちびっくりしてしまう。慣れない。

今回は、なんだかんだであんまりゆっくり散策することが出来なかったのだけど、それでもいいんだ。また行くよ。


***


一週間前にちょっとした怪我をしたところが、乾いてかさぶたになって、ポロポロと剥がれてゆきます。痛いのはいやだけど、こうやって傷が治ってゆく様を見るのは、とても好きだ。風邪をひくのは辛くて嫌いだけど、風邪が徐々に回復してゆくのを感じるのは気持ちがよい。それと一緒。
2010/05/23 (Sun)


悩める個人のみすぼらしいオリジナリティ
悩める個人のみすぼらしいオリジナリティ
雨でしたね。五月の雨は気持ちがよいです。雨上がりの晴れた朝も素敵。それにしても今日は暑い。
写真は何日か前に撮ったカラス。青々と葉の茂る桜の木にとまっていたよ。実はわたしはカラスがとても好きで、見かけるとなんだか微笑ましい気持ちになる。雨の日には、やつらはどこで過ごしているのだろうか。

ツイッターで密かに注目している方が(こそっとフォロー)、「お金に頼らない工夫とは、人を大切にすることだと思う」ということをおっしゃっていた。逆に言うと、大衆にお金を使わせようと思ったら、人と人をバラバラにするのが、なにしろ手っ取り早いのだろうな。


‐‐‐‐‐‐‐‐


“いま読書できる喫茶店が、へりましたもん。店主が、私の好きな本並べてますゥみたいな本棚置いたカフェはあるけど、肝心な椅子の座り心地は悪いし、おまえの好きな本なんて興味ないわて感じで。喫茶店はいったいいつから自己表現のひとつになっちゃったんでしょうかね”
“ぼくは「オレ流」なんて街にいちばんいらんもんだと思うてます。悩める個人のみすぼらしいオリジナリティを公共の場で他人におしつけるなんて、何て下品なと思いますけど”


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上記はオオヤミノルさんという方の言葉だそうですが(オオヤミノルさんが誰なのか知りませんが‥汗)、“悩める個人のみすぼらしいオリジナリティ”とはよく言ったものです。
「自分はこんな人間です!」って、好きなものを陳列してみせて、何かを表現したつもりになるというのは、なんというかmixi的で辟易する。自分自分てうるさいんだよ。どうせ大した個性なんて無いくせに。
もう何度も同じようなことを書いているような気もするけど、個性やオリジナリティというのは、実際、ある。確かにありはするけれども、それは自分で決めて見せびらかすようなものではない。なんというか、どちらかというと当人が隠そう隠そうとしているところからにじみ出てくるようなものでは無いのだろうか。

「場」や「関係」よりも「個」が重要視される、世の中。お菓子も、当たり前のように、個包装。

バラバラが前提の世界では「共感」が求められ商品になり、消費される。しっかりしなきゃ。

2010/05/21 (Fri)


☆
今日はお知らせです。『たたかえっ!憲法9条ちゃん』でお馴染みの芝浦慶一氏が、新作『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』をひっさげて、5月23日(日)に蒲田にて行われる、文学フリマに登場するようです。気が狂っていれば何をしてもよいのでしょうか。どうなのでしょうか。
わたしはまだ読んでいないのでどんな内容なのかはよく知りませんが、前作よりもさらに面白いのではと、勝手に思っています。(表紙向かって右側の女の子が、わたしはとても好きなのですが、彼女が活躍(?)するみたいなので‥と、いう理由)

23日当日は、わたしはまことに残念ながら行けそうに無いのですが(たぶん‥泣)、文学フリマ後でも、購入出来る場所はチラホラとあるようですので、以下のリンク先より、なんか色々とご確認ください。試し読みも出来るようですよ!

http://d.hatena.ne.jp/politen/

2010/05/19 (Wed)



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