何物も自分のモノにはならないし、自分の思い通りになることなんてほとんど無いけれど、それでも人は幸福であれる(ことを一生をかけて証明する)」というようなことを昨日書いた。
あえて「幸福になれる」とは書いていない。
昔から「何かになる」というのがよくわからなくて、困る。
大昔にもそんなことを書いていたと想う。
あの頃はまだまだ若くて、言い方が攻撃的過ぎるなとは思うけど、今でも考えは大きく変わってはいない。
夢や目標を持ってそれに向かってひたむきに頑張るのは確かに素晴らしいし素敵だけど、それはそれ以上に夢や目標を持たない者を否定するモノではないはずなのに、どうもそれは許されていないようだ。(「お兄ちゃんには夢がない」って、なんかあったよね)
そんなこと無いとは言わせない。
世の中は、常にわたし達を何かにならせよう、何かを目指させようとしている。それは何も具体的な職業や肩書きじゃなくてもよい。ある種のイメージである場合だってある。
目指したいものが何も無い者は、たいていの場合、後ろめたさの反動でしかない開き直りの上で苦しんでるように感じる。
人には色々な段階があって、もちろん成長期にあってはそのような方法(目標を持たせる)も必要なのだろうとは思う。でも、今はそれがあまりにも過剰。正直みんな疲れてる。(そして癒しが商売になる)。
後ろめたさと戦え!開き直るな!