【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。


 わたしはここ数年、割と簡単に「寂しい」という言葉を使用するけれど、ある時点での知り合いがそんなわたしを見たら、おそらく吃驚するだろうなと思う。(ある時点での自分自身ですら、吃驚するだろうと思う)

 あらゆる人や物事や関係には、必ず歴史というものがあって、自分が見ている「それ」は、その歴史の流れの中で、「反動」なのか「前提」なのか、それは簡単にはわからないものだ。だから、わたしが誰か(や何か)を見て「ああ、この人はこんな人なんだな」と思ったとして、それはその瞬間においては、間違っていないのかもしれないけれど、それが全てでは絶対に、無い。
 
 そうは思いながらも、ついわかった気になって何かを判断してしまうのは、人の頭というものは、何かを「決めない」ことには向いていないということなのだろうな。そこに「心」というものも関わってくるから厄介だ。

 優れた禅マスターはその冥想中、一定の間隔で鳴らされる同じ物音に、何度でも新鮮に驚くのだそうだ。つまりその物音に「慣れない」。逆に言うと、通常の精神状態では物事に「慣れない」とか「決めない」とかということが、とても難しいということ。

 「それは難しい」ということがわかっていれば、慎重にもなれる。
 
2011/08/01 (Mon)



海へ行くつもりじゃなかった
海へ行くつもりじゃなかった
横浜の外れの方に用事があった。その用事の後、自宅とは反対方向の電車に乗ってみた。
今日はあまり暑くないし曇り空なので、つい油断をして海岸に出てしまったら、そういや今は夏なのだった。開放的な水着姿の男女が沢山いたので、ホウホウノテイで退散。

しかし、古い寺(お墓)のある海辺の町を歩くのは悪くない。カラスが元気だった。
神社で蝉の声を浴びる。
2011/07/30 (Sat)


可哀そうなシャイロック
 楠美津香さんのひとりシェイクスピアを観に出かけた。演目は『超訳 ヴェニスの商人』。

 これは、以前も一度観たけれど、まったくもって酷い差別話。要するにユダヤ人を苛めて「ああ、せいせいした」ってだけの話。シャイロックが可哀そうで可哀そうで仕方が無い。彼に対する救いは、1ミリも無い。いやはや。
 シャイロックがあんな風にまで苛められても仕方ないような、最悪の人物として描かれているかというと、そうでもないように思う。そうでもないのに、あんな話が成り立ってしまうような思想や歴史的な背景というのは、日本人のわたし達にはわからないことなのだろうな。

 そういえば指輪のエピソード。正直、だからなんなんだという感じだったけれども、なるほど。「最初に弱みを握っておけば、この先の結婚生活が自分に有利になる」という、夫相手の駆け引きなわけか。ブルブルガタガタ。

 それにしてもわたしは楠美津香さんが好きだな。友人が「絶対に面白い!観て損はさせない!」と力説していたので、2年くらい前に初めて観に行ったのだけど、最初からノックアウトだった。 わたしも、あれくらいクレイジーになりたい。

 ひとりシェイクスピア今後の予定は、来月30日に、下北沢で『超訳 夏の夜の夢』。9月19日に、初の大倉山記念館で『超訳 尺には尺を』です。わたしは9月は行かれませんが、興味のある方はぜひ。
 11月にも大倉山記念館で『超訳 アテネのタイモン』をやるようです。『アテネのタイモン』は、わたしが初めて観たひとりシェイクスピアで、今まで観た中では、コレが一番好きです。
 
 ところで、大倉山記念館というのは、横浜の大倉山というところにあるのですが、ここはわたしがかつて住んでいた町です。大倉山記念館は古いどっしりとした洋館で、雰囲気あります。あのあたりはよく散歩していました。
 大倉山には、風情のある銭湯もあるので(黒い湯)、シェイクスピアの後にはひとっ風呂浴びるのもよろしいかと。
2011/07/30 (Sat)


流れ星ビバップ
☆☆☆
2011/07/28 (Thu)


定点カメラ
 会社に苦手な人がいて、ほとんど必要最低限のことしか話さないのだけど、今日ひょんなことからプライベートな話を少し聞いたら、ちょっとだけその人のことを好きになった。「知る」というのはとても大事だ。

 自分を正当化するために誰かを攻撃したり悪者にしたりすることだけはしたくないと願いつつも、うっかりすると無意識にやらかしていたりする。自分を監視する目線を常に意識しなくてはならない。

 冷酷なまでにブレない、定点カメラのような目線。
2011/07/27 (Wed)


街の匂いと蝉の声
 会社の帰り、G寺で途中下車をしてみた。
 電車の扉が閉まるギリギリのタイミングで思い立って飛び降りた。G寺駅付近になにがあるのかなんて知らないし、別に目的があったわけではない。ここのところずっとチマチマと読み進めていた本が(面白かった)ちょうど読み終わって、ふと顔を上げたらいい感じの夕暮れ時だったのだ。

 ウロウロと歩いてみて、この街は匂いがあるなと思った。いろんな匂い。どんな場所にも時間にも匂いはあるけれども、それが強いと思った。
 おしろい花の甘い香りや、新しい家の匂い。蚊取り線香やお風呂やなにかの生活の匂い。商店街の匂い。新しい家の匂いは何故かとても印象的だった。

 この夏初めて蝉の鳴き声を聞いた。子供らが鳴き声のする方を見上げていたよ。あれはなんという蝉だったか。

 わたしは町工場で働きたかった。くすんだ灰色の作業着を着て、黙々と作業をしながら年を重ねて、自らもくすんでいければそれでよかった。それでよい自分でありたかった。

 実際に、20代前半は工場勤務を何年もしていたのだ。

 最近は小沢健二さんの『LIFE』を繰り返し聴いている。小沢健二さんの曲を聴いていると、感情の揺れ幅がメチャクチャ大きくなってしまって、それがとても困る。ただ街を歩いているだけで泣けてくるというのは、やはり困りものだろう。(感受性強いアピール。でも意識は低い)
 感情というのはわりかし曖昧なもので、こんな時には、嬉しいのか悲しいのか寂しいのか愛おしいのか、よくわからなかったりする。

 いつかどこかで書いた気もするけれど、人と歩きながら話をするのが好きだ。座って向き合って話すよりも、自分は無理なく話せるように思う。これはなんなのだろうな。もちろん相手によるところも大きいだろうなとは思う。

 お互いに向き合っているのがしっくりくる組み合わせとか、お互いに向き合うというよりは、近い場所に立って同じ方向を見るべき組み合わせとか、時と場合によっていろんな関係性というのがあって、そのどれもが正解なんだろうな、なんてことをよく思っています。
 
 同じ場所から同じものを見ることだけは、絶対に出来ない。

2011/07/26 (Tue)


シルク
シルク
PC導入に伴い、思いつきでエクセル日記帳を作ってみたので、調子に乗ってカタカタと書きまくっている。(ネットが繋がったら本家の方にまとめてアップします。たぶん)
わたしが作ったのは、1日1シートで1ファイル1ヶ月分を考えているもので、日記タイトルは入れても入れなくてもいいけど、入力したら表紙(というか目次?)に反映するようにして、後で参照しやすいようにしてみた。ちなみに本文はテキストボックスに書き込みます。これはどうなんだろう‥。とりあえずしばらく使ってみよう。

どうでもいいようなことを文章にするのは、わたしはやっぱり好きだな。
いつまでたっても文章力が上達するわけでも、その内容の質が向上するわけでもないけど、一生なんらかの形でなにかは書いているような気がする。無意味に。
わたしの唯一の趣味なのかもしれない。

ところでベッドを新調してはや1週間以上経ちますが、なんとも寝心地がよいです。今までとはなんというか体を支える「密度」のようなものが全然違う。
シーツも新しいものを買った。シルクなんとかが配合されているとかされていないとかいうもの(そのわりには「綿100%」と書いてあるが‥)。別に全然高いものではないけど、スベスベしていてとても気持ちがよい。
寝具というのは大事だなと、毎晩しみじみ思いながら眠りについている。

写真は最近散歩した土地にあった建物。これじゃ一体どこなのかさっぱりわからんね。
2011/07/25 (Mon)


自由と必要のバランス
人と人が繋がるにあたって、物理的な距離の近さやそれゆえの不自由さというのは、実は重要な要素になると思っている。
 いつだったか銭湯に行った時に思ったことを書いたことがあったけれども(確認したら、「穴」の方で2010年11月7日に書いていた)、不便さとか不自由さというのはある程度は絶対に必要で、その限られた環境の中で、人付き合いの折り合いを付けることを学ぶのはとても大切なことだ。 しかし、自由が許されている中で、それをわざわざ選択することは非常に難しい。

 銭湯の例でいくと、たとえ嫌いな相手がその場にいたとしても、「生活の一部」としてそこを利用せざるを得ないのであれば、嫌いなら嫌いなりの、合わないなら合わないなりの関わり方を覚えるしかないわけだけど、娯楽としての利用であれば、「わざわざ嫌な思いをしてまで関わらなくてもいいか」で終わらせられる。
 「必要」もないのに好き好んで嫌いな相手や物事と関わりたいと思う人はいないものだけど、その「必要」という機会が、今は割と少ない。

 個人の好き嫌いや、居心地の良さを「先行して」求めることが出来るように整備された社会では、対人関係においての耐性が弱くなり、簡単に人と人の縁が切れる。切ることが出来る。あるいは、初めから結ばないという選択も、出来てしまう。
 これはもはや個人がしっかりしてさえいればとか、そんなレベルの話では無いと思う。勿論、しっかりしているに越したことはないけれども。

 自由と必要のバランスのかじ取りを、個人個人の選択に委ねられている現代というのは、実はとても生きにくい。
2011/07/25 (Mon)


登山
“思い出は誰にも奪われることのない宝物である。思い出を残して歩け。すべての場所について一つひとつの冥想を持つがよい。それは他人から奪い取ることなしに、お前が富む唯一の方法なのだ”

 なつさんがツイッターで紹介していた、登山家の言葉。

 時は止まらないから、出来事は必ず過ぎてゆくものだけれど、その全てが思い出になるわけではない。そして、あらゆる感情が自分のものでしかないのと同じく、思い出もまた、自分のものでしかない。
 それはとても寂しいことではあるけれど、人として生まれてしまった以上それは死ぬまで引き受けなくてはならないことなのだ。

 歩け歩け。歩くがよい。
 一歩一歩を踏みしめて。
 確かめながら。刻みつけながら。

 いつかその足跡が風化して消えてしまったとしても、劣化して崩れてしまったとしても、たとえ誰かに踏み荒らされてしまったとしても(その「誰か」は、もしかしたら他でもない自分自身かもしれない)、そこを歩いたという事実だけは、永遠に変わらない。
2011/07/24 (Sun)


PC導入
PC導入
引っ越してからPC無しの生活であったが、この度晴れてご購入です。まだネットは繋がっていないのだけど(申し込んでは来た)、エクセルで日記帳を作ってみた。
公開用と、自分の為だけの日記を同じシートに書けるようにしてみたけどどうだろう。

誰でもそうだと思うけれど、自分の為だけの日記というのは本当にひどい。感情的だし文章もメチャクチャ。なんかの拍子に人に見られたら人格疑われること請け合いだけど、誰にも見せないからよいのだ。今回作った日記帳にも、当然パスワードはかけてある。いや一人暮らしで自分専用のPCなわけだし、別に誰も見やしないけど。念のため(どれだけ見られたらマズいんだ‥)。

自分だけが知っていればよいことなんて、いくらでもあります。


思い立って遠出をして、ただただウロウロして、地元に密着している適当な店で特に美味しくもないモノを食べて帰る。という贅沢。
2011/07/24 (Sun)



total : 111057
today : 6 yesterday : 45